26.誰かの一番になりたい
「出会ってからたった三か月。これが彼女と過ごした最期だった。」
アルマと怜王の話を聞いて、当事者でもないのに私の目からは涙が溢れていた。怜王は遠くを見ていてその情景を思い出しているようだった。
言葉を探しても口は嗚咽をもらすことしかできなかった。そんな私の様子に怜王は眉毛を下げて私を見つめると、「だから…、瑠々が現れた時、本当に驚いたんだ。」と呟いた。
「私…?」
なんだか嫌な予感がした。
「アルマと同じ魂をしていた。生まれ変わり…とでもいうのかな。だから最初に君のことを確認したのは絶対に違うとわかっていたはずなのに、アルマが帰って来たのかと一縷の望みをかけたからだ。最近は顔を思い出す事もなかったはずなのに。」
そう静かに目を伏せて怜王の言葉に今までの謎が解けた気がした。だから怜王はあんなにも私に執着していたのか。
生まれ変わりと言われても、私にはその記憶が全くない。だから正直どうしていいかわからない。…いや、どちらかというとその少女にずっと重ねられていたことがなんだか心苦しい。
だって、本当に私とアルマの魂が同じであるのであれば【私】に向けられた熱が籠った視線も優しさも、その恋愛感情だって【私】だけに向けられたものではなかったってことでしょう?
その結論にたどり着いたとき、私の口から乾いた笑いが漏れた。
「瑠々…?」
怜王の戸惑った声が鼓膜を揺らす。ああ、その戸惑った声ですら愛おしく感じるのは私が【アルマ】だからなのだろうか。
そっか。そうだったんだ。結局私はアルマの【代わり】なのか。先程とは違った涙が流れる。喉が張り付いて呼吸が苦しい。出会ってから今までの思い出がガラガラと崩れていくような気がした。
ストーカーされていた時も、強張った声で告白された時も、顔を真っ赤にして照れていた時も、繋いだ手が汗ばんでいた事も、お互いの鼓動が聞こえるほど抱きしめ合った時も、唇が震えていた初めてのキスの時も、全部全部全部全部全部全部全部全部。
【私】だけに向けられたものじゃなかった。
…それならば、いっそのこと。
「…そっか。だから、私だったのか。」
これから先の言葉を言いたくないな。
「でも、私は何も知らないし、何も覚えてないよ。」
胸が苦しい。
「それって同じ人だって言えるのかな。」
このまま何も言わずに消えてしまたらどれだけ楽なのだろう。
「瑠々が覚えてないのは当たり前だ。きっかけがアルマだっただけで…、」
怜王は俯いている私の肩を掴んだ。その優しく掴む指先ですら心を揺らすのに。
「じゃあさ、私とアルマを少しも重ねてないって言える?」
比べられたくないな。
「瑠々、一体何を言おうとしている…?」
即答しないのがきっと答えなのだろう。
「一緒にはもういられない。」
傷付けたくない。傷ついている姿を見たくないのに。
「それはだめだ、ちゃんと話を…、」
名前を呼ばれて肩を揺さぶられる。少しでも毅然とした態度で話したいが、どうしても声が震える。こんな情けない姿を見せたくない。顔を見ると縋りついてしまいそうでずっと下を向いていた。頭の奥がガンガンする。こんなにも心が苦しくなるのはも私が【アルマ】だからなのだろうか。
ああ、きっと。
この出会いを運命だと素直に喜ぶことが出来たのなら、違和感を無視できたのなら、怜王への気持ちが友情だったのなら、ちゃんと最後まで話を聞いてこれからも一緒に居られただろう。
でも、【私】はそうじゃないから。
「【私】が、耐えられない。」
…それ以上に、【私が】傷つきたくない。
「…っ、」
息をのむ音が聞こえる。怜王の姿が変化していくのを空気で感じ取った。魔王の姿に戻っても肩を掴む力は優しくて。そんな些細な事ですら愛おしいと思ってしまう。…でも。だからこそ。
「…別れよっか。」
いつか見た未来を手放そう。
気温が下がったように空気が冷たく張り詰めて、肌が針で刺されているような感覚がする。
「…っ、私は、君を手放さないと決めた。そ、んなことは認めない。」
その苦しそうな声に胸が締め付けられて、今の言葉を撤回してしまいそうになる。「冗談だよ」って笑って言えたのならどれだけ良かっただろう。
「…怜王が私の事を好きでいてくれているのはわかってるよ。」
