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第二話 箱庭の少女と岩壁の巨人

 木のトンネルをくぐり抜けた途端、風景はがらりと変わった。

 初夏の風が吹く度に木々はざわめいて木漏れ日が揺れる。新緑の葉は光を浴びて、森全体が美しくきらめいていた。


 その光景は安らぎと同時にどこか神秘的な雰囲気を感じさせるものだったが、正直ラルバにはどうでもよかった。幼い頃から見慣れている上に、そもそもあまり風景というものに興味がないのだ。


 鳥のさえずりに虫の輪唱、動物の足音やさわさわと木の葉が擦れあう音────森に生きる命の鼓動があちこちから響いてくる。

 そんな中、耳を澄ませればわずかに水のせせらぎが聞こえる。オルミカの言っていた川がどこかに流れているのだろう。ラルバはその音だけをたよりに川を探していたのだが……




 一向に川にたどり着く気配はない。

 音は大きくなってきているので川は近づいているはずなのだが、景色はほとんど変わってないように見える。


 一本道から逸れたのがまずかったのかもしれねーな……

 ここまで来てラルバは少しだけ後悔したが、水の音はたしかに今歩いている方向から聞こえている。

 これで良いはずだ、良いはずなんだ……。そう言い聞かせても不安は募るばかりだ。

 実は歩いた道を全く気にしていなかったため、ラルバは迷子になってしまったのだ。戻ろうにも戻れない彼は、進み続けるしか選択肢がなかった。





 更に時間が経ち、ラルバは目の前の光景に目を見張った。


 この周辺は木がまばらになっており、代わりに苔がごつごつとした地面を緑で覆いつくしている。そして、ラルバの目の前には澄みきった泉が広がっていた。ラルバが聞いていた水の音は、これが湧き出る音だったのだ。

 今までに一度もこんな所を見たことがない。彷徨っているうちに、森を抜けてどこか変な所に出てしまったようだった。


 ラルバは呆気にとられてぼーっとしていたが、ふと自分が水瓶を抱えていることを思い出す。


 そうだった。水瓶に水を汲んでくるという仕事があったのだ。オルミカが言っていた川ではないが、ここは目的を達成するのに十分に適した場所ではないか?


 彼は水瓶いっぱいに泉の水を汲み、ついでに水瓶を脇に置いて自らの渇きも潤していくことにした。すぐに家を飛び出してきてしまったものだから起きてから何も飲んでおらず、喉の渇きは限界にまで達していたのだ。


 だがこのとき、ラルバは油断していた。


 驚異的な速度で迫ってくる小さな謎の物体に気づいて顔を上げたときには、既に手遅れだった。そのまま突進してくる物体はラルバに驚くことも避けることも許さない。


「うげぇあっ!!」


 額に鋭い衝撃が走り、目の前に火花が散る。そのままラルバの意識は遠ざかっていった。





 額に冷たいものを感じて目を覚ました。身を起こすと、ぱさりと何かが音を立てて彼の身体の上に落ちる。

 水でよく冷やされたハンカチだ。誰かが気絶したラルバの手当てをしてくれたのだろう。


 まだ頭がガンガンと痛い。一体何が起こったんだ?


  直前の出来事を思い出そうとしても、頭の中が霧に包まれたようにもやもやとしてどうしても思い出せない。


 そのままハンカチを凝視していると「あっ、目を覚ましたんですね!」と、小鳥のような声がした。

 ラルバが目をやると、同じくらいの年頃の少女が真っ黒な猫を連れてこちらへ歩いてくるところだった。一歩歩くごとに綺麗に切り揃えられた淡い桃色の長髪が揺れ動く。


「すみません……この子があなたにぶつかっちゃったみたいで」


 頭を下げる彼女の肩には、鮮やかな黄色の小鳥がちょこんと乗っている。ラルバにぶつかってきた謎の物体はこの鳥らしい。心配そうな眼差しの少女とは対照的に、小鳥は他人事のように涼しげな顔だ。彼女の黒猫はというと、完全に興味なしといった様子で木陰に行って身体を丸めようとしている。


