表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/3

in the Hino university

 俺とサハナが通う日野大学は、日野市内の豊田駅からバスで五分の住宅街の中にある。周囲を木々に囲まれたその大学は、とにかく奥深い日本文化を学べると評判だが、知名度はまだ低い。よって留学生が少なく、外人に飢えた生徒たちは俺たちをやたらまつりあげた。女子はキャーキャー言うし、男子は海外の暮らしについて訊いてくる。まあ俺もサハナも見た目は悪く無いので(俺なんかモデルだし)、入学してすぐに日野大学のアイドルと化した。

 今回はその始まりと現在について語りたいと思う。

 大学一年の四月。俺は人に囲まれていた。

 場所は大学の敷地内。目抜き通りに面した正門から、並木道を両脇に真っ直ぐ北へ向かうと、校舎の正面に作られた小規模な広場がある。噴水なぞが機能しており、しかし清掃が行き届いていないのか若干緑色に濁っている。葉っぱや、この時期は桜の花びらなんかも浮かんでいて、情緒と不潔を同時に醸し出していた。

 俺は当時自慢の金髪をおろしており、毛先が肩甲骨の辺りまで伸びていた。くわえて女性的な目鼻立ち。昔チアリーダーだった母に似すぎたため、幼い頃から女性に間違われることは多々あった。

 だからだろう。俺を囲んでいる八割は男性だ。皆携帯のカメラを向けてきて、次々とシャッター音が鳴り渡り、ときには目も眩むフラッシュに包まれる。

 正直言うと、俺は半分気絶していた。そして更に暴露すると、俺は極度の人見知りだった。

 親戚相手でも身が竦んで言葉が出なくなるほど。赤の他人となったら逃げるか動けなくなるかの二択しかない。

 そして現在はその後者というわけだ。

「ねえねえ名前は?」

「日本語わかる?」

 俺はユーリで日本語はネイティブ並みだが、それを伝えることが出来ない。そのうち俺が日本語を話せないと勘違いしたのか、生徒たちは次々にたどたどしい英語でコミュニケーションを試みる。そのほとんどが文法が滅茶苦茶だったり変に英語訛りを気取って聞き取れないものばかりで、俺はますます返答に困る。

 そんなときだった。救いの手が伸びたのは。

「ユーリ。何やってんの?」

 人垣の外から長身の頭がのぞく。寝癖かと思うほど珍妙なヘアスタイルをした、サハナだ。

 観衆と化した生徒は、顔のパーツが明らかに欧米系のサハナが話す日本語に言葉を失った。それがあまりにも日本人らしく、若干訛りの残る俺が完敗を認めるほどだったからだ。

「外人!?」

「二人目!?」

「今日本語喋ったぞ!?」

 次々と湧き出す疑問の声。それから注目がサハナへと移る。

「どこの国出身!?」

「名前聞いていい!?」

「あの人の友達!?」

 逮捕された芸能人に群がる記者のような観衆を、それでもサハナは邪険に扱わず丁寧に答えていく。

 自分がサハナ・ロードというカナダ人と日本人のハーフであること。俺がユーリ・ネコロフという名前で友人であること。二人とも日本に強い関心を抱いていること。

 俺はそのやりとりを目の当たりにし、改めてサハナの凄さを思い知る。

 日野はサハナの母親の実家があるため何度も訪れているが、こうして現地人と触れ合う機会はあまりなかった。

 だというのに、まるで気心の知れた友人に語り掛けるようなサハナの調子。これには殺到する人々さえ驚かされたようだった。

 遂には芸能人かとまで囁かれる。人怖じしない姿が、テレビ慣れしたタレントのそれに見えたのだろう。

 だがサハナは否定して、代わりに俺がモデルをやっていると話題の矛先を変えた。

 すっかり安心しきって外輪にいた俺は、再び猛獣のような日本人たちに注目され、一歩後ずさる。しかし抵抗が出来たのはそれまでだった。

「握手してくれ!」

「サハナさん、英語で好きってなんて言うの!?」

 握手なんて求められるほど売れてもいないし、好きならアイラブユーの一言で済むだろ、とか突っ込みの言葉は浮かぶのだが肝心の声に出来ない。ええいこうなったら手話で。駄目だ、手話を知らない上に指一本動かせる状態ではない。

「ユーリは人見知りだから、あんまり反応は期待しない方がいいよ」

「ええー!?」

「もったいねえ!」

 さっきからこいつは俺のプライバシーをぺらぺら喋りやがって下さいますね、本当に友達やめるぞ。

 しかしそれよりも。それよりも大事なのは、俺の性別を明かすことではないだろうか。ずっとユーリちゃんユーリちゃん言われて幼少期に戻った気分だ。幼稚園くらいまではサハナの母親がそう呼んでいて、のちに日本では男でも小さい頃はちゃん付けされることもあると知った。

 そろそろ解放されてもいいんじゃないか。そのためには男であると説明して八割にどいてもらう必要がある。その分女子の勢いは増すが、二割なら振り切れる。我ながらバトル漫画のような思考回路だ。

