第零話 夢が告げる運命
気づけば、少年は一人そこに立っていた。
――――ああ、またか。
緋色のマントと軽い鎧に身を包んだ少年は呆れたように呟く。
ここは彼の夢の中だ。それも、悪夢の中。
彼はここのところ寝不足に悩まされていた。というのも、眠りにつく度に妙に生々しい悪夢を見るようになってしまったせいだ。おかげで今では雰囲気で予測できるようになっていた。
職人の街とも呼ばれる、そこそこ栄えている街が今日の舞台だった。
建築技術が発展しているこの街は噴水広場を中心に、様々な技巧をこらした家々が立ち並ぶ洒落た所だ。
広場は普段ならば憩う人々や遊び回る子供で溢れかえっているはずなのに、今は閑散としていて人の気配を何一つ感じない。ただ水が吹き出る音が虚しく響き渡るのみだ。それから、その音に紛れてかすかに聞こえる地鳴りのような音。
赤く光る夜空には月も星も見えない。それが一層この夢の不気味さを引き立てている。その中を少年は無言で歩いていた。
少年は広場を抜けて通りに出るが、彼が進む先に美しかった街の面影はどこにもない。かつて人だった物体と無数の瓦礫が通りに少年を阻むように転がり、規則正しく並んでいた建物は一つ残らず破壊されて火に包まれている。暗闇の空を赤く光らせていたのはこれだ。
赤い空に破壊された街並み、瓦礫と肉塊の山。そしてそれを彩るかのように燃えさかる紅蓮の炎。地獄絵図とはこのことを言うのだろうか。
「うっ……ぐ」
そう思った瞬間、喉の奥から何かが込み上げてくるのを感じた少年は思わずその場にしゃがみ、強く目を瞑る。
嫌だ嫌だ。早く覚めろ。早く!
少年の弱い心をそんな言葉が支配していく。
選ばれた存在といえど、齢十四にしかならない少年にはあまりにも残酷な夢だったのだ。
*
少年は時折予知夢を見る。
その能力に目覚めたのは少年が五歳くらいになった頃。ある日彼は悪友が木に縛り付けられている夢を見たが、最初は気にも留めていなかった。
ところが次の日、悪戯が母親にばれた彼は夢の通りに縄でぐるぐるに縛られてしまったのだ。
それから似たような事が何度も続き、半信半疑だったものが次第に確信へと変わっていった。
少年の見た夢は長くても一年以内には現実となる。
信じがたい事だが、もしも連日見続ける悪夢が全て未来の出来事だとするのならば――――それはなんとしてでも止めなければならない。
責任感の強い彼はその一心で悪夢に立ち向かってきた。詳しく未来を知ることができれば、最悪の未来を予め防げるかもしれないからだ。
吐き気が少し落ち着いたところで、自分に鞭を入れて立ち上がろうとしたとき「うぅ、ぁ……」とすぐ近くで呻き声が聞こえた。
瓦礫の中から発せられたもののようで、声がする辺りの瓦礫の隙間からはブラウンの指ぬきグローブをはめた手だけが力なく伸びている。声とグローブの大きさからして男性のようだった。逃げ遅れて崩れ落ちた建物の下敷きになってしまったのだろうか。
「う……腕、が……」
その声は今にも消えてなくなってしまいそうな程細く弱々しかった。
街を破壊した犯人を捜したい。その思いとは真逆に勝手に身体が手の方へ動く。
夢の中で誰かを助けたところでどうなると思うかもしれない。だが、この夢は全ていつか現実となる。つまり、この男はこうなってしまう運命なのだろうし、少年もまた彼を助ける運命にあったのだろう。
「大丈夫ですか? 今助けます!」
返事はない。少年は急いで男の上にのしかかる瓦礫を一つずつどかし始めた。
瓦礫は少年の力ではなかなか動かなかったが、それでも時間をかけて少しずつどかしていき、僅かに男の身体が見えようとしていた。
「あともう少しですから!」
男にそう声をかけた、そのとき。
今までに経験したことのないような地響きが立った。幾つもの瓦礫が震え、転がり落ちていく。焼けた家々から昇る煙と、目の前が熱で揺らめいて見えるせいで向こう側がよく見えない。
「……!!」
まもなくして、黒煙の中から姿を現したのは炎と同じように真っ赤な竜だった。しかもただの竜ではない。三つの首を持っているのだ。少年から距離はあるものの頭部は天に届きそうなほど高く、尋常ではない大きさであることがすぐにわかる。
あの竜こそがこの街を破壊しつくした張本人に違いないだろう。
竜に向かって走り出そうとしたが、すぐに足を止めた。
僕がここで行ってしまったら、この男はどうする? このまま置き去りにするのか?
少年が葛藤している間にも竜は大地を震わせてこちらへ向かってくる。
生き埋めにされた男を助けるか、こちらに向かってくる竜に立ち向かうか。
少年は──────立ち向かうことを選んだ。
「こっちだ! 禍々しい邪竜め!!」
挑発するように叫ぶと生き埋めの男からなるべく遠ざかるように駆ける。
彼は生き埋めのまま放置することよりも、竜があの男に近づくことの方が危険と判断したのだ。
一方竜は煙の中で剥き出しの白目を爛々と輝かせ、破壊と殺戮を楽しむかのように血の滴る三つの口角を歪ませていた。
竜は動きこそ遅いものの、その歩幅であっという間に目の前にまで迫ってくる。
少年は駆けるのをやめ、剣を抜いて構えた。だが剣を握る手は小刻みに震えている。手袋の中はじっとりと汗で濡れていた。どうやら、ここでも彼は竜とぶつかる運命になったようなのだ。
鋼を鍛えて作られただけの剣では、あの真紅の硬い鱗に簡単に弾かれてしまうことはわかっていた。かといって魔法でも竜に勝てる自信はない。だから危険を承知で竜に接近し、比較的軟らかい腹部か喉元を剣で切り裂くしか倒す方法が思いつかなかった。
竜は少年を前にさも嬉しそうに三つの首をくねらせた。と、次の瞬間大口を開けた全ての首が同時に、そして竜には信じられない速さで少年めがけて伸びてきたのだ。あまりのスピードに少年はなす術もなく牙の奥に広がる闇の中へ────────
少年は慌てて飛び起きた。口から出る息は荒く、目覚めた後も冷や汗と動悸は止まらない。夢でこんな終わり方をしたのは初めてだ。
辺りを見回せばそこは小さな宿屋の一室。窓の向こうでは、そびえたつ山を照らすように明けの明星がぽつんと静かな光を放っていた。その光に心が落ち着くのを感じると、少年はほっとしたようにベッドに戻る。
少年が遠く離れた街から故郷の村を目指し旅立って数週間。変わった様子がないところを見ると、きっとまだ何も始まってはいないだろう。
少年は人知れずベッドの中で誓う。
夢が告げる運命。それを変える事が僕の使命だ。夜が明けたら、またすぐに出発しよう。平和のために。