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15/18

第15話

1

その日の夕方、

いつもより帰りが遅かったお兄ちゃんはケーキの箱を携えて

リビングに入ってきた。

テレビゲームをして時間を潰していた私は、

そのケーキの箱を見て少し不思議に思った。

うちでケーキを買う時と言ったら、誕生日の時くらいしかないのだ。

けれど、今日は別に私もお兄ちゃんも誕生日ではなかった。

何でケーキなんか買ってきたんだろうと考えていると、

お兄ちゃんは一直線にこちらに近づいてきて、


「花火、今日はごめんな」


と申し訳なさそうな顔で言った。

何について謝られているのかわからなかった私は逆に不安になって、


「な、何急に。どうしたの?」


と引き気味に聞いた。


「今日の朝、花火なんか辛そうだっただろ?

それなのに俺、花火のこと置いて行っちゃったから、

あの後大丈夫だったのか、すごい心配だったんだ。

……結局今日は学校に行ったのか?」


とお兄ちゃんが聞いてくる。

ああ、と私はつぶやいた。

お兄ちゃん、今朝のこと気にしてくれてたんだ。

もしかして、彼女と登校しているときや、学校の授業を受けているときも、

そのこと考えたりしてくれてたのかな、と想像して私は少し胸がぽかぽかした。

嬉しかったけれど、素直にその気持ちを表に出せず、

私はお兄ちゃんから顔をそらした。


「普通に学校には行ったけど?」


1時間目の授業をさぼったけれど、登校はしてるので嘘はついていない。

お兄ちゃんは私の返答を聞いて、ほっとしたように顔をほころばせた。


「そっか。それなら良かった」


と言って、手に持っていたケーキの箱を私の方に差し出す。


「ケーキ買ってきたから、食べないか?

何か悩んでいるときは甘いものがいいらしいぞ」


「……え?もしかして、そのために買ってきたの?」


と私が聞くと


「うん。そうだよ」


とお兄ちゃんがうなずいた。


「そ、そうなんだ……」


私は感激して、それ以上何も言えなくなってしまった。

無言でいると、お兄ちゃんは少し不安げな顔をした。

私は、基本お兄ちゃんから何か物を買われても受け取らないようにしているから、

今回もいらないって言われるんじゃないかと不安になっているんだろう。

普段なら突っぱねるところなのだが、

今回のケーキはどうしても、突っぱねることができなかった。


「うん。ありがとう。お兄ちゃん」


と言ってケーキを受け取ると、お兄ちゃんはぱあっと顔を明るくした。


「うん。食べよう。今、皿とフォーク持ってくるから待ってて」


と言って、お兄ちゃんはキッチンの方へと駆けていった。

私がケーキを受け取ったのがそんなに嬉しかったのか、

キッチン越しにふんふん鼻歌を歌っているのが聞こえてくる。


「いやー、やっぱり女の子のことは同じ女の子に聞くのが一番なんだな」


とお兄ちゃんが上機嫌な声で言った。

言っている意味が分からず、


「どういうこと?」


と私は聞いた。

お兄ちゃんはケーキを皿に載せながら答えた。


「学校行くときに、彼女に相談してみたんだ。

妹の元気がなくて心配なんだって。

そしたら、甘いもの買ってあげるといいと思うよって彼女に言われたんだよ。

半信半疑だったけど、結局花火喜んでくれたし、蛍の言うとおりだったな。

相談して正解だったよ」


蛍、という言葉が聞こえた途端、私は急に胸がもやっとした。


「もしかして、このケーキって彼女と一緒に買ってきたの?」


と聞くと、


「ああ」


とお兄ちゃんが答えた。


「どれがいいのかよくわからないから、彼女に選んでもらった。

そっちの方が、花火の好みに合うんじゃないかと思って」


「……」


さっきまでの嬉しい気持ちがさーっと引いていくのを感じる。

なんだ。お兄ちゃんが自分で考えて買ってきたんじゃないのか。とがっかりした。

一気に食欲が失せてきて、ケーキを食べる気分じゃなくなってきた。

けれどケーキの載った皿を持って、戻ってきたお兄ちゃんは、

そんな私の気持ちに一切気づいてないようだった。

テーブルにケーキを置くと、

お兄ちゃんはなにやら緊張した面持ちで私の隣に正座した。

そして、視線をさまよわせながら言った。


「……それで、結局花火は何をそんなに悩んでるの?

もしかしてだけど、学校で誰か好きな人でもできた?

