with sister
俺には姉がいる。八歳年上で、現在27歳。俺とそっくりの、言ってしまえば超美人。俺と同じブロンドはマントみたいに長いくせに、根から毛先までしっかりキューティクルが生きている。スタイルの良さはまあまあ互角。
しかし、俺が何より劣等感を抱いているのは、名前だ。
俺が外国人丸出しの名である一方、姉は「由芽」という日本人らしい名前。国籍まで日本に変えており、サハナの母方の親戚と親しくやりながら定住している。
なぜ共にカナダ人の両親が姉にそんな名前をつけたかというと、両親が30年前から日本で仕事をしていたのが原因。日本で姉が生まれたため、両親は娘が周りに溶け込めるようにと日本人の名前をつけた。だが俺が生まれる1年前にカナダへ戻ってしまっっため、俺は日本人名を授けられなかった。
そんな姉が俺たちの家に行くと連絡してきたとき、姉は家の前にいた。
受話器を置いてすぐのインターホン。俺は都市伝説のメリーさんを思い出して少しだけびびった。別に都市伝説の類に興味があるわけではないが、サハナが強い関心を示しており、その手の本を買いあさると、俺に読み聞かせをするのだ。それも俺が寝ようとしているときに。
どこの母子だ、と始めは暴力で黙らせていたが、日に日に面倒くさくなって聞き流しながら眠ることにしていた。頭に入れているつもりはなかったのだが、今こうして思い返すということは、記憶してしまっていたのだろう。
俺は飛び跳ねた心臓をトレーナーの上からおさえると、一つ深呼吸して玄関に向かった。
左手に小さな靴箱のある狭い玄関。付け加えておくと、靴箱の上には、枯れた花と腐った水がそのままになった花瓶が置かれていたりする。
覗き穴に近づくと、女性としては背が高い美人がいる。薄化粧だがモデルも裸足で逃げ出す完成度。姉だ。
ドアを開くと、姉が見下したような笑顔で手を振った。俺と姉の見た目は確かに似ているが、性格や表情は正反対だ。そう思いたい。
「もっと早めに連絡しろよ、姉貴」
開いた扉を抑えつつ姉を迎え入れた俺は、溜め息交じりにそう注意する。いつも家にいるわけではないのだから、下手したら締め出しをくらうことになるぞ。
「占いでユーリが家にいるってわかったから来たのよ」
ねっとりとした甘い声で囁く姉。弟にそんな色目を使って何の意味があるというのか。
姉は有名な占い師で、主に日本を拠点に活動している。その正確さは国家機関さえ認めているほどで、事件の解決に使われることもある。
そんな手札をたかが弟の家に行くだけで使うなと言いたい。
「ほら、私を案内しなさい」
あくまで柔らかく言うが、その奥に込められた絶対的命令がずるむけになっている。どうやら玄関先で帰ってはくれないらしい。
「はいはい」
俺は廊下の先、ドアで仕切られた居間へ姉を連れていく。居間は俺が忙しかったせいで散らかっており、サハナが必要最低限の物をこたつの一角にまとめて潜り込んでいる。
姉に気付いたサハナが、エロ本を前にした変態少年のような表情で姉を見上げた。
「うおっ! 御姉様! お久しぶりです!」
「久しぶり、サハナちゃん。隣いいかしら?」
猫なで声で心にすり寄る姉に、サハナは鼻息を荒くする。
「どうぞどうぞ! 喜んで!」
「お邪魔するわね」
一応俺も家主のわけなのだが、俺の意見など聞かずサハナの左隣に陣取る姉。幼い頃からサハナの方が可愛がられていたので、今更だが。
昔サハナが俺の家に来る理由の半分は姉と遊ぶことで、残り半分は日本文化の伝導のためだった。今思うと俺って不要だったのかも。
「姉貴。茶でも飲んだらすぐ帰ってくれ」
姉はただでさえ有名人なのだ。今もパパラッチの類が張っているはず。いくら姉弟とはいえ、男の家に入り浸るのは体裁が悪いだろう。そう気遣って俺は言ったのが、当の本人は――。
「ユーリ、私はあなたをそんな冷たい人に育てた覚えはなくってよ?」
まるで察してもらえない。
「姉貴に育てられた覚えは……あるか。でも姉貴は反面教師だったろ」
