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第三話 予兆

 村人は口々に語る。「最近のラルバはおかしい」と。


 実際、彼は一週間程前から様子がおかしかった。村一番の怠け者だったのに今では朝早くから進んで働いているのだから。

 ラルバは森での仕事を積極的に行っていた。これも本人が母親のオルミカにお願いしたことだ。朝早く森に入ったら昼まで帰ってこなかったりと不審な点はあったものの、誰も気にも留めなかった。

 ラルバの赤く腫れ上がった額。

 きっと森でそこを強打して頭がおかしくなったのだろうと皆噂していた。


 まさか彼はいたって正常で、実は《神の生まれ変わり》に会う口実作りのために森で仕事をしているなんて思いもしていないだろう。

 フォルテから忠告を受けていたが、言うことを聞くつもりなどラルバにはない。しかもイリスだって鳥と猫の友達以外に話し相手がいなくて退屈していたらしいのだから、彼女にとってもラルバは貴重な存在に違いなかった。




 今日もラルバは夜明けと同時に目を覚ました。

 オルミカはもう起きているらしく、下では慌ただしい足音が聞こえる。朝からお疲れ様なこった、と他人事でラルバは思う。


 とりあえず朝食でも食おうと寝癖を直しながら下の階へ向かおうとしたときだった。


 ────ん?


 ふと強い違和感を覚えた。

 何かが違う。はっきりとそう感じた。だが、何が違うのかが自分でもわからない。

 薄暗い屋根裏部屋、夜明けの青紫色の空、下の階の足音────全てはいつも通りだ。何の変哲もない、普通の朝だ。

 結局違和感の正体もわからないまま、ラルバは「まあいっか」とそれ以上考えるのをやめて階段を降りた。




 一階ではオルミカが下手な鼻歌を歌いながら棚からパンを取り出しているところで、やはり変わった様子はどこにもなかった。

 ラルバの存在に気づいたオルミカは笑顔で彼に近づいてくる。


「おやラルバ、待ってておくれよ。今朝ごはんの準備してるから」

「なんか……機嫌いいな。ちょっと気持ち悪いんだけど」

「最近のあんたも十分気持ち悪いよ。別にあたしはラルバが自立してくれるならなんだっていいんだけど」


 最近の彼女はずっとご機嫌だ。それにご飯もかなり豪華になったような気がする。ちょっと前まではパンとスープだけだったのに、最近はそれに加えていちごジャムやらサラダやら色々とメニューが豊富になっている。

 ジャムで真っ赤になったパンをほおばりつつ、ラルバは毎朝恒例となった台詞を口にする。


「なあ、オレは今日は何をしたらいい?」

「そうだねぇ……今日は水を汲んできてくれないかい?」

「りょーかい」

「ところで……食べてるときに喋るんじゃないよ。行儀悪い」

「いいじゃん。そんな細かいこと気にしなくたって」

「よくないよ。そんなんじゃ外に出たとき恥かくよ?」

「あーわかったよ。はいはいはいっと」




 朝食を済ませたラルバが水瓶を抱えて家を飛び出そうとしたときだった。


「ラルバ!」

「あん?」


 気の抜けた返事をして振り返ると、玄関に立つ彼女はいつになく真剣な顔をしていた。

 ずんずん近寄って来て何をするかと思えば、茶色の小さな袋を押し付けてくる。


「これ。念のために持っときなさい」


 口を紐でくくられた袋はパンパンに膨れ上がっており、持つと想像以上に重量がある。水瓶を置いて袋を開けてみると、中には金色のコインが大量に詰まっていた。


「なんだこれ?」

「いつかきっと必要になるから、それまで大事に持ってなさい」

「……? お、おう」


 なんで、今、このタイミングで?


 ラルバは戸惑いながらも袋を懐にしまうと、オルミカは安心したような顔で「いってらっしゃい」と大きな背中を向けて家の中へ戻っていく。


 オルミカがあんな表情をしていなかったら、ラルバはきっと反抗してそれを受け取っていなかったかもしれない。

 今までに見たこともなかった彼女の真剣な眼差し。ラルバが歩きだしたときも、それがなぜだか頭から離れようとしなかった。





 この数日で村人がラルバを見る目は大きく変わった。白い目でラルバを見ているだけだったのが、今では目が会うと声をかけてくるようになった。それに対してラルバも適当に返しておく。彼らが自分の事をどう思ってようが別にどうでもよかった。

 彼が気にしているのはステラや幼馴染と、あとはイリスだけ────だった。この時までは。


「おはよ、ラルバ君。元気かしら?」

「あ、まあ元気ッスって、えっ……?」


 声の主と目を合わせた瞬間、ラルバは言葉を失う。


 イリスによく似た桃色の髪を持ってはいるが、イリスではない。イリスはこんな滑らかな曲線をした艶めかしい肢体を持ってはいない。そしてその曲線を堂々と見せ付けるように膝上のスカートから伸びた長い足と豊満な胸がラルバの視線を奪い、みるみるうちに体温を上昇させていく。