も、もしそうならさ、俺相談に乗るから、

できればちゃんと教えてほしいっていうか……」


「……いらない」


私はお兄ちゃんの話を遮って、冷めた声で言った。

お兄ちゃんの体が一瞬固まる。

そして、何を言われたのか理解できてない様子で


「え?」


と首を傾げた。


「やっぱりケーキいらない。お兄ちゃん1人で食べて」


と言うと、お兄ちゃんは分かりやすく焦り始めた。


「な、なんでそんなこと言うの?さっきまで食べるって言ってただろ?

ほら。寂しいこと言わないでさ、一緒に食べようぜ」


ケーキの皿を持って、お兄ちゃんが無理やり作った笑顔をこちらに向けてくる。


「嫌だ。食べたくない」


と言って私は立ち上がった。

何だか、胸がムカムカして収まらなかった。

このままだと、お兄ちゃんにひどく当たってしまう気がする。

そうなる前に、1人になりたい。

私はそのまま、ふらっと部屋に戻ろうとする。

するとお兄ちゃんが慌てた様子で


「わ、わかった!部屋に戻るなら戻るでいいから、

せめてケーキは受け取ってくれよ。全然部屋の中で食べていいから」


と言い、こちらにケーキを押し付けてきた。


「嫌だってば!!」


と言って、私は反射的にケーキを押し返してしまう。

その瞬間、お兄ちゃんの手からケーキの載った皿が滑り落ちた。

パリン、と物が割れる音がする。

気づいたら床に、潰れたケーキと皿の破片が散らばっていた。


「……」


お兄ちゃんはしばらくそれを茫然と眺めていた。

少し時間が経ってから、

お兄ちゃんはしゃがんで皿の破片を1つ1つ拾い始める。


「……あ、ご、ごめん」


と言って私も皿の破片を拾おうとした。

すると


「いや、いいよ。花火」


とお兄ちゃんが言った。


「片づけは俺の方でやっとく。悪かったな。

多分俺が何か悪いことしちゃったんだろ?気が利かなくてごめんな」


そう言うと、お兄ちゃんはもう私のことを一切見なくなった。


「……何それ」


その冷めた態度に私はまたイライラした。

本当は今、すごく怒ってるくせに。

私のこと、恨んでいるくせに。

どうしてそれをストレートに言ってくれないんだろう。

いっそ怒ってくれた方が私は楽になるのに。と思った。

……きっとお兄ちゃんはわざとやっているんだろう。

怒らずに冷たくする方が私を苦しめることができるって

お兄ちゃんは知っているのだ。

その行動に全く愛を感じられなくて、私は本当に心が寒くなった。

こんなことができてしまうお兄ちゃんに、

イライラして、イライラして、仕方なかった。


「あーそう!じゃあいいよ!私本当に手伝わないから!」


と言って私はそのままリビングを出ていった。

そのまま階段を上って部屋に入ると、私は布団に潜って

声にならない声を吐いた。

頭がごちゃごちゃして、何も整理がつかず、

ただただ苦しかった。

どうしたらいいのかわからないまま、ずっと布団にくるまり続けた。



2

2時間くらい経ったころだろうか。

真っ暗な部屋でただ茫然としていると、コンコンとノックの音がした。


「花火、起きてるか?」


とお兄ちゃんの声がする。

まだイライラが収まっていなかった私は

返事をしなかった。

それでもお兄ちゃんは言葉を続けた。


「俺、明日彼女とデートすることになったから多分帰り遅くなると思う。

だから、明日は俺のこと待たずに夕ご飯食べてていいから。

……ごめん。それだけ。

一応、伝えといたほうがいいかなと思って。じゃあ、おやすみ」


そう言うと、お兄ちゃんは静かに足音を鳴らして、私の部屋の前から去っていった。


「……うん。わかった……」


誰も聞いていない空間で、私は1人そう返事をした。



3

翌日、私は学校の授業に全く集中することができず、

昼休みに入ると、1人で体育館裏に来て屋外階段に腰を下ろしていた。

体育館裏はとても静かで

聞こえる音といえば遠くにいる生徒たちの笑い声だけだった。

私はぼーっと青空を眺め、

昨日のお兄ちゃんとのやり取りを思い出していた。

昨日の、お兄ちゃんのあの冷めた声と

私のことをなんとも思っていないようなあの目。

お兄ちゃんにはこれまで、たくさんひどいことを言ってきたけど、

あそこまで冷たい態度をとられたのは初めてだった。

ひょっとしたらお兄ちゃんは、

