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第17話(過去編最終話)


「お店の予約はしたし、プレゼントもあるな……。よし!」


6月30日の午前11時ごろ、

お兄ちゃんが玄関でぶつぶつと独り言を言っていた。

今日はお兄ちゃんの彼女、蛍さんの誕生日で、

お兄ちゃんはそのデートの準備をしていたのだ。


「う、うへへ」


何を妄想しているのか、お兄ちゃんは急に気持ち悪い声で

笑い始める。

きっと蛍さんとイチャイチャしてるところでも想像しているんだろう。

私はリビングの方から、こっそり玄関にいるお兄ちゃんを見て、

はあ、とため息をついていた。

お兄ちゃんと蛍さん、今日一日でどこまで進んじゃうんだろう。

もしかして、夜にはラブホテルにでも行くつもりなんじゃないだろうか。

私はお兄ちゃんと蛍さんがそういうことをしているのを想像して、

どんよりした気持ちになった。

もし、本当にそういうことになったら、

私はしばらく寝込んでしまう自信がある。

きっと、デートの内容は知らない方が幸せなんだろう。

わかってる。

わかってるつもりだ。

けれど、どうしても体がそわそわして、

お兄ちゃんを観察することがやめられなかった。


「そろそろ行くとするか!」


と言って、お兄ちゃんは立ち上がり玄関のドアを開けた。

気づいたら私は、お兄ちゃんの後を追っていた。




「……来ないな」


待ち合わせの公園でお兄ちゃんがつぶやく。

かれこれお兄ちゃんは1時間近く待っているが、

蛍さんがやってくる様子はない。

何か来れない事情でもできたんだろうか。

何はともあれ、私には好都合だった。

このまま、今日のデートはなくなってしまえばいい。

欲を言えば今日のことがきっかけでお兄ちゃんと蛍さんがケンカをして、

最終的に破局してくれたら最高だな、なんて縁起でもないことを

物陰に隠れながら私は考えていた。


「まあ、そんなこと起こるわけないか」


とつぶやきながら、その後も私はお兄ちゃんのことを

こっそりと眺め続けた。



それから数時間後、私が望んでいたことは本当に起こってしまった。

細かく説明すれば、私の妄想と違う点はいくつもあるけれど、

とにかく、お兄ちゃんと蛍さんは本当に別れることになったのだ。

私はその決定的な瞬間を見て、すぐに家に戻った。

多分、お兄ちゃんはこのまま家に帰ってくるはずで、

その時に私が家にいなかったら尾行していたのがばれると思った。

家に着くと、私は自然体を装うためにゲーム機を起動させて、

バイオハザードを始めることにした。

ゲームのロード時間にスマホを開いて、さっき取った写真を確認する。

蛍さんが知らない男とキスをしていて、それをお兄ちゃんが茫然と眺めていた。


「‥‥‥うん。確かに浮気されてる。夢じゃない」


念のため、私は自分の頬を引っ張ってみた。

頬がひりひりと痛む。

やっぱりこの写真は、私の願望が作った幻ではないのだ。


「私にもチャンスがあるってことだよね‥‥‥」


私は完全に舞い上がっていた。

お兄ちゃんは今失恋中だし、この弱っているところを慰めてあげたら、

もうそれだけでお兄ちゃんとの距離は今まで以上に近づくような気がする。


「よ、よし。がんばろう」


と自分を鼓舞して、ゲームのコントローラーを握った。



けれど、私が思っているようには上手く物事は進まなかった。

お兄ちゃんがずーんと落ち込んだ様子で家に帰ってきて、

私はさっそく、今日のデートはどうだったのかと質問したのだが、

お兄ちゃんは全く本当のことを話してくれなかったのだ。

そのせいで、お兄ちゃんを慰めたくても慰めることができなかった。

自分の計画通りに進まなかったのはまあ仕方ないとして、

それよりなにより、いくら質問してもお兄ちゃんが嘘しか言ってくれないことに、

私はだんだんとイライラしてきた。

気づいたら私は、撮った写真をお兄ちゃんに見せて、

お兄ちゃんをからかっていた。


「あれあれ~。お兄ちゃん。一体いつ猫カフェに行ったの?

