御一行、入城す 上
山積みの書類の前で、カペルコは不機嫌だった。
先日回収されたアンケートはなんとかチェックし終わった。しかし不平不満を上げる魔族がいたために結局追加で配布する事になったのだ。
全魔族に配ろうとする魔王に軽い説教をして回答を希望する者のみに配る形にさせたのだが、希望者の数は日に日に増えていく。
まあ第一弾の回答率からしてそれも予測できた事なのだが…
希望者の数がある程度まとまった所でアンケートは発送され、その回答が続々と届いてくる。
玉座の間に次々と搬入される段ボールの山に、カペルコは軽い頭痛を覚えていた。
概ね太平になった魔界の世ではあるが、だからと言って軍の仕事が無くなる訳では決して無い。全体としての総数は多いが、組織として未完成な部分が多く仕事が一部に集中している状態である。
決裁書や報告書等は魔王に行く前に予め目を通しておくのだが、普段の予定に無い仕事のおかげでそうした通常業務に滞りが出始めていた。
じゃあその厄介事を持ち込んだ張本人はと言うと、トイレに行くと言ってからしばらく帰ってきていない。
まさか大きい方でもここまで時間はかからないだろう。帰ってきた時に一体どんな言い訳をするのか想像もつかない。
『トイレの便座がワームホールになっていて異世界を彷徨っていた』とか。
『城の全てのトイレが使用中だったので数キロ先のスーパーのトイレまで走っていった』とか。
『トイレでばったり勇者と会ったので壮絶な死闘を繰り広げていた』とか。
どれもこれもカペルコが今パッと考えたものだが、どれもこれも魔王が言いそうなものばかりである。
それをカペルコが問い詰めて、小さくなる姿までありありと想像できた。
もし魔王が傲慢で不遜であったなら正直付き合いづらかっただろうが、魔族のトップとして威厳が無さすぎるのもそれはそれで考え物だった。
出会ったばかりの頃は、こんな人なのだとは思いもしなかったのだが…。
カペルコが魔王の秘書として働きだしたのは5年前、ロムレクスが新たな魔王となって程なくしての事である。
たまたま魔王秘書の求人を聞きつけた彼女は当時の環境から逃げたい一心で応募し、そして奇跡的に採用されたのであった。
当時の魔王は魔族の間でもその詳細について知っている者が少なく、前魔王を討ち果たしたその圧倒的な力の事だけが知れ渡っており、暴虐で傲慢、一度機嫌を損ねれば命は無いだろうという噂だけがまことしやかに囁かれていた。
カペルコとしても、命がけのつもりで面接に向かった。
そして、その噂が根も葉もないものだった事を知る。
1週間もすれば魔王の人となりをある程度理解することが出来た。
そして、どういう訳か1か月後には魔王にツッコミを入れるようになっていた。
最近では仕事から逃げようしたり余計なことをしたりする魔王を窘めるようになり、世の母親や姉とはこういうものなのだろうか、と実の家族のいないカペルコは思うことがある。
自分がいなければ魔王はしっかり仕事をこなせるのだろうかと、烏滸がましいことは百も承知ながら考えることもしばしばあった。
ふと、四天王の事が頭に浮かぶ。
事務的な仕事を引き受けてくれていたドルスの事もそうであるが、カペルコが今思い出すのはエフレナとウェーロの女性2人の事だ。
四天王として魔王と接する姿を見ていてその関係性の中にハッキリと恋慕というものを感じることは無かったが、しかしいつか2人のどちらかが魔王を公私共に支える存在になるのだろうと漠然と思っていた。
特にエフレナは魔王と口喧嘩をする事がよくあったが、逆にそれは仲の良さの裏返しだったのだと思っている。
なにより2人ともとても美人だった。魔王軍の中には密かにファンクラブが作られていた程である。
今は何をしているのか、今後どうするつもりなのか、そして魔王は自身のその先をどう考えているのか。
とりとめのない思考が別の思考を呼び、膨らみ、頭の中を占領する。
カペルコはそんな煩雑な気持ちと訳の分からぬ軽い自己嫌悪から逃げ出したくなり、手に持っていたボールペンを放り出して机に突っ伏した。
コンコン
ふいに乾いた音が玉座の間に響き、カペルコは顔を上げた。
ドアのノックの音にしては固い音で、聞こえた方向も入口からでは無かったように思える。
ただ玉座の間に入る為の入口は一つしか無く、普通であればノック音が鳴る場所などそこ以外に有り得ない。
そう、普通であれば。
ここは魔王城。
人の侵入を拒み、人ならざる者が跋扈する、魔界の最奥である。
再びコンコンという音が聞こえ、カペルコは音の出処を探ろうと周囲を見渡した。
「あっ」
なにさぼってんのー?
