第39話 終わりなき悪夢
自らを剣で突き刺したシエルは…
シエルの腹に剣が突き刺さり、大量の血が飛び散る。
それでも彼は、激痛を堪え叫び一つ上げなかった。
その一方で……
「ああああああああ!」
俺たちをさんざん苦しめてきたメリッサ・アシュクロフトが大声を上げていた。やつにはシエルのような外傷はないのに、このまま死んでもおかしくないほどもがき苦しんでいたのだ。
やつは地面をのたうち回りながらも、叫びすぎて潰れた声で恨み言を呟いた。
「お、おのれ、シエルぅぅぅぅぅ……。まさか、自害を図ろうとするなんて……」
シエルの狙い、それは「操り人形の魔術」によって自由を奪われている自らを行動不能にすることで、王様の命を守ろうというとんでもない荒業であった。
こんなことをすれば、自らが命を落とす可能性が高いことを、彼だってわかっていたはずだ。にも関わらず、彼は自らに剣を突き刺すという行動に出た。それはつまり、自分が死んででも王様は守り切ろうという強い意志の表れであったはずだ。
「シエル!!」
俺は堪らず駆け出していた。俺たちの想いに応え、王様を守るためとはいっても、俺はまさか彼がここまでするとは思っていなかった。
助けてくれたことに関しては、心から感謝したいと思った。でも、そのために命まで捨てる必要はないはずだ!
だが、シエルに駆け寄ろうとする俺を、案の定あの悪魔が邪魔をする。やつは俺に斬られたせいで着ていたワンピースが破れ、下半身は下着が露出していた。しかしやつはそんなことを気にしている余裕もないのか、その幼顔を最大限に苦痛にゆがめ、憎々しげに俺にこう言った。
「助けに行ったって、もう無駄だ……。自害してまで王を守ろうという気概は評価してもいいが、あわよくば私まで殺そうと考えていたのなら、残念ながらそれは無駄なことだ……。確かにダメージは負ったが、私は死なない。死ぬのは、あいつ、だけだ……! 自らを見捨てた男なんぞを助けて死ぬなど、実に彼らしい愚かな最期だな……!」
「黙れ! この悪魔が!」
シエルに対する罵倒に耐え切れず、俺は残り少ない体力でやつに斬りかかる。やつはそれを辛うじて交わしたが、もはややつも体力が限界に近いのは明らかであった。
「ぐ……。子供相手にここまで苦戦するなんて……。仕方がない、ここはいったん退こう……。だがこれで終わったと思うな。次こそは必ず、お前を倒して見せる! そして、シエルと同じく、地獄に送ってあげるわ!」
悪役らしい捨て台詞を吐くと、やつは近くの窓から脱出を試みた。すると、空の向こうからフードを被った魔術師が現れ、やつをキャッチすると、またそのままどこかに飛び去ってしまった。どうやら仲間が助けに来たらしい。ここでとどめを刺したかったが、俺の今の体力では限度がある。それよりも、今俺がやるべきことをやらねばなるまい!
「シエル!」
俺は倒れているシエルに駆け寄る。彼の元にはすでに王様がいたが、どうすることもできないのか、悔しそうに顔をゆがめていた。
「ハルト殿! シエルを、シエルを助ける方法はないか!? このままでは……」
ここまで焦っている王様を見るのは正直言って初めてだった。ことはそれほどまでに絶望的だということだ。普通であれば、今のシエルを助けることは不可能だろう。
だが、俺なら彼を助けることができるかもしれない。もちろん可能性は限りなく低い。それでも、可能性が少しでもあるのなら、俺は想いに応えてくれた彼を助けたかったんだ。
俺はシエルに両手を触れさせる。そしてこう詠唱した。
『慈しみの女神よ、どうかかの者を、そなたの癒しの息吹で包みたまえ……』
この魔術による魔力の消費量は並大抵ではない。いつまで体力が持つかはわからない。せめて、彼が命をつなぎ留める力になってくれれば……
「ハルトさん、わたしの魔力も、使ってください」
「ミナト!?」
俺の背中に伝わる温かな感触。ミナトは俺の背中を抱きしめてくれていた。そして、シャムロックとアオイがしてくれたように、俺に魔力を分けてくれたのだ。
「無理しないでミナト。もう十分だよ」
「良かったです……。少しでも、ハルトさんの、役に立てて……」
肩で息をするミナトを抱きしめてあげたかったが、今は俺は手を放すことができない。あとで彼女のことはしっかりとねぎらってあげよう。
ミナトの魔力供給のおかげで、「慈しみの女神」に使用する魔力を増やすことができた。これでなんとか助かってくれと、俺は必死に願いを込めていたのだが……
『勇者ハルカ、並びにアルカディア城にいる者たちよ、あたしの声に耳を傾けなさい!』
「だ、誰だ!?」
あまりに唐突に通信が入ったのは、ちょうどそんな時であった。
通信の主はセレスティアではない。彼女はメリッサの攻撃を受けて倒れてしまっている。その魔術の使用者は、実に意外な人物であった。そして彼女が話した内容は、あまりに衝撃的なものだったんだ。
『探しても無駄よ。我々は今別の場所にいるんだから』
『なに!? お前たちは一体どこにいるんだ?』
『それはすぐに分かることよ。それにしても、メリッサ様をあそこまで追い詰めるなんて、さすがは勇者ハルカといったところね。でもこれから、そんなあなたたちにとって最悪のニュースをお伝えしてあげるわ』
脳内に映るのは学校人質立て籠もり事件で戦った、例のフードの魔術師だった。驚く間も無く、彼女は「最悪のニュース」とやらを俺たちに伝えた。
『たった今、我々「鉄の翼」の創始者であり、最高指導者である、カイル・アシュクロフト様が我々の元にお戻りになられたわ。そして、カイル様を閉じ込めていた牢獄を、今より数刻前に爆破させてもらったわ』
俺は最初、彼女が何を言っているのか少しも理解できなかった。あまりに唐突で荒唐無稽な発言に、彼女が悪い冗談を言っているのかと思ったくらいだからだ。
だが、次の瞬間には嫌でも理解させられることとなった。なぜなら、彼女が俺たちにある光景を見せたからだ。
爆発でもしたのか、絶え間なく黒煙を上げ、原型をほとんど留めていない建物が見えた。損傷