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コロナ禍を生きた人々  作者: 西川悠希
事業者編
12/75

≪TU編 05話 -夜の空に太陽はのぼらない-(1/5)≫

 客席のテーブルの上に彩られた料理の皿。

 それぞれ、青のりの乗ったエビのホワイトソースがけ。サーモンを使った野菜サラダ。カニカマと卵ともやしの炒め物が並んでいた。


「それじゃ、それぞれ試食していきましょう」


 それぞれ箸をとる、ヒメ、さっちん、フカザワ。


「ちょっと待って。まだ早いよ。しっかりと撮影を行わないと」


 手を出して試食に入る一行を停めるのは、七三分けの細身の男性。

 こだわりがあるのかシャツの襟を少し立てていた。


「あ、そうか。すぎやん、クラウド・ファンディングに使う資料にするんだね。やっるー」


 フカザワにすぎやんと呼ばれた男性はにやりと笑い、それぞれの料理を自慢の最新スマホで撮影を行っていく。


「あら、おいしそうな料理が並んでるじゃない」


 奥からあきらが顔を出す。


「あ、おばさん。仕事場、使わせてもらってます。こちら僕の知り合いのすぎやんです」


「はじめまして。いつも私のパートナーのフカザワがお世話になっています。スギヤマと申します」


 フカザワとスギヤマは立ち上がって、あきらに頭を下げて会釈をする。


「この度は、ご令嬢のヒメさんから新規でカフェ開業資金の為のクラウド・ファンディングの相談を受けまして、お邪魔いたしております。今後ともよろしくお願い致します」


「カフェ? クラ……何?」


 すぎやんの言葉に困惑する、あきら。

 ヒメがぱちぱちぱちと懸命にウインクで合図を送っているのを見て、あきらは察する。


「うん、ありがとう。ヒメの力になってあげてね」


「そうだ。せっかくだからおばさんも料理を創作してくださいよ。何かこう、イノベーションにあふれたやつを」


 奥に戻ろうとするあきらの背中をフカザワが呼び止める。

 振り返ったあきらは、テーブルに並んだ料理を一瞥(いちべつ)した。

 その眼差しにヒメの背筋が凍る。


「いいわよ」


 あきらは笑顔で厨房に入る。

 キッチンの上に無造作に置かれたバッグ。その周りには出しっぱなしになったままの食材と調味料。


「ところでフカザワ。料理ばかりでカクテルは無いのかい? ドリンクは利益率の高い商品だ。経営を考える上では必須の商材じゃないか」


「あー、そういえばそうだな。その発想はなかったよ。さすがすぎやん」


「フッ、まだまだだな、君は」


「すぎやんさん、すごいねー。くわしいー」


 ヒメには三人の会話は聞こえてこない。

 あきらは無言でフライパンを火にかけている。

 何も語らない背中がヒメには恐ろしく、ただ下を向くしかなかった。


「カクテル・オーバーシュートなんてどうかな? アルコール度数高めでさ。名前にふさわしいやつを」


「おー、いいねー! ヒメ、どうよ。いい案だろ」


 厨房からの肉を焼く音。そして、からめた液体が沸騰している音が店内に響く。


「ヒメちゃん、聞こえてる? どうしたの」


 さっちんの呼びかけに顔を上げるヒメ。


「どうしたの? 顔、青いよ」


「ヒメ、お前、食いたいなら食いたいって早く言えよな。我慢しなくていいんだぜ?」


「うん、ごめん。おなかすいちゃって」


 ヒメはなんとか精いっぱい、それだけを答える。


「まあ、それも仕方ない。これだけイマジネーションかつクリエイティブに溢れた料理が目の前にあるんだ。もっとも、君の考えたこのカニカマの炒め物はちょっとさあ、お母さんの晩御飯じゃないか、これ」


