第10話 「運命の交叉点」
### 第一幕 健視点 ― 越境の代償と攻勢決断
竜崎組本部の執務室。
窓際に置かれた低いテーブルの上には、今朝の新聞と、数枚の週刊誌が、まるで無惨に切り裂かれた獲物のように乱雑に並んでいた。
見出しはどれもこれも、同じ言葉で踊る。「竜崎組長、影山家へ直参」「財界に走る衝撃」「旧財閥と極道の不穏な結びつき」「“洗白”の夢、破れるか」。
健は黙って、薄い紙面を指先で押さえた。その指先の微かな震えは、彼の胸奥で燃え盛る、怒りと、そして押し殺された苛立ちを、正確に映し出すようだった。
「……動きが、早すぎますね。嗅ぎつけた連中が、待ってましたとばかりに、こうも書き立てやがるとは」
低く吐き出した健の声に、対面のソファに、いつもと変わらぬ冷静な表情で腰掛ける涼子が、小さく、しかし確かな頷きを返した。
彼女の手元には、組内から上がってきた、まるで嵐の後の瓦礫のように積まれた報告書がある。
「報道だけじゃありません。組内の守旧派の幹部たちも、騒ぎ始めています。
『組長が軽率な真似をすれば、せっかくの“洗白”が、すべて水の泡になる』と、公然と不満を漏らす者も出てきています」
健の瞳が、深く、冷たく細くなる。
言葉の裏にあるものは、単なる組を案じる心配ではない。――これは、彼の“越境”という隙を突き、この竜崎健という支配者の権力の揺らぎを狙う、下劣な腹の探り合い。
「……やはり出てきたか。俺のやり方を気に食わねえ、古株の腐った膿どもが。」
涼子は、一瞬ためらいがちに言葉を重ねる。その表情には、健の背負う重みを、共有するかのような憂いが滲んでいた。
「組長、影山家に直接出向いた件……あの“越境”行為への説明を求める声は、今後、ますます強まります。財界からも、組との“癒着”を疑う視線が向けられている以上、次の一手を誤れば――」
「誤れば、組が沈む。……わかっている」
健は組み敷くように深く背もたれに体を沈め、まるで自分の内なる嵐を鎮めるかのように、天井を仰いだ。
その姿は、一見すると疲弊しきった男のものだったが、瞳の奥には、すべてを焼き尽くすかのような、凍てつく冷たい光が、深く深く宿っている。
「だがな、涼子。俺は、あの日の決断を、寸分たりとも後悔してねえ。あの娘を守るために、何を失おうが、一切構わねえ。たとえ、“竜崎”の名、そのものさえも、だ。」
短い、しかし重苦しい沈黙が、室内に落ちる。その言葉の重みに、涼子も何も言えずにただ静かに待つ。
やがて健は、まるで死から蘇ったかのように、ゆっくりと身を起こした。
その動きは静かだが、嵐の前触れのような、肌を刺すような気配を、明確に纏っていた。
「守りじゃ、足りねえ。……攻めるぞ。全てを賭けて。」
涼子の瞳が、一瞬、大きく見開かれる。彼女は、この言葉が何を意味するか、瞬時に理解した。
「……攻める、ですか」
「黒田の資金源を、根こそぎ潰す。ダミー会社を洗いざらい、徹底的に叩き潰せ。金融筋、土木、裏カジノ——奴の悪足掻きの全てを、だ。
奴の金の流れを断てば、どれだけ牙を研いでいようが、所詮は飢えた狼に成り下がる。」
涼子の瞳に、迷いはもうなかった。彼女は、健の覚悟を、自らのものとして受け止める。
「……承知いたしました。すぐに、組の全てを動かします。」
健は短く「頼む」と告げ、視線を窓の外へと向けた。
薄曇りの空の向こう、遠くに霞む都心のビル群。その中には、影山グループの本社ビルも、無言でそびえ立っている。
――菖蒲。
お前の戦いを、俺は、この竜崎健が、自らの命と、この竜崎組の全てを賭して、背負う。
声にならぬ、しかし熱く燃える誓いを胸に深く刻み、健は静かに、しかし覚悟を込めて目を閉じた。
それは、もはや一人の極道の決断ではない。
彼女を守るために、世界を敵に回すことを厭わぬ、男の、魂の確かな覚醒だった。
### 第二幕 黒田視点 ― 凶行の決意
都心の地下深く、薄暗いアジトは、昼であっても一切の光を拒み、湿ったコンクリートと、微かな血生臭い匂いが漂っていた。