「いやぁ~、全然大丈夫ッスよ! ちょっと頭ぶつけただけだし、その鳥だってわざとやったわけじゃないんだろ?」


 いや、全然大丈夫じゃねーよ。ちょっとどころか強打したし。もう少し前見て飛べよマジで。


 ラルバは本音とは真逆の言葉を笑顔で連ねていく。


「たしかにそうなんですが……でも、おでこが真っ赤に腫れてますよ?」

「へーきへーき!」


 平気じゃねーって。


 オルミカが相手だったなら感情をそのまま表に出していただろうが、ラルバがそれを我慢して無理に笑みを作っていたのは────少女が花のように可憐だったからだ。


 きめ細やかな肌に、整ってはいるが少々幼さの残った顔立ち。薄く色づいた頬。そして長身のラルバを上目遣いに見つめる透き通った若草色の大きな瞳。

 ラルバにだってプライドくらいある。初対面の美少女を前に、醜態を見せたくはなかったのだ。




「本当にごめんなさい……」

「もういいって! 何回謝ってるんだよ?」


 ラルバに向かい合うように座った少女は、あれから何度も謝っていた。だが、生意気な小鳥は退屈そうな顔をラルバに向け、いっこうに反省する様子がない。少女ではなく小鳥に謝って欲しいのだが。


 ラルバがそんな風に思っていると、「こら、ピッコロ。あなたもちゃんと謝りなさい?」とピッコロという名らしい小鳥を叱りつけてくれた。

 よくやった。ラルバは少女に聞こえないように小さく呟く。

 だが肝心のピッコロは少女に何かを訴えるようにピーピー鳴いたかと思うと、彼女の肩から飛び降りてちょこちょこと黒猫の方に歩いていってしまった。


「はぁ……あの子も困ったものですね」


 少女がため息交じりに呟く。


「あの鳥、なんて言ってたの?」

「ボクは悪くないよ。あいつがちゃんと前を見ていなかったのが悪いって……」

「おい、なんだよそれ。被害者はこっちだってのに」

「ピッコロは今機嫌が悪いみたいなんです……。機嫌が直ればちゃんと謝ってくれると思いますよ。気まぐれなところはありますけど、本当は優しい子ですから」


 少女の目線の先には、黒猫にちょっかいをかけるピッコロがいた。だが、ピッコロがどれだけつついても黒猫はかまってくれない。元々夜行性だから朝や昼は眠いのだ。


「あ……。なんかつまんないって言ってます」

「すげえな。動物の言葉がわかるんだ?」


 ラルバはピッコロのことなんかよりも少女の方に興味があった。


「はい。頭の中で言葉が響いてくるんです。テレパシーみたいに」

「へええ。……なあ、オレはラルバっていうんだけど、お前は名前なんていうの?」


 少女の動きが止まった。


「……え、わ、私ですか? ええと……私は……その、なんと言いましょうか」


 それまで饒舌に話していた少女は口を両手で覆い、人形のような瞳を右へ左へ泳がせる。黒猫が琥珀色の目を見開き、ひげをぴんと張ってラルバの様子を伺うかのように注視した。


 言われずともラルバには少女が何者なのかなんとなくわかっていた。ラルバの同年代の人間など彼が知る限り二人しか思いつかないからだ。一人は幼馴染の少年。そしてもう一人は──────


 《神の生まれ変わり》。


 挙動不審な少女にラルバは満面のどや顔で言い放つ。


「実は、あのイリ」

「イリス様!!」


 ラルバの台詞に被さるように響く声。


「誰だよ? オレの邪魔した奴は!?」

「……フォルテ」


 少女────イリスはもう挙動不審ではなかった。立ち上がってラルバのさらにその向こうを見つめたまま目を丸くしている。


「はあ? フォルテ?」


 ラルバもつられて立ち上がり振り返ったその瞬間、彼の視界に、夏なのに紺の外套を羽織った一人の男が飛び込んできた。始めは小さいように見えた男は近づく程大きくなっていき、やがて一九〇以上はあろう大男へ変わっていく。


