第11話
1
それは私の風邪が治ってから数日後のことだった。
「楓、花火、ちょっといいか?」
夕食を食べ終わって、みんなでテレビを見ているときに
お父さんが言った。
隣にいたお母さんも真面目な顔をしていて、
一体何事だろうと私は思った。
テーブルを挟んでお父さんとお母さんの向かい側にお兄ちゃんと私が座る。
静かになったところで
「お父さんな、オーストラリアに転勤することになったから」
と言われた。
「へぇ~。‥‥‥って、え!!オーストラリア!?」
唐突にそんな重大発表をされた私は、
夜中だというのに、大きな声で驚いてしまった。
慌てて両手で口を塞ぐ。
そして隣に座っていたお兄ちゃんをちらっと見た。
お兄ちゃんも急な出来事にびっくりしているようだ。
「な、何それ。いきなり過ぎない?お父さんはそれで大丈夫なの?」
とお兄ちゃんが聞く。
「ああ。お父さんとしては今回の話、そんなに悪い気はしてないんだ。
最近仕事がマンネリ化してたし、海外に行って仕事するのは
良い刺激になるんじゃないかなあと思ってる。
そんなことよりお父さん、花火と楓がどうしたいか知りたくてな」
「どうしたいって、何が?」
お兄ちゃんが首を傾げた。
すると今度はお母さんが割って入ってきた。
「お母さんはね、お父さんについていこうって思ってるのよ。
けど、楓と花火はここでの生活に慣れてるでしょう?
私たちと離れるのも辛いかもしれないけど、
これから海外生活するのも辛いんじゃないかって悩んでたの。
それで、お父さんと話し合って2人の意見を尊重しようって話になったの」
「な、なるほど。そういうことね」
お兄ちゃんは頭を抱えながらそう答えた。
無理もない反応だと思う。
いきなりこんなことを言われても、すぐに答えなんて出せるわけがない。
お兄ちゃんはしばらく考え込んで、それから私の方を見た。
「花火はどうしたい?」
「え、私?」
自分の顔を指さしながら私は言った。
お兄ちゃんがうなづく。
「花火、あんまり悩んでなさそうだし、もう答えが出てるのかと思って」
「うーん。私は‥‥‥」
そこで言葉が止まってしまう。
確かに私は、どちらにするかそこまで悩んでいなかった。
私の中で一番重要なのはお兄ちゃんと一緒にいることだったから。
その条件さえ満たせれば、海外だろうが、親と離れようが、
どちらでもよかったのだ。
でも、その考えを家族の前で伝えるのはちょっと恥ずかしかった。
そこまでお兄ちゃんと一緒にいたいのか、と引かれる気がしたから。
「ど、どうだろう?難しい話だよね~。
お兄ちゃんはどっちがいいの?」
結局私は、聞かれた質問をそのままお兄ちゃんに返していた。
するとお兄ちゃんは、ちょっと口ごもりながら
「俺は、できればここに残りたいかな。いきなり海外に行くのはちょっと
上手くやっていく自信がないし」
と言った。
うんうん、と私はうなづいた。
確かに海外生活って大変そうだよね。
お兄ちゃんができるか不安になっていることを、
私なんかができるはずないし、
やっぱり私もここに残った方が良いだろうな、と思った。
お兄ちゃんが発言したすぐ後で、
「私も残りたいかな」
と言う。
するとお父さんが納得したように、うん、とうなづいた。
「どっちか1人だけがここに残るのはちょっと心配だったけど、
2人でここに残るなら、お父さんはまあ、安心かな。
楓と花火なら仲良くやっていけそうだし。お母さんはどう?それでいい?」
「そうね。できれば家族がみんな一緒の方が、私としては嬉しいんだけど。
でも楓と花火がそうしたいなら私もそれで大丈夫よ。
家事に関しても楓がいるなら、まず問題ないでしょうね。
それでも、花火もちゃんと家のことやるのよ。
楓に任せっきりにしないようにね」
とお母さんが言う。
「う‥‥‥」
と私はうめいた。
お母さんの言いたいことはよくわかる。
再婚する前は、私もよく家事の手伝いをしていたけれど、
再婚してからは、ほとんど家事の手伝いをしていなかった。
いや、する機会がほとんどなかった、と表現する方が正しいかもしれない。
大抵のことは私が手伝おうとする前に、
お兄ちゃんがてきぱきとやってしまうので、私の出る幕がなかったのだ。
「たまには私がやるよ」
と言っても、お兄ちゃんは
