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コロナ禍を生きた人々  作者: 西川悠希
事業者編
14/75

≪TU編 05話 -夜の空に太陽はのぼらない-(3/5)≫

 戸石はあわててペンを拾い、ヘッドセットを着けなおす。


「ありがとうございます。申請番号とお名前が確認できましたのでこれより案内をさせていただきます」


 モニタリング先では既にスタッフの名乗りを終え、申請者から申請番号も聞き終えた後のようだった。


「で、何が悪いんだ。契約書はちゃんとあるじゃねーか。貸主の名前と借りてる俺の名前もある。これで確認できないって、何が確認したいんだよ」


「ええとですね、賃貸借契約書に関しては全てのページを添付していただく必要がございます。添付されてるものを確認させていただきましたが、付けられているものは表紙のページだけで、賃料や契約期間、所在地が確認できません」


「いや所在地って、表紙に建物の名前があるじゃねーか」


「所在地として必要なものは都道府県から市区町村、番地、建物名までの記載です。建物名だけでは有効と判断されません」


「じゃー、なにか? 全部のページを一枚一枚はっつけろってか。マジで言ってんのか。写真でとって?」


「はい。今回添付いただいたようにスマホの写真で結構ですので一枚一枚撮影していただき、全てのページを添付してください」


「おめーよー。簡単に言うけどよー……、契約書が何枚あるのかわかってんのか、おい」


 電話先の相手がチッと舌打ちをする。あえて聞こえるように音を立てているようだった。


「申し訳ございませんが、ご対応をお願いいたします」


 かなり横暴な態度の申請者に対して、スーツ姿の男性スタッフは全く動じていないようだった。

 少なくとも声色からは非常に冷静で何事にも動じない姿勢が感じられた。


「……どこにはっつけんだよ」


「書類を添付していただくページの最下部に、その他書類という項目がございます。そこは書類を添付するごとに項目が追加されていきますので、そちらに書類のご添付をお願い致します」


「言う方は気楽でいいよな。他には不備ねえのかよ。これで審査が通ってちゃんと国は金を出すのかよ、ええ?」


「……内容を審査が確認し、不備が無ければ給付まで進むと思われます」


「いつ頃振り込んでくれるんだよ。それをこっちは聞いてんだよ。アッタマ悪いな、お前」


「明確な回答はこちらではできません」


「ハン、所詮国のやることだよな。お前と話してもしょーがねぇけどよ。こっちはこのコロナで商売できなくて、明日にもどうしようかわからねえんだ! 早くしてくれよな」


「それではご対応の方、よろしくお願い致します」


 しばらく無言が続き、舌打ちと共に通話が切れた。

 戸石は言葉にならず、圧倒されていた。

 こんな事を毎回、やらなければいけないのか。

 メモを取るために、ペンを拾ったはいいが、途中からペンを持っていることすら忘れていた。

 スーツの男性を見ると、平気そうに身体を左右にねじり、腕を伸ばしてストレッチをしていた。

 ……正直、あれだけのやりとりをして平然としているのが信じられなかった。

 そして、カタカタとキーボードをたたき始めた。

 電話をして話を終えた後に、後処理として通話内容を残すのも業務の流れ。

 パソコンの画面を見ながら、キーボードを両手で詰まることなく叩いていく。慣れたものだった。

 ふとディスプレイの上に取り付けてある『臼井(ウスイ) 拓己(タクミ)』と書かれたネームプレートが目に入る。

 どっかで見た名前だな。と思った。そういえばイヤホンから聞こえていた声も、どこかで聞き覚えのある声だった。

 髪の毛も黒々として、頭頂部までしっかり生えそろっている。うらやましかった。そして、その感覚にも覚えがあった。

 ……もしかして。

 まさかの予感が脳裏をよぎったとき、列の向こうの臼井拓己は青い札を上げて、リーダーの女性を読んで話をしていた。

 戸石はヘッドセットのイヤホンに耳を澄ます。

 何も聞こえてこない。

 当然だった。モニタリングで聞くことができるのは電話を通した通話内容であって、目の前で直接話している内容が聞こえてくるわけはないのだから。

 だがリーダーと話をしているのを見て、横顔が確認できた。

 間違いない、あの駅前のリラクゼーション店でセラピストをしていた臼井拓己だった。

 なんでここに。

 驚きと喜びと疑問が一斉にもたげてくる。

 思わず、先生!と呼びかけるところだったが、ここは百名余りのスタッフが働くコールセンターのオフィス。

 さすがの戸石でもそこは空気を読んで、いったん様子を見ることぐらいはできる。

 どうやら臼井は笑ってはいるものの、困惑の表情で何かをリーダーに訴えている。

 話が終わったのか、リーダーの女性はうなだれた臼井の肩を叩いて、他の札を上げているスタッフの元に走っていった。


 リーダーを呼ぶヘルプ札には青、赤、黄色の三種類がある。

 青い札は電話していないときに上げて、不備通知の内容だったり申請者とどういう話をするのか。また電話した後に何らかの対応、問題が解決せず、他の部署への対応依頼など、リーダーに処理を依頼するケースなどに使用する。

 黄色い札は通話中にいったん保留して、何らかの対応、申請者への質問などに答えられないケースなどの確認に使う。

 赤い札はクレームである。相手が怒って保留にできず、そばでフォローしてほしいとき。何らかの問題で責任者への対応などが必要なケースである。

 今の臼井が挙げていたのは青い札。おそらく申請者からの問い合わせに対して、どんな返答をするのかリーダーに相談していたのだろう。ただ話している様子からして、かなり難しい内容なのだろうなと戸石は思った。

 臼井は机に向き直し、電話機のボタンを押していく。

 戸石はイヤホンに耳を澄ます。今度は呼び出し音が聞こえてきた。そして相手方、申請者が電話に出た。


「はい」


 出たのは男性の声。さっきの男性と比べると少し高めの声だった。


「お忙しいところ、恐れ入ります。わたくし、賃貸借支援給付金事務局の不備対応窓口、担当ウスイと申します」


「あー、待ってたよ」


 先ほどの申請者とは打って変わって、トーンが一段明るくなる。そして、改めてスーツのスタッフがあの臼井だということに戸石は確信を持った。

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