第2話
1
「おかえり~」
家に帰ってくると、居間で妹がバイオハザードをしていた。
「げっ」
俺は思わず声を漏らした。
ソファでふてぶてしく寝転がっているのは、
俺の1つ年下の妹、涼風花火である。
真っ赤なリボンで結んだ黒髪ツインテールと
意地悪そうなぱっちりとした吊り目がトレンドマークの高校1年生だ。
小さい頃の花火は俺によく懐いていて可愛かったのだが、
中学に入ったあたりから、だんだん俺を小馬鹿にするようになってきて、
最近じゃ、会うたびにからかってくるので正直うざいのだ。
いつもなら変なことを言われても優しく受け流せるのだが、
もし今からかわれたらちゃんと受け流す自信がなかった。
「あれ?そういえば、お兄ちゃん今日デートじゃなかったっけ?
なんで帰ってきたの?」
花火がにやっと笑みを浮かべる。
「……」
俺は無言になってしまった。
彼女が俺のデートをスルーして、イケメンとデートしていました。
しかも、そのイケメンについさっき彼女を奪われました、
とは死んでも言いたくなかった。
そんなことを正直に話したら、
こいつは思いっきり俺を馬鹿にしてくるに決まってる。
「彼女に急用が出来たから、途中でデートを中断して帰ってきたんだよ」
と俺が嘘をつくと、
「ふーん、そーなんだー」
と言って花火は片方の口角を上げる。
そして
「デートは何をしてきたの?」
とさらに質問してきた。
実際にはデートなんてしていないがそんなことは言えないので
俺はさらに嘘をつくことにした。
「一緒に猫カフェに行ってきたよ。
彼女が猫を撫でてるところ見るの、すっごい癒された。
あー楽しかったなー」
俺が笑顔を作ってそう言うと、花火はぷっと吹き出した。
何で笑われたのかわからず、
「なんで笑うんだ?別に普通のデートだろ?」
と俺は言った。
「そうだね~。すごくいいデートだね~」
と言いながら、花火は笑うのをこらえるように体を震わせている。
なんだこいつ。と思っていると、
「誕生日プレゼントはどうしたの?」
と花火がまた質問してきた。
「腕時計を渡したよ。『ありがとう』って言って受け取ってくれた」
と俺はまた嘘をついた。
実際には渡すタイミングなんてなかったし、
多分渡そうとしても受け取ってくれなかっただろうな、と思う。
……だんだん、嘘をつくのも疲れてきた。
そろそろ適当に切り上げて自分の部屋に入りたい。
そう思っていると、
「ぷっはっはっはっはっは!!」
と花火が腹を抱えながら大爆笑した。
びっくりした俺は、
「な、何がそんなおかしいんだよ?」
と聞いた。
「だって、お兄ちゃんさっきから嘘ばっかりついてるんだもん」
その言葉に俺はぞっとする。
一瞬取り乱しそうになったが、すぐに冷静に戻った。
大丈夫。焦るな。
俺はそんな不自然な嘘をついてないし、多分これははったりだろう。
ここで動揺したらあっちの思うつぼだ。
そう思って堂々と
「何言ってんだ?嘘なんてついてないぞ?」
と言い切る。
すると、花火はポケットからスマホを取りだし、
少し操作してから、画面を俺に見せてきた。
「じゃあ、これは何?」
スマホの画面には写真が表示されている。
蛍と大和がキスをしていて、俺がそれをただ呆然と眺めている写真だ。
なんて運が悪いんだろう。
学校から帰ってくる途中だったのか、
それとも何かの買い物の帰りだったのかわからないが、
どうやら花火は俺が惨めに振られたところを目撃していたらしい。
俺が涙目になりながら花火を見ると、
花火は悪魔のような笑みを浮かべていた。
ああ。終わった。と俺は思った。
俺は今から、花火に馬鹿にされるんだ。
たくさん笑われて、罵詈雑言を浴びせられるんだ。
ただでさえ、彼女に振られたばかりで気分は最悪なのに。
けれど、俺の気分なんてお構いなしに
「あははは!」
と花火は笑った。
「あれあれ~。お兄ちゃん。一体いつ猫カフェに行ったの?
もしかして全部お兄ちゃんの妄想?きっも~」
何で?と俺は思った。
「残念だったねーお兄ちゃん。でもしょうがないよ。
お兄ちゃんみたいなキモいオタクのこと、
誰も本気で好きになったりしないって~。
実際彼女さんも妥協でお兄ちゃんと付き合ってただけみたいだったよね~。
あーあ。惨めだねー。お兄ちゃん」
何で俺がこんな目に遭わなきゃいけないんだろう。
俺、そんな悪いことしたか?
