第22話
1
放課後、私は青空を眺めながら帰路についていた。
どうしても現実が受け入れられず、
どうにかお兄ちゃんと付き合い続ける方法はないかと
私は頭をぐるぐる回転させていた。
けれど、いくら考えてもいい打開策は浮かばず、
思考は一周してまたどうしようもない現実に戻ってくるだけだった。
そんなことを何回も繰り返していると、
「うわーん」
と女の子の泣く声が急に耳に入ってきた。
私はいったん思考を中断して泣き声のする方を見た。
誰もいない公園の真ん中に5歳くらいの女の子がぽつんと1人で立っている。
迷子だろうか。
めんどくさいもの見つけちゃったなと思った。
人助けしている余裕なんてないし、
このまま見て見ぬふりして通り過ぎてしまおうか。
そう考えて、公園の前を去ろうとしたその時だった。
「‥‥‥」
さっきまで喚いていた女の子が、
私の存在に気づいて急に静かになった。
彼女はなぜか、うるうるとした瞳でじーっとこちらを見つめてくる。
うっと私はうめいた。
頑張ってその瞳から目をそらそうとしたけれど、
良心が痛んでどうしてもそらすことができない。
‥‥‥やっぱり助けないとだめかな、と思った私は
嫌々その子の方へと近づいていった。
「‥‥‥どうしてそこで泣いてるの?」
とため息交じりの声で聞く。
その子は涙をごしごし拭きながら
「‥‥‥ひっく。ひっく。
猫追いかけてたら、お姉ちゃんと、はぐれちゃったの」
とたどたどしく言った。
「ふーん」
やっぱり迷子か、と私は思った。
こういう時ってどうしてあげたらいいんだろう。
交番まで連れていけばいいのかな、と考えていると、
その子は急に私のスカートの裾を掴んできた。
「うう。寂しいよぉ」
と甘えたような声を出してくる。
それが何だかとても辛そうに見えたので、
私は問題解決を後回しにして、
とりあえず彼女を安心させてあげることにした。
しゃがんで、彼女と目線を合わせる。
そして彼女の頭をなるべく優しく撫でた。
「そっか。そうだよね。
こんな知らない場所に1人でいたら、
心細いよね。
でも大丈夫。
きっとお姉さんはすぐ見つかるよ。
安心して大丈夫だよ」
と言うと、
「‥‥‥うん」
と彼女は返事をした。
彼女の体の力がだんだんと抜けてきて、ぎゅっと私に抱きついてくる。
私はそれを受け入れて、そのまま頭を撫でつづけた。
不意に、懐かしいなと思った。
昔私も、お兄ちゃんにこんな風に頭を撫でてもらったことがあったっけ。
親が再婚して、初めてお兄ちゃんと一緒のベッドで寝たときのことだ。
あの時は本当に嬉しかったし、安心した。
私は今、この子に同じような感覚を少しは与えることができているんだろうか。
そうだったらいいな、と私は思った。
2
女の子は安心したのか、すっかり泣き止んで私から体を離した。
私は私で、ここ最近怒涛のように嫌なことが続いていたので、
ほんの少し心がすっきりしていた。
立ち上がって、女の子の手を引く。
「とりあえず、交番に行こう。
そしたらきっとお姉さんのことも見つけ出せると思うから」
と言うと、女の子は
「うん。わかった。ついてく」
と言って私の手をぎゅっとした。
歩こうとしたその瞬間、
犬を抱えた女の人が走りながら公園に入ってきた。
彼女は私の隣にいる少女を一目見て、
「桃!」
と叫んだ。
「お姉ちゃん!」
と女の子も叫ぶ。
少女は私の手を離して、その女の人の方へと一目散に走っていった。
2人は抱き合って、しばらく離れなかった。
どうやらあの人がお姉さんのようだ。
急に現れたので顔はちゃんと見ることができなかったが、
体の大きさ的に、お姉さんは私と同い年ぐらいに見える。
もしかしたら同じ高校の人かもしれない。
なるほど、だから私にお姉ちゃんの面影を重ねて甘えてきたのか。
何はともあれ、これで問題は解決したと言っていいだろう。
私はそのまま静かに去ろうとした。
すると、
「ま、待ってください。
妹の相手をしてくれてたみたいで、
本当にありがとうございました」
と後ろからお姉さんの声がした。
振り向くと
そのお姉さんは私に深々と頭を下げていた。