 さっちんはエビデンス―――エビのホワイトソースがけをみんなに小皿で取り分けていく。


「えー、私、好きだよ、カニダンス。このこってりのエビデンスの反対にさっぱりで。おやじギャグでカニダンスってのもヒメちゃんぽいし」


 全身を無数の針で刺されるような痛み。死にたい。殺してくれ。しかし、叫ぶこともできない。


「全くだな。小学生から変わってなくて、オレはうれしいよ。相変わらずの食い意地魔人で」


 今、ヒメは逃れようもない苦しみに、ひたすら身を任せるしかなかった。


「ヒメ」


「はっ、はい!」


 あきらの呼びかけに飛び跳ねるヒメ。

 カウンター越しにあきらから一枚の皿が渡される。

 あきらはフライパンを洗い始める。


「このサーベイランスはさっちんかい?」


「うん、そうだよ。スモークサーモンとレタス、玉ねぎのサラダにドレッシング。パンとも合うと思うよ」


「これはダメだな」


「え、なんでだよ、すぎやん」


「カフェで生鮮食品はダメだ。火を通さないと。何より僕が生の魚介類を食べられない。アレルギーなんだ。気をつけてくれたまえ」


 スギヤマは眼鏡をくいっと上げた。


「……おいしいのに」


 残念そうにつぶやくさっちん。

 あきらは洗い終えたフライパンを壁に掛ける。


「お遊びもほどほどにね」


 ヒメはブンブンと首を縦に振る。


「さ、早く持ってきてくれたまえ。お母様の創作料理。見せてもらおうじゃないか、プロの実力を」


 背後からスギヤマの呼びかけ。

 行け。とアゴでヒメに告げる、あきら。

 ヒメはあきらから手渡された皿を、三人の待つテーブルに運ぶ。

 皿に盛られているのは、黒い液体がからめてある焼いた豚肉だった。

 三人がそれぞれ箸にとって口に運ぶ。


「やきそばの味がする」


「ソースで味付けてあるのか、これ」


 ヒメも一切れ、箸にとって口に運ぶ。

 本当に炒めた豚肉をソースで味付けしてあるだけだった。


「これが……イノベーション?」


 奥に戻ろうとしていたあきらが、三人に伝える。


「焼きそばとかお好み焼きってイノベーションじゃないの? よく知らないけど」


 あきらの言葉が、スギヤマの背中に電流となって走り抜けた。


「そうか! そうだったのか!」


 スギヤマが唐突に立ち上がり、座っていた椅子が後ろにガタンと音を立てて転ぶ。


「どうしたんだ、すぎやん」


「俺達はとんでもない思い違いをしていたかもしれない! イノベーションは既にあったんだよ、俺達の身近に!」


「すごーい、そうだったんだね」


「よし、じゃあマヨネーズもつけようぜ! もっとイノベーションが加速する!」


 盛り上がる三人をよそに、ヒメはカニカマの炒め物を皿に取って小さくつまんで食べる。

 ヒメはあきらに似て女子の中ではかなり体格がよく、男子の中に入っても決して見劣りはしない。

 しかし今、そのヒメの背中は、隣に座る小柄なさっちんよりも小さく縮こまっている。

 やれやれ。とあきらはそのヒメの背中に微笑んで奥に戻っていった。


「ところでさ、おじさんはどうなった?」


「え?」


 フカザワの問いかけにヒメは顔を上げる。


「短期のバイト」


「あ、あー。あんたに言われてたアレ? もう今週から行ってる」


「え、おじさん、バイトに行ってるの?」


「俺が紹介したんだぜ、俺が」


「フッくん、すごーい」


「俺は顔の広さが自慢の男だからな」


 フカザワはフッと自分の前髪に息を吹きかける。


「でも何のバイトなのかな。この世の中に、そんなすぐ採用されるなんて」


 さっちんは首をかしげる。


「お前もやれば?」


「やーよ。なんで親と同じバイトをしなきゃいけないの」


 フカザワの問いにヒメはつっけんどんに返す。


「いや、君はもっと見聞を広げるべきだ。世の中を知り、人間を知るんだ。創作料理と言われて、こんなお母さんの晩御飯を出すようじゃ、カフェを開こうなんて夢のまた夢だ。イノベーションの本質を知るお母様を見習いたまえ」


 今日会ったばかりの人間にここまで言われると、正直ちょっと殴りたい。


「別にいーよね。カフェやるのはヒメちゃんだもん。世の中、いろんなカフェがあるんだし、おかーさんカフェがあったってかまわないよ。ね、ヒメちゃん」


 カフェをやるなんて一言も言っていないし、おかーさんカフェもやるつもりはない。ましてやクラウドだかスコールだか知らないが、わけのわからない話に乗るつもりもない。

 勝手に決められ、知らない間に話が進む。

 なぜ大きくなるにつれ、フカザワと疎遠になっていったのか、今、まざまざとヒメは思い知らされていた。

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