第9話
1
「俺、花火のことが好きだ」
下校途中、オレンジ色の空の下でお兄ちゃんは唐突に言った。
「‥‥‥え?」
あまりに急な言葉に私は戸惑ってしまう。
今日って何か特別な日だっただろうか?
確かに私もお兄ちゃんのことは兄妹として好きだ。
お兄ちゃんが同じように私の事を好きでいてくれてるのは嬉しいことである。
けれど、それを今改めて口にする必要ってあるだろうか?
しかもこんな真剣な表情で。
「な、何?急にどうしたの。私もお兄ちゃんのこと好きだよ」
私は苦笑しながら言った。
すると、お兄ちゃんは私の両肩を掴んでぐっと自分の方へ引き寄せた。
そして、顔を近づけて
「そういうことじゃない!」
と言った。
なんだろう。この雰囲気。
まるでこれから告白されるみたいだ。
お兄ちゃんが私に告白するなんて、あるわけないのに。
「ね、近いよお兄ちゃん。それになんか顔が怖いし。
とりあえずちょっと離れよ?」
と言って、お兄ちゃんから離れようとする。
けれど、お兄ちゃんは私の肩を掴んだまま離してくれそうになかった。
「俺が今言った好きは、兄妹としての好きじゃないから」
とお兄ちゃんが言う。
「へ?」
兄妹としての好きじゃない?
それじゃ他に何の好きがあるというんだろう。
思い浮かぶ答えが1つしかなくて、
私は顔が赤くなってしまう。
「何が言いたいのかよくわかんない。
‥‥‥もっとはっきり言ってよ」
と私はお願いした。
俯いてモジモジしながら
言葉を待っていると、
お兄ちゃんが両手で私の顔を上げた。
強制的にお兄ちゃんと目が合う。
私は石のように固まってしまい、
お兄ちゃんの真剣な顔から目を逸らすことができなくなった。
「花火、俺と結婚してくれ!」
とお兄ちゃんは言った。
「け、結婚!?」
付き合ってくれって言われると思っていた私は
驚いてしまう。
少し考えてから
「う、うん。わかった。結婚しよう。お兄ちゃん」
と言った。
お兄ちゃんが微笑んで
「俺が一生花火のこと幸せにするからな」
と言う。
「うん」
とうなづくと、
お兄ちゃんはそのまま私に顔を近づけて、キスをした。
そのキスを受け入れて、お兄ちゃんの背中に手を回す。
どこからともなく、祝福の鐘が鳴り響いた。
2
◇◇◇◇◇
キーンコーンカーンコーンと4時間目終了のチャイムが鳴る。
私ははっと目を覚まして顔を上げた。
見慣れた教室。
教壇に立って板書する先生。
それを真面目に書き写す周りの生徒たち。
ああ、そうだ。
私は授業を受けてたんだ、と思い出す。
それが途中で居眠りをしてしまい、夢を見ていたようだ。
すごい夢だったな。
夢のなかでお兄ちゃんとキスしていたことを思い出しながら、私は思った。
じわじわとよくわからない罪悪感が湧いてくる。
心臓は起きた時からずっとバクバクしていて、なかなか収まりそうになかった。
「はい、これで今日の授業終わり。にっちょーく」
と先生が言う。
「きりーつ。れーい。ありがとうございましたー」
と日直が言って、先生が教室を出ていった。
そこからざわざわと明るい喧噪に包まれていく。
「はなびー。一緒にお昼食べよー」
クラスメイトでいつも仲良くしているまつりちゃんが私に近づいてくる。
「‥‥‥あ、う、うん。食べよう」
さっき見た夢のせいで気が動転していたが、
なんとか笑顔を作ってカバンから弁当を取り出した。
3
お母さんが再婚してから5年が経った。
私は中学1年生になり、
まだ慣れきっていない学校生活を毎日なんとかこなしている。
再婚してできた、お兄ちゃんやお義父さんとの関係も良好で
特にお兄ちゃんとは家族になってからずーっと仲良くしている。
今では下校後に
お兄ちゃんといっぱい話をしたり、ゲームをして遊んだりするのが、