「い、いえいえ。私も一緒にいて元気が出ましたし、
別にそんな‥‥‥」
と言って両手を振った。
言ってる途中で違和感がして言葉を止めた。
あれ?この人どこかで見たことがあるような‥‥‥。
訝しげに見つめていると、
そのお姉さんは頭を上げて私の方を見た。
そして、大きく目を見開いて言った。
「え!楓の妹さん!?」
「‥‥‥」
私は色んな感情が一気に湧き出して、何も返答することができなかった。
そのお姉さんはお兄ちゃんの元カノ、雨宮蛍だったのだ。
3
「わーーーー!!」
と言って、迷子だった少女、桃と
ペットのチワワが公園の広場を走っている。
さっきまで大泣きしていたのが嘘のように、
桃はチワワと戯れていた。
私と蛍さんは隅っこのベンチに腰掛けて、
そんな平和な光景を眺めていた。
「まさか、こんな形で花火ちゃんに会うなんて思わなかったわ」
と蛍さんは言った。
「あ、あはは。ホントですね。
兄から蛍さんの話は時々聞いてましたよ」
と私は言った。
笑顔で接するように心がけていたけれど、
内心では勘弁してほしいなあと思っていた。
お兄ちゃんが未だに未練を抱えている相手となんて、
ちゃんと正気を保って会話できる自信がない。
今もう既に若干胸がもやもやしているくらいなんだから。
「でもすごくタイミングが良かったのかもしれない。
ちょうどね、あなたに聞きたいことがあったの」
と蛍さんが言った。
「えーっと、なんですか?答えられることなら
なんでも答えますけど」
と警戒気味に私は言う。
蛍さんは真面目な表情で顔をこちらに近づけてきた。
「花火ちゃん、今楓と付き合ってるって本当なの?」
「‥‥‥え!」
私はその質問が蛍さんの口から出てきたことに驚いた。
「もしかして、蛍さんの教室でも噂が広まってるんですか?」
「うん。今日初めてその噂を聞いてびっくりしちゃった。
‥‥‥それで、付き合ってるの?」
蛍さんが不安そうな顔をする。
「‥‥‥付き合ってないです」
と私は言った。
付き合ってますと断言したいところだったけれど、
お兄ちゃんに迷惑がかかってしまうので泣く泣くやめた。
「そっか。よかったぁ」
私の答えを聞いて蛍さんはほっと顔をほころばせる。
私は首を傾げた。
良かったってどういうことだろう。
自分の元カレが兄妹恋愛するような人じゃなくてよかったって意味だろうか?
やっぱり、別れた後でも元カレの評判って気になるものなのかな。
と考えていると、蛍さんは続けて言った。
「それじゃ、まだ私にもチャンスがあるってことだよね」
「え?」
その言葉を聞いた瞬間私は目を見開いた。
「ど、どういうことですか?
蛍さん、今本命の彼氏がいるんですよね?」
と聞くと、蛍さんは苦い顔をした。
「え、えーっと‥‥‥。そっか。
楓、そんなことまで花火ちゃんに話してるんだね。
‥‥‥実はね、それは全部演技でやっただけなの」
「え!!」
と私はまた驚いた。
「え、演技?で、でも、キスもして‥‥‥」
「‥‥‥だってそれぐらいしないと、
楓は危機感を持ってくれない気がしたから」
と蛍さんはうつむきながら言った。
心臓の鼓動がドクン、ドクン、と徐々に強くなっていくのを感じる。
会話の内容はだんだんと私の恐れている方向に進んでいた。
「私はただ、引き留めてほしかっただけなの。
楓っていつも優しいけど本心が全然見えないから」
私は話を中断してこの場から逃げ出したくなった。
昨日今日で起こった出来事すら
私はまだ上手く受け入れることができずにいるのだ。
これ以上残酷な出来事が起きても、
感情を処理するだけの余力が私には残っていない。
お願いだから本当にもうやめて、と心の中だけでつぶやいた。
けれど、蛍さんの言葉がとどまることはなかった。
「結局引き留めてくれなかったけれど、
あんなにひどいことされて、
それでも優しくしてくれる人ってやっぱり他にはいないなって思うんだ。
だから、だからね、私‥‥‥」
蛍さんが真剣な表情でこちらを向く。
「私、楓ともう一回よりを戻したい。
ね、花火ちゃん。
私の恋が上手くいくように協力してくれないかな」
