四天王の事 上
「ふっ…ふっ…」
玉座の間に魔王、ロムレクスの声が響く。
時刻は8時、1日の始まりには身体を動かして軽く汗を流すのが魔王の日課であった。
「ふっ…ぬっ…ふんっ…」
健康な精神は健康な肉体に宿るもの。そして良い1日は良い朝を迎える事から始まる。
死線を超えるような激闘があった日も、へべれけになるまで酔い潰れた日も、その翌日にこの日課は欠かしたことがない。
魔王のささやかな自慢であった。
「魔族のイメージには限りなく合わない自慢だと思いますが、おはようございます、魔王様」
「おお、おはよう…あとごめんナチュラルに地の文を読むのはやめてくれ」
部屋に入ってくるなりの挨拶に魔王はそう返した。
今入室してきたのはカペルコ、魔王の秘書である。
鉛白色で癖っ毛の髪は所々跳ねているものの全体としてはまとまり、大きく弧を描く硬い角と筒のような柔らかな耳が生えている。
その瞳には特徴的な横長い瞳孔が備わっており、その外見は羊か山羊を思わせた。
外見は人間で言えば年の頃にして20歳前後。肌は煤色であるが、それは病的なものではなく、魔族特有のものである。
白いシャツに黒いスラックス、全体のシルエットとして白黒で統一されている所に、胸元の赤いリボンが挿し色として映える。
こういうところがお洒落で良いね、魔王はそう思っていた。
本人曰くサキュバスの血が混ざっているらしいが、まあなんだ、今回はこの話はここで終わりにしようと思う。
「…あっ、すみません」
部屋に入ってきたカペルコが、慌てて視線を逸らす。玉座の間の中央で運動をしていた魔王は、上半身に何も身に着けていなかった。
「ん、ああ!すまん。今服を着る」
「いえ、私が急に部屋に入ったので…」
「いや、こういうのは今の時代セクハラになってしまうからな。魔王軍のトップとしては気を付けねばならん」
「別に訴えたりはしませんけど…」
というかセクハラの概念があるんだな、と顔を背けながら、カペルコはこっそり魔王を視界の端に映す。
前魔王をその武力をもって討ち果たしたとされる魔王の身体は、特に筋骨隆々という訳でもなく、無駄が一切削ぎ落とされ引き締まった身体付きという訳でもなく、言ってみればそれなりに筋肉の付いた普通の身体だった。
まあ腹筋がそれなりにしっかり6つに割れているかな、程度であり、正直言って魔族最強と言われてもイマイチピンと来ない。
まあ魔族の戦闘力については魔力の多寡に拠るところが大きいので、見た目では判断が付きづらいが…
手早く汗を拭く魔王の身体は肌色だ。同じ魔族なのにカペルコと魔王で肌の色が違うのは、単に種の違いによるものだった。
あまり魔王を覗き見するのもアレなので、意識を部屋の方に移す。
この部屋、魔王城の最奥に位置する玉座の間は、しかし一般的なイメージとは大きく異なり執務室のような作りをしていた。
玉座の前には書類仕事を行う為の木製の机があり、華美では無いが美しい装飾が施されていた。その隣にはカペルコ用の席も用意されている。
照明は天井に吊り下がる豪華なシャンデリアの他、間接照明が一定間隔で並べられており、その暖色系の明かりは部屋全体に優しく暖かな印象を与えていた。
一般的な執務室と比べて違うのは、やはり部屋の広さか。
執務用のデスクが部屋のやや端よりに位置するのに対し、その余白はかなり広い。やろうと思えば対人の戦闘訓練も行う事も出来そうだ。(周りへの被害を考慮しなければ、だが)
魔王からはもっと狭く、家具も実用に耐え得る安い物で良いと指示があったが、それを却下したのはカペルコの判断だ。
魔王軍のトップたるもの、それなりの物を使用していないと他への示しが付かないであろう。
部屋の片隅を見ると普段は見慣れぬ段ボール箱が山積みになっており、その陰には先日ぶちまけられた後に片付けきらなかったジェンガが小高い山になって追いやられていた。
遊んでいた戒めに魔王一人で片付けさせる事にしていたが、作業は遅遅として進んでいない。
あまりに進まないようなら一言言うつもりだが、最終的には自分も手伝う事になりそうだな、とカペルコは感じていた。
「うむ、OKだぞ」
声をかけられたので見ると魔王はいつもの魔王服ではなく、簡単なジャージ姿で立っていた。
首元に巻いたタオルで顔を拭く様は、スタイリッシュなスポーツ選手というよりは風呂上がりの父親のようだった。
「申し訳ございません、気を使わせてしまいました」
「いやなに、丁度終わるところだったのだ。むしろタイミングが良かった」
「そうでしたか…ところで、何の運動をされていたんですか?」
「ん?シマエナガ体操」
「服を脱いでまでやるような体操じゃありませんよね?」
1回セクハラで訴えてやった方がいいだろうか、カペルコは真剣にそう考えた。
――――――――――
「それで、話というのは一体なんでしょうか?」
カペルコがお茶を入れて運んできてくれたので、礼を言って魔王は受け取った。
特に高級な茶葉を使っている訳ではないが、彼女の入れる茶はなかなか美味い。
「うむ、先日の騒動にも関係がある事なのだが…」
一口茶を啜ってから、魔王は机の引出しからA4サイズ程の分厚い紙の束を取り出した。
先日の騒動とはつまり、『魔王が人間に宣戦を布告する決起会』の事である。
魔族が引き上げた後はとりあえず魔王城は臨時閉鎖とし、『魔王が開戦に向けて更なる戦力拡大に動いているらしい』という噂を流させておいた。
一先ずはまた魔族が魔王城に大挙してくるという事は無く、ホッとしていた。
問題は未だ宙ぶらりんでただ解決を先延ばしにしているだけのようにも思えるが、その間に何か出来る事はないだろうか?
