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第二話 平穏は来なかった

 あの日から、未だに夢の中にいるような気分のままいつの間にか数日が経過していた。


 イリスは今日も笑顔を作って扉をノックする。

 返事はない。が、それはいつもの事なので「イリスです。入りますよ?」と前置きしてそっと扉を開いた。

 彼は今日も窓際で焼け焦げた森を眺めていた。窓ガラスに彼の抜け殻のような顔が映りこむ。


「調子はいかがですか、ラルバさん」


 ラルバはちらりと目をやったかと思うと、またすぐに視線を窓の方へ戻してしまった。


 一番ショックが大きかったのはラルバだ。あの日、炎に飛び込んだ後彼の身に何があったのかイリスは知らない。本人に聞いたとしても「わからない」と首を振るだけだからだ。イデアは「竜の前に突っ立っていたのを引っ張ってきた」と言っていたがそれ以上の事は彼女にもわからないようだった。


「良い天気ですね。外を見てるんですか?」


 やはり返事はない。


「あの、大事な話があるんですが……えっと、今後の話です」




 今日の朝早くのこと。このとき別室のラルバはまだ夢の中だったのだろうが、隣の部屋ではこんな会議が繰り広げられていたのだ。


「さて……いつまでもここにいるわけにもいかないし、これからどうしましょうか」


 唐突にルークがイリス達にそう言い放ったのが始まりだった。


 どんなに残酷でも現実は現実。前を見なくてはならない時は必ず来る。現在イリス達は宿屋の主人の厚意で無料で滞在させてもらっているが、そろそろ今後について決めた方がいいというのだ。


 これに反応したのはイデアだ。透明感さえ感じる白くて長い足を組むと、ルークに尋ねた。


「そうね。帰るところもないわけだし……どうしたらいいかしら?」

「思いつく限りでは方法は二つあります。一つはこの村で暮らすこと。ここの人々は親切ですから、一番無難な選択だと思います。あと一つは────」

「あと一つは?」


 イデアが身を乗り出して続きを急かす。


「あまり得策とは思えないのですが……旅に出て安住の地を探す、とか?」


 ルークのこの一言で、夢うつつで聞いていたイリスの脳は一瞬にして覚醒した。


「旅ですか!?」


 最近暗い日々が続いていた。失った物を数えるだけの毎日に良い事なんかありはしなかった。イデアもルークも平常を装ってはいたがどこか重い雰囲気を漂わせていた。


 だがそれもまもなく終わりを告げる。ルークはきっとイリス達の過ごしてきた箱庭のような世界より、何倍も広い世界を知っている。

 前向きに考えれば、あの出来事は新しい世界を知るためのきっかけだったのかもしれない。過去を乗り越えてそこに一歩踏み出すことができたなら。


「え? でも、イリス様には向かないかと思われます……」

「ルークさん。お願いだから様付けしないでってこの間から言っているはずです!」


 生真面目なルークはイリスの正体を知った途端、その場にひざまずいて「今までの無礼を……」などと堅苦しい言葉を並べ始めたので、それを先日止めたばかりだった。


「ああ、僕はまた……すみません。イリスさんは竜が襲ってくる直前に、鳥のような怪物にさらわれたとお姉様からうかがっています。狙われている身ならば、あまりそういうことはしない方がいいかと……」