もう、私と一生口を聞く気がないんじゃないだろうか。

私のことなんて捨てて、彼女の蛍さんの家に入り浸るようになるんじゃないか。

そんな不安がよぎって、私はさーっと背筋が凍った。

けれどすぐに私は

そんなことは絶対に起こらないはずだ、と自分に言い聞かせた。

だってお兄ちゃんと私は小さいころからずっと一緒で、

今までだって1度も離れたことがないから。

怒ることすらできない臆病なお兄ちゃんが、

私と離れることを選択するなんて、そんなあり得ないこと、起こるわけがない。

そこまで考えてから、


「……本当に、そうかな」


と弱々しくつぶやいた。

当たり前だけど、そのつぶやきに誰も答えてはくれない。

じんわりと視界が滲む。

気づいたら私は泣いていた。

こんなつもりじゃなかったんだけどな。と私は思った。

お兄ちゃんに嫌われたかったわけじゃないのに、

なんでこんな風になっちゃうんだろう。

上手くいかないな。

1人静かに泣いていると、


「あ、いた!やっと見つけた」


と聞き覚えのある男子の声が聞こえてきた。

どうも私に向かって言われた言葉のような気がして、

慌てて涙を拭いて前を見た。

するとそこには優太君がいた。

さっきまで走っていたのか、息を切らしている。


「えっと……。私に言ってますか?」


と聞くと、


「うん……。そう……」


と息切れした声で返事が返ってくる。


「涼風さん、図書委員になったでしょ?

今日俺と涼風さんが受付の当番なんだよ。

それなのに図書室に着いてもいないから探しに来たんだ」


一瞬何を言われているのかわからなかったけれど、

私はすぐに思い出した。

先週委員会決めがあって、私は特にやりたいものがなかったので

適当に図書委員に手を挙げたんだった。


「今、俺たちの代わりに先生が受付やってくれてるんだ。

だから早く行こう」


と言って、優太君は図書室の方を指差す。


「は、はい……。ごめんなさい……」


正直気乗りしなかったけれど、

これは仕事のなのでさぼるわけにもいかないだろう。

私は重い腰を上げて、優太君と一緒に図書室へと走った。



4


「ああ、来た来た。もう駄目じゃない涼風さん、

委員会の仕事忘れちゃ。次からはもう代わりにやったりしませんからね。

ちゃんと来るのよ」


図書室に入ると、まず最初に先生から注意を受けた。


「はい。すいませんでした」


と頭を下げると、先生はそれ以上責めたりせず


「うん。じゃあ、ここからよろしくね」


と言って、受付の席を立った。

私と優太君が受付の席に座ると、先生は職員室に戻っていった。

最初の数分間、私は真面目に仕事をこなそうと身構えていたけれど、

しばらくして、あまり人が来ないことがわかってくると

だんだん緊張感がなくなってきて、暇を持て余すようになった。

もう昼休みが終わるまで寝ていようかな、と思っていると、


「……あ、あのさ」


と唐突に優太君に話しかけられた。


「な、なんでしょうか……」


と私は少し警戒気味に返答する。


「その、さっき急いでたから触れなかったけど、

涼風さん、体育館裏のところで泣いてた……よね?」


優太君が緊張した様子で言った。

多分、触れていいのかどうかちょっと迷っているのだろう。

彼はしばらく目線をさまよわせた後、


「もし、俺に話せることなら相談に乗るよ。

1人でいたかったところを俺が邪魔しちゃったみたいだし」


と言った。

私はどうするか迷った。

確かに、1人で抱えるのが辛くなっていたところだったし、

誰かに話したらすっきりするかもしれない。

心の内を誰かに話すのは少し抵抗があるけれど、

相手は、私と同じような境遇にある優太君である。

私の話を聞いて、彼がどんなことを思うのか、

正直ちょっと興味があった。

それで私は、今自分がどんな状況にあるのか

一から全部説明することにした。

母の再婚でできたお兄ちゃんに恋をしていること。

そのお兄ちゃんには今彼女がいること。

彼女ができてから、

私はいつも以上にお兄ちゃんにひどく当たってしまうこと。

そのせいで昨日、

お兄ちゃんが買ってきたケーキを落として潰してしまったこと。

等々。

全部話すと、優太君は「それは大変だね」と言って苦笑した。


「うーん。そのお兄さんにひどいことをしちゃう癖ってどうにか直せないものなの?