「ユーリ、ほら挨拶して」

 そう言って歩み寄り、サハナが俺の手に触れた瞬間。俺はもう限界を越えた。

「俺は男だクソがあああああ!」

 サハナの腕をきっちりホールドして彼の背中に持って行き、みしみしと音をさせながら締め上げる。

「待って待って! それは流石に骨が! 骨が危ない!」

「知るか! 何もかもてめえのせいだ! 少しは俺をフォローしろ!」

 観衆の好奇の目が痛い。今度は一発芸をやっていると思われたらしい。

 だがそんなことはどうでもいい。今は錯乱するだけで精一杯だ。

 サハナの腕からめきっと嫌な音がしたと同時に、奴の肘が不自然な角度に曲がる。言ってしまえば関節が外れた。

 その日から俺は、関節クラッシャーと呼ばれ、大道芸人のような扱いを受けた。



 そして二年生の冬。現在。俺とサハナは並んで日本舞踊の授業を受けている。

 教室はすり鉢を半分にしたような造りで、長机が通路を挟んで平行に並ぶ。俺たちはその最後列にいた。

 今日は能について触れている。俺は真面目に黒板とノートを視線で往復しながら、ペンを走らせる。日本舞踊の先生はとにかく板書が好きで、書くことが多いため腱鞘炎になりそうだ。先生はそれを一日に何度もやるのだから、こっちが心配になってくる。

 サハナはこくこくと舟をこいでいた。寝癖のようなヘアスタイルはあの当時も今も変わらない。くわえてよれよれのトレーナー一枚なので、まさに寝坊して慌てて登校した生徒だ。早寝早起きのサハナには絶対ありえないのだが。

 俺はというと、やはり入学時と変わらない長髪(事務所が切らせてくれない)で、しかしせめてもの抵抗にバレッタで留めて、顔も男らしく見えるようわざわざメイクまでした。そのおかげで、人気は女子に傾いてきている。まだ一部の男子にはつきまとわれているが。

 俺は辞書並みの教科書の角で、思い切りよくサハナの後頭部を殴った。アニメとかでよくある殺人的な音がして、サハナの頭が沈んだ。

「あうっ」

 勢いで顎を机に打ち付けながら、サハナが目を覚ます。やはり暴力による目覚めは驚くようで、痛みを訴える前にきょろきょろと辺りを見回している。

 そして教科書を掲げている俺に気付くと、合点がいったのか目で抗議しきた。

「痛いよユーリ!」

「当たり前だろ。痛くなるようにしてんだ」

 俺が一蹴すると、サハナが顎と頭を交互に摩りつつ悲しげな顔をする。

「起こすならもっと穏便にしてよ」

「起こすつもりなんて別にねえよ。ただ目障りだから殴っただけだ」

「それ不良の考えだよね!?」

「知るか」

 ぶーぶー文句を言うサハナを鬱陶しく思いつつ言葉を返していると、先生がちらりとこちらを見た。この先生はとにかく授業態度に重きを置いている。下手したら単位がもらえなくなる可能性があった。

 俺は自分の口を閉じるのと一緒に、手でサハナの口を覆った。

「むー」

「黙れ。単位が欲しかったらな」

 俺が低い声でそう脅すと、サハナは気まずそうに目を泳がせて静かになった。俺はそれを見届けて、安全になったことを確認すると手を離した。

 しかし数分後。

「ねえねえユーリ」

「うるせえ。口縫われてえか」

 こりもせずにサハナが話しかけてくる。俺は馬鹿かと思いつつも、つい返答してしまう。

「まあまあ。少しくらいいいじゃん。この間のバレンタインのことだけど――」

「五十対三十で俺の勝ち、だったろ」

 あれは二度目のバレンタインデーのこと。一度目で日本の女子は恐ろしいと学んでいた俺は裏口から侵入したのだが、何故かバレていて、五十人の女性に囲まれながらチョコレートを受け取る羽目になった。

 あとでサハナが口を滑らせたとわかり、しばらく家事を放棄した。食事の面倒から衣類の手入れまで俺の担当なので、サハナはお腹を空かせた上、着る物が見つからず途方に暮れていた。すぐにサハナが日本名物土下座をしてきたため、心の広い俺は五十回殴るだけで許してやった。

 そんな出来事などサハナにとってトラウマレベルだと思うのだが、何故今になって持ち出してくるのだろう。

「実はさ、数え直したら二十八個だったんだよ。あはは」

「減るんかい」

 俺はつい言葉遣いを変えて突っ込んでしまった。何でいまだにチョコをとってあるんだとか疑問に思うことは他にもあったが、一番は数え直して減ったのを素直に伝えてくる点。ただでさえ負けているというのに。

 まあ俺としては、バレンタインデーに興味が持てないので勝とうが負けようがどうでもいい。それをサハナはイケメンの余裕と呼んで悔しそうにしている。

 俺の傍らで、サハナは笑ったまま話を続ける。

「日本のバレンタインデーって面白いよね。あとホワイトデー。メイプルシロップでお返ししようかな。カナダってそういうイメージしかないみたいだし」

「てめえのお返しなんざどうでもいい。とにかく黙れ」

 俺が机の下で拳を作ると、それを察知したサハナは小さく頷いて口を閉ざした。だがにやにや笑いは収まらない。黙っているだけ良しとするか。

 俺はしばしサハナの様子を観察したが、話しかけてくる様子がないことを確認して、授業に戻る。授業はよくわからない方向へ進んでしまっていた。

 俺は八つ当たりでサハナに平手打ちをした。


ご視聴ありがとうございました。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