153話 オーストラリア合宿-2
「……勇気を出して本当に良かった」
ふと、ハルカがボソッと呟く。
けれどその声は風に紛れて龍之介の耳には届かなかった。
心の奥に残る、あの頃の痛みと後悔。
それは今も彼女の胸を締め付けていた。
中学時代、余計な一言が彼を傷つけた。
高校に進学し、彼が野球をやめたと風の噂を聞いて心配したものの、いざ再会するとまたひどいことを言った。
大会で好成績を収めた龍之介を祝福するべく訪れた高校――そこで彼のチームメイトに無意識の敵意をぶつけてしまったこともあった。
場合によっては、正月に見た悪夢の通りになっていただろう。
自分の行動は、それほどまでに醜悪なものだった。
しかし、現実は違った。
龍之介は、まだ彼女を拒んではいなかった。
直接謝ることもできず、ただ「海外での交流合宿」というきっかけにすがるようにして誘ったこの旅。
彼は快く了承してくれた。
もちろん、「あくまで野球を技術を高める好機として受け入れただけで、過去を許したわけではない」という可能性はある。
だが、目の前の龍之介の様子を見ていると、そんな不安は吹き飛んだ。
今、こうして同じ風景を見て、同じ空気を吸って、笑い合っている。
たったそれだけのことが、彼女にとっては何よりも尊い赦しに思えた。
「ん? なんか言ったか?」
龍之介がふと顔を向ける。
何かを感じ取ったのか、少し首を傾げながら問いかける彼の眼差しは、驚くほど優しかった。
「ううん、なんでもないわ」
ハルカは慌てて首を横に振る。
その仕草に彼女自身も、自分がまだ彼に向けて素直に心を開く準備ができていないことを痛感する。
「そうか。ならいいけど」
龍之介が納得したように頷く。
彼の中には、もう過去のことは過去として流れているのかもしれない。
「それより、早く行きましょう。みんなを待たせているわ」
ハルカが気を取り直すように言う。
交流合宿に参加するのは、ハルカと龍之介の2人だけではない。
名門のスターライト学園から数人、さらに他の強豪校からも選抜された精鋭たちが集っている。
もちろん、ここオーストラリアの有名校からも。
それぞれが誇りと期待を胸にこの地を踏んでいる。
「ああ、そうだな」
ハルカの言葉に、龍之介は頷いた。
こうして、2人は異国の地を歩み出したのだった。