なんか、ちょっとお兄さんがかわいそうな気がするんだけど」


と言った。

痛いところを突かれて、私はうっとうめき声をあげた。

そして苦笑いをしながら言い訳をするように言った。


「も、もともとはね、お兄ちゃんの本音が知りたくて、

わざとやってたことなんだ」


私の言葉に優太君が「ん?」と首を傾げた。


「どういうこと?」


「うちのお兄ちゃんはね、すっごく優しいの。

何を言われてもほとんど怒んないんだ。

でもそれってさ、我慢して本音を隠しているってことでしょ?

私はそれが嫌で、わざとお兄ちゃんにひどいこと言ってたんだ」


私はそこまで言ってうつむいた。


「……でも、最近は自分でも自分のことがよくわからないの。

いくら言ってもお兄ちゃんは本性を出してくれそうにないし、

もういい加減、こんなことやめないとって思うんだけど、

お兄ちゃんが彼女さんと一緒にいるところを見たり、

話を聞いたりすると、どうしても止まらなくなっちゃって、

なんだか、やめられそうにないんだ。

私、やばいよね。

……このままお兄ちゃんに捨てられちゃうのかな」


と言うと、優太君は頬杖をついて、


「……まあ、ちょっと気持ちはわかるかも」


と言った。


「俺も時々、姉ちゃんの幸せそうな顔を見てて、

すごくイライラするときあるし」


いきなり出てきた姉というワードに私は一瞬混乱した。

けれど、すぐに昨日の優太君とあの綺麗な女の人のやり取りを思い出した。


「ああ、ごめん。いきなり姉ちゃんとか言われても意味不明だよね。

俺んち2人兄妹でさ、姉ちゃんがいるんだ。

……白状しちゃうけど、俺、姉ちゃんのことが好きなんだよね。

……恋愛的な意味で。

でも、姉ちゃんには彼氏がいるし、もうすぐその彼氏と結婚するんだよ。

それなのに姉ちゃん、無自覚に俺への距離感が近くてさ。

まあ、姉ちゃんのこと好きだから、姉ちゃんに構ってもらえるのは

嬉しいんだけど、でもそれと同時に、すごいイライラしちゃうときがあるんだよな。

だから、涼風さんの気持ちは結構共感できるというか、なんというか」


何か嫌なことを色々思い出したのか、

彼はそこまで言うと、とても深いため息を吐いた。

私は少し心配になって、


「大丈夫?」


と聞いた。


「ああ、大丈夫」


と優太君は表情を変えずに言った。


「まあ、俺の予想だけど涼風さんのお兄さんは、

涼風さんのこと本当には嫌ってないと思うよ。

そうじゃなきゃ涼風さんのことそんなにかまったりしないと思うし」


私はその言葉にぴくっと反応した。


「そ、そうかな?」


と聞き返すと


「うん。大丈夫じゃない?」


と彼は言った。

私が分かりやすく安心した表情を浮かべると、

優太君は穏やかな表情で


「仲直り、できるといいね」


と言ったのだった。



5

昼休み終了の鐘が鳴ると、

私と優太君は立ち上がって、一緒に図書室を出た。


「それじゃ、これから毎週水曜日は図書室の受付だからよろしくね」


と優太君が言う。


「うん。わかった。今日は話聞いてくれてありがとね」


と言うと、


「いいよ別に。俺もちょっと愚痴っちゃったし。

とりあえず教室もどろう」


と言った。



6

一緒に教室に戻っている途中、優太君は私に


「涼風さんってお兄さんとは血はつながってないんだよね?」


と聞いてきた。


「うん。そうだよ。再婚だからね」


と私が答えると、


「そっか」


と言った後、小さく「いいなあ」と彼はつぶやいた。



7

その日の学校の帰り、私は近所のケーキ屋さんに寄った。

昨日のことを謝るついでに、

今度は私がお兄ちゃんにケーキをプレゼントしようと思ったのだ。

正直、お兄ちゃんの顔を見たときに

素直にごめんなさいと言える自信はあまりないけれど、

今のままは嫌だから、頑張らないと、と私は思っていた。

並んだケーキを見ながら、お兄ちゃんはどれが食べたいんだろうと考える。

お兄ちゃんのことを考えていたら、

ふとお兄ちゃんが今デートしてるという事実が頭をよぎって

私は空しくなった。

でもしょうがないことだと自分に言い聞かせた。

私はお兄ちゃんの妹であって、彼女ではないんだから。

とりあえず、妹としてお兄ちゃんに好きになってもらえたらそれでいいじゃないか。

私は何度も何度も自分にそう言い聞かせて、

みじめな気持をごまかした。



8


「ただいまー」