 ラルバに手を振るその姿も蝶のように優美で、ラルバが彼女の背後からぴょこんと顔を出すステラに気づかなければ、ずっと彼女に見とれていたことだろう。


「ラルバ~ッ!」


 ラルバが我に返った瞬間、ステラは太陽のような笑顔で彼に抱きついてくる。今日のリボンの色は彼女の瞳と同じエメラルドグリーン。


「ステラ……この人知り合い?」


 ようやく出た声は興奮と緊張のためか少し上ずっていた。


「さっきお友達になった!」

「お、おともだち?」

「ええ。お互いに貴方に用があって。ね? ステラちゃん?」


 ステラがうなずく。

 ステラがラルバに用があるのはわかるが、この女が一体何の用があるというのか。そもそも何者かさえも知らない。わかるのは、外見の特徴からしてイリスの身内だろうという事だけだ。


「あ、貴方と直接話すのは初めてだったかしら? 私はイデア・ルーナエ。イリスの姉よ。一緒に教会に住んでいるの」


 はあ、としかラルバは言いようがない。

 だが、戸惑っているラルバとは違ってステラはくりくりとした目を輝かせていた。


「すごい! イリスさまのお姉さんなの?」

「ええ。そうよ」


 イデアは微笑んだ。

 目が人形のように大きく、清楚だが幼い印象を受ける妹のイリスに対して姉のイデアは細い眉に長い睫毛、鼻筋の通った美女だ。その美しさは妖艶にも見えるが、彼女の笑みは優しく、母親のような温もりがこもっていた。オルミカとは大違いだ。


「で、その……イリスの、じゃなくてイリス様の姉貴がオレに何の用なの?」

「大したことじゃないの。最近毎日森へ行ってるみたいだけど、どこに行ってるのかなあって」

「どこって、普通に川とかだよ。仕事だもん」

「おかしいわね。私川によく行くけど貴方の姿を見たことないわ……本当は、別の目的があったりしてね?」


 ぎぐ。


 ラルバは心臓が大きく脈打ったのを感じた。水瓶を抱える手に力が入る。

 明らかにイデアはラルバとイリスの関係を疑っている。だが、彼女はあくまでも笑みを絶やさない。


「ほ、他に森で何やることあるんだよ?」

「うろたえてるわね。とぼけないで正直に言ってもいいのよ?」


 ────ばれてる。これ絶対ばれてる。その笑顔が逆に怖いんだけど。


 すっかり黙り込んでしまったラルバの顔を、ステラが不思議そうに見つめている。ラルバが焦っている訳も、そもそも何の話をしているかもわかっていないのだろう。


 だが、ラルバの様子を見たイデアは慌てたようにこう付け加えた。


「あっ、勘違いしないでね。私は会う事自体を駄目だとは言ってないのよ。あの子も私や動物以外に話相手ができて嬉しそうだったし。ただ、少し心配だったからあまり変な事教えたりしないでねって言いたかっただけ」


 え、あれ?


「それだけ? 終了?」

「ええ、私からはそれだけよ。私にあの子や貴方の自由を奪う権利はないもの」


 この人はどこぞの大男と違って良い人かもしれない。

 ラルバはそう思い始めていた。イデアもどうせちょっと綺麗なだけの、ワーワーと口うるさい大人とばかり思っていたのだが。


「イデアさん、あざーっす!」

「あざーす!」


 思わず頭を下げたラルバを真似てステラも頭を下げる。それを見てイデアは「ステラちゃんまで」とくすくす笑っていたが、あっと何かに気づいたような顔をした。


「あらごめんなさい、私ばかり喋っちゃって。ステラちゃんの用事ってなんだったかしら?」

「ん、もう大丈夫! ラルバに会いたかっただけだから!」


 眩しい笑顔で言うと、ぎゅーっとラルバにしがみついてくる。それにしても、いつもこんなに甘えてくるだろうか?


「本当にいいの?」

「うん!」


 ステラは元気良くうなずいた。


「でもステラちゃん。ラルバ君はこれから用事があるから森に行かなきゃいけないの。帰ってくるまでの間、私と遊んでよっか?」

「オルミカおばさんのお手伝い?」

「まあな」

「なら、ステラも一緒に行く!」


 しがみつく力が強くなった。ステラくらいはいいだろうかと思わなくもないが、無邪気な彼女なら何の悪気もなくイリスの事を周囲に漏らしてしまいかねない。そこだけはフォルテの言いつけも絶対厳守だ。


「でもステラ……」

「行くもんっ!!」


 ステラが頬を膨らませた。ラルバがどんなに剥がそうとしても頑なに彼から離れようとしない。どうしよう。

 ステラが逆らうことなど滅多にないからこういうときどうしていいかわからないのだ。


(イデアさん、ちょっとなんとかして)


