宝くじのススメ
なかなか楽しいものである。
しばらく買うのをやめていたが、月一で散髪にいく際、また購入するようになった。
そして、10枚だけ買う。
3、5、8が成功運、金運に良いということで、できれば30枚買いたいが、それだとジャンボのみでいけた場合、年間10万くらいつぎ込むことになるので、地域クジなどが1枚100円で出ている場合を除いて、僕の場合はそれで充分である。
これだと、それほどの金銭負担にならない。
年間数冊で足りる読書と、ランニングが今のところ僕の趣味だが(趣味というより、生きることとほぼ同義なので、初めてできた趣味が宝くじかもしれない)、ランニングのウェア、靴など、休みにしか走らないので消耗が少なく、1年間お金を使っていない。
そして、宝くじを少量でも継続的に買うことの何がいいかと言うとーー
ずっーと、「大金」に意識がつながっていて、日々をそこそこ豊かに生きられるのであるw
極端な話だが、いま流行りの〈量子力学的パラレルワールド〉。
心穏やかに過ごせる休日の室内でも、嫌なニュースを見たり、深く傷ついたことを思い出す出来事に触れたら、それはその世界とつながってしまう。
逆もしかりで、最悪の場所にいても、何らかの幸せの形と心がつながっていれば、それなりの機嫌で過ごせるのである。
お金があれば幸福になれるわけではないが、買ったクジを寝かせておいて、年に一度、まとめて調べてもらうのが楽しみで、しかも「おお、俺もついに億り人でFIREか」と、クジを思い出すたびに小さくワクワクしていられるのは、なかなか楽しいことだと思うのだ。
コツの一つは、自分で番号を確かめず、ちゃんと店員のお姉さんと機械にまかせることである。
自分で確かめていると、当たる気がしないが、お姉さんに機械でやってもらうと、「ポーン」と時々くる(気がする)のである。…今まで一万円が数回当たっただけだが。
健全な欲望は良いものだ、と村上春樹さんも言われている。
お金にまつわるドロドロは駄目だが、「ゆとりが持てて、豊かになりますように」というようなものは、比較的悪さがなく、自分のためだけでなく、余裕ができれば周囲にもゆとりある優しい対応が自然とできるようになるので、良いのではないだろうか。
…正直、僕は一人で生きていく分にはお金にそれほど困っていない。
結婚資金も貯まった。
しかし、今のところ女性と交際したくても、子供を育てていく甲斐性がないため、アプローチできないのだ。
僕の歳だと、付き合えばまずそのまま結婚を考える年齢である。
僕の近所に住む定年間近の男性は、「独身でほんと良かった〜」と諸手を上げて喜んでいる。
好きにお金を使えて、日々の生活には事欠かない。
同じ会社には、年収一千万超えの独身がゴロゴロいるそうである。
しかし僕は、個人的な思いで、どうにも子育てはしないといけない義務だと感じている。
「子供ができない、家庭を持ちたくても持てない」方々は、もちろん必要のないことである。
そういう人には、そういう人なりの社会貢献があり、それが神様が与えた仕事だと思っている。
でも僕は、普通の健康な男として、次世代なくしてどんな仕事をしようが、どんな世界を築こうが、意味のないことに思えてしまう。
子供の代がなければ、人の世界はそこで終わりである。
子供を持つことが可能な人間が「他人まかせ」にしていい問題ではないように思うのだ。
くり返すが、これはただの個人的見解であり、今の僕には子育てできる経済力、将来的確定収入はなく、そして自分にとって無理のある努力をしてまで「やらなければいけないこと」ではない。
僕よりお金がなくても簡単に女性と付き合えまくってる男性も(羨ましく)いるし、まあ、「子供を持てる」選択肢が自分にできた場合、「大変だから」で逃げてはいけないことだと思うだけである。
そういう人を何人か見て、非常に「人間的に未熟な」部分を多く発見することが多かったのも、理由の一つかもしれない。…もちろん子育てしていても、ろくでもない、人をあまりに安易に恣意的に傷つけるような人間もいる。
だからまあ、あまり深く考えず、ポヤンと海に浮かんで、「うん、子育てする機会があったらやっておきたいよな」ぐらいの気持ちで、宝くじを買っているのだ(笑)
いつか聞いたのが、「サラリーマンの平均生涯年収」は2億ちょっとだったように思う。
だから、宝くじで2億以上当たったら、僕は遠慮なく女性にアタックしたい。
もしくは文章を書いて成功しないといけない。
…ところで最後に、「数十年間宝くじを買っていて、あまりに当たらないからやめた」人を何人か知っているが、その人たちに今なら「なんて勿体ないことをしてるんですか!」と伝えたいところである。
『ハズれ続ける』というのもまた、確率的に難しいものではないだろうか。
定数の中に新しく運気を持った人が出入りしているのが宝くじ的な現状だと思うが、ハズれ続けることは、当たりへの蓄積にしか、僕には思えない。
無理をした金額で買っていると、疲弊と不満が溜まる。
あくまで「軽く」買う余裕と継続が、楽しみの元としては健康的ではないかと思う。
もしかしたら、お金がいらなくなった頃に当たったり、最後に二百万だけ当たって「元が取れただけ」ぐらいになるかもしれない。
でもまあ、それで一生「もうすぐ大金が入ってくるかも」とそこそこワクワクしながら暮らせたら、それはそれでいいと感じるのだ。
生きることに深刻になりすぎる人にとって、何らかのガス抜きは常に必要である。
斎藤一人さんの成功法則に、「とにかく自分に優しく」「とにかく自分を褒める」というのがあった。
そうやって、僕は自分勝手な文章を書きまくっていくのである(笑)