趣味ってさあ
短いながら小説ということにしてあります。
はたして、日本に来たことは正解だったのだろうか。
俺は悩んでいる。
カナダから遥々、友人と二人で日本に留学した。友人はサハナ・ロードといい、強風で駄目になった稲穂のような髪型が特徴的。背はすらりと高く、読者モデルをやっている俺ほどではないがそこそこの美形だ。黒縁眼鏡をかけており、インテリ感を出しているが、人間的にも学力的にもあまり頭が良いとは言えない。
俺はユーリ・ネコロフ。暗い茶髪のサハナと違って、輝かしいほどの金髪を女みたいに伸ばしている。これは事務所が決めたことで、俺の一存では切れない。
そんな俺たちが住処としているのは、東京都郊外の日野市。バスロータリーはあるがとても都会的とは言えない日野駅のすぐ傍。賃貸のマンションだ。そこの四階の端が俺たちのマイホーム。
間取りは1LDK。狭苦しいバルコニーは北向き。一つ一つの部屋も狭い。
おかげで賃貸料はそう高くはないが、カナダの実家からの援助ではぎりぎりだ。だから俺は読者モデルをやるし、サハナは飲食店でアルバイトをする。
まあそれはいい。今は眼前の問題に向き合おう。
九畳のリビングで、まだまだお世話になるコタツにもぐるサハナ。彼の周辺は、動かなくてもいいように、液晶テレビのリモコンやポテトチップス、ペットボトルのオレンジジュース、そして漫画などが集められている。
サハナはお気に入りのギャグ漫画で大爆笑しつつ、唐突に言った。
「ジャパンアニメーション? そういうのに俺は携わりたいんだよね」
流暢な日本語だ。何たってサハナは日本人の母とカナダ人の父とのハーフ。日本語は母からみっちり鍛えられてきた。
俺の両親とサハナの両親は仕事仲間で、その縁から俺とサハナは産まれたときから一緒にいた。
よって、俺が日本に興味を抱くのにそう時間はかからなかった。小学生の頃にはサハナと日本語で会話。他の友人は俺たちが何を喋っているかわからないので、秘密の暗号として大いに活躍した。
サハナの母の実家から送られる荷物も、俺たちを刺激した。煎餅や蕎麦、箸に扇子。どれも初めての、しかし温かみのある異文化。
サハナは、高校を卒業したら日本の大学に行くと言いだし、俺はそれをただ応援するだけだった。日本の文化に興味はあるが、大学まで行く勇気はなかったから。
しかし紆余曲折あって俺が遠くへ行きたいと思うようになったとき、サハナの留学はとてもそそられるものへと変わっていた。
俺はぎりぎりでサハナと同じ大学を受験し、合格。その間に家を探しておいたので、入学手続きと共に契約した。
そうしてサハナと始めた二人暮らし。二年が経ち、三年目が近づく頃には相手のこともよくわかってくるというもので。
そう、サハナには困った病気がある。移り気なのだ。
何か思いついて実行するのはいいが、三日坊主(サハナのおかげで覚えた)で終わる上に準備と称してかなりの浪費をする。
貧乏学生としては痛い出費だ。二人の実家から送られる生活費とバイトだけでは、そこまで裕福な生活はできない。俺たちが通う日野大学の学費がすこぶる高いため、財政を圧迫しているのだ。
俺はサハナの病気がまた始まったと頭を抱えつつ、サハナの向かいに潜り込む。トイレのある廊下とリビングは扉で仕切られているため、中古の暖房は廊下まで温められない。俺は今までトイレにいたため、至極寒い思いをしていた。
だからリビングに戻って来たときは、楽園に行くような心持ちでコタツに入ったのだが――。
「でも俺絵描けないだろ? だからライトノベルなんかどうかと思うんだよ。売れたらアニメ化。ジャパンアニメーションに携わったことになるだろ?」
サハナはすらすらと己の野望を述べる。正直夢と呼ぶのもおこがましい、訪れるはずのない未来だ。
「てめえは小説なんざ一つも書いたことねえだろ」
俺はもっともなことを言って、サハナの野望をすっぱり切った。サハナは昔から活字嫌いだ。書くのはもちろん、読むことさえ嫌がる。そんな奴が小説なんて書けるはずがないし、当然書いたこともない。
だから俺は正論を口にして諦めさせようとした。
だがサハナはしぶとい。
