表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
56/65

どこへ行き、どんな目に遭い、どう救われるかは、すべてその人の日頃の傾向による

※いつも以上に、筆者の強硬な持論が書かれています。


非寛容な方は、読まれない方が良いかもしれません。

先日、ある宗教団体の集会に出かけた。


以前から書いているが、僕はどのような宗教であれ、金品を要求されない限りは話に付き合うし、誘われてヒマがあれば、集会にも出かける。


車で送ってもらって出向いたわけだが、そこに同じように、部外者(その宗教について勉強中)の方が同乗されていた。


60代くらいの男性で、半年ほどの入院生活を終えたばかりで、歩くのもなかなか大変そうな方だった。


ドライバーをされていた宗教団体の方はまだ若く、少しミスをされた。


集会所に到着すると、僕を車から降ろし、後ろに乗っていた60代の男性も「もう降りているだろう」と、確認せずに、そのまま車を発進させてしまったのだ。


ドアに引っかかる形で、その男性はゆっくりと転び、足を少しりむいてしまった。


大怪我にならず、本当に良かったのだが、そこからがまあ大変だった。


何しろ、金品を基本的に要求しない(自らすすんでの寄付のみの)宗教団体というのは、基本的に善人の集まりである。


「世のため、人のため、世界、宇宙のため」と、本気で活動されている方たちばかりで、そんな場所で転んでケガでもしようものなら、ものすごい早さで人が集まってくるのである。


そしてほとんどが真っ当な生活をされている方ばかりなので、現役の看護師も何人もいる。


その転んだ男性は、これでもかと心配されながら手厚く看護され、あれよあれよと応急処置(というか、ほぼ完全な処置)が終わってしまった。


僕は男性を助け起こしたあと、それらを邪魔にならないよう見てて、タイトルの文言をしみじみと感じたわけである。…何しろその初老の方は、「害のない人間の代表」というような印象の方だった。


極論になるが、『海外旅行に行って、悲惨な目に遭った』。雪が降っているのが分かっているのに、仕事でもないのに北国へ向かい、『車両事故を起こした』。いま現在、クマ騒動が日本中で巻き起こっている時に、わざわざこれから『山に出かけてクマに襲われる』。


…すべて、どこへ向かうのかを決めるのは本人であり、どんな目に遭うかも、かなりの部分で本人次第であり、どのように救われるかも、やはりそれまでの本人の行いによる、と感じる。(ちなみに、僕が購読させていただいている地元紙 神戸新聞にて、1年間における登山の死者のうち、9割は登山届を提出していなかった、と記事にあった)


起きた出来事から学び、後年、自分で自分の人生を救うこともできるかもしれないが、何しろ「不幸に遭う」というのは、たいてい周囲の声や情報に耳を傾けず、己(と己の運命)を過信し、どこか(危険じゃないの?)という声を内側から聞きながら、傲慢さや誘惑を優先して一歩を踏み出したために起きているような気がする。


下手をしたら、僕も若いころ、海か川で溺れ死んでいたかもしれない。

これから山裾やますそをランニングする際、クマに襲われるかもしれない。(もちろん、山裾を避けるコースに変えはするが)


過去の、今以上に愚かな自分は、ほんとに笑えるくらい周りの声を聞かなかった。


人が集まる場所は、ただそれだけでどれほど危険なのか、また、当たり前にある自然で、どれほど簡単に人が死ぬのか…欲に駆られ、忙しくお金の計算をして毎日を送っていると、それらの「ものすごく当然な危険」も、簡単に見逃したり、スルーしてしまえるのである。


冒頭?の男性は、若いドライバーの認識不足で怪我をしたわけだが、何しろ出かけて行った場所が良かったのだろう。


「真剣に、人のためを思う人たち」の集まりに出かけ、事なきを得た。


時に宗教団体のなかには、単純な悪ではなく、「自らの信じる正しさに真剣になりすぎて」間違いを犯す人もいるが、まあそれは警察官であれ、官僚であれ、政治家であれ、人が大勢いればその中の個人はピンキリである。


別に宗教を持ち上げるわけではないが、僕は「基本的に善人」という他人は好きである。


こっちが拒否すれば向こうは来ないし、町ですれ違えば“ただの良い人”なのだ。


まあ、子供にとって親が宗教者である苦しみも、喜びも生まれるかもしれないが、そこは生まれながらにそれぞれ背負うものがある人生。


僕も、健康である反面、「何かをしなければならないのではないか」と、強健に暴走しまくって苦労したし、人は誰も、自分の人生に折り合いをつけていかねばならないように思う。

…そして救いは、常に用意されている。それに気づくかどうかも、(周囲の声をきちんと注意深く聞けるかどうかの)本人次第であるが…


…というわけで、今回もありがとうございました。


様々なことで傷ついている人がいるにもかかわらず、ここまで強引なものを書ける太々ふてぶてしい筆者を、どうぞご寛容に笑ってやってください。


今週の名言!←?


「心に汚れがなければ、影のように喜びがついてくる」


仏陀ブッダ(宗教者)


鈴木さん(翻訳者)、いつもネット記事ありがとう!!お世話になってます!(お気に入り登録まだだけど!w)






















評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