「それなら、どうして…、」
うん、ちゃんとわかっている。でも、でもね。
「怜王から優しくされる度、気持ちを伝えられる度、視線を向けられる度、私はそれが私だけに向けられたものじゃないと思ってしまう。一緒に居れば居るほどその気持ちがつき纏うのは、正直言うと辛い。…強くなれなくてごめんね。」
アルマが私だと受け入れられたら楽になれる、そんなことはわかっているのに。…でも私は何も覚えていないし全く知らないのだ。二人の話を聞いても知らない人との話としか思えない。生まれ変わりだったとしても結局は別の人間だ。どうせ異なるのだ。姿形も、得意なことも、きっと性格だって。
このまま怜王と一緒に居たら永遠に私は片思いのままだ。…それはきっと怜王も。ずっと心の中にある違和感に蓋をしたまま隣で笑い合うことなんて出来やしない。この行き場のない醜い嫉妬をずっと抱えて生きていくくらいなら、少しでも早く終わらせたい。
「…謝られたら、どうしようもないじゃないか…。」
怜王の手から力が抜ける。初めて耳にするその弱弱しい声に離れていく手を追いかけそうになったけど、この言葉を言った以上もう軽々しく触れてはいけないのだと言い聞かせて自分の手を握った。
「もう、私は、君に触れることも、話しかけることも、笑い合うことも、一緒に居ることすら許されないのか…?」
懇願されるように見つめられて息が止まる。
「…だって、私は【アルマ】自身じゃないもの…。」
「…それは、そうだろう…。」
目から涙が溢れる。怜王のその視線ですらどこか遠くを見ているのではないかと勘繰る私は、好きになりすぎてしまったんだろう。
「怜王とこのまま一緒に居たら、私は私を嫌いになる…。」
きっと、もう怜王を嫌いになんてなれないけど。
元々血色が悪い怜王の顔色がもっと悪くなっていた。
「…この話をしたのは、それでも瑠々の事を好きになったということを伝えたかっただけだ…。」
「…瑠々に記憶がないことも分かっていたし、思い出してほしいとも思ってない。」
「初めて見た時に一目ぼれをしたのは嘘じゃないし、瑠々の為ならなんだってできる。」
「…愛しているんだ。」
ポツリ、ポツリと力が抜けたかのように静かに話し出す怜王の言葉に涙が止まらない。切なさで胸が苦しい。嗚咽が止まらなくて呼吸も上手く吸えない。聞きたくなんて無いのに、ずっと聞いていたい。嬉しいはずなのに、嬉しくない。そんな矛盾の気持ちが私の心を支配していた。
「瑠々、…もう、私のことは、好き…ではない?」
好きだよ。初めてこんなにも人を好きになった。その心地の良い低い声も、照れ屋なのに時々すごく積極的なところも、愛おしそうに見つめる優しい顔も、見上げた時に首をかしげるところも、戸惑ったように触れる長い指先も、人当たりが良くて成績が良いところも、歩幅を合わせて歩いてくれるところも、突拍子のないことをする面倒な性格だって、全部好きだよ。…なにより、私を好きだと、愛していると言葉にして思っていてくれるところが、大好き、だった。きっと、ここまで好きになれる人は現れないんじゃないかと思うほどに。…だからこそ苦しい。だからこそ、その言葉を口にはできない。嘘をつくことになっても、この場でお互いから解放されないといけないんだ。…それが本当になるように。
「…っ、もう好きじゃない…っ、」
息をのむ音が聞こえる。目を見ると気持ちが溢れて伝わってしまいそうで怖くて、反応を見るのも怖くて目を瞑ってずっと下を向いて、気を紛らわせるように自分の手を見つめていた。…それでも涙が溢れて止まらなかったけれど。
ずっと胸が苦しい。自分の言葉に自分で傷つくなんて馬鹿みたいだ。でも言わなくてはいけなかった。怜王の言葉を信じきれなくて、疑ってばかりの私は怜王の隣に居る資格なんてないのだから。
「…私は、…瑠々が辛い思いをするのは嫌だ。そんな風に苦しそうに泣く姿を見るだけで心が押しつぶされそうだ。」
いつもより低い声が聞こえる。きっと怒っているのだろう。肌がビリビリする。でも怜王も同じ気持ちでいてくれたら…、なんて、そんな自分勝手な考えに吐き気がする。
