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コロナ禍を生きた人々  作者: 西川悠希
事業者編
15/75

≪TU編 05話 -夜の空に太陽はのぼらない-(4/5)≫

「今、お時間大丈夫でしょうか」


「大丈夫大丈夫、それでさあ」


「申し訳ございません。お話をするにあたり、本人確認が必要となります。申請番号とお名前をいただいてよろしいでしょうか」


「あー、そうかそうか。じゃ言っていくよ」


「はい、お願い致します」


 申請者から申請番号と名前を聴取する臼井。自分の知っている声より事務的な響きではあったが、間違いなく戸石の知っている、あの臼井の声だった。


「ありがとうございます。それでお話の方なんですが……」


「うん、やっぱり駄目か」


「……残念ながら。事務局の担当部署に確認をした結果、現状の契約内容ではやはり申請は受け付けられないとの返答が返ってきまして」


「うん、そうか。詰み……、か」


 研修では、基本的にこの不備案内窓口では申請の可否に関する部分の返答はできない。と教わってきている。

 あくまで不備内容に対する案内を行うだけ。……ごく一部の例外を除いて。

 どうやら、このケースはそのごく一部の例外にあたるようだった。

 戸石も他人事ではない。なぜなら自分も持ち家で店をやっていたがために、この賃貸借支援給付金を申請できなかったのだから。


「ちょっといいかな」


 わずかな沈黙の後に申請者から切り出してきた言葉。臼井は、はい。と相槌を返す。


「俺さ、今回、申請するときに色々なとこに相談したんだよ。それでいろんな人に話を聞いてさ。いけるって、申請できるって言われたんだよ。相談に乗ってくれた人もわざわざコールセンターに俺のために電話してくれてさ。話をしといたから。って。動いてくれたんだよ」


「はい……」


 コールセンターでは相手の感情の度合い、怒りの度合いを表す言葉として、温度感が高い、低いという言葉を用いることが多い。

 今、臼井が話している申請者はさっきの申請者と違い、今のところ温度感は高くない。

 しかし、かなり話は難航しそうだった。


「契約の話もさ。俺、確かに契約書は大家さんも店子(たなこ)も俺の名前だよ、契約上は。けどこれはあくまで契約上の話なんだよ。実際はそこに入っているテナントの店主みんなで借りていて、その形として持ち回りで今回、たまたま大家さんの名前が俺の名前だったって話なだけなんだよ」


「はい……、そこは私も履歴を確認させていただきました」


「……そうか。それでも、どうしても駄目なのか」


「これに関しては事務局からの返答となってしまっていますので。申請するのであれば、契約書の貸主と借主の名前が別人である必要がございます」


 臼井の言葉も悲しそうな響きがあった。

 聞いてる戸石にとっては、これは他人事ではない。今まで告げられる立場だったものが、今度はそれを告げる立場に変わることも充分ありえる。いや、既に自分はその立場に立ってしまっている。

 人生の、生きることの厳しさと哀しさというものを痛烈に感じずにはいられなかった。


「……何か、無いかな?」


「何か、ですか」


「なんでもいいんだよ。往生際が悪いのも認める。でも、何かほしいんだよ。家賃もしっかり払ってるし、事業もしっかりやってる。税金だってそうさ。でもこの緊急事態宣言で突然、仕事ができなくなってさ。いろんなとこに助けを求めてさ。確かに事業者の給付金はもらった。でもそんなのすぐ尽きちまう。俺は個人相手の小さな魚売りだけどさ。ずっと小さいながらもやってきたんだ。もらえるものはもらって、なんとかこの先もやっていきたいんだよ」


 申請者の必死の訴えに、戸石は心にくるものがあった。

 それはまさに今の自分にも、そのままあてはまるものだったからだ。


「はい……」


 臼井の力無い返事に、戸石はいら立ちを覚えた。

 お前はそうやって、気楽にはいはい言っていれば、それで済むんだろう。

 戸石には臼井がそう返すしかないのもわかっている。自分が臼井の立場でもそうするだろう。相手の気が済むまで相槌を返し、あきらめてもらう。

 しかも事務局からの返答。覆しようのない事例である。

 戸石は拳を固く握りしめる。

 やるせないこのいら立ちをどこにぶつければいいのか。


「あんたらも、絶対にダメって言えないってのは知ってるよ。今回の件も必死に頼み込んで、ダメなのもわかってて、事務局に確認してくれ。って頼んだんだ。だから、これで最後なのもわかってる。だからあんたも迷惑かもしれないけど、ちゃんと話ができる人みたいだし。……はっきり言ってくれよ、悪いけど。このままじゃあきらめがつかないんだよ」


 戸石の目に涙があふれそうになる。

 助けを求める人たちの前で、ただひたすらに自分達は無力で、そして、現実は残酷だった。


「……さっき、相談されてる人がいるって」


 しばしの静寂の後、話を再開したのは臼井の方だった。


「ん、ああ。そうそう、いるよ。普段から何かと相談乗ってくれてるんだよ。ハザマダさん」


 これ以上、何を聞こうというのか。臼井がその優しさから申請者をなんとか助けてあげようとしているのだ。と戸石にはわかった。

 だが、それはあまりにも哀しい。助からないのであればいっそ心を鬼にして、楽にしてやるのも優しさ。そう戸石は臼井に伝えたかった。


「そのハザマダさん、どんな方ですか?」


「ん? 背が高くて、眼鏡かけてる人。髪はボサボサ」


 戸石は笑う。臼井の聞き方も良くはないが、そこはそうじゃねえだろ。とさすがに申請者に突っ込みたかった。


「イヤイヤ、そうじゃなくて、所属ですね。民間ですか? ……それとも、役所ですか」


 臼井もおかしかったらしく、笑いつつも話を続ける。


「役場の人だね。役場の組合」


「その方の正式な所属の名称ってわかりますか?」


「なんつったかなー。中小のなんとか組合。なんか長い名前だった。ちょっと思い出せん」


「中小の……」


 臼井のつぶやき。何か策でもあるのだろうか。話しぶりからただ漫然と話を引き延ばしているようにも思えなかった。


「……もしかしたら、いけるかもしれませんね」


 続く臼井の言葉に、戸石は仰天した。声を出すわけにはいかないので、口を開けるだけだったが。

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