灰皿には吸い殻が山のように積もり、テーブルの上には数本の電話機と、黒田が操る裏金の流れを示す帳簿が、まるで混沌を映すかのように散らばっている。
黒田義信は、無精髭の顎を苛立たしげに掻きながら、今朝の新聞記事を、忌々しげにテーブルに叩きつけた。その表情は、不快感と、そして明確な殺意に歪んでいる。
「……竜崎のガキが、まさか、影山んとこに、堂々と乗り込みやがっただと? 舐めやがって……!」
その声は、怒りよりも、計算が狂ったことへの、苛立ちと、そして奥底に潜む、侮蔑に濁っていた。
黒田は、竜崎健が、もっと冷徹で、組の安泰と世間体を優先する、凡庸な支配者だと思っていた。
だが——あの男は、よりにもよって、女一人のために、己の築き上げてきた立場を、捨てにかかっている。
「ふざけるなよ……俺の、この邪魔をするってのか。あの娘の価値など、知るはずもないくせに……!」
黒田は煙草を、まるで怒りを押しつぶすかのように、灰皿にもみ消し、隣に控える部下に、冷酷な眼差しを向けた。
「例の件は、どうなってる」
「は……はい! 竜崎組内部でも、“組長のやり方は危険だ”と、不満を漏らす連中が、確かに、出てきております!」
黒田の口角が、にやり、と、まるで蛇のように吊り上がった。その笑みには、邪悪な愉悦が宿っている。
「ほう……やはりな。洗白だのなんだの言い出し始めれば、腹に虫を飼ってる、古株の腐った膿どもが、必ず出てくる。……使えるぞ。存分に、利用させてもらう。」
彼はゆっくりと立ち上がり、背広の内ポケットから、一枚のメモを取り出した。
そこには、竜崎組守旧派の幹部数名の名前が、まるで処刑リストのように書かれている。
「いいか、速やかに連絡をつけろ。“組長の軽率な行動は、組を潰す。止めるなら今しかない”——そう囁いてやれ。奴らの心に、不信の種を、深く深く植え付けてやるのだ。」
部下が、恐怖に支配されながらも、必死に頷き、素早く部屋を出ていく。
黒田は残った煙の匂いを、まるでその悪意を吸い込むかのように、鼻から深く吸い込み、冷たい、しかし確固たる殺意を宿した笑みを浮かべた。
「竜崎、お前の足元から、徹底的に、崩してやるよ。」
しかし、それだけでは、彼の底知れぬ悪意は収まらない。
彼の視線は、壁に貼られた、詳細な地図へと移る。赤いピンで印をつけたのは——影山グループ本社ビル周辺の、最も人目に付かない、しかし脱出しやすいルートだった。
「……女も、そろそろ、あの世へ送って、終わりにするか。」
今回は、もはや言葉での脅しではない。確実に、そして永久に、菖蒲から“何か”を奪う。
そう、冷酷に決意した黒田は、テーブルに置かれた電話を一つ取り上げ、海外回線を叩いた。
「……ああ、俺だ。言ってた仕事、そろそろ頼む。条件は変わらん。
ターゲットは一人、女だ。絶対に殺すな。——拉致しろ。場所はこちらで指示する。生きたまま、俺のもとへ連れてこい。」
受話器の向こうで、低く、まるで機械のような声が返事をする。プロフェッショナルな、冷徹な殺し屋の匂い。黒田の胸に、久方ぶりに、獲物を手にする前の、底知れぬ高揚感が湧き上がる。
「へへ……竜崎も影山も、まとめて、この黒田義信の、掌の上で、踊らせてやる。」
暗い、しかし明確な愉悦に満ちた笑いが、湿ったコンクリートの壁に反響した。
黒田義信の、あまりにも凶悪な、次の一手は、もう誰にも、止めることはできない。
### 第三幕 菖蒲視点 ― 臨時取締役会での決断
影山グループ本社、最上階の会議室。
分厚い扉の向こうには、まるで氷点下の冬の湖面のような、冷たい空気が満ちていた。長大な楕円形のテーブルには、重役たちが、まるで審査員のようにずらりと並び、その中心に、影山菖蒲の席が用意されている。
足を踏み入れた瞬間、数十もの視線が、まるで鋭い刃となって、容赦なく彼女に突き刺さった。
——敵意、懐疑、侮蔑。そして、この若き令嬢を潰そうとする、明確な悪意。
だが、菖蒲の歩みは、微塵も乱れなかった。漆黒のスーツに身を包み、背筋を真っ直ぐに伸ばして椅子に腰掛けるその姿は、まるで、これから始まる戦いを愉しむ、孤高の女王のようだった。
