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第一話 ある朝の駄目人間

 ディアローレン王国の西にそびえる聖なる山。その麓に広がる森には《ゲムマ族》と呼ばれる不思議な民族の住む村がある。彼らは個人差はあるものの、皆美しい緑色の目と特別な力を持っているという。


 中でも《神の生まれ変わり》と呼ばれる子どもはその名に相応しい力を持つといわれ、村の人々から崇められる存在だった。だが、普段は教会の一室に篭って人前に姿を現すことはない。その力を何者かに狙われる危険があるからというが、詳しい理由は誰も知らない。


 ――――さて、そいつに会うには一体どうしたらいいんだろう……?


 窮屈なベッドの上でそんな事を考えている赤みがかった茶髪の少年――――ラルバ・ウォラーレも《ゲムマ族》の一人だった。

 長めの前髪は跳ね放題、深い森を思わせる翡翠の瞳は半開きのまま虚空を見つめている。


 ラルバの朝は大抵こんな調子である。

 《ゲムマ族》は神の使いなどという仰々しい異名も持ってはいるが、その緑目と特殊な力以外は普通の人間と大差ないのだ。


 それにしても、太陽がうざい。さっきから起きろと言わんばかりに光を浴びせてくる。

 彼は光を避けるように布団に顔をうずめると、ある少女を想った。


 少女の名はイリス=ハルモニア・ラ・ルーナエ。ラルバと同い年の彼女は《神の生まれ変わり》と呼ばれていた。


 《神の生まれ変わり》への好奇心か、あるいは同年代の少女に対する憧れのような何かか。とにかくラルバは顔も知らないイリスに、最近になってただならぬ興味を持ち始めていた。そこで、どうしたら会えるのだろうと起床直後の冴えない頭で必死に思案していたのだ。


 だがこのとき、ラルバは木が軋む音にもベッドの前で仁王立ちする影の存在にも気づいてはいなかった。


 それから数秒後、聞き慣れた怒鳴り声が雷鳴の如く朝の村に轟く。


「ラルバアァァッ!! あんたはいつまでぐうたら寝てる気なんだい!」

「っ!?」


 飛び上がった拍子にラルバの身体は豪快な音をたててベッドから転げ落ちてしまった。


「いてて……なんだってんだよ」


 強打した腰をさすりつつ見上げると、ずんぐりむっくりとした丸い身体がラルバの瞳に映りこんだ。


 あれ、なんだっけこのでかいの……


 しばらくの間それをぼーっと眺めていたが、それが母親であるオルミカだと気づいたとき、同時に自分の失敗にも気づく。

 いつもならオルミカが去っていくまで無視を決め込むところだったのに、今日はつい声に反応してしまったのだ。


「……やべぇっ!」


 慌ててベッドに飛び乗り布団を被ろうとするが、もう遅い。

 被ろうとした布団をオルミカが目にも止まらぬ速さで奪い取って真後ろへ放り、埃と共に舞い落ちる布団をバックに彼を鬼の形相で睨みつけた。


「うわぁ……」とラルバから思わず声が漏れる。

 もう駄目だ。この瞬間、彼はもう誰もオルミカを止められないと悟った。


「全くあんたは十七にもなって働くことはおろか自分で起きることすら出来ないのかい? 村を出て行ったルーク君はあんたよりも三つも年下なのに礼儀正しくて良い子だしお隣のステラちゃんなんて五歳だけどお手伝いも挨拶もちゃんとできるのにそれに比べてあんたは毎日寝るか遊ぶかうんたらかんたら……」


 言葉は勢いを増してゆき、最終的には耳で聞き取れない程の速さになっていた。

 誰かと比べることでしか人を評価できねーのかよ、とか、よく噛まねーな、とか色々と言いたいことはあったものの、オルミカは彼に茶々を入れる隙を与えない。

 結局、意味もよくわからぬままに母親の最高速の説教を聞くことしかできなかった。





 ……なんでオレが。


 現在、ラルバは大きな水瓶を抱えて森を目指していた。

 いつもならまだ寝ている時間だったのに数時間前、オルミカに反応してしまったばかりにこうして家事の手伝いをさせられているのだ。


 寝ぼけているぶん機嫌も悪い。そこらをほっつくジジババ共が何故かものすごく腹立たしい。


 何もしてない連中はここにもわんさかいるじゃねーかよ!!