 ラルバは助けを求めてイデアに視線を送った。


「あのね、お手伝いもあるけどその他に用事があるのよ。別にお手伝いだけだったらステラちゃんも行っていいと思うんだけど……」

「嫌だ! 嫌だぁ!!」


 足をばたつかせ、泣き出す始末。


「ステラ? 今日なんか変だぞ。どうしたんだ……?」


 心配してラルバが聞いても、ただ「嫌だ」と泣きじゃくるばかりだった。





 それからしばらく後。


 イリスはいつも会っている泉の近くで落ち着かない様子でうろうろ歩き回っていた。

 ラルバの存在に気づくと、くるぶしまである長いスカートを翻してこちらへ走り寄ってくる。


「ラルバさん! 今日は遅かったですね。どうかしたんですか?」

「まあ、ちょっとな」


 結局ステラは、イデアが「教会で面白い物を見せてあげる」というのとラルバが「すぐ帰る」ということでなんとか泣き止んでくれたが、大分時間がかかってしまった。家を出た時はまだぎりぎり朝だったのに今はもう昼だ。


 頭上の燦々(さんさん)と輝く太陽がイリスの髪を淡い桃色に輝かせ、強まってきた風が彼女のカチューシャの花飾りをふわりと揺らす。ざわざわと森の木が騒ぎ始めていた。


「あのばかでかい奴がまだ来てないみたいでよかったよ。見つかったらオレは今度こそ殺されるからな」

「フォルテなら当分来ませんよ……実は最近、私の年の離れたお姉様がフォルテに自作の睡眠薬を盛っているそうですから。それが本当なら今頃爆睡しているはずです」

「それってイデアさんのこと? てか自作の睡眠薬って……」

「ええ、お姉様を知ってるんですね。あの人はとても薬草に詳しいんです。森から材料を採ってきて調合して、薬を作ることができるんですよ」

「へええ、すげーなぁ。めっちゃ綺麗だし」


 ラルバとイリスがこっそり会っている事を知る唯一の人物で、且つ認めてくれた人。手助けしているようにさえ見える。


「そうですよね……私もお姉様は本当に素敵だと思いますよ。ああいう風になれたらってよく考えます」

「いや、イリスも十分可愛いぞ?」

「えっ?」


 一瞬だけイリスの大きな瞳が点になった。


「いやっ、そ、そんなことないですよ! 私なんて……」


 慌てたように言うとイリスは頬を僅かに赤く染め、俯く。

 本当の事なんだけどなぁ、とラルバは思いつつもその少し照れたような困ったような表情が可愛らしくてこうしてからかいたくなるのだ。


「……ってそんな事どうでもいいんです! ノックスとピッコロを見かけませんでしたか? 朝からいないので、あなたが来るまでずっと捜してたんですけど」


 辺りを見回すとたしかに、どこにもノックスとピッコロの姿がない。


「たしかにいねーな……心当たりとかあんの?」

「それが……さっぱり。ノックスに至ってはいつも私の部屋で寝てるんですが、朝私が起きたら窓が開いていて……名前を呼んでも出てきてくれなくて」


 ラルバが感じた違和感。オルミカの眼差し。ステラの抵抗。そしてノックスとピッコロの失踪。


「……今日なんかおかしくね? なんか違和感あるっていうか変っていうか……」


 それらが全て、今一つになろうとしていた。


「なんかおかしいって? それってさ、災厄の予兆かもねぇ?」


 イリスの声じゃない。空から降ってきたもののようだった。


「ん? なんだ?」


 ラルバとイリスが上を見ようとしたその刹那。


 突如凄まじい疾風が巻き起こった。


 轟音と共に森の木々がしなり、木の葉が空で渦を巻く。

 ラルバは左腕で顔を庇うも、激しい向かい風にあおられて目を開けることさえ困難だ。


「そこにいるのは誰ですかっ!?」


 風に負けないようにイリスが叫んだ。


「ボクですよ~っと。お迎えに参りましたぜ、イリス様!!」


 ラルバが細目を開けて見たのは鷲のような金色の眼光を持つ奇妙な少年。その背には暗褐色の二対の翼。


 《神の生まれ変わり》はその力を狙われる危険がある──────そんな事あるはずがないとラルバは内心思っていた。きっとイリスもそうだっただろう。故に、油断していたのだ。


「イイ雰囲気のとこ悪いけど、イリス様は貰ってくからね~っ!!」

「ちょっ、おい待……」


 目を爛々と輝かせ、巨大な翼を広げて迫る謎の少年にイリスもラルバもどうすることもできなかった。


「いやああああああぁ────────っ!!!!」

「キヒャハハハハハハッ!! バイバーイ!」


 イリスが悲鳴をあげた。だがその悲鳴も少年の高笑いにかき消され、次第に小さく遠ざかっていく。


 風が完全に止んだ後、ラルバはようやく腕を降ろした。


 一瞬の出来事だった。


 そこら中にちぎれた木の葉が無残に散らばり、泉はまだ激しく波打っている。


 どうしよう。イリスが、さらわれた。


「イリス!!」


 青い空の彼方に小さな影が見えた。

 視力の良いラルバにははっきりとわかる。イリスが少年に鷲掴みにされているのが。まもなく影は木に隠れて見えなくなってしまった。

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