誰もいない家にあいさつをして、靴を脱いだ。

ケーキを冷蔵庫にしまうと、特にすることがなくなって、

私は1人でゲームをして、夕食を食べて、お兄ちゃんの帰りを待った。

お兄ちゃんがいない夜は思った以上に退屈で、

すぐに心細くなった。

早く、お兄ちゃんに謝りたいな。

お兄ちゃん、まだ帰ってこないのかな。

と思いながら悶々と過ごしていると、

午後10時ごろになってようやくお兄ちゃんが帰ってきた。

デートがそんなに楽しかったのか、

満足げな顔でリビングに入ってくる。

けれど、私の姿を確認すると、

一変してすぐに不機嫌そうな態度に変わった。


「……おかえり」


と言うと、お兄ちゃんは私から顔をそらしながら


「……ただいま」


と言う。

どうやらお兄ちゃんは昨日のことをまだ根に持っているようだ。

これ、大丈夫かな?

謝って許してもらえるのかな。と不安になりながらも

頑張って笑顔を作った。


「あ、あのね。お兄ちゃん。昨日のことなんだけど……」


鼓動が早くなるのを感じながら、私はごめんなさいと言おうとした。

けれど、私が話すのを遮るようにお兄ちゃんが先に口を開いた。


「あ、そうだ。俺、バイト始めることにしたから。

しばらくこんな感じで帰りが遅くなる日増えるかも」


「え!!」


私は謝るより先に驚いてしまう。

バイトなんて始めたら、

お兄ちゃんと私の過ごす時間が減ってしまうじゃないか。

ただでさえ彼女ができてから、私と過ごす時間が減っているのに。


「な、なんで急にバイト?お兄ちゃんそんなお金に困ってるの?

今までお父さんの仕送りで全然困ってなかったじゃん」


と私が言うと、お兄ちゃんは困った顔で


「バイトする理由なんて、別になんでもいいだろ。

とりあえずそう決めたから。よろしくな。

……俺、風呂入ってくる」


と言い、リビングを足早に去っていった。

もっと問い詰めたかったけれど、お兄ちゃんの逃げ足が速くて

引き留めることができなかった。

本当になんで急にバイト始めようだなんて思ったんだろう。

親指の爪をかじりながら、私は目的もなくリビングの中をうろうろした。

ふと、テーブルの上に置いてあるお兄ちゃんのスマホに目がついた。

多分、慌てて部屋を出ていったから、持っていくのを忘れたんだろう。

このスマホの中を覗けば、バイトをすることになった理由がわかるだろうか。

私はそんな誘惑に駆られて、気づいたらスマホに手を伸ばしていた。

電源を入れて、お兄ちゃんの誕生日を入力する。

すると、ロック画面は解除された。

バイトをすることになった理由は

ロックを解除した瞬間にすぐわかった。

ホーム画面に表示されているカレンダーのある日にちにだけ

メモ書きが書いてあったのだ。


『6月30日、蛍の誕生日。プレゼントを用意する』


ああ、そういうことか。と私は思った。

きっと、今日デートしたときに誕生日を知ったんだ。

それで、誕生日プレゼントを用意するために

慌ててバイトを始めることにしたんだろう。

原因が彼女だとわかった途端、私はまた胸がもやもやした。

私の誕生日にはそんな風に頑張ってくれたことなんて一度もなかったのに。

私はふと、画面に表示されているカレンダーをスライドして、

自分の誕生日を確認した。

私の誕生日には何もメモ書きがなかった。


「まあ、分かってたけどね」


と私はつぶやいた。

私はお兄ちゃんの彼女でもないし、

生意気だし、

面白いことも言えないし、

自分のことばっかりだし。

そりゃ、妹よりも彼女の方が大事になるに決まってる。

わかっているけれど、

それでもネガティブで暴力的な感情が

胸の中から湧き上がって止まらなかった。

私がスマホの電源を消そうとしたちょうどそのとき、

リビングの扉が開いて、お兄ちゃんが入ってきた。


「ごめん花火、タオルのストックがなくなってて……。

って、おい。なんで俺のスマホ持ってんだよ」


と驚いたような声を出す。

私はそれを無視して、お兄ちゃんを睨んだ。


「お兄ちゃん、彼女さんの誕生日にどんな物買うつもりなの?」


「はあ?なんでそんなこと答えなきゃいけないんだよ。

そんなことよりスマホ返せよ。

お前、スマホの中絶対に見ただろ」


お兄ちゃんがスマホを奪おうと私に近づいてくる。


「あははは!!」


答えをはぐらかされた私は、気づいたら笑っていた。


「お兄ちゃん、彼女に騙されてるんじゃない?