「大丈夫。俺は好きでやってるだけだから。
気にしなくていいよ」
と笑顔で言うので、私はそれに甘えてしまっていた。
そんな日々が5年も続いた結果、
お兄ちゃんはものすごく家事が上手くなっていて、
対照的に私は、家事をこなす能力が完全になくなっていた。
だから、お母さんの忠告はとても耳に痛かった。
「大丈夫。花火のお世話をするの好きだから。
花火の分も俺がやるよ」
お兄ちゃんは柔らかい笑みを浮かべて言う。
「い、いやいや、さすがに私もやるからね」
と言い返した。
言いながら、うん、そうだ、と思った。
さすがにお母さんがいなくなったら、
お兄ちゃん1人で家事をこなすのは大変だろう。
だから、私たち2人は協力して家のことをやらなきゃいけなくなるはずだ。
今までお兄ちゃんにはたくさん助けてもらったし、
ここからは逆にたくさんお兄ちゃんに恩返しをしよう。
そしてあわよくば、お兄ちゃんにはもっと私の事を好きになってもらいたい。
お兄ちゃんは今、私の事を兄妹としては愛してくれているけれど、
1人の女の子としては見てくれていないから。
私が料理してるところや、家を掃除してるところを見たら、
お兄ちゃんはきっと私のことを意識してくれるはずだ。
しばらくは二人きりで生活することになるみたいだし、
本当にそこから恋愛に発展しちゃったりするかもしれない。
そんなことを考えていると私はだんだんわくわくしてきて、
気付いたら今後の生活の妄想を始めていた。
2
◇◇◇◇◇
「ただいま~。今日も疲れたな~」
学校から帰ってきたお兄ちゃんが、疲れた様子でリビングに入ってくる。
「あ、お兄ちゃんおかえり。ちょっと待っててね。もうすぐご飯できるから」
私がキッチンで肉じゃがを作りながら、そう言うと、
「え!花火、夕ご飯作ってくれたの?」
とお兄ちゃんが驚く。
「うん。お兄ちゃん、今日も学校があって疲れたでしょ?
だからお兄ちゃんに少しでも楽してほしくて作ってみた!」
「本当か!?マジでめっちゃ助かるよ!ありがとー花火ぃ~」
お兄ちゃんが感激した様子で私の頭を撫でた。
「やっぱできた妹を持つと違うな~。俺は幸せ者だよー」
「えへへ。大げさだよお兄ちゃん。ほら、とりあえず1口試食してみて」
私は菜箸でジャガイモを一つ掴んでお兄ちゃんの方へ向けた。
お兄ちゃんはそのジャガイモをぱくっと食べる。
もぐもぐと咀嚼してから目をキラキラさせた。
「うわあ、めっちゃおいしい!花火こんな料理が上手かったんだ!
すげー!!」
「本当?そんなにおいしい?」
「うん。世界で1番おいしい!いいなあ。
こんな料理を毎日食べられたら幸せだろうなあ」
お兄ちゃんがしみじみと言った。
「お兄ちゃんが作ってほしいって言うなら、
私はいくらでも作るよ」
と言うと、お兄ちゃんは私の両手を握って
「本当に?」
と聞いてきた。
「うん」
「それじゃ、これからもずっと作ってください」
とお兄ちゃんが言う。
「わかった」
「やったー。花火サイコー。俺と結婚してくれー」
と言って私をぎゅっと抱きしめる。
「うん。それじゃ結婚しよう。お兄ちゃん」
と言って私もお兄ちゃんに抱きついた。
3
◇◇◇◇◇
「う、うへへ‥‥‥」
私はよだれを垂らしそうになりながらにやついた。
そんな私の前で、お兄ちゃんが手を振る。
「おーい。花火。どうした?大丈夫か?」
「……はっ!!」
お兄ちゃんの言葉で私は妄想から現実に戻った。
「べ、別に何でもないよ。変な妄想とか一切してないから」
「う、うん。別にそんなこと疑ってないけど」
お兄ちゃんが困ったように言う。
「‥‥‥えーと。とりあえず、話し合いはこれで終了でいいよな?」
話が脱線しかけたところで、お父さんが困ったように言った。
私は慌ててお父さんの方を見た。
「う、うん。今のところは大丈夫かな」
「俺も、とりあえず大丈夫だよ」
私とお兄ちゃんがそう言うと、お父さんはほっとしたように
「うん。何か他に気付いたことがあったら、お互い言い合おうな。
海外転勤がいつまで続くかはわからないけど、お互い頑張ろう」
と言って、その場はお開きとなった。
4
それから1か月後、
お父さんとお母さんは荷物をまとめて飛行機に乗り、オーストラリアに旅立った。
こうして、私とお兄ちゃんの同棲生活が始まったのだった。




