藤原綾子 番外:完璧な華、綻びの予兆 1
与えられた“完璧”という鎖
藤原綾子は、生まれたときから「完璧」だった。
藤原財閥。日本が誇る政財界の重鎮。その掌中の珠として、綾子は息をするように「完璧」を求められた。
朝、目覚めれば、柔らかな日差しの中で茶道の稽古。午後は、流暢な英語とフランス語で外交官との模擬会話。夜は、ピアノの旋律が屋敷に響き渡る。その一つ一つが、彼女を「藤原綾子」たらしめる、与えられた使命であり、同時に、重い鎖だった。
「綾子、あなたは藤原家の誇り。常に完璧であれ」
父の言葉。母の微笑み。それは愛情であると同時に、決して破ることのできない、絶対的な戒律だった。
彼女は、完璧に演じ続けた。社交界では常に優雅に微笑み、文化人との会話では知性を光らせ、慈善事業には真摯に取り組んだ。世間は彼女を「藤原家の至宝」「大和撫子の鑑」と称えた。
だが、その完璧な笑顔の裏で、綾子の心は常に、計り知れない重圧に苛まれていた。一度たりとも、自分の感情を露わにすることなど、許されなかった。
そして、竜崎健との縁談が決まった。
「竜崎グループは、今や日本の経済界で無視できない存在。宗一殿は“洗白”を掲げ、光の世界へと足を踏み入れようとしている。貴女の力が必要なのだ、綾子」
父の言葉に、綾子は静かに頷いた。それは、藤原家と竜崎家、両家の未来を繋ぐ、彼女に与えられた、最大の、そして最も重要な使命だった。
初めて竜崎健に会ったあの日。彼は冷徹で、一見すると感情のない男だった。だが、彼の瞳の奥には、燃えるような野心と、そして自分と同じ、孤独を背負う者の影が見えた気がした。
「この男となら……」
綾子の心に、使命感とは別の、微かな、しかし確かな期待が芽生えた。彼ならば、この完璧な鎖を、いつか、解き放ってくれるかもしれない。彼を愛し、彼を支え、共に新たな時代を築くこと。それが、彼女自身の“自由”への道となる。綾子はそう信じた。