私にとっての一番楽しい時間だ。
だから今日も、早く放課後にならないかな。
早く帰ってお兄ちゃんと遊びたいな、とか思いながら授業を受けていた。
けれど、ついさっきお兄ちゃんとキスする夢なんか見ちゃったせいで、
私はちょっと家に帰るのが億劫になっていた。
本当に、なんであんな夢を見てしまったんだろう。
私はお兄ちゃんのこと、全然そんな目で見たことがないのに。
4
「花火。花火」
名前を呼ばれて私は考え事をやめる。
目の前に不思議そうな顔をしているまつりちゃんがいた。
彼女は卵焼きをほおばりながら、
「大丈夫?さっきから上の空だけど。何か悩みごと?」
と聞いてきた。
私は今の状況を話すかどうか悩んだ。
話した方が楽になるとは思うけど、
お兄ちゃんとキスする夢を見たって言ったら引かれないだろうか。
ちょっと不安だったので、私は遠まわしに質問することにした。
「まつりちゃんって兄妹いる?」
「いるよ。お兄ちゃんが1人」
「へえーそうなんだ。私と一緒だ」
家族構成が一緒なことに気を良くして、私は身を乗り出した。
「お兄さんとは仲良いの?」
「うーん。まあまあかな。嫌いではないって感じー」
と言って、まつりちゃんがからあげをほおばる。
「そっか。お兄さんのこと、嫌いではないんだね。それも私と一緒だ」
そこまで聞いて、私は本題に入ろうと思った。
唾をごくりと飲む。
「も、もしもさ、お兄さんとキスする夢を見ちゃったら、
まつりちゃんだったらどうする?」
私の質問に、まつりちゃんが顔をうえーっとさせる。
想像して気持ち悪くなったらしい。
「やめてよ変なこと聞くの。‥‥‥もしかして、花火見ちゃったの?」
とまつりちゃんが言う。
「う、うん」
と私はうなづいた。
「そのせいで、なんかずっと頭がぐるぐるしてて。
今日だって帰ったらお兄ちゃんが家にいるはずだし、
その時にちゃんといつも通りに会話できるか不安なんだよね」
私の話を聞いてまつりちゃんが困った顔をする。
「‥‥‥えーと。花火ってもしかして、
お兄さんのことそういう意味で好きだったりする?」
「え?」
私は声を上げてしまう。
「ど、どうしてそう思ったの?
やっぱり、お兄ちゃんとキスする夢見るのってやばい?」
「いや、まあ確かにそういう夢見ちゃうのもちょっと変な気はするよ?
けどそれ以上に、花火の反応がなんかおかしい気がしてさ。
私がもしそういう夢を見たら、しばらくお兄ちゃんと口きかないけどね。
話しかけられても無視すると思う。気持ち悪いし。
でも花火はどうにかしてお兄さんと一緒にいたいって思ってるみたいだからさ」
「ま、まあ、一緒にはいたい‥‥‥かな。
お兄ちゃんと話すの楽しいし」
「やっぱり、好きなんじゃない?」
まつりちゃんがいたずらっぽい笑みを浮かべる。
「す、好きじゃないよ!」
と私は強く否定した。
私の顔を見てまつりちゃんはぎょっとする。
困惑気味の表情で頬を掻きながら
「‥‥‥は、花火、顔真っ赤だよ?」
と言ってきた。
「え!?」
驚いて、自分の頬に両手で触れた。
言われてみれば、確かにちょっと熱いような気もする。
私はいたたまれなくなって、無言で俯いてしまった。
おかしいな、これじゃ本当にお兄ちゃんのことが好きみたいだ。
そんなことないはずなのに。
もしも、私がお兄ちゃんに恋をしてしまったら、
今のお兄ちゃんとの関係ってどうなってしまうんだろう。
これまで通り仲良くやっていけるのかな。
私はお兄ちゃんに避けられてしまう未来を想像して、
心臓がきゅっとなった。
沈んだ顔をしていると、
まつりちゃんが慌てた様子で
「ご、ごめん。花火。私ちょっとデリカシーなかったかも。
ガチの恋バナって初めてで‥‥‥。
で、でも、お兄さんを好きになるのは全然悪いことじゃないと思うよ。