「でもたまにいるだろ? 処女作が賞を受賞してアニメ化に至るやつ。俺はそういうのだと思うんだよ。なあユーリ」
どう考えても無謀だった。確かに処女作で賞を受賞する人はいる。しかしそういう人々は本をたくさん読んでいて、基盤が既に出来上がっているものだろう。詳しく知らないけど。
「なあユーリ、じゃねえ。賭けてもいい。てめえは明日挫折する」
もちろん賭け事をするつもりはない。ただ守銭奴の俺にそう言わせるほど、サハナの挫折は目に見えていた。
「俺の根性なめないでよ」
サハナが俺の目を見つめながら口を尖らせる。俺は見つめ合うのに慣れていないので目をそらした。だが気後れしたわけではないから態度は強気のままだ。
俺はリビングに散らばっている物たちを指さす。手作りの棚が三つほどあるが、全て埋まっている。顔ぶれは、絵画セットから、右腕だけ作られたロボットまでジャンルが広い。そのどれもに共通することが、放棄された趣味であるということだ。
「てめえは今までいくつガラクタ生み出した? ああ?」
棚の中身を示したままそう柄悪く詰め寄るが、サハナは怯んだ素振りもなく目に強い光を宿して訴え続ける。
「それとはこれとは違うんだって。俺にはわかる。俺は作家王になる」
どこの漫画からパクってきたのか。その時点でサハナのオリジナル性に疑問を覚える。何かの真似ばかりするようでは、賞を受賞できるような小説を書くことなど出来るはずもない。
その前に俺はサハナの残念な文章力を知っている。学校で作文を書いたとき、奴の作文は先生に解読不明と言わしめた。原稿用紙三枚のなかに、三十近いテーマ(と本人は言っている)を詰め込むので、文の一つ一つに関連性がないのだ。例えるなら、ミカンはおいしいと書いたあとに『昨今の政治はよくわからない』と続ける、本当にそういうとんでもない書き方なのだ。
本人の中では繋がりがあるらしく一度説明してもらったが、難易度MAXの連想ゲームを解いているかのような内容だった。
このようにサハナは実力を顧みずに何でも挑戦する。そしてすぐ飽きる。
それはとても褒められたことではないが、俺は少しだけ羨ましかった。
俺はせいぜい日本文化に興味を持つ程度で、何かに熱中するという思いはどこかに置いて来てしまった。
だから毎度、短い間とはいえ何かに熱中するサハナには、多少の憧れがある。こいつは、ただ学校とスタジオを行き来するだけの俺の留学生活に、新しい風を吹き込んでくれるのだ。
まあ湯水のように金を使われるのは困りものだが。
俺は深く溜め息を吐く。仕方ない、ここは若干の譲歩が必要だ。
「千円だ。それ以上使ったら追い出す。千円以下までならライトノベルとやらへの投資を許してやる」
「一万円」
このとんでも脳みその中には何が詰まっているのだろう。少しでも出費を控えたい懐状況で、一万円なんて大金出せるはずがないのはわかりきっているはずなのに。
「千円」
あくまで初期設定を押し通す。負けたらおしまいだ。俺たちの生活が成り立たなくなってしまう。
「五千円」
少しは自分の無謀さがわかったのか、サハナが設定額を下げだす。だがまだ許可は出来ない。五千円あったらお洒落なお店でディナーができる。
「二千円」
俺は押し問答が好きではないのでほんのちょっと歩み寄ってみた。そうでもしないと、こいつはいつまでも無茶な頼みを貫き続けるだろう。
「わかったよ。二千円で我慢する」
わざとらしく溜め息を吐くサハナに軽く殺意を覚えた。疲れたのも溜め息をつきたいのも俺の方だ。
俺はコタツの中でサハナに蹴りを入れてから、共用サイフを探した。サイフはリビングの小さな金庫の中に入れてある。ダイヤル式なので設定した回数右に左に回して、開ける。ちなみにこの解除法はサハナには教えていない。もし奴が知っていたら勝手に使われてしまう可能性があるからだ。
金庫からサイフを取り出すと、そこから千円札を二枚抜き取って、サハナに手渡す。サハナは嬉しそうに頬を緩ませながらそれを受け取った。
明日はサハナの趣味が何にすり替わっているのだろう。そんなことを期待半分不安半分で待つ、ある冬の日の出来事。
ここまで読んで下さりありがとうございました。