カペルコにしようと思っていたのは、そういう話であった。
「こいつをやってみようと思ってな」
「それは一体何ですか?」
「何だと思う〜?」
「分かりません」
「ふふふ、これはな…アンケートだ!」
「アンケート?どういう事ですか?」
「どういう事だと思う〜?」
「分かりません」
「ちょっとはさぁ、こうさぁっ…」
「魔王様のお考えなど私のような下賤の魔族には分かりようもございません」
「急にへりくだるなよ…もういいよ…」
そう言われても、カペルコには全く見当も付かないから答えようもない。
あとそれなりにウザかったので下手に付き合って助長させたくなかったのも多分にある。
かといってあまり突き放してもイジけてしまう。本当に面倒な上司である。
「つまりだな…前回の騒動、そもそも何が原因で起きたと思う?」
「それは…酔っ払った魔王様が余計な事を仰られたからだと思います」
そこに大なり小なり他意があったとしても、だ。
「いや…まあそれはそうなんだが…もう少し根本的な話で、だ」
「根本的と仰いますと…魔族と人間が敵対関係にある事ですか?」
「うむ。そしてその敵対関係の最たる原因というのは、例えば食料を得たり土地を得たりするような、『利』に寄るものではない」
魔王は持っていた紙束を机の上に置くと、トン、と指先で叩いた。
「もっと本能的で、原理的で、刹那的で、いわば魔族にとっての『矜持』のようなものだ」
「矜持…ですか」
「人間の持つ物を自分の物にしたい、が最初ではない。殺したいから、殺す。奪いたいから、奪う」
トン。トン。トン。魔王の言葉に合わせて、指先が紙面を叩く。
「戦いたいから、」
トン、
「戦う」
トン。
「それが多くの魔族にとっての性であり、言うなれば、生きがいだ」
「はあ…」
「シーズンの帰趨がハッキリしたのに巨人には絶対に勝ってやろうと意気込む阪神みたいなものだ」
「魔王様、無理にボケをねじ込まないでください」
「すまん、話が重くなってないか不安になってしまった」
別に魔王が真面目な話をしてはいけない道理など無かろうに。
カペルコは若干温くなったお茶を啜り、一息つく。
「まあそこまでは分かりましたが…それとそのアンケートにどういう関係が?」
「ふむ、今言ったように魔族は人間と戦う事に己の生を見出している節がある。ならば…それ以外の生きがいに意識を向けさせればいい」
魔王は手元の紙を1枚摘むと、それをカペルコに見せるように持ち上げた。
紙面には『重大アンケート!貴方の夢や生きがいは?』の大見出しと共に、名前や所属地や記入日、実際の事項とその理由などを書く欄が並んでいた。手書きで。
「魔族の性をいきなり変えることは難しいが、他に生きる理由、もっとくだけていえばやりたい事や目標に改めて向き合えば、意識も多少は変化するだろうと思ってな」
「はあ…なるほど」
「どう思う〜?」
「目的に対してびっくりする程遠回りというか、途方も無く回りくどいように思います」
「ワシ実は褒められて伸びるタイプなんだけどなあ…」
実際の言葉通りに効果を見込める様な方法では無いとは思ったが、それは魔王も分かっているのだろう。
何よりもその回りくどさと、根底にある優しさが如何にも魔王様らしいな、とカペルコは思う。口には出さないが。
しかし彼女が気にするのは別のところにあった。
「ところで魔王様」
「ん、なんだ?」
「先程の話から考えるに、このアンケートの回答はおおよそが『人類滅亡』になるのではないですか?」
「…」
「…」
「そうだな」
「そうです」
「じゃあほれ、こうするか」
魔王は大見出しの下に、『(ただし、人類滅亡を除く)』と書き加えた。
「とりあえずこれでどうだ?」
「まあ…そこに関してはそれで良しとしますけど」
カペルコは机の上の紙束と、部屋の角にうず高く積み上がる段ボールに目をやった。
「全てに書き足すおつもりですか?」
「…」
「…何部印刷したんですか?」
「とりあえず使うかなと思って、1万部…」
「…」
「…」
「…今後はたたき台を作って、まずは相談してからにしてください」
「はい…」
しょんぼりする魔王に聞こえぬよう、小さくため息をつくカペルコ。
このダンボールの山をどうするのかというのもあったが、彼女としてはその後の事の方が気がかりだった。
続
――――――――――
※1 魔王服
メイドが着るのはメイド服、学生が着るのは学生服
そして魔王が着るのが魔王服である。割とクラシカルな魔王服であるとは思っているが、詳細は各々のイメージにお任せする。
因みに作者がイメージするオーソドックスな魔王服は『勇者のくせになまいきだ』の魔王が着ているやつ