「私も同意。危険な目には遭わせられないもの。フォルテもそう思うでしょ?」


 イデアが一言も発さないフォルテに同意を求めると、「まあな」と彼もぶっきらぼうに頷いた。


「でも……」


 こんな形ではあるけれど、せっかく外に出られたのに。私は何も知らないからこそ知りたいのに。大好きだった絵本の中に出てきた砂漠、洞窟、お城────


「イリス、我が儘は言わないの。それにラルバ君はとてもそんなことできる状態じゃない。貴方もわかってるはずよ」


 返す言葉がなかった。その願いが、好奇心が実はただの自己中心的な我が儘であると知っていたから。だから彼女も黙って従うほかない。物心がついたときからそうだ。


「……はい、お姉様」


 もう、慣れたことだ。


 そんなわけでこの村で暮らすということで話は決まったのだった。




 今朝交わしたやりとりをイリスが話している間、ラルバは聞いているのかいないのか始終窓から目を離さず黙りこくっていた。


「それで、その事について今からルークさん達が村の方々にお話をしに行くところなんです。ラルバさんも行くかなって……」

「嫌だ」


 はっきりとそう言った。ここ数日の間で初めてラルバの三白眼がイリスを見た。


「そんな気分じゃねーし」


 睨みつけるような眼差しは一見攻撃的に見えるが、翡翠によく似た瞳は夜の森ようにどこまでも深く沈んでいた。


「そうですか……そうですよね。ごめんなさい、私ったら……お節介ですよね」


 早く出て行った方がいい。イリスはそう思った。

 私は一人でいたかったラルバの邪魔をしてしまったのかもしれない、と。


「あの、私もう行きますね。邪魔してしまってすみません」


 お辞儀をしてイリスがラルバに背を向けたそのとき。


「イリス」

「……はい?」

「身代わりってどう思う」


 ラルバは暗い目のままイリスを見つめている。思わず「身代わりですか?」と聞き返すと、彼は抑揚の無い声で静かに答えた。


「誰かを守って代わりに自分が死ぬ」

「え? えっと……私はそんな事ができる人はすごいなって思うけど……でも、とても悲しい事だと思います。やっぱり守る方も守られる方も無事がいいに決まってますもん」

「……そっか。やっぱりそうだよな。簡単に命を投げ出すような奴はただの馬鹿だ」


 ラルバはそう言った後に「馬鹿だよ」と強く繰り返した。


「でもラルバさん、なぜいきなり?」

「いや……なんでもない。イリスの意見を聞きたかっただけだよ」


 明らかになんでもなくない。イリスが問いかける前に、ラルバは手で虫を払いのけるような仕草でそれを遮る。


「用事があるんだろ? 話は終わりだからもう行けよ。変な事聞いて悪かったな」


 ラルバは再び窓の方に向き直ると、再びイリスの顔を見ようとはしなかった。





 イリスが外に出てくるなり、待っていたルークが神妙な面持ちで近づいてきた。


「ラルバの様子……どうでしたか?」

「少しだけお話できましたよ。でも、身代わりがどうとか少し意味深な事を言っていました」

「身代わり?」


 イリスが詳しく説明しようとしたが「おい、ルークといったな。イリス様に気安く近づくな。それと、お前が言い出したことなんだから早くしろ」と横槍が入る。


 見れば少し向こうでフォルテが腕を組んでイデアと一緒に待っている。威圧感を感じる表情もいつも通りだったが、ルークはそんな彼に怯むことはない。


「失礼しました」


 ぺこりと頭を下げるとすぐにフォルテ達の前を歩き出した。


 彼らには住む場所がないのでしばらくいくつかの家に居候させてもらうようにお願いするのだが、偶然にもラルバにはこの村に知り合いがいた。


 その中年女性はラルバの母親と親交があり、ラルバとその女性の息子も昔はよく遊んでいたらしい。そんな彼女はすぐに引き取ってくれる家庭を探して見つけてきてくれた。


「いいのよ~。迷惑かけっぱなしだったし」


 ルークとイデアが感謝の意を述べると、女性は目尻に小皺を寄せて笑った。彼女も綺麗な緑の目をしていた。


 新しい生活が始まればきっと平穏が訪れて、その代わりに冒険は一生できないのだろう。

 だが、ここの村人達はたしかに皆良い人だ。新しい服もくれたし、優しい言葉だってすれ違うたびにかけてくれる。物足りない気はするが、ここならまだ良いとイリスが考え始めていたとき。


 サッと鳥のような影が落ちた。イリス達、今話していた女性、その他の村人……その場にいた誰もが同時に空を仰いだ。鳥にしては巨大な何かが低空を突っ切っていったのだ。


 数秒の後、鳥の正体に気づいた誰かが悲鳴を上げる。そして重なるように響くガラスの割れる音。それを聞いた村人達は恐怖におののいた。


「あ、あれ火事の直前に空を飛んでた鳥じゃねえか……不吉じゃあ」

「一体どこへ行ったんだ?」

「宿屋の方じゃない?」

「え、あそこには避難してきた人達が……何が目的なんだ……?」


 辺りに飛び交う村人達の言葉に、血の気が引いていく。

 あそこにはまだ人がいる。ぼんやり窓を眺めていたはずのラルバが……


 ルークとイデアは真っ青な顔を見合わせて頷くと、来た道を走り出した。イリスとフォルテもそれに続く。


 怪物は今度は何が目的なのだろう。イリスの誘拐? それとも────


 細い腕から滴る赤い雫、見開かれたままの瞳孔…………もし、そんな事になっていたらどうしよう。


 焦る心とは裏腹に足はちっとも前に進まない。こんなにも急いでるのに!