議長席に座るのは水島豊。かつて父・忠義を支えてきた古株であり、いまや派閥を率いて、影山グループの実権を、虎視眈々と狙う男だ。その顔には、隠しきれない優越感と、冷酷な決意が滲んでいた。
「本日は臨時取締役会を開きます。議題は――影山菖蒲常務による、“独断専行かつ、会社を私物化する監査”について」
水島の声が響いた瞬間、場内の空気が、ざわ、と、怒りに満ちた嵐のようにざわついた。
「現場を混乱させ、社員の士気を落とすばかりか、経営をも危うくしている!」
「このままでは、影山グループの信頼は地に堕ちる!」
罵声にも近い非難と、個人攻撃が、次から次へと浴びせられる。まるで、飢えた群れが、獲物を喰い荒らすかのように。
菖蒲はそれらを、まるで遠い場所で響く雑音のように、黙って聞き流した。その表情には、一切の動揺が見当たらない。
そして、机上のファイルを、静かに、しかし確固たる意志をもって開いた。
そして、その中から、一枚の書類を、ゆっくりと、しかし明確に、取り出す。
「——それについては、まず、こちらをご覧ください。」
彼女の声は、澄み切っていた。まるで、真実の光を放つかのように。
スクリーンに映し出されたのは、水島が裏で操作していた、不正な口座記録と、黒田義信との、明確な、不審な取引履歴。
会議室に、衝撃の、しかし確実な沈黙が走る。すべてのざわめきが、一瞬で消え去った。
「馬鹿な……! これは、でっち上げだ! 偽造だッ!」
水島が、まるで我を忘れたかのように椅子を蹴立てて立ち上がるが、恭司が、一切の感情を排し、しかし冷徹に補足した。
「金融機関からの、正式なデータです。偽造の余地は、断じてありません。水島専務」
ざわめきが、今度は、水島の不正が暴かれたことへの、驚愕と、そして深い不信となって広がる。
その混乱の中、菖蒲はゆっくりと立ち上がり、冷徹な視線で、居並ぶ全員を見渡した。
「私は、水島専務を告発がしたいのではありません」
その声は、張り詰めた、しかし真実を求める会議室を、確かに、そして圧倒的な存在感で貫いた。
「わたくしは、この影山グループを、この私の手で、真に再生させたいのです。父の時代の不正を清算し、真に、世間に胸を張って誇れる企業として、この影山を、立て直すために——」
そして、深く、まるで魂の奥底から絞り出すかのように息を吸い込む。
「私は、影山晴樹の孫娘です。しかし、旧態依然とした、形骸化した経営体質こそが、この会社を、深く深く蝕んできた。私はその、因習という名の影から抜け出し、私自身の、新たな道を選びます。」
重役たちが、一斉に、息を呑む。
その言葉は、祖父である影山晴樹の、長年の経営哲学と、支配体制への、明確な、そして決別を告げる宣戦布告だった。
「ここに、わたくし、影山菖蒲が提案します。徹底した監査、外部監視機関の導入、そして利権に一切依存しない、真に透明な経営。——それが、私の示す、影山グループの、そして日本の未来です!」
会議室は、まるで凍りついたかのように、完全に静まり返った。
だが、その沈黙は、菖蒲の敗北ではない。
数名の取締役が、小さく、しかし確実に、頷くのが見えた。彼らの顔には、驚きと、そして微かな希望が浮かんでいる。確実に、長年の重苦しい空気は破られ、流れは変わり始めている。
菖蒲は胸の奥で、熱く、そして雄々しく燃えるものを感じた。
——私はもう、「父の娘」ではない。
——私は、「影山菖蒲」として、この戦場の、中心に、屹立する。
その瞬間、彼女は、誰の力にも頼らず、自らの意志で孤高の決断を果たし、影山家の、そして己自身の「当主」としての、確かな覚醒を遂げた。
### 第四幕 晴樹視点 ― 静かなる覚醒
影山家の離れ。
障子を透かして差し込む夕陽は、赤銅色に畳を深く染め上げ、老いた彼の孤独を、より一層際立たせているかのようだった。
晴樹は一人、座卓に置いた湯呑を手に取る。茶の香りは淡く立ちのぼるが、その温もりは、まるで心の奥底に染みついた氷を溶かすことはできない。今の彼の胸中には、深い後悔と、そして焦燥が、渦巻いている。