もしそういうことなら応援するからね」
と言った。
依然として心はどんよりしていたけれど、
まつりちゃんの言葉から優しさを感じて、
少し気持ちが軽くなった。
「うん。ありがとね。まつりちゃん」
と私は言った。
5
昼休み終了のチャイムが鳴って、
私とまつりちゃんは弁当をしまった。
午後の授業を受けている間、
私はお兄ちゃんのことが好きなのかどうか、
真剣に考えてみた。
けれど、いくら考えても結論は出てこなかった。
考えすぎて疲れた私は、だんだんめんどくさくなって、
この問題についてはもう考えないことにしようと決めたのだった。
6
学校が終わり、家に帰ってきた私は
玄関の扉を開いて、
「ただいまー」
と言った。
「おー。おかえりー」
とお兄ちゃんの声がする。
う、お兄ちゃんいるんだ。と私は心の中だけで呟いた。
学校で見た夢の内容は時間が経つにつれて、
頭から消えかかっていたけれど、
それでも、お兄ちゃんの声を聞いただけでどくんと心臓が跳ねるくらいには、
私はまだお兄ちゃんのことを意識していた。
リビングの扉の前で1度深呼吸をする。
大丈夫。いつもと同じように接していれば、また本当にいつも通りに戻れる。
こんな風に意識しちゃうのはきっと今日だけだ。
そう自分に言い聞かせて、私は笑顔で扉を開けた。
すると、
制服のまま仰向けになってソファに寝転がっているお兄ちゃんがいた。
暑いのか、シャツを第2ボタンまで開けている。
私はその少しはだけた胸元を見てドキッとした。
咄嗟に目を逸らしてしまう。
ついさっき深呼吸したのが無駄だったかのように、
心臓が速くなった。
お兄ちゃんはそんな私に気がつく様子もなく、
「あつー。花火、アイスを1本持ってきてくれないか?」
と呑気に言ってきた。
「う、うん。わかった」
と答える。
キッチンに逃げてから、落ち着け私。と。自分に言い聞かせた。
胸元がちょっと見えているだけで、何をそんな動揺しているのか。
小さい頃はお風呂だって一緒に入っていたのに。
今さらこんなことで反応していたら、
変に意識していることをお兄ちゃんに気づかれてしまう。
それはできるだけ避けたかった。
心臓が落ち着いてきたところで
冷凍庫からガリガリ君を出して、お兄ちゃんに持っていった。
「はい、お兄ちゃん」
「おー。ありがとう」
寝転がっていたお兄ちゃんは
ソファに座り直してアイスを受け取った。
体勢を変えた瞬間に、またお兄ちゃんの胸元が見えた。
少しだけ変な気持ちになったけれど、
私はそのよくわからない気持ちをぐっとこらえた。
そして、お兄ちゃんから距離を取りながらソファに座った。
お兄ちゃんは袋を開けつつ
「花火は食べないのか?」
と聞いてくる。
雑念を追い払うことに手いっぱいだった私は
「‥‥‥いい。食欲湧かないんだよね」
と言って断った。
「なんだ?夏バテか?」
とお兄ちゃんが心配してくる。
「うん、夏バテみたいなものだと思う。
そのうち食欲も戻るんじゃないかな。
だから気にしないで」
「ふーん」
とお兄ちゃんが理解しきってなさそうな顔で相槌を打った。
袋からアイスを取り出して、しゃりっとかじる。
おいしそうに咀嚼していたかと思うと、
不意に「あ」と声を上げてこちらを見た。
「花火、今日の夜どうする?」
「へ?よ、夜?」
私は反射的に体がびくっとなった。
夜というワードから、
咄嗟にエッチなことを想像してしまったのだ。
学校ではお兄ちゃんとキスする夢を見ていたし、
家に帰ってからは露出した胸元を見せつけられていたので、
私は視野がだいぶ狭くなっていた。
待て待て、と自分のピンク色の脳内にツッコミを入れる。
お兄ちゃんは夜って言っただけだし、
本当にそういう意味とは限らないでしょ?
