人に対して良いことをする(誰かの助けになる)というのは、神様がそういうチャンスをくれている
と、思ったとさ。
という久賀の話(爆)
…すみません。
このところ、仕事においても日常生活においても、神がかったタイミングで色々なことが起きて、「いや、ほんとに神様はいる(おられる)んだな。ありがたいな〜」と、ゆっくり注意深く生きるようになってきて、心底うれしい日々が続いております。
…もちろん、このストレス社会だから腹立たしいことも多いけど、不愉快な気分にさせられるのは、ほぼ相手(向こう側)のせいだし、あっちはひどい人生になっていくだろうな、と酷いことをしばしば思いながら、機嫌よくやっている次第である。
…当然、あまり良くない心はすぐに消して、自分も間違ってなかったか、きちんと考えてなるべく心穏やかに生きていく。
そうしてまあ、今日「2つの善行」を重ねたわけである。
何のことはない、仕事帰りのスーパーで、車から降りた時に、近くの高齢者が買い物カート(あの手で押すやつ)を返しに行こうとしてたので、「店入るついでだから、戻しときますよ」と駐車場の端から持って行かせてもらったのである。
そして買い物を終え、レジに向かう途中で、店員が商品を床にバラけてしまう場面に出くわしたので、一緒に拾ったのである。…のし袋を2つだけだが。
2件とも「ありがとうございます」と言われた。
今日の午前中に、ちょうど松下幸之助さんの動画を見てて(笑)「感謝のない奴は、どんなに能力があっても、仕事ができても、いつか堕ちるよ」と断言されていたので、「うむ。問題のない2人だな」と1人偉そうに納得したわけであるw
…いや、まあそうじゃなくて、僕は今まで人生とは「良い努力を続けて、良い結果を出していくもの」と認識し、必死にやってきたわけだが、もう楽に生きて、好きな時だけ本を読んだり、ドラマを見たり、ネットで学べるものやゲームをやって、「何か身の回りで面白いことないかな」と、スーパーに行く際でも暇とゆとりを持ってまわりをボンヤリ見てた方が、社会にとって役に立っているのではないか、と感じたのである。
ちょうど、またネット記事の鈴木さんが(日本語おかしい)良い名言を挙げられていた。
※「人生で思ったものが全て手に入る人など誰もいないが、懸命に努力をし、思いやりを忘れなければ、素晴らしいことが起こる」
コナン・オブライエン(アメリカのテレビ司会者、コメディアン)
「…!! 何ですと…!? 良いことをしていると、素晴らしいことが起きる!?」
素敵な人との出会いとか!?(笑)
まあ、そういうことも思いながら、しかし「思いやり」「善行」は、何しろ“それができる形”があってはじめて(それが自分にできることに気づけてはじめて)、可能なわけである。
今までの僕だったら、高齢者が「ああ、ただカートを戻そうとしている」としか思わなかったかもしれないし、店員が商品をバラけても、すぐ拾いにいかず、(あら、案外すぐ片づいたわね)と通り過ぎただけだったかもしれない。
何しろ、自分の努力に夢中になっていると、他人にも厳しくなるし、もちろん自分も日々苦しく、余裕がない。若いころはそういうシビアさが気持ち良い、マゾ的なストイックさを好む部分もあるかもしれないが、少年期から可愛い(綺麗な)彼女を連れている男というのは、「ああ、なるほど。余裕があるというのは、こういうことか」と、10代のモテる少年に、やっと40代で心が追いつきつつあるという悲しさを、いま味わってしまった。
しかしそこはそれ、そのぶん健康でめちゃくちゃ長生きすれば、元がとれるものである!w
老後に失敗して(人格の成長を間違えて)、「おいおい、ヤバイぞこの年寄り」みたいにならなければ、僕はそれでいいと思っている。
…そして、ちゃんと75歳まで働いて、年金は平均超えを目指す!!w
…ううむ。
何を主題にしているのかサッパリ分からなくなってしまったが、とにかく「善行ーー良いこと」は、神さまがそういう“形”を与えてくださるから、とにかく気づいたら大谷翔平選手のゴミ拾いみたいに(笑)、「すぐ飛びつくべし!」という思いである。
何しろ向こうはそれほど有難がらないかもしれないが、こちらはかなりの間(ともすれば半日くらい)気持ち良くいられる。
そして、人生の先まで明るくなる!(笑)
そしてアメリカのテレビ司会者によれば、人生で素晴らしいことが起こる!(爆)
…まあ、あまり偽善的な光景が増えてもゾッとするかもしれないけど、やっぱり、のんびり生きるのはいいな〜、と思えた今日でありました…
ビールは美味しく、バナナも美味い!
さらに、玄関の表札の上に3週間もいたカエル(水飲まなくて大丈夫か? 僕が寝てる間に飲んでるのか? と本気で心配したアマガエル)が、やっと今日いなくなっていた。
夏の暑さにお疲れ様!!
君ガエルも、ビール飲みなよ!w