指先がわずかに震えているのを、自分自身が、最も痛々しく感じていた。
——竜崎健。
あの男の、まるで深淵を覗くような眼光が、未だ脳裏から離れぬ。
孫娘を守るためなら、己の組と名さえも賭けるという、あの男の、狂気じみたまでの決意。
若い頃の、己が絶対だと信じていた自分なら、きっと一笑に付し、鼻で笑っていただろう。だが今は……なぜか、その狂気じみた覚悟が、彼の心の奥深くに、抗い難い、重い楔を打ち込んでいた。
そして、あの茶室で孫娘に言い放った、冷酷な言葉。
「お前はもう、わしの孫ではない」
その響きが、まるで呪いのように耳から消えず、胸の奥で、鉛のような鈍い痛みとなって広がる。それは、彼自身が下した、最も残酷な裁きだった。
机の上には、黒田から送り付けられた、明里の写真と手紙が、まるで彼の罪を嘲笑うかのように、まだ残っている。
明里が、あの雨の夜に差し伸べた、命を懸けた助けを、プライドと家名のために拒んだ過去——己の人生で、最も大きく、そして取り返しのつかない過ちが、いま再び、容赦なく突き付けられているかのようだった。
晴樹は、これまで、己の過去の判断が「家名」を守るための、避けられぬ選択だったと、自らに言い訳し、心を欺いてきた。
だが、その「家名」を守ろうとした結果、彼は一体、何を失ったのか。
娘を、そして、その娘の面影を宿す、孫の心までも——。守ろうとしたものが、最も大切なものを奪い去った。
——テレビの音が、ふと、彼の耳に、まるで雷鳴のように飛び込んできた。
離れの古びた受像機が、偶然、つけっぱなしになっていたのだ。画面に映し出されたのは、影山グループ臨時取締役会の中継映像。
その壇上に立ち、水島の不正を暴き、堂々と論破する、孫娘・菖蒲の姿があった。
凛とした、しかし確固たる意志に満ちた声。揺るぎない、冷徹な眼差し。
「私は影山晴樹の孫です。しかし旧態依然とした、この会社の癌とも呼べる経営体質こそが、この会社を深く深く蝕んできた。私はその影から抜け出し、新たな道を選びます」
その言葉を聞いた瞬間、晴樹の胸に、熱い、そして苦いものが、とめどなく込み上げた。それは、誇りか、後悔か、あるいは懺悔か。
目頭が、じわりと熱を帯び、思わず、その視線を、痛々しいほどに、画面からそらす。
——あれが、わしの血を引いた者か。
あの強さを、あの真の光を、わしは、ずっと、見て見ぬふりをして、見ようとしていなかったのか。
長い、深い沈黙ののち、晴樹は、ゆっくりと、しかし確実に呼吸を整えた。その胸の内で、何かが、音を立てて崩れ落ち、そして、新たな何かが、生まれ変わるように築かれていく。
そして、卓上の鈴を、チリン、と静かに鳴らして、老使用人を呼ぶ。
「……書斎の奥にある、あの木箱を、今すぐ、ここへ持ってこい。」
使用人が、目を丸くして頷き、奥へと消える。
木箱の中には、黒田義信がまだ若手だった頃に、影山家の名を利用して関わった、数々の裏取引の極秘資料が、まるで封印された悪意のように眠っている。
財界の誰も知らぬ、影山晴樹が「最後の切り札」として、自らの命と共に隠し続けてきた、決定的な証拠の数々。
赤銅色の夕陽が畳に落とす影は長く伸び、静けさの中にただ、刻一刻と流れる時だけが、重く存在していた。
——もう、己の過去の罪からも、孫の未来からも、逃げるわけにはいかぬ。
孫娘が、自らの命を賭して未来を選んだのならば、この老いぼれもまた、己の命の最後に、その魂をもって、応えねばならん。
晴樹は、ゆっくりと目を閉じ、深く、しかし確固たる意志をもって頷いた。
それは、声高な宣言ではなく、一人の老人が、過去の業と向き合い、自らの魂を浄化するかのごとき、静かで、そして、あまりにも重い覚醒だった。
### 第五幕 クライマックス ― 襲撃と救援の同時発生
夜の帳が下りた東京湾沿い。
影山グループ本社の周辺には、いつもより不自然なほど、張り詰めた、しかし不気味なほどの静かな気配が漂っていた。まるで、この夜、何かが起こることを予期しているかのように。
