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コロナ禍を生きた人々  作者: 西川悠希
事業者編
19/75

≪TU編 06話 -誰もが自分の事しか考えない-(3/5)≫

「マジで解説書どころかHPの説明も全く見てないよな、この人……」


 言って何かを思いついたのか、臼井は解説書の文書ファイルを表示する。

 そして、通話を再開する。


「大変、お待たせいたしました」


 臼井は姿勢を正し、声を一段高くする。


「わかってくれたぁ?」


「はい、確認したところ、解説書をご覧になっていただき、再度の申請をお願い致します。との事です」


「……は?」


「今回の不備につきましてはそれぞれ、誓約書については35ページ、賃貸借契約書については42ページ、支払い情報については43ページに記載がございます。そちらをご確認いただいた上で、再度のご申請をお願い致します」


 ディスプレイには解説書の目次のページが表示されていた。


「どういうこと?}


「HPにあります、賃貸借支援給付金の申請手順の解説書をご覧ください。その記載にのっとって申請をお願い致します」


 臼井は深々と頭を下げる。


「……なにそれ? 今更、解説書って……そんなんやってられるわけないじゃん」


「申請される皆さん、解説書をご覧になられた上で申請をいただいております。なにとぞご対応いただきますよう、お願い致します」


 臼井は今度は目を閉じただけで、言葉を告げる。

 女性の申請者からは何も返答が来ない。

 ガツッと何かに当たったような固い音が響き、そして、それからも返答は来ない。


「それではよろしいでしょうか」


 申請者からは何も返答が来ない。


「申請者様ー」


 臼井は呼びかけるも、返答はない。

 黄色札を上げると、サカウエがモニタリングをしていたのか、ヘッドセットを着けたまま歩いてくる。

 臼井は指でバツをすると、サカウエは親指と人差し指で〇を作って、OKの返事。


「それではお返事が無いようなので、こちらからお電話切らせていただきます」


 十秒ほど待っても返事はなく、そのまま臼井は電話機の切電ボタンを押した。


「おつかれ」


 笑顔のサカウエ。


「なんでそんな笑顔なんですか」


「ほら、笑う門に福来るって」


「福があったら、こんな仕事してないんですけど」


「言わない言わない」


「後処理の前に休憩行ってきます」


「はいよ、いっといで」


 臼井は個人に割り当てられているビニールバッグを手に席を立ち、オフィスを出た。

 その直前、横目で戸石の席を見ると、通話が終わったのか、おぼつかない指先で後処理の入力を行っていた。



 トイレで小さい用を足していると、横に戸石がやってくる。


「まいっちったよ。変なお客さんとあたってよ」


「申請者、でしょ。お客さんだと思ってたらやってらんないですよ」


 臼井は笑って返す。


「どっちでもいいよ。なんかさ、確定申告書を仕事の名義でしてて、免許証の名前と違うんだとよ。ちょっとだけ漢字が。それで延々、あーでもこーでも言われてさ。挙句の果てに政治がどうだの、わけのわかんねえことまでぬかしやがる」


「確定申告書と本人確認書類の名義……ですか」


「確定申告は本名でやるもんだろ? そこまで責任もてねえよ。好きにしろよ、ほんとに。もらいたくてももらえねえ人間だっているのにさ」


 用を足した臼井と戸石は洗面台で手を洗う。

 戸石はマスクを下ろし、ポケットから出したハンカチを口にくわえ、手を洗う。

 臼井は手を洗ったあと、ビニールバッグに入れているミニタオルを出して、手を拭いた。


「でもそれって毎年くる、確定申告のハガキでいけませんかね。住所の一致が取れればいけるんじゃないですか」


「知らねえよ、そんなの。なんでそこまで俺がしなきゃいけねえんだよ」


 戸石は臼井に牙をむく。


「先生はさ、今までいろんなことやってきて、色々わかるからいいかもしれないけど。俺は基本、居酒屋一筋なんだ。そんなのわかるわけねえだろ。勝手なこと言うなよな。ネチネチと言われ続ける身になってくれ」


「そりゃ……そうですけど」


 戸石は臼井の返事も待たず、トイレを出ていく。

 一人残された臼井もさすがに表情をこわばらせていた。




 オフィスのスタッフは就業時間を終え、大半が退社した中、戸石と臼井はいまだ申請者からの電話に対応中だった。


「ですから今回、貸主の会社名が原契約書と契約更新の書類とで相違してますから、そちらで様式Eー2の書類が必要なんです」


「いやだからそれはそっちでやれよ。貸主の社名が変わっただけで法人番号変わってねえんだからよ。お宅で調べればわかることをなぜやらねえんだよ」


「いや、ですからそれは申請者様が書類でもって証明していただかないといけないんです」


「そんなの解説書のどこに書いてあるんだよ。どこにも書いてねえだろうが。言ってみろよ。書いてあるならやってやるよ」


 臼井の電話の相手は一歩も引こうとしない。さっきからずっと堂々巡りの埒が明かない状態だった。


「ほら、言えよ」


「……わかりました。少々、お待ちください」


 臼井はいったん保留にする。すでに横にはリーダーの男性が待機していた。首から掛けてる名札にはカケイとある。


「ったく、腹立つなぁ」


 臼井は舌打ちとともに憤りをあらわにする。


「これ、なんでもこんなもめてるの?」


「こいつ、申請者本人じゃないよ、カケイさん」


「法人の担当者?」


「会計事務所」


「あー、申請者から金もらってってやつか」


「どうしてくれようかな、こいつ」


 再度、露骨に舌打ちをする臼井。時間はもう19時半を過ぎてしまっていた。

 コールセンターの受付時間は夜の19時までである。


「まだ時間、かかりそう?」


「かけていいなら」


「いや、ダメダメダメ。明日に回したりできないかな」


 カケイは早く帰りたい。それは臼井ももちろん同じである。


「貸主の名前が違うだけだよ。審査に申し送りにする? どうせ不備で帰ってくるけど」


「いやそれもちょっと……。なんでEー4で対応できないの」


「貸主の社名だからE-2でしょ。E-4だったら単体で契約書になるからそれでもいいんだけどさ」


 賃貸借支援金の申請では契約書に不整合が生ずる場合の証明書類として、事務局でE-1から4まで四つの証明書が備え付けてある。

 E-1は契約書における貸主の名前と現在の貸主の名前が異なっている場合。これは主に貸主が契約途中で変更になったケース。相続や譲渡などで変更になっている場合も含まれる。

 E-2は借主。これも相続や譲渡、また個人で借りていたものを法人名で借りたり、社名変更となった場合が想定されている。

 E-3は契約期間。たとえば何十年も前に借りて、自動更新だった場合、契約書には最初の契約期間しか記載がない。その場合に今後も借り続けていることを証明するために、契約期間を改めて記載して提出してもらうものである。

 そしてE-4は契約書自体が存在していないケース。口頭で契約し、それが今も続いている場合などに、所在地、賃料、貸主、借主、契約期間など申請に必要な契約事項を明記して提出してもらう書面である。

 ただこのいずれの書面も貸主と借主、双方の署名がなければ有効にはならない。


「ああ、ごめんごめん。で、なんだっけ」


「法人番号が同じで社名が違うだけなんだから、申請を通せって」


「うわ、めんどくせえ。そんなの書類書いてくれりゃ一発じゃん、なんでゴネるの」


「俺に聞かないでよ」


 臼井は笑って答えた。

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