そんな高価なもの買ってどうするの?

きっと、彼女さんはそのプレゼントもらったら、

お兄ちゃんと別れるつもりなんだよ。

あーあ。そうとも知らずに、お兄ちゃんはみじめだねー。

ほんとかわいそう」


何言ってるんだろう、と私は思った。

こんなこと言ったってどうにもならないのに。

本当は今日、お兄ちゃんに謝るはずだったのに。

けれど、そう思っていても、もう言葉は噴水のように

湧き上がって止まらなかった。

お兄ちゃんは私の言葉を聞くと、

冷めたようにはあ、とため息をついた。


「花火といると、なんかすげー疲れるわ」


それだけ言うと私の手からスマホを奪った。

そして無言で棚からタオルを取り出し、

またリビングを出ていった。



9


「‥‥‥雨だねぇ」


頬杖をついた優太君が退屈そうに言う。

翌週の水曜日、私はまた優太君と図書室の受付をやっていた。

今日も先週と同様で図書室に来る人は少なく、

私と優太君は暇を持て余していた。


「そういえば涼風さん、あの後仲直りはできたの?」


何の気なしに優太君がそうたずねてくる。

私はなるべく淡々と、何にも感じていない風を装って


「ううん。できてないよ」


と答えた。


「‥‥‥そうなんだ」


優太君は窓の向こうの空模様を眺めながら沈んだ声で言った。


「‥‥‥なんか、私やっぱり無理かも。

お兄ちゃんが彼女と一緒にいるところ見るの

耐えられる気がしないんだよね。

いらないことばっかり言っちゃうし、

それでどんどんお兄ちゃんは冷たくなるし、

もうどうにかできる気がしないよ」


私はため息をついた。

ややあってから、優太君は椅子の背もたれに寄りかかって


「なんかさ、不毛だよね。俺も、涼風さんも」


と言った。


「……なんで人って恋をするんだろうね。

楽しいことより辛いことの方がはるかに多いのに」


優太君の言葉を聞いて、

私はお兄ちゃんに恋をしてからの日々を思い出した。

確かに考えてみれば、期待して、裏切られての繰り返しだったような気がする。

それでも私は、これからもお兄ちゃんのことが好きだろうと思う。

というか、どんなに嫌いになりたくても、もう嫌いになれる気がしないのだ。

それじゃあ私は、

これからもずっとこの辛い日々を過ごしていくことになるんだろうか。

そう思うと、ひどくやるせない気持ちになった。


「‥‥‥確かに、そうかもね」


と答えて、私はうつむいた。

優太君がふっと自虐するように小さく笑う。

そして唐突に


「ねえ、涼風さん。俺たち付き合ってみない?」


と言った。

どうしてこの流れで告白してくるのか理解ができなくて、

私は首を傾げた。


「何言ってるの?優太君、お姉さんが好きなんでしょう?」


「うん。そうだよ。多分、これからもずっとね」


彼は平然と答える。


「だから、涼風さんの気持ちがよくわかるんだ。

きっと涼風さんだって俺の気持ちがよくわかるはずだよね。

‥‥‥俺たちさ、付き合えばうまく毎日をごまかしあえると思わない?」


ああ、そういうことね、と私は思った。

確かにどうせ叶わない恋なら、

そうやってごまかして生きていくのもありのなのかもしれない。

悪い提案ではないように思えた。

付き合ってもいいんじゃないか、と思い口を開きかけたが、

まだ心の中に渦を巻いている何かがあって、私は答えあぐねた。

しばらくして、思い浮かんだのはお兄ちゃんの顔だった。

お兄ちゃんは、私が付き合うって聞いたら傷つくだろうか。

自問して、私はすぐに自分を嘲笑った。

そんなこと、あるはずがないじゃないか。

こんなに嫌われていて、

未だにそんなことを考えるなんて、

私はどれだけ自惚れているんだ。

どうせお兄ちゃんは、私が付き合ったってなんにも思わないよ。


「‥‥‥いいかもね。付き合ってみよっか」


と私は答えた。

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