 心臓は跳ね上がり、喉の奥から鉄の味もする。気持ちだけが身体を置いていってイデアやルークとどんどん先へ行ってしまう。


 と、そこへ後ろからフォルテが素早くイリスを拾い上げた。


「イリス様、私にお任せを」


 フォルテの行動は冷静且つ迅速なものだった。イリスを抱えたままその体格とは想像もできない速さで駆け抜け、そのままの勢いで半開きの宿の扉を蹴破るように入る。そして隅で震えている主人を横目にフォルテはイリスを降ろして廊下へ向かった。


 廊下では、今まさにルークとイデアが扉を開けようとしているところだった。


『準備はできてるかい?』


 ルークの目配せにイリスが頷くと、それを合図にルークが扉を勢い良く開けて室内に一斉になだれ込んだ。


「そこから動くな!!」


 ルークが魔法を使おうと目の前の怪物に向かって手をかざした。が────


 あれ、あれれ?


 怪物とラルバは二人して向かい合わせにベッドに腰掛けた状態で、目を点にしてルーク達を見つめていた。

 床にガラス片と羽根が散乱していなければ、襲われているところを助けに来たというより、二人で談笑していたのを邪魔してしまったような……そんな状況だった。


 イデアやイリスの目も丸くなり、フォルテは後ろでいつも通り。ルークだけが緊張を保ち続けたままだ。


「……何してんの?」

「何してるも何もお前を助けに来たんだよ! そっちこそ何やってんだよ!?」


 戦闘態勢を崩さないルークを怪物はまだきょとんとした目で見ていたが、突然吹き出したかと思うとけらけら笑い出す。


「あんたさあ、こんな所で戦う気? 場合によっちゃあんたらごとこの村も吹き飛ぶことになるけど? 物理的に」

「……質問に答えろ。そこで何やってんだって聞いてるんだよ」

「嫌だなあ、そんなオニみたいな顔しないでよ」


 また怪物が、苛つきを滲ませたルークがさもおかしいというように笑う。


「ボクの警告を無視して見事に自爆したかわいそーなラルバ君のために、わざわざ良い話を教えに来てやったんじゃなーい!」

「良い話ですか?」

「そ、良い話。イリス様も聞く? きっと喜ぶよ」


 私が聞いて喜ぶ話?


 この得体の知れない怪物が語る話がどんなものか全く想像つかない。

 聞くだけ聞こうと思ったが、イデアが細い眉をひそめてイリスを肘で小突いてくる。


「イリス。怪物の話なんて聞いちゃ駄目よ」

「怪物じゃない、ジルエット。ちゃんと名前があるんだから怪物怪物呼ばれちゃ不快だ」


 何か言おうとしたラルバを遮り、ジルエットがイデアを鷲のような目でねめつける。


「……ま、いいや。ボクは今最高に機嫌が良いから許したげるよ。更に特別あんたらにも良い話を聞かせてやる! 最終的な判断は任せるし、聞いて損はないから……だからさ、ね? いい加減その手下ろしてくんない?」


 ルークは警戒しながらおそるおそる手を下ろしていく。


 彼が完全に下ろしたのを確認した後、ジルエットは無邪気に言い放った。


「良い話というのは他でもない、我らが黒の魔女様の話さ!」

「……魔女ですって?!」

「そう。ボク達を容赦なくこき使う人任せな親玉なんだけど、最近イリス様の力にめっちゃ興味あるみたいなんだよね。ボクはどーでもいいんだけどさ」


 イリスは息を呑んだ。フォルテが言う「イリスの力を狙う輩」はやはり本当にいたのだ。自分を外に出さないための彼のでまかせだと思っていたのに。


「んでんで、ここから本題! 魔女様は神出鬼没でいつどこに現れるかわかんないんだけど、運良く出会った奴の願いをなんでも叶えてくれるんだ!!」

「へえ……って、そんな力があるんだったら私から力を奪うことないじゃないですか!」


 大体自分の力がなんなのかもよく知らないのに、とイリスは心の中で付け足す。動物と話すことはできるが、それだけだったら《神の生まれ変わり》と呼ばれるはずもない。


「最強になりたいんじゃない? 今のところイリス様の方が強いだよ。今のところはね」

「仮にイリスさんの力を手に入れたとして、魔女は何をしたいんだ?」

「そんなのボクが知るわけないだろ……とにかく」


 もさもさの腕を組んでジルエットは満面の笑みを浮かべた。


「何か叶えたい願いがあるんなら魔女様を捜せばいいよ。ねっ、特にラルバ君」


 そう言うなりベッドから降りると、鉤爪のついた足でガラス片を踏みしめながら窓の方へ向かう。


「え? 帰るんですか?」

「うん、もう用事は済んだしね。さぁて、これから谷でお魚でも捕りに行こっかな~」


 呑気な独り言を呟きながらジルエットは再び窓から飛び立ち、あっという間に彼方へと姿を消した。


「……なんなんだ、あいつ」


 そう言うルークの横で、イデアはただ一人深刻な表情で俯いていた。

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