もしかして全部お兄ちゃんの妄想?きっも~」


言いながら、ああ、またやってしまったと私は思った。

本当はお兄ちゃんのこと慰めるはずだったのに。

これじゃ、またお兄ちゃんに嫌われてしまう。

せっかく、お兄ちゃんと蛍さんが別れたのに、

結局彼女がいてもいなくても、

私が私のままでいる限り、

お兄ちゃんに愛してもらうことはできないのかもしれない。


「残念だったねーお兄ちゃん。でもしょうがないよ。

お兄ちゃんみたいなキモいオタクのこと、

誰も本気で好きになったりしないって~。

彼女さんも妥協でお兄ちゃんと付き合ってただけみたいだったよね~。

あーあ。惨めだねー。お兄ちゃん」


言いながら私の視界はじわっと滲んでいった。

きっと今回も、冷たくあしらわれるんだろうな、と思った。

いつもみたいに冷めた目で見下されて、

本当に疲れたような顔でため息をつかれて。

そして、明日になったら今よりもさらに態度が冷たくなるのだ。

私が何を言っても、もう何も返事をしてくれなくなるかもしれない。

現に今、お兄ちゃんは私の言葉を聞いても、

ただ無表情な顔で私を見つめているだけなのだ。

この言葉も無視されて終わっちゃうのかな。


「ほらほら、お兄ちゃん。何か言いなよ。

彼女に捨てられた惨めな惨めなおにーちゃ……」


けれど、私の予想とは裏腹に、

お兄ちゃんは次の瞬間、私のことを思いっきり殴った。

衝撃で視界に火花が散り、目がくらんだ。

バランスが崩れて、私はその場にへにゃりとへたりこむ。


「‥‥‥え?」


一瞬何が起こったのか理解できなくて、変な声が出た。

あれ、もしかしてお兄ちゃん、怒ってる?

もしかして、今からたくさん殴られちゃう?

と考え、私は本能的に身構えた。

けれど、お兄ちゃんはただ殴った自分の右手を怯えた様に見つめているだけで、

それ以上暴力を振ろうとはしなかった。

泣きそうな顔で私に近づいてきて、


「は、花火、ごめ……」


と言いながら手を伸ばしてきた。

一瞬、死んだ父親が脳内をよぎり、気づいたら

私はお兄ちゃんから逃げていた。

階段を上って自分の部屋へ入ると、

私は胸に手を当てて何度も深呼吸をした。

そして、


「お兄ちゃんが、私のこと殴った。

あのお兄ちゃんが。

‥‥‥ふ、ふふ‥‥‥ふふふふ」


と小さな声で笑った。

私は逃げたときのお兄ちゃんの顔を思い出した。

お兄ちゃんは罪悪感を感じて絶望しているように見えた。

あんなに後ろめたそうな顔をしていたってことは、

明日私がお兄ちゃんに話しかけに行っても

きっと無視はしてこないだろう。

何故か胸がすっと軽くなり、涙が出てきそうになった。

お兄ちゃんに少しだけ許されたような気がしたのだ。

私にもまだ、お兄ちゃんに愛される権利が少しだけあるような気がしてきて

その日、久々に気持ちよく眠りにつくことができた。



翌朝、お兄ちゃんの扉の前で私は深呼吸をする。

そして、覚悟を決めて扉を開けた。


「うわっ!!」


お兄ちゃんがおびえた様子で私のことを見る。

私はそれがおかしくて仕方なかった。

ひどいことをしたのは私の方なのに、

なんでお兄ちゃんが怯えているんだろう。

一言二言お兄ちゃんと会話を交わしてから、

私はゆっくりとお兄ちゃんの方へとにじり寄った。

お兄ちゃんはそんな私にさらに怯えた表情になる。

私は鼻と鼻が接近しそうなほど顔を近づけた。

数秒見つめ合った後、お兄ちゃんに顔をそらされる。

その罪悪感で怯えきっている表情に、

私は今までにないくらいの愛しさを感じた。

いいよ。お兄ちゃん。

本当の気持ち全部吐いて。

たとえそれが醜くて、汚くて、

世の中が受け入れてくれないような都合の悪いものだったとしても、

私はそれを受け入れてあげるから。

それがお兄ちゃんのどうしようもない本性だったとしても、

それでも愛してくれる人はいるんだって証明してあげる。


「ねえ、お兄ちゃん。今日は一緒に学校さぼって、デートしようよ」


と私は言った。

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