ちょっと冷静にならないと。
冷静になれ。冷静になれ。私。
と自分に言い聞かせる。
けれど、
冷静になろうとすればするほど、頭がこんがらがってきて
考えがまとまらなくなってしまう。
次第に目がぐるぐると回ってきて
「お、お兄ちゃんはどうしたいの?」
と変なことを聞いていた。
お兄ちゃんはぽかんと口を開けて、
「俺?俺かあ‥‥‥。俺は、カレーとかにしようと思ってたけど」
と平然とした顔で答えてくる。
「え?か、カレー?何の話?」
「何って、夕飯の話だよ。
今日はお父さんとお母さんが出張でいないの知ってるだろ?」
「‥‥‥」
私はかあっと顔が熱くなるのを感じた。
そりゃそうだ。
こんな唐突にエッチなことを聞いてくるはずがない。
平常心でいたいのに、さっきから全然いつも通りにできていなかった。
ああ。やだ。こんなことばかり考えてしまう自分を嫌いになりそうだ、
と自己嫌悪していると、
お兄ちゃんが「ん?」と言いながら眉根を寄せた。
「花火。なんか今日おかしくないか?何かあったのか?」
と聞いてくる。
「べ、別に。何もないよ」
と私は答えた。
額から汗がだらっと垂れてきて、顎のあたりで落ちる。
気づいたら私はすごく汗をかいていた。
それなのに、なぜか体の方はぶるっと震えて寒気があった。
「‥‥‥そんなことよりさ、この部屋、ちょっと寒くない?
もうちょっとクーラーの温度上げようよ」
話をごまかしたい気持ちもあって、そう言ってみる。
するとお兄ちゃんが驚いた顔で
「マジで言ってんのか?この部屋どう考えても暑いだろ」
と言った。
そこまで言ってから、急に何かひらめいたようで
「お前もしかして‥‥‥」
とソファから立ち上がった。
私の目の前に来て、ぐっと顔を近づけてくる。
お兄ちゃんが真剣な表情で見つめてくるものだから、
私は体に力が入って動けなくなってしまった。
「な、何?どうしたの?」
かろうじて口角だけあげてそう聞く。
けれど、お兄ちゃんは何も答えてくれなかった。
なんだろう。これ。
ちょっとだけ、今日見た夢に似てる気がする。
このまま行くと、告白されてキスされてしまうんじゃ‥‥‥。
と考えていると、お兄ちゃんがこちらへ手を伸ばしてきた。
どくんどくん、と異常なほど鼓動が速くなっていく。
え?一体何されちゃうの?
と思っていると、お兄ちゃんは優しく私のおでこに手を乗っけた。
そして自分の額にも手を付けながら、
「‥‥‥やっぱり。花火、お前熱あるよ。今日は早く寝ないとだめだな」
と言った。
「え?ね、熱?」
とお兄ちゃんの言葉を繰り返す。
心なしか、確かに私の声は少し火照っている気がする。
私はほっとした。
なんだ。お兄ちゃんはそれを確かめたくて、近づいてきたのか。
よかった。
‥‥‥うん。よかった。
もしかしたら、今変なことしか考えられないのも
熱のせいかもしれない。
きっと、そうだ。
そう納得すると、だんだん体が脱力してきた。
「今日の夕飯はおかゆを作るか。そっちの方が体に良いだろうし‥‥‥
って、花火?お、おい、花火!」
お兄ちゃんの声が徐々に遠のいていく。
私はどうやら結構具合が悪かったみたいで、
気づいたら、そのまま意識を失っていた。




