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コロナ禍を生きた人々  作者: 西川悠希
事業者編
1/75

≪TU編 01話 -還らざるときはもう戻ってこない-(1/3)≫

 時間は草木も眠る丑三つ時の午前三時を回った頃合い。

 都心からやや離れた駅商店街の一角で営業を終え、店内の明かりが消えた居酒屋。

 店舗兼住宅を兼ねた、客席の明かりの消えた厨房の奥で、電話をしている男が一人。


「オレオレ、オレだよ、俺。え、詐欺は間に合ってる? こいつぁまいったな」


 使い古したスマートフォンで電話をしているのは戸石(トイシ)良一(リョウイチ)

 居酒屋を夫婦で営んでいる彼の年齢は五十代に差し掛かり、ガハハと笑うとおなかも揺れる。


「じゃ、今から行くから。よろしく、先生」


 慣れない指使いでスマートフォンの通話を切る戸石。


「かーちゃん、行ってくる」


 防寒にダウンジャケットを袖を通す。そして、やや頭皮の存在が目立ち始めた頭髪を隠すわけではないが、帽子もかぶる。


「はーい。あ、暖簾は入れといて」


 ほぼ片付けが済んだ厨房の下から良一の妻、あきらが顔を出す。

 戸石は暖簾を下げて、店内の椅子に置く。


「気を付けてね。電気消しとくから」


 あきらの背は戸石より頭一つ大きい。

 名前に違わず、たのもしいかーちゃん。

 口にすると本人に首を絞められるので、戸石は心の中でつぶやいた。


「妻を置き去りにして、真夜中の駅前に出かける亭主。いったいどこにいくのでしょうか」


 戸石が店を出た店内に、ジャージの寝巻姿で奥から顔を出してきたのは、娘のヒメである。

 棒アイスを口にしてつぶやくのは決して行儀のいいものではない。


「まーたあんたは夜中にアイス食べて。ふとるわよ」


「食べないでストレスためて太るより、適度に食べてストレスためずにいたほうが太らないんだよ」


「さすが。おなかだけかと思ったけど、口先もお父さんに似てきたわね。そのうち頭もそっくりになったりして」


「そういうのは女の私じゃなくて、どこかの誰かさんに言ってあげてよね」


 嫌味を言われたヒメはべーっと舌を出して、階段を上がっていった。

 あきらは、やれやれ。とカウンターの上をふきんで掃除する。

 戸石が出かけるのは大まかな片付けを終え、細かい部分の掃除を残すのみとなってから。

 定休日の前日の閉店後に駅前のマッサージ店で一週間の身体の疲れをいやしてもらう。

 それが戸石曰く、人生の生きがいなのである。



 駅前のビルの三階の明かりは電車の始発前まで消えることは無い。

 開店は朝十時。閉店は朝の五時。

 黄色い看板の明かりは駅前のロータリーに並ぶタクシー達を照らす。

 十台のベッドが所狭しと並ぶ店内。

 スタッフルームのカーテンを開けて、カゴいっぱいの洗濯物を手に一人の男が出てくる。

 男の胸には「臼井(ウスイ)」と書かれた名札があった。

 臼井はカゴの洗濯物をベッドの上に広げ、一枚一枚広げ始めた。

 店の出入り口からカランカランと開閉を告げる鐘の音が響く。


「うー、さむいさむい」


 かじかんだ手を擦りながら店内に入ってきたのは戸石である。


「いらっしゃい。お待ちしてました」


「あー、いいよいいよ。こっちで勝手にやってるから。後片付けあるだろ」


 出迎えようとした臼井を手で差し止めて、戸石はソファーにお尻を落とす。


「えーと体温測るんだっけ」


「そうです。そこのタブレットの上に消毒したやつ置いてあります。お手洗いは大丈夫ですか」


「へーきへーき。これだな」


 戸石はソファーを這って、本棚の上に置かれたタブレットと体温計を取り、体温を測りだす。


「先生はゆっくり後片付けしてくれよ。俺もゆっくりするからさ」


 戸石は体温計をわきの下に入れ、ソファーに仰向けになり、じっと体温を測る。

 臼井は洗濯物のジャージをベッドの上に広げていく。


「最近、どうですか」


「んー、やっぱこの一週間で減ったよなぁ。昼間、外に出るとみんなマスクをしてるしさ。この店はどうよ」


「夜十二時を回るとガタッと減りましたね。それまではそれなりに電話もあったんですけどね」


「税金も上がったしな」


「ほんとですよね。うちの店なんかそれに合わせて値上げもしちゃったもんだから、ダブルで痛いですよ」


「一時間三千円は安すぎだろう。もっととっていいと思うぜ」


「それだと昼間がね」


「深夜料金と昼間料金で分ければいい」


「一律料金がウリですから。昼夜別料金は自分だったら来ないですね。いつ来ても一時間三千円だとやっぱり来やすいですよ。もっとも今は三千五百円ですが」


「そんなもんかね」


 戸石はピピっと計測終了を告げた体温計を脇の下から取り出す。


「36.5度」


「そこに置いといてください。自分が消毒しておくんで」


 臼井は空になったカゴを手にスタッフルームに入っていく。


「なんか飲みます?」


 スタッフルームから臼井が呼びかける。


「なんかあるの?」


「今、自分が淹れていたカモミール・ティーが」


「カモミール! おいおい、洒落たもん飲んでるじゃないか」


「お客さんからの差し入れですよ。飲みます?」


「もらおうか」


 戸石は起き上がり、がんこ親父のごとく腕組みをして待ち構える。

 コップホルダーに入れた紙コップを手に、スタッフルームから出てきた臼井を見て、戸石は思わず噴き出した。


「なんだよ、そのマスクは。どこの工事現場だよ」


「しょうがないでしょ、どこもマスクが売り切れちゃってるんだから。会社が五十枚三千五百円で手配してくれるってマスクは、いつになるかわからないし」


 臼井は両端を耳掛けではなくゴムで後頭部まで回して止める、プラスチック製のいかにも大げさなマスクをつけていた。


「五十枚三千五百円! 今、そんなするのか。ちょっと前まで百円出せば五枚ぐらい簡単に買えたのにな」


「だから探し回って、工事現場の人達ご用達のお店でようやく手に入れたマスクなんです。おかげさまで防塵は完璧です」


 臼井はカモミール・ティーを戸石に渡す。


「なんじゃそりゃ。とっちゃえよ。どうせもう今日は俺で終わりなんだろ? 俺だってマスクしてないし。お互い様だ」


「ま、そういうのならお言葉に甘えて」


 戸石は渡されたカモミール・ティーを飲み干した。

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