俺は俺で毎日必死に生きてるのに。
「ほらほら、お兄ちゃん。何か言いなよ。
彼女に捨てられた惨めな惨めなおにーちゃ……」
ゴッ。
骨と骨がぶつかるときの生々しい音が居間中に響く。
花火の顔が勢いよく横に向いた。
そして、少しの間を置いてからふらつくように1、2歩後ずさる。
俺の右手の拳がしびれるように痛み、
花火の頬がみるみる赤く腫れていく。
「……え?」
その真っ赤な頬に手を添えて、花火は唖然とした表情でこちらを見た。
腰を抜かしたのか、へにゃりとその場にへたりこむ。
俺はそこでようやく我に返った。
「あ、あれ。俺、今……」
……気づいたら俺は、花火のことを強く殴っていたのだ。
「な、なんで……」
震える自分の右手を見つめながら呟く。
俺は恐ろしかった。
無意識に体が動いてしまったことと、
花火を殴ったときに体中を駆け巡った快感が。
「は、花火、ごめ……」
俺は花火に手を伸ばす。
けれど、花火は俺の手をよけて、
何も言わずに自分の部屋へと走り去っていった。
ばたんと扉の閉まる音がする。
1人取り残された俺は、ぼーっとした頭で居間のソファに座った。
しばらく放心状態で天井を見上げる。
「……人をグーで殴ったの、初めてだな」
混乱していた俺はそんな的外れなことをつぶやいてから、
「最低だ。俺」
と言って両手で自分の顔を覆い、大きなため息を吐いた。
2
ちゅんちゅんと雀の鳴く声が聞こえる。
俺は自分のベッドから起き上がって、すぐにまたため息を吐いた。
朝が来てしまった。
昨日、殴ってしまったときの花火の顔や、
俺を捨てて他の男のところへ行ってしまった蛍の顔が思い浮かぶ。
だめだ、今日を上手く生き抜ける気がしない。
こんな状態でいつも通り学校に行くなんて無理だろ。
「……死にたい」
起きる気力が湧かず、布団に顔を埋める。
すると急にコンコンとドアが鳴って、花火が部屋に入ってきた。
「うわっ!!」
思わず声を上げてしまう。
昨日あんな形で暴力を振ったばかりなのに、
なんで花火は俺の部屋に入ってきたんだ?と俺は警戒した。
花火はにっこりしながら落ち着いた調子で
「おはよう。おにーちゃん」
と言った。
その頬にはガーゼが当てられていて、とても痛々しかった。
「お、おはよう……」
俺はガーゼから目を逸らした。
きっと昨日のことを責めるために来たんだろうな、と思っていると、
「……昨日は、その、ごめんなさい」
予想外なことに花火が頭を下げてきた。
俺はあまりのことに衝撃を受けた。
あの、生意気な妹が謝罪している?
花火のことだから、殴られたことを一生根に持って、
復讐してくるんじゃないかとすら思っていたのに。
逆に怖くなってきた俺は
「い、いや。俺こそ殴っちゃってごめん」
と謝った。
すると花火は熱っぽい眼差しを俺に向け、
「ううん。謝らないで。お兄ちゃん」
と言った。
「え?」
予想外の言葉に呆気に取られてしまう。
謝るなってどういうことだ?
俺が困惑していると
花火はベッドに乗ってこちらに這い寄ってくる。
「え、え、何?」
反射的に花火から遠ざかろうと後ずさった。
が、すぐに背後の壁にぶつかってしまう。
花火はそのまま近づいてきて、鼻と鼻がくっつきそうなほどに
顔を接近させてきた。
生温かい吐息がかかる。
長いまつ毛。
人より少し大きめの涙袋。
小さくて形の良い鼻と口。
顔の1つ1つのパーツに目が向いてしまい、
心臓の鼓動が速くなった。
花火は生意気だが、
外見はその内面に反比例するくらいに綺麗なのだ。
しばらく俺の顔を見続けた後、
「やっぱり」
と花火は呟いた。
「顔色悪いよお兄ちゃん。まだ、失恋から回復できてないんじゃない?」
「……」
自分が今苦しいことを誰かに気付いてほしかった俺は、
その言葉に反射的に目が潤んだ。
それを知ってか知らずか、花火はゆっくりとまた口を開く。
「ね、お兄ちゃん。今日は一緒に学校さぼって、デートしようよ」
「は?急に何言って……」
「昨日、ひどいこと言っちゃったお詫び」
花火が穏やかに微笑む。
……おかしい。
あの花火がこんなに優しいなんて不自然だ。
何か企んでいるんじゃないだろうか。
と俺は不審に思った。
けれど、それでも俺は花火の提案に心を動かされていた。
嘘でもいいから、ほんの一瞬でもいいから
今は誰かに優しくされたかった。
それぐらい人の愛情に飢えていたのだ。
だから俺は、
「うん。わかった」
と言って、花火の提案を受け入れることにしたのだった。
3
……今思えば、これが俺たちの関係の
ターニングポイントだったのだろう。
まさか妹とあんなことになるなんて、
この時の俺は想像もしていなかった。