 このまま村を出て行ってやろうか。そんな衝動に駆られるが、オルミカは帰ってきたら木いちごのタルトを作ってくれると言っていた。だから我慢、我慢と自分に言い聞かせる。ご褒美でもなきゃ手伝いなんかやってられない。


 森に流れている川から水を汲んでくること。それが手伝いの内容だ。

 一見簡単そうに見えるが、水が入った水瓶は空のときと比べて何倍も重くなるため、ひたすらに腕力を要する仕事だ。


 森は村を囲むように広がっているのでひたすら外側に向かって歩けば森にはたどり着くのだが、ほとんどの人間は村の南から森へ行っている。多くの人が行き来したせいでそこだけ草が禿げて一本の道になっているからだろう。おかげで幼い子どもが森に行っても、道から外れなければ迷うことはない。


 ラルバがこの道を歩いていると、バスケットを手に提げた老婆がこちらに向かって歩いてきた。森からの帰りなのか、バスケットいっぱいに赤く色づいた大きな木いちごが入っている。ラルバは無視して通り過ぎる────はずだったのだが。

 すれ違う寸前、突然老婆がバスケットを落とした。見れば老婆は緑灰色の目を丸くしてラルバをまじまじと見つめているではないか。


 正直、キモい。


「……あぁ? 何見てんだよ」


 ラルバが三白眼に睨みを利かせて威圧してみると「あ、あのラルバが……大変じゃあ」とふにゃふにゃの声で言って、バスケットだけ拾ってのろのろ走っていってしまった。


 それから何人かの老人と会ったが、全員が先程の老婆とほとんど同じ反応をした。その度にラルバは、相手に聞こえるように舌打ちをして通り過ぎるのだった。


 だが、皆がそんな反応をするのも無理はなかった。ラルバは昔から物を盗んで隠したり、服の中に虫を入れたりする村でも悪名高き少年だったのだ。

 成長してもろくに働きもしない彼に嫌悪感を抱く者も少なくはなかった。

 そんな人間がある日、前触れもなく母親の手伝いを始めたら――――それがたとえ渋々やっていたのだとしても驚いてしまうだろう。


「なんだよ、どいつもこいつもじろじろ見やがって……気持ちわりぃんだっつの」


 そう毒づいたとき。誰かがぐいとシャツの裾を引っ張ってきた。


 誰だかはわかっている。振り返ると案の定、金髪をツインテールにした幼い少女がこちらを見上げてにこにこと笑っていた。


「ラールバ! お手伝いするなんていい子いい子だね!」


 ステラ・カエルム。家が隣で、よく一緒に遊んでいたのでラルバにとても懐いているのだ。今のところラルバの悪影響は受けておらず、誰にでも愛くるしい笑顔で接する優しい少女だった。


 ラルバの頭をなでてくれようとしているのか、ステラが必死に小さな手を伸ばしている。だが彼女の背ではせいぜいラルバの腰までしか届かない。


 仕方なく水瓶を置き、しゃがんでやるとステラは満足げな顔でわしゃわしゃと寝癖だらけの髪をなでた。いつも彼女にやっていたことだったが、いつのまにか覚えてしまったようだ。

 すぐ人の真似をする可愛い奴。思わず自分の顔がほころぶのを感じた。

 ふと、ステラが手を止めた。


「そういえばラルバ、今日のおばさんの声すごかった! 大丈夫だった?」


 やはりあの怒鳴り声は筒抜けだったらしい。隣近所どころか村中の人間に届いていたことだろう。苦々しい表情で今朝の出来事を一つずつ思い出しながら、小首を傾げるステラに言った。


「大丈夫なんかじゃねーよ……長々と説教されて、仕事まで押し付けられてさあ……しかも、なんかジジババにじろじろ見られてるんだよ」

「ステラ知ってるよ。みーんなね、ラルバが頑張るようになったから嬉しいんだよ! だからラルバを見てるの! ステラも嬉しい!! みんなラルバのこと嫌いじゃなくなるから!」

「お前は優しいな! 将来はいいお嫁さんになれるぜ。きっと」


 ラルバもステラの頭をなでる。


「うん! ステラはいいお嫁さんになる!」

「ところで、ステラは一体誰のお嫁さんになりたいんだ?」


 ふとそう聞いてみたくなった。ちょっとだけ自分の名が出てくることを期待して。


「えーっと、ステラはねー……」

「こら、ステラ! せっかくラルバ君がお手伝いしてるのに邪魔するんじゃないの」


 遠くからステラを呼ぶ声がした。ウエーブのかかった金髪の女性が小走りで向かってくるのが見える。


「あっ、ママ」


 ステラがラルバから離れ、母親の元へ走り寄っていく。


「ねえママ、ステラ邪魔なんかしてないよ」

「そうやっていつまでも話していることが邪魔になってるの!」


 ステラは母親に腕を引かれて連れて行かれていく。ラルバは黙ってその光景を見ていた。

 可哀想だとは思うが、口を出したらこちらまで怒られてしまう。朝っぱらから二度の説教はごめんだ。


「ほら、行くわよステラ。ラルバ君にバイバイは?」

「えー、まだ……」

「ステラ!!」

「…………バイバイ、ラルバ」


 しゅんとしたステラが、母親に連れられて去っていくのをラルバはずっと見送っていたが、その間にもステラは名残惜しそうに何度もこちらを振り返っていた。

 ステラ達の姿が完全に見えなくなった後、水瓶を再び持とうとして気づく。


「あー、結局ステラに誰と結婚したいのか聞き逃しちゃったなぁ。ま、いっか」


 そう呟くと、ラルバはまた森に向かって歩き出す。運命の歯車が回り出すその時は近づいていた。

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