菖蒲は、臨時取締役会での激闘を終え、役員応接室に残っていた。
勝利ではない。しかし確実に、この影山グループという、巨大な、そして腐敗した壁に、一歩、確固たる楔を打ち込んだ。
安堵と、しかし次の戦への緊張が入り混じる胸中を抱えた、その、まさに一瞬——
「……ひ、非常用電源に切り替わりましたッ!」
秘書が、血の気を失った青ざめた顔で、悲鳴のような声を上げながら駆け込んだ。
停電。
ビル全体が、突如として、深い闇に沈み込む。非常灯だけが、赤く、不気味に、点滅する。
同時に、下層階から、複数の怒号と、乾いた、銃声が、不気味なほど響き渡った。
「黒田……ッ!」
恭司が、反射的に、まるで一頭の忠実な獣のように、菖蒲の前に立ちはだかる。その手には、護身用のスタンガンが握られている。
銃を持った、黒ずくめの一団が、まるで闇から湧き出たかのようにエレベーターホールに雪崩れ込み、社員や役員を蹴散らしながら、容赦なく、火を噴いた。
銃弾が金属に当たり、火花が激しく飛び散る。窓ガラスは、破裂音と共に粉々に砕け散った。
社員や役員が悲鳴を上げて床に伏せる中、菖蒲は、息を詰めて、必死に、しかし冷徹なまでの冷静さを保った。
——これが、黒田義信の「凶行」。
私の存在を、この影山グループの変革を、根こそぎ、完全に潰すために。
銃弾が、まるで彼女の命を狙うかのように、すぐ近くを掠めた、その瞬間。
別の方向から、地響きのような激しい怒声が、闇を切り裂いて響いた。
「てめぇら、誰の、縄張りに、牙を剥いてやがるッ!」
竜崎組の精鋭たちが、非常階段から、まるで猛獣の群れのように雪崩れ込み、即座に、容赦ない反撃を開始する。
鉄パイプと刃物を手にした男たちの影は、闇に潜んでいた獣の群れのように、獲物を狙って、猛然と動いた。
銃声が飛び交う中で、肉体と、そして古来からの血と血の流儀で挑むその姿は、まさに裏社会の、極道の、覚悟そのものだった。
混戦のさなか、恭司が、全身で菖蒲を庇いながら、叫ぶ。
「常務、ここを離れましょう! 危険です!」
だが、菖蒲の目には、恭司の言葉も、目の前の戦闘も、どこか遠くに見えた。彼女の目に映っていたのは、窓の、あの防弾ガラスの向こうの光景。
——車椅子に座った、一人の老人が、このビルを見上げている。
影山晴樹。
彼は手に、ひとつの古びた木箱を抱え、無言のまま、孫娘の戦いを見守っていた。その姿は、まるで、過去と未来を結ぶ、橋渡し役のようだった。
その、老人の瞳に宿る視線は、かつての冷酷な当主のものでは、もうなかった。
深い後悔と、決意と、そして、血を分けた者への、不器用な、しかし確かな愛情が、その眼差しには込められていた。
菖蒲は、その祖父の視線を受け止め、わずかに、しかし力強く頷き返した。
「……逃げない。私は、ここで、この場所で、立ち続ける。」
銃弾が再び、まるで雨のように飛び交う中、突如として、別の、厳然たる声が、闇を切り裂いて響いた。
「影山を——生かせッ! 決して殺すな!」
黒田の部下が、焦燥に満ちた声で叫ぶ。彼らの狙いが、菖蒲の「命」そのものではなく、彼女を「生きたまま奪う」ことにあることが、その命令によってはっきりと伝わった。
だが、その瞬間。
建物の外から、まるで救済の音のように、複数のサイレンがけたたましく響き渡り、機動隊の車列が、瞬く間にビルを取り囲むように到着した。
誰が通報したのかは、この混沌の中で、誰にも分からない。
だが、ここに至って、「第三の救援」が、まるで天啓のように、この地獄絵図に姿を現したのだった。
銃声、怒号、そしてサイレン。
あらゆる音が混じり合う、まさに混沌の極みの中、影山菖蒲は、一つの確信を、胸の奥に、灼熱の炎のように抱いた。
——これは、終わりではない。
——ここからが、私の、そして私を護る者たちの、本当の、そして血塗られた戦いの始まりだ。
彼女の足取りは、もはや、微塵も震えてはいなかった。
未来を、自らの手で切り拓く者として、彼女は、確かに、そこに、孤高に、そして揺るぎなく立っていた。