何かと出張の多い両親より、いつも一緒にいた姉の方が、俺の面倒をみてくれた。と言っても一番可愛いのは自分自身という姉だったので、理想的な親の包容力は期待できないのだが。
「どこが反面教師というのかしら?」
「たとえばその気色悪い言葉遣いとか」
今時漫画くらいでしか見かけない女々しい言葉遣い。俺はそういうリアリティに欠けたものが苦手なので、姉の口調に馴染めない。
「口調はキャラ設定には必須よ?」
「設定とか言うな、この中二病」
中二病自体は流行っているが、ここまで重篤なのはなかなか見かけない。しかもそれが身内だというのだから、俺ってつくづく運が悪い。
「あら、私は高二病よ?」
「似たようなもんだろ」
俺は脱力しつつもそう突っ込んでやる。すると姉に見入っていたサハナが、ハッと我に返り横槍を入れる。
「中二病と高二病は次元が違う! 中二病がサナギなら高二病は蝶! 三年という月日は人を大人に変えるんだ!」
「洋楽に憧れて中二病をバカにして徹夜を自慢する、それのどこが大人なんだ?」
「徹夜できるなんて大人じゃないか」
「そういやお前は九時には寝るお子ちゃまだったな」
月9が見れないと騒ぎ立てていたサハナを思い出す。あれは来日したばかりの頃。月9というものを初めて知ったサハナは、自分の生活習慣を変えるより先にDVDレコーダーを買った。おかげで容量いっぱいのディスクがいくつも散乱している。
「ほうら、やっぱり私は立派な大人でしょう?」
「ネットで夜更かしするだけで大人になれるんなら、人生はイージーモードだな」
俺はため息を吐いてコタツのテーブルに頬杖をつく。姉と話すと疲れるのは昔からだ。そこにサハナまで加わってしまえば、会話が成り立たなくなる。それもまた懐かしい日常。
少しばかり故郷に思いを馳せて、そこでこの間きた母からの電話を思い出す。
「で、姉貴は彼氏とかいるのか? お袋が孫の顔見たいってうるせえんだよ」
電話の向こうで散々喚き散らした母が頭から離れない。ろくに世話もしなかったくせによく言えたもんだと俺は胸中で文句を言う。
姉はそんな俺の思いなど知らず、あっけらかんとした顔で答える。
「いるわよ。5人」
俺のなかの越えてはいけない一線に、姉が踏み入る。
「だから俺はあんたが嫌いなんだ」
俺が声を低くしてそっぽを向くと、姉は可愛い人形でも見るような目で見つめて来た。
「まだ二股されたこと気にしているの?」
俺は言葉を詰まらせた。
あれはカナダの高校にいた頃のこと。
それなりに女子に人気のあった俺は、しかし清い交際がしたくて数々の告白を断っていた。
そんなとき彼女が現れたのだ。
転校生からクラスのリーダーへ一気に上り詰めた彼女は、しかし変に大人ぶることもなく、ていねいでお人好しの世話焼きだった。
俺は初めて恋をして、サハナの後押しにより告白。結果は即OK。
そうして俺と彼女は付き合い始めたのだが、一年目の夜、プレゼントを渡そうとサプライズで彼女の家へ向かっていたとき、俺はおっさんとラブホテルへ入る彼女を見かけた。全てが崩壊した瞬間だった。
それ以降の記憶は曖昧だ。ただ覚えているのは、彼女との思い出の品を泣きながら始末する自分。
彼女は売春がバレて退学。しかし密告したのは俺ではない。いわゆる俺のファンが、彼女の悪い噂を聞いて調査し、ラブホテルに入る瞬間をカメラに収めて学校に提出したのだ。
だがそれでも俺の心は晴れない。そこで、サハナから誘われていた日本への留学に挑戦。今に至る。
よって俺は浮気とかそういうものが苦手になったのだ。
それなのに堂々と男を弄ぶ姉を、嫌うことはないが受け入れることはできなかった。
「まあ仕方ないわね。当時のあなたは遊びを知らなさ過ぎたもの。……ああ、今もかしら」
その一言で、少し黙っていたサハナに火がつく。
「俺はいつでも御姉様に遊ばれたいです!」
「てめえは黙ってろ」
「私も大歓迎よ」
「姉貴も黙っててくれ」
姉が夜更けに帰ってくれるまで、そんなやりとりが続くのだった。