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コロナ禍を生きた人々  作者: 西川悠希
行政対応編
58/75

≪GT編 04話 -夜の街クライシス-(2/5) ≫

 賃貸借支援給付金。

 7月中旬から始まったそれは夏の終わりを迎えつつある現在、未だ申請件数に対して給付件数の割合が三割に満たないという報道がされていた。


「まあ、そうなるわよね」


「他にもっとなんとかならないですかね」


「そもそもこういう支援を想定しているものじゃないからね、賃貸借契約。聞いた話だと借主の名前を記載する場所が無い契約書もあるって話だし」


「うそでしょ?」


 ショウのその反応はお約束のものである。リョーコは取り合わずに話を先に進める。


「あなただってアパート借りてるんだから実際の賃貸借契約の流れはわかるでしょ。大家さんが代わったとか、いちいち書類を取っておく?」


「じ、事業で借りてるなら書類は保管しますよ。それに更新契約の時に大家さんが代わっていれば、その契約書が別途作成されるでしょ」


「ところがどっこい。審査から見たら、なんで突然契約書の大家の名前が代わってるんですかってなる」


 リョーコの指摘にショウは言葉に詰まる。


「契約書の要件だけを見れば、2020年3月以前から契約を結んでいた実績があり、申請日以降も契約が結ばれている事が書面でわかるならば、要件を満たす。でも申請する人から見れば、できるだけありのままを見せて、その上で申請を通して給付金を受け取りたいというのが人情ってものでしょ」


 リョーコは前髪をかき上げ眼鏡をかけて、あらたにパソコンに向かう。


「その場合、何が起こるのか。貸主欄に最初の貸主の名前を入力し、続いて変わった、今現在の貸主の名前を入力する。審査に提出されるのは、違う名前の貸主の、同じ住所の賃貸借契約書が二枚」


「でもそこは契約期間が継続しているものであれば読み取れるじゃないですか」


「だから、その貸主が変更されたことがわかる書面を提出、事務局の証明書を書いてください。って話になる。立派な不備の出来上がりよ」


「……Eの証明書ですか」


 賃貸借支援金の事務局では、頭にEがつく1から4の番号が振られた四つの証明書が備え付けてある。

 E-1は契約書における貸主の名前と現在の貸主の名前が異なっている場合。

 E-2は借主。これも相続や譲渡、また個人で借りていたものを法人名で借りたり、社名変更となった場合。

 E-3は契約期間。具体的には2020年3月31日時点において有効である場合かつ、申請日以降も契約であることがわかる場合が必要な要件となる。

 そしてE-4は契約書自体が存在していないケース。口頭で契約、もしくは契約書が今回の賃貸借支援金の申請において有効とならない書面だった場合に提出するものである。


「そう。貸主の名前が変更されたことがわかる書面、覚書(おぼえがき)、または事務局の証明書に一筆いただいてご提出をお願い致します」


 ショウはまいったな、と言わんばかりに頭に手を当てる。


「あれ、大家さんか管理会社の署名がいるんですよね」


 事務局が備え付けている証明書にはいずれも貸主と借主、双方の署名がなければ有効にはならない。


「ま、そうね。申請者本人が勝手に書くわけにはいかないだろうし。一枚いくらぐらい取れるのかしら」


「金取るつもりですか?」


 ショウは思わず顔を上げた。


「え、お金、取らないの?」


「取るわけないでしょ、みんな困ってるこの現状で」


 平然としたリョーコの物言いに、ショウは椅子から立ち上がった。

 リョーコは丁寧に頭を下げて、言葉を口にする。


「大変、申し訳ございませんが当方では無償で証明書に署名するなどの行為は致しかねます。それが公的な証明書となるのであればなおさらですし、我々管理会社を通して貸主の方に連絡をする手間もございます。ご理解いただければ幸いです」


