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コロナ禍を生きた人々  作者: 西川悠希
事業者編
22/75

≪TU編 07話 -昨日はそれでも訪れない-(1/4)≫

 曇った空の昼下がり。


「ねえ、ちょっと待ってよ。おかーさん、ちょっとだけ待ってよ」


 ヒメはあきらに引きずられるように、住宅街の中にある駐車場にやってきていた。

 二人ともしっかりとマスクをしている。


「今更、何言ってんの、いい加減覚悟を決めなさいな」


 あきらは抵抗するヒメにかまわず、駐車場の中に建てられているプレハブ小屋に向かう。

 そこにはSF映画に出てくるような防護服に全身を包まれた医療スタッフが二人を待ち構えていた。


「いやああああああ!」


 閑静な住宅街にヒメの絶叫が響いた。



 戸石は今、とあるホテルの一室のベッドに横になっている。

 マスクはしていない。

 戸石は新型コロナウイルスに感染していた。

 そして現在、保健所が手配したホテルにて、隔離中の日々を送っている。

 倦怠感と悪寒に包まれたまま帰宅した翌日、あきらに病院に連れていかれ、そのままPCR検査となった。

 結果は陽性。

 そして、そのままあきらとヒメも濃厚接触者という事でPCR検査を受けることになり、さらには症状の有る無しに関わらず、二週間の自宅待機の隔離処置が決まったということだった。

 部屋にスマホの呼び出し音が鳴る。


「お疲れ様です。シノヅカです。今、大丈夫ですか?」


「はい、お世話になっています。どうもすいません、この度はこんなことになっちゃって」


「いやー、仕方ありませんよ。こんなご時世ですからね。体調どうですか」


「はい。昨日までちょっと熱があったぐらいです。いつもの風邪と変わりませんでした。まだちょっと焦げ臭いにおいがするときがあるくらいですね」


 戸石は鼻の下を指でこする。


「あー、そうですか。それは良かったですね。こちらの事は気にしないでください」


「すみません」


「それで……契約の話なんですが」


「……はい」


「来月……どうします? 一応、意思の確認をしてくれと言われてまして」


「え、もう期限すぎたら終了ではないんですか」


「期限は過ぎても問い合わせはあるので、その対応業務があるとのことで」


「あー、なるほど……」


「どうされます? 一応、隔離期間を終えてもらえれば、業務に戻ることは可能ですが」


「……いや、自分はもう、勘弁してもらおうかな、と」


「ですよね……。他の人の話を聞いても、毎日怒鳴られてすごい大変だったみたいですものね。延長までしていただいて本当に助かりました」


 戸石にとってはコールセンターの問い合わせ業務は初めてで、大変かどうかは比較対象がないので判断はできていない。

 だが、さすがにもう二度と御免だった。


「自分が原因で感染者って出なかったんでしょうか」


「保健所からはコールセンターについては、そのまま継続して良いと許可がでてるようですね」


 戸石はホッとしつつも、それはそうだろうな。とも思った。あれだけ感染対策をしていれば、確かにその判断もうなづける。


「他の感染者の方に関しては、言えないんですよ。実は今の現場に関してもこれまでに何人か出ているんです」


「そうなんですか。まあ、あれだけ毎週何人も人が出たり入ったりしてれば、そうですよねぇ」


 いわゆる守秘義務というものだろう。それに、ただの風邪とはいえ、罹患して初めてわかる、この事態。

 病院に行くときも別室に通され唾液採取。病院を出る時も出口は違う出口から。

 ホテルに入る時も保健所からの手配により車での迎えがあり、入ってからもスマホを使っての体温や体調についての報告。

 報告。連絡。相談。

 また職場での感染対策の状況、誰と食事をしたか、過去二週間における行動履歴なども聴取され、これだけ管理下に置かれるとなると、ただの風邪というのはさすがに無理があるのではないか。と思わざるを得なかった。

 ただほぼ固定のリーダー以上の人間に関しては、お互いに顔も名前も一致しているくらいであり、かかった人間はいないという事はわかる。

 そう考えると、世間一般で言われているマスクだったり消毒の感染対策というのは、新型コロナに対して有効なのであろうな、と納得できた。


「そういえば荷物はどうすればいいですか」


 最後の出勤日に、戸石はロッカーに帽子を入れっぱなしで帰ってしまっていた。


「ああ、まだ気にしなくていいです。ホテル療養が終わって、ご自宅に戻ってからにしましょう」


「そうですか。すみません」


「はい、ではお大事に」


 戸石は通話を終え、再びベッドに横になる。

 療養生活に特に不便はない。

 この数か月、仕事とはいえコールセンターに行くのはしんどかった。

 自分が悪いわけじゃないのに、怒鳴られる毎日。そう思えば、今のこの環境は天国だった。

 研修でのモニタリングの時に臼井のやりとりを聞いて、自分もああやって、人に希望を持たせてあげられたら。と思った。

 しかし、それはあまりにも幻想が過ぎた。

 誰も自分の事しか考えていない。

 こうやって新型コロナに感染して、強制的に仕事からも世間からも引き離されて独りになって、今、初めて自分を冷静に見つめ直すことができた。

 戸石の目から涙があふれる。

 もう、これで怒鳴られることにおびえる日々は終わったのだと。

 戸石は泣いた。声を上げて独り、ベッドにくるまり泣いたのだった。



 降り注ぐ冬の日差し。

 隔離生活から十日が経ち、マスクを着けた戸石はホテルから出た。

 お疲れ様でした。と言われ、報道やテレビで言われていたような再検査もなく、戸石のホテル療養は終わりを告げた。

 十日ぶりの外の空気。おなかの肉は一回り減ったのが明らかだった。

 踏みしめるアスファルトの感触。悪くはなかった。

 鼻にこびりついた焦げ臭さも今ではだいぶ落ち着いてきている。

 帰りは歩きである。

 荷物をまとめてくれたのはあきらなので、帰りの交通費はもちろん入っている。

 タクシーを呼んでもよかったが、それはそれで(おもむ)きがない。

 考えてみれば、今までこうして昼間の小道をゆっくり一人で歩くことはなかったように思える。

 日々、居酒屋の仕事に追われ、子育てにも追われ、そして、過ぎてゆく毎日。

 色々なことがあったが、楽しい毎日だった。

 ほんの一年前まではそれが当たり前に過ぎて、これからも続くのだと思っていた。

 冬の木枯らしが戸石の身体を吹き付ける。

 思わず帽子を抑えようと、頭に手を伸ばすが、そこにはこの一年で少しだけ薄くなったような気がする髪の毛。

 薄くなったと思うのは、きっとこの風の冷たさが帽子をかぶっていないので、直接、冷たく頭皮に接触するからなのであろう。

 自分はハゲではない。まだ髪の毛がある。

 風は冷たかったが、この一年、自分の頭が冷えていたかと言われると自信は持てなかった。

 目の前をバスが通りすぎてゆく。

 バスに乗り、電車に乗り、ゆっくり歩いて自宅に帰る。

 たまにはそうするのもいいかと、戸石は思いついた。

 新型コロナにかかって療養生活を終え、抗体ができている自分は、しばらくの間は大手を振って世間を歩けるのだから。

 戸石は冬の街並みを歩く。

 冷たい風にあたり、この一年、ずっと火がかけられていた頭をゆっくりと冷やしながら。

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