「瑠々が他の人間と人生を歩むことを考えただけでも相手を殺してしまうだろう。他の奴が頬に、唇に、指先にですら触れると考えただけで気が狂いそうだ。私が知らない姿をすべて知りたいし、暴きたい。…離れたくない。…ずっと、傍に居てほしい。」
「…でも、瑠々はそうでは、ないのだな。」
最後は冷静に、淡々と話す怜王は諦めたかのように聞こえた。ああ、これで終わるのだ。胸が締め付けられてはち切れてしまいそう。…でも、何故かほっとするような安心感があって息を吐きだした。
「…うん。…離れたい。」
頷いて、今度こそ怜王の顔を見た。きっとこれで怜王は向こうに帰るのだろう。そうしたら怜王も寿命を縮めなくて済む。これで良かったんだ、きっと。これで最後になるのならちゃんと顔を見ておきたい。散々泣いたおかげで、顔はひどいことになっているだろうけど涙はようやく止まった。
正面で見た怜王は無表情で、その目はいつもの優しさを携えていなかった。うん、これでいい。
「…そうか。…よく、分かった。…それなら、もういい。好きにさせてもらう。」
そう言って立ち上がると、怜王は人間の姿に戻って私の部屋から出ていった。いつもは玄関まで見送るけど、今日は出来そうにない。玄関ではお母さんと怜王が話している声がする。ふっと息を吐きだした。
お母さんは怜王の事を気に入っていたから悪いことをしたかもしれない。
玄関が締まる音がして、部屋の窓からそっと怜王が出ていく様子を見た。そのまま一度も振り向かずに消えていく姿は、本当に他人に戻ったようで。
「ははっ…。」
口から乾いた笑い声が出る。ああ、なんて滑稽なんだ。自分で突き放しておいて、そんなことで傷つくだなんて。枯れ果てたと思っていた涙はまだ溢れてきて、頬を濡らした。そのまま声を押し殺して泣き続けるとそのまま疲れて眠ってしまったようだった。
ノックの音で目が覚めると部屋は真っ暗だった。お母さんは気を利かせて夕食時に起こさずに居てくれたらしいけど、さすがに全く起きてこないから起こしてくれたらしい。
…頭がガンガンする。目も痛いし、鼻も痛い。顔は涙が乾いてぱりぱりとしているし、お腹もすいた。…こんな時でもお腹はすくのか。
お母さんは怜王から何かを聞いたのか、それとも悟ってくれたのか、何も聞かないでご飯を用意してくれた。その優しさにまた泣きそうになったけど、それはぐっと堪えてご飯を頬張った。
「…おいしい。」
お母さんはそのまま私の頭を撫でると、「早くお風呂入っちゃいなさいね。」と言ってそのまま席を外してくれた。
食事を食べ終わって脱衣所に向かうと、鏡に映った自分の顔を見て唖然とした。目が腫れすぎて土偶のようになっていた。
え、何この不細工な顔は!?自分が思っていた以上の酷さに眩暈がしてくる。この状態の顔で話をしていたのか…。…いや、もう何も関係がないな。なんならその方が幻滅してもらえて良かったかもしれない。そう思うとまた胸が痛んだけれどそれには気付かないふりをした。それよりも本格的に目の奥が痛い。目が取れるかもしれないと思うほどだ。
まずはお風呂に入る前に保冷材にタオルを巻いて目を冷やした。今更遅いような気もするけど、何もしないよりはいいだろう。
その後はゆっくりと湯船につかって体を温めた。思考が段々とクリアになっていく感じがする。怒涛の一日だった。カノンとアレクと遊んで…、そして怜王のことも。カノンとアレクは今日転校してきて明日は学校にいないのか。一応転校生が居たこと自体がなかったことになるらしいが、実際どうなんだろう。全員の記憶からなくなるのかな。ちなみにカノンからは、「大丈夫ですわ!」としか言われなかった。
明日は学校か…。本当は行きたくない。だけど今まで学校に行けてなかった分、ちゃんと通いたい。…行ったところでどうせ怜王はもう居ないのだろし。ひどいことを言ったし、あんな別れ方をしたのだ。怜王にとったらこの世界に居て、わざわざ学校に行く必要なんてないのだから。
お風呂から上がって髪を乾かすとスマホも見ずにそのまま布団に入った。さっきまで眠っていたし、きっと眠れないだろうな、と思っていたが自分が思っていた以上に疲れていたらしい。もう自分の気持ちも、自分がどうしたいのかもわからないままその日はすぐに眠ってしまった。