「‥‥‥」
私は何も言えないまま数回瞬きをした。
しばらくの沈黙の後、
「えーっと」
と言って目頭を押さえながらうつむく。
考えるふりをして、その実私は何も考えていなかった。
だって私が言うべき答えはもう決まっているような気がしたから。
お兄ちゃんのことを考えるなら、
私が身を引いて、
蛍さんの恋を応援するのが一番いいのだ。
それでも私は、返答するのを1分でも1秒でも
引き伸ばしていたかった。
だって私は、本当にずっとお兄ちゃんだけが好きだったのだ。
どんなに最悪の状況であっても、
誰も望んでいなかったとしても、
私はお兄ちゃんと付き合い続けていたかった。
‥‥‥今日は回答せずに考える時間をもらうことにしようか。
そうやってずっとずっと先延ばしにしていって
何とかお兄ちゃんと一緒にいつづけることはできないだろうか。
仮にそれで傷つく人がいたとして、それがなんだというんだろう。
別にどうだっていいじゃないか。
そんなことを思っていると、ふと昨日の泣いていたお兄ちゃんの姿が
思い浮かんだ。
『お願いだから、もう解放させてくれないか?』
と言う声が脳裏をよぎる。
瞬間、さっきまでの威勢の良かった私の心は小さく萎んでいった。
だんだん気持ちが落ち着いてきて、
そんなこと、できるわけないか。と私は冷静に思った。
じわりと涙で視界が滲む。
私は自分の目をごしごしとこすってから
「‥‥‥わかりました。協力します」
と言った。
4
「それじゃ、私はこれで帰ります。
桃ちゃんも、じゃあね」
公園を出ると、私は蛍さんと桃に別れを告げて手を振った。
「うん。‥‥‥また、会いに行くからね。またね。お姉さん」
と言って桃が私の真似をするようにぶんぶんと手を振った。
そんなに会話したわけでもないのに、
今日1日で桃はだいぶ私になついてくれたようだった。
「花火ちゃん、今日は本当にありがとね。
色々お願い事も聞いてもらっちゃったし、
本当に頭が上がらないわ。
今度何かちゃんとお礼をさせて」
と言って蛍さんが頭を下げた。
「いえいえ。お礼は大丈夫です。
あんまり気にしないでください。
私も色々話せてよかったです。
‥‥‥それじゃあ、また」
と言って私は自分でもびっくりするくらい
丁寧に別れを告げた。
多分私は今、自暴自棄になっているんだろうと思った。
自分の手に入れたいものを諦めたせいで、
色んなことがどうでもよくなっているのだ。
けれど、その投げやりな態度が逆に蛍さんと桃にはよく映っているようで、
彼女たちはしばらくじっと家へ帰る私を見つめていた。
5
「ただいま」
玄関を開けて私は言った。
相変わらず、おかえりの返事はない。
リビングに入ると、お兄ちゃんはいつも通り洗濯物を畳んでいた。
私のことを一瞥して、すぐに洗濯物へと視線を戻す。
「お兄ちゃん。ただいま」
とわざわざお兄ちゃんの目の前で言った。
「‥‥‥」
それでもお兄ちゃんは私を無視した。
ここまで明らかな拒絶は初めてで私はまた傷ついた。
けれど、すぐに思い直した。
考えてみたら、蛍さんが噂を知っていたってことは、
お兄ちゃんの周りの人たちもきっと噂を耳にしているんだろう。
今日1日お兄ちゃんは周りの人たちに嫌な視線を向けられていたのかもしれない。
からかったり馬鹿にしてきたりする人もいたのかもしれない。
もしそうだとしたら、この反応をされても何も不自然ではないな、と思った。
私がそんなことを考えていると、お兄ちゃんは洗濯物を畳み終えて、
立ち上がった。
背を向けるお兄ちゃんに、
「大丈夫だよ。お兄ちゃん」
と言った。
「昨日はわがまま言ってごめんね。
私、決心ついたから。
お兄ちゃんが嫌なら別れるよ。
私たちが本当に付き合ってないなら、
噂もきっとすぐに消えるんじゃない?」
と言うと、お兄ちゃんがピタッと足を止めた。
少し時間を置いてから
「‥‥‥そうか。それは良かった。
お前と別れることができて嬉しいよ。
清々した」
と言って、リビングを出ていった。
冷たい物言いに泣きそうになったけれど、
ぐっとこらえて私は自分の部屋に戻った。