「……血も涙もなくないですか」


 リョーコはクイッと眼鏡を上げて、キラッと笑顔。


「なお一枚の署名に当たり、手数料八千円にて承っております」


「その絶妙にリアルな値段設定はなんなんですか!」


 リョーコの笑顔にショウは敢然と抗議した。


「ま、こんな感じにこまごまとした不備が大半なんでしょ。今後、不備について何度かやりとりして、それで大半の申請は支給までされるって流れじゃないの」


「簡単に言ってくれますね」


「だって私達、関係ないし」


 リョーコは眼鏡を外して言い切った。


「ぶっちゃけ、コロナ感染で緊急事態宣言を出す流れになったのが3月、そこから5月で事業者給付金スタート。さらに7月にこの賃貸借給付金。申請の流れとしては事業者給付金の申請をベースにそこに賃貸借契約についての申請要件、書類を提出する形。前例のないものをよくやってると思うわよ、行政」


「そうなんですか?」


 ショウは驚いた。


「意外?」


 リョーコの言葉にショウは素直にうなづいた。


「だって賃貸借のサンプルであれだけもがき苦しんだのに」


「……それで問題が解決するなら安いものじゃない。人の苦しみ、阿鼻叫喚はプライスレスよ」


 リョーコはさわやかに笑った。


「いやいやいや」


 笑っている場合ですか。だがショウは、リョーコのあまりのさわやかさにその言葉を口にできず苦笑いしかできなかった。


「少なくとも賃貸借支援給付金という制度については前に進んでる。だからもうこの制度については、これでおしまい」


「……申請者の問い合わせに対応するコールセンターはただのアルバイトって話ありますけど」


「それで何か問題が?」


「いやいやいや、これでずぶの素人が問い合わせに対応するって無理筋でしょ」


「教育はするでしょ。あなただってアルバイト始める時に研修しなかった?」


「いや、しましたけど。そんなんでいいんですか」


 リョーコはうーん、と背伸びをした。


「じゃあ、あなたがやる? 申請者からのクレーム対応」


「ノー・センキューです」


 ショウはリョーコの問いに、手の平を盾にして首を左右に振って即答した。

 やれやれとリョーコはため息まじりの笑みを浮かべる。


「一日何千何万の問い合わせがあるのよ? そんな属人的、人の能力に頼るようなシステム運用がされると思う? 行政が」


 最後の付け足しの言葉は、さすがのリョーコも自信が無いのか、少し小さい声だった。


「実際、前に進んでるし。コールセンターのスタッフに専門家を配置して何が変わるのかしら? どうせ罵詈雑言をぶつけられるだけでしょ。だったらアルバイトで充分。そんなことで有能な人材を消費するのはもったいないわ」


 人材を消費。ショウはその言い回しに何も言えなくなった。

 パワハラ、モラハラがささやかれる昨今、日がな一日中クレームをぶつけられ続ければ、おかしくなってもおかしくはないのだ。とさすがのショウにも理解はできるところである。


「世の中に救いはないんですかね」


「まあ、もしかしたらこのご時世、たまたま事業をやってて、たまたまこの給付金の申請を四苦八苦して通して、たまたまこのコールセンターのアルバイトにたどり着く人がいるかもしれないし」


「なんでそんな人がコールセンターのアルバイトに」


「たまたまこのコロナ禍で事業を続けられなくなって、たまたま応募したアルバイトがそのコールセンターだった。そして、たまたま申請に行き詰まっていた申請者の担当にたまたま当たって、その申請者の窮地を救うことになるかもしれない」


「たまたまが多すぎでしょう!」


 あまりの言い草に、さすがのショウも突っ込まざるを得ない。


「でも、可能性はゼロじゃないわ」


 わざわざリョーコは眼鏡をキリっとかけて、宣言した。


「その言葉ってもっとかっこいいところで使うべきものですよね……」


 ショウは眉間の頭痛や眼精疲労に効くであろうツボを指でつまんだ。


「まあ、でもそうね。タマタマは確かに二つで充分だものね」


 その言葉にショウはどう返答していいのか。

 とりあえずショウはパーカーを脱いで席を立つ。

 そして、扇風機の前で風に当てているシャツを手に取り、袖を通した。


「乾いてる?」


「はい。あ、そうだ、センパイ。今日、お菓子持ってきたから、後で食べましょうよ。三時の休憩にでも」


「そうね。どんなお菓子か楽しみにしてるわ」


 シャツを着たショウは、リョーコに借りていたパーカーを渡し、リョーコはそのパーカーに袖を通したのだった。

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