ガラスを透過してくぐもった声が響く
玉座の間の背後に並ぶ高窓の向こう、通常であれば人の立ち入る事など到底不可能な場所から、ウェーロが笑顔でこちらに手を振っていた。
――――――――――
「いつからここは物置小屋になったんだい?」
窓から城内に入れてもらったウェーロは、部屋を見渡すなり呆れたようにそう言った。
「魔王様の気まぐれがきっかけでして」
「ふーん。よく分からないけど、何となくは想像が付くよ」
部屋の中をぐるりと歩き回ると、手近にあった段ボールを撫でる。
その指には、鋭く黒光りする鉤爪が付いていた。
ウェーロ。
『神速不並』の二つ名を冠する、魔界最速の魔族である。
青灰色で繊細に柔らかい髪はやや短めに揃えられ、切れ長で大きい山吹色の瞳は猛禽類のそれである。
両手両足には黒い鉤爪が付いており、そこから肘と膝までが黄色い脚鱗で覆われていた。
肘から肩にかけては鳥類の様な羽が生えており、外側の鈍色と内側の白色がコントラストになっている。
その暗い羽毛は上半身を鱗のように覆い、流線的なプロポーションを形作っていた。
撫でていた段ボールにそのまま腰かけると、流れるように足を組む。お茶ちょうだい、と言われたので、カペルコは手早く準備をする。
彼女が身じろぐ度に周囲に羽毛が舞うので、後で掃除をしなければ、とほんの少しだけ憂鬱になった。
「どうぞ」
「ん。ありがと…で、なんだかのんびりしてるじゃん?その後どうなったの?」
「その後、と言いますと…」
カペルコはそう言い及んで、ウェーロが決起会のその後について知らないことに思い至った。
「決起会ですが、結論から申しますと失敗に終わりました」
失敗、という表現で正しいかどうか分からないが、開催された目的からすればあの結果は『失敗』だろう。
「えーっ!失敗!?どうして?」
「それは…」
カペルコは事の顛末をかいつまんで話す。
ウェーロはそれを相槌を挟みながら聞き、うんうんと頷き、最後には天を仰いで大きくため息をついた。
「な~んだ。あんなに頑張って人を集めたのになあ~」
「なんというか、その…お力をお貸しいただいたのにこのような事になり、申し訳ございません」
「あー、ううん。嘘嘘。私はドルスに『とにかく早急に城に魔族を集めろ』って言われてやっただけ。思い切り空を飛びまわれて楽しかったし、なによりカペルコが気にする事じゃないでしょ?」
「そう言っていただけると…有難いです」
「なによりどうやって皆を城まで向かわせか考えるのが楽しくてね~。『宣戦を布告する決起会をやる』ってだけじゃなかなか全員動いてくれなかったけど、『ステージでハーピーとラミアが半裸になってショーをやってる』って言ったら、大抵の野郎共は目の色変えて城に向かって行ったよ」
「それはその…」
ある事ない事、と言っていた魔王の読みは正しかったらしい。
それはそれとして、ハーピーもラミアも普段から半裸に近い格好のような気もするのだが。
「で、そういえば魔王は?ちょっと用事があったんだけど」
「先ほどまで…と言っても大分経つのですが、書類仕事の途中でトイレに行ったきり戻ってきません」
「はは~。サボりだな、あいつ」
「ちなみになんですが、どのようなご用件でしょうか?」
「ああ、それはね…」
カペルコとしてはウェーロが今までどこで何をやっていたのかも気になるところだった。
決起会の日から今日で2週間以上経っている。いくら魔界は広いと言えど、ウェーロのスピードであれば全体を回りきったとてとっくに戻ってきていてもいいはずだ。
話によれば音速に次ぐ速度で半日は余裕で飛び続けられるらしい。普段は気の良いお姉さんという感じだが、流石に四天王。なかなかに化け物である。
ウェーロが言葉を続けようとした時、玉座の間の扉が開かれた。
「おお、カペルコ!すまんが茶を入れてくれ」
「魔王様!一体」
どこで何を、と続けようとした言葉は、しかし視界に飛び込む光景に飲み込まれて消えていった。
「ほれ、着いたぞ。ここが玉座の間だ」
「すいません…すいません…」
魔王に肩を貸されてズルズルと歩く1人の男。
頬は痩せてげっそりとし、冒険者風の装備を身に着けてはいるがそのどれもがボロボロで立っているのもやっとという感じだった。
扉の奥に目をやると、装備こそ違えど似たような状態の人が4人いる。
彼らはこの扉を抜けて部屋に立ち入っていいものかどうか、躊躇っているようだった。
カペルコはもう一度魔王が連れてきた男に目をやった。
下がった眉に柔和そうな顔は疲れ果てていたが、体付きはがっしりとしている。
薄汚れてボロボロで質もあまり良くなさそうな装備を身に着けており、しかし背中に背負った剣だけは上等な装飾が施され、美しく輝いていた。
というか薄っすらと発光していた。
ど~~~~見ても聖なる力が込められているなこれ。
カペルコは白目を剥きそうになりながらそう思った。
「おっす、魔王。久しぶり」
「…って、ウェーロ!お前なんでここに!今まで何をしておったんだ!」
「あーいや、ちょっと色々とあってさ。で、とりあえずなんだけど」
と言って、ウェーロは魔王が肩を貸す男を指差した。
当の指差された男の方は、魔王?とウェーロを見て呟いている。
「その人、勇者だよ」
「え?」
「あたしが案内してきた」
「は?」
「勇者さん。その人が魔王だよ」
「え?」
「とりあえず道案内は終わりだね。後で10万g請求しておくからね」
「は?」
カペルコはそのやりとりを、白目を剥きながら聞いていた。
ああそういえばお茶を入れてくれと言われていたっけ。
停止した思考のままお茶を汲みにその場を離れたが、そういえば湯呑は人数分足りるだろうかと考えた。
続
――――――――――
※1 10万G
Gは『ギールド』の略であり、あんぱんが1個で200G、5kgの米が4000G、トヨタの高級セダンが600万G程が魔界の相場。
一見して10万Gはぼっているようにも見えるが、実際この魔界の最奥である魔王城まで数日間かけて5人を案内したとなれば良心的な金額だろう。
因みに人間界とも相場は概ね共通しており、なんなら同一通貨をどちらでも使用可能である。
倒した魔族が人間界で使用できる貨幣を持っているのは、逆に人間を倒した魔族がその所持金をせしめているから。
スライム等の下級魔族が倒されてなけなしの小遣いを人間にかっぱらわれる様は、見ていて非常にやるせない気持ちになる。
やっと登場人物が増えた…