「どけ、イリス様から離れろ!」


 険しい顔の大男がラルバに迫る。


「……うわあああっ!?」


 フォルテは前方のラルバを片手でいとも簡単に突き飛ばし、イリスの元に駆け寄った。


「イリス様! お怪我はございませんか!?」

「う、うん……大丈夫」

「部屋から脱走するなと何度も言っているはずです。外は危険で溢れているのですから」

「はい、ごめんなさい。フォルテ」


「いてえ……今日はこんなんばっかかよ」


 文句を言いながらよろよろと立ち上がるラルバに、フォルテが向き直った。眉間に幾つもの深い皺を刻み、切れ長の目は怒りに満ちている。


「……貴様には見覚えがある。昨日、教会の扉をぶち壊した奴じゃないのか?」


 え、とイリスがラルバの方を見た。

 ラルバは昨日、イリスを一目見てみたいという思いから鍵のかかっていた教会の扉を無理やり開けようとして、うっかり破壊してしまったのだ。


「そうだけど、なんでそんな事お前が……あっ」


 男の顔を見たラルバの脳裏に昨日の嫌な記憶が駆け巡る。

 《ゲムマ族》ではないらしく、サファイアのような深く青い光を宿した瞳と常に険しい表情をしている面長の顔。そしてこの図体である。

 この大男の事を忘れるはずがなかった。ラルバが倒れた扉をそのままに教会に入ろうとしたら、たまたま中で掃除をしていた彼に出くわしてしまったのだ。


 箒片手にぎょっとした顔のフォルテ。一歩踏み出した体勢のまま凍りつくラルバ。


 最悪の展開だった。


「ど……どーもー」


 挨拶だけして逃げるように教会を後にしたので追いかけられるようなことはなかったものの、顔はしっかりと覚えられてしまっていたらしい。


「きっと昨日もイリス様が目当てで来たのだろう? 何の目的で近づいた。答えろ」


 何の術か地面から先端の尖った岩がいくつか現れて、ラルバの周りをゆっくりと浮遊し始めた。


「さあ答えろ! さもなくばこの岩で貴様を突き殺す!」


 やばいやばいやばい────!


 ラルバを見下ろすその目は本気で殺そうとしている目だ。何か言わなければ、殺される。なのに口が動かない。冷や汗が首筋を伝う。頭が真っ白になっていく。


「答えないなら……」


 岩の切っ先がラルバに狙いを定めて静止する。いよいよフォルテが手を上げかけた、ときだった。


「フォルテ、違うんです! 私からこの人に近づいたんです!」

「……なんだと?」


 突然のイリスの言葉に、岩が苔だらけの地面へ落ちていく。助かった、とラルバは思った。


「どういうことです、イリス様」

「彼が私の鳥とぶつかってしまったので、手当てしていたんです」


 そうなのか? とフォルテはラルバに疑いの視線を向けるので、黙って前髪を持ち上げて真っ赤に腫れた額を彼に見せた。


「だから彼は何も悪くありません。フォルテ、信じてください!」


 フォルテの鋭い目にもイリスは負けなかった。穢れを知らないその瞳でじっと睨み返す。


 結果的に、折れたのはフォルテの方だった。


「……まあいい。イリス様に免じて今回は許してやる。だが、今後一切教会にもイリス様にも近づくな。わかったか?」


 ラルバは何も言わなかった。勝手にそれを返事と捉えたのかフォルテは更に続ける。


「とりあえず今日は村に帰れ。そしてイリス様に出会ったことは絶対に口外しないように」

「それはいいんだけどさ、オレ帰り道知らねーよ? 村まで案内してくれよ」

「図々しい奴だな。おれはこれからイリス様を教会までお連れしなければならないのだ。お前なんか知ったことか」

「あの、それなら私のノックスに案内させましょう。ラルバさん……でしたっけ? それでどうでしょうか?」

「ノックス?」

「あの黒猫の名前です」


 イリスが名前を呼ぶとすぐにノックスが寄ってきた。誰の趣味か、三日月と星が象られた洒落た首輪をつけている。


 猫なんかが道案内できるのか? そんなラルバの疑問を察したように「この子は賢いから、私がいなくてもちゃんと案内してくれますよ」とイリスは微笑む。


 ピッコロはいつのまにやら姿を消している。イリスはそれには「いつもの事です。飽きたらすぐどこかに行ってしまうんです」と答えた。

 なみなみと水が入った水瓶をラルバは軽々と抱え、ノックスに導かれながら彼はその泉を後にする。ノックスが時々ラルバの方を見ていたのには気づかなかった。


 彼は今後もここに来るつもりだった。

 何故なら、フォルテの警告に返事なんかしていないからだ。

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