日々を生きる堅実さは、個人のレベルでいい話
何か、どんどん説教的で申し訳ない。
誰かへの話というより、自分で深く納得しただけのことである。
前に書いたとおり、人生を生きていくには、タイトルに加え、「楽に、日々を軽く」も大切である。
毎日に深刻さはいらない。何事も60点で充分…『自省録』マルクス・アウレリウスにもある。
「いま、目の前にある仕事に誠実に。充実して敬虔な人生を送るためには、いかにわずかなことで十分かわかるはずだ」
…それでまあ、僕が健康オタク寄りなのも前述したが、それはオタクというより、「それをしていないと逆にストレスになる」という、どこか自分が長寿なのを知っていて、病気になるとあとあと始末が悪くなるのを直感で理解してる節があるのだ。
だから、今回〈置き薬〉の人ーーあの、使ったぶんだけ薬代を払う、というやつであるーーに、「日本人は、世界的に見て大腸ガンが多いそうです」と言われたとき、また考えてしまった。
ガン予防に良いとされるにんにくは、サプリで飲んでいる…しかし言われてみれば、大腸ガンだけ、ちょっと違う印象があるな…
もちろん、すべては僕の勝手な思い込みだが、若くして祖母をその病気で亡くしており、どこか頭に引っかかっていたので、改めて言われると戸惑う。
「だから乳酸菌が流行っていたのか」とそれで分かったのだが、もう健康関連のことは増やしたくないほど取り組んでいるのだ。
今さら毎日ヨーグルト(しかも安いものは良くないらしい…)、とか、乳酸菌入りの青汁…とか、加えたくないのである。
その置き薬の人と別れて、しばらく経ってみると、「もうどうでもいいか」という気になってしまった。
毎日これ以上ないほど健康だし、ほとんどいつもカラダは軽い。便秘もないし、これで死ぬならしょうがないだろう。
そう決めて、もう大腸ガン、乳酸菌は、あまり気にしないようにしてしまった。
日々のなか、そして知るのだ。
自分が常用しているサプリ。「ブルーベリーアイ」の袋を、何気なく見る。
『トリプル乳酸菌、プラス』
小さく書いてあった。
「…なんだ…」
もう摂っていたのだ。
これは僕の一つの結論になっているのだが、「ある程度何かを気にして、“無理なく“良い方へ毎日取り組んでいる人は、社会に守られる」というやつである。
まあ大した話ではないが、しかも自慢になっていて読む方も嫌な思いをするかもしれないが…それだけである。
そして、以下、かなり反論が来そうな内容も、記しておきたい。
第二の、「堅実さは、個人のレベルで実行すれば充分生きていける話」
正直、これはヤバい。
「セカンドオピニオンはいらない」
という、また勝手持論。
これを確信したのは、(もちろん例外は常にありますよ!)ウォーキングで知り合った、高齢の男性の経験談である。
「あれ!? すんごい久しぶりじゃないですかあ!」
…ステージ4、手術後いまも、リンパ転移の抗がん治療中。
会わなくなったその間、えらいことになってたその方は、それでもゆっくりとウォーキングをされていた。
「…よく生きてるよ俺は。死んでてもおかしくなかった」
話の内容が、失礼だが、もう爆笑ものだったのだ。
何せ、手術を受けた病院、そこの看護師が、「ここでオペは絶対に受けちゃダメよ!」(つまり、百戦錬磨の看護師から見て、非常にヤバい医師がそろってる)という病院だったのだ。
なぜそうなったのか?
もちろん、田舎で、さして選択肢がなかったこともある。
検査だけはそこそこの器材があるため可能。
かかりつけ医から、何がしかの流れで、そこにたどり着いてしまった。
もちろんご家族は、たまったものではない。
あらゆる手段をネットで探し尽くし、理解できたのは、自分たちには高額で払えないレーザー治療が確実だということだった。
その病院の医師の心を踏みにじって、無理やり転院して他の医師によって同じ手術を受けることは可能だろう。
だが、患者である高齢男性ーーご主人は、肝が据わっている人物だった。
「いい。俺はここで受ける」
若い頃はケンカの助っ人を頼まれ続け、後に格闘技の門を叩いて(叩かされて)穏やかな生活を手に入れられた方である。
ほかに有効な手段も見つけられなかったため、死を覚悟して、看護師たちが「やめときなさい!」と言った医師たちに命を預けられた。
結果、手術は大成功、医師たちは大喜びで毎日容態を確かめに来たという。
病院史上クラスの難手術、その成功という経験値を与えた社会貢献度は、相当なものに思う。…無論頑張られたのは医師の方々だが。
そして、果たして転院していれば、そこまでうまくいっただろうか、という疑問も生まれる。
僕は、ヤブ医者に当たるのも、その人が人生で行ってきたツケのようなものだと思ってしまうのだ。
もちろん絶対ではなく、そこから何かを学び、人生を劇的に良くするきっかけになる人もいる。
ただ、軽い交通事故を何度も起こす人が、どこか人格に問題がある(と感じられる)ように、何かの事故的なことーーヤブ医者に当たるーーに遭遇するような人は、訴えて裁判を起こす前に、自分が人生でしでかしてきたことを見つめ直すべきなのではないか…というようなことも感じてしまうのだ。それから訴えるのは当たり前だが。
だから、「セカンド・オピニオン」などなくとも、人は(ある程度)きちんとした人生さえ歩んでいれば、たとえ病気になったとしても、ふさわしい病院、医師にたどり着く流れになっていると、僕は思っている。
男性の話を聞いて、勝手に意を強くしただけだが…
何かに怯えて生きているような人は、普段から姑息なことをしたり、人に対して卑怯な、心を傷つけるようなふるまいを日常的にしている。
たとえ時々みじめな思いをしようと、「ゆっくりと丁寧に」つまり正々堂々生きていれば、病気や死など、それほど怖いものではないのだ。
「うん、頑張って生きたよな」
それくらい言って、僕は流れのまま、楽になりたい。
別に死は、怖いものではない。
早すぎると、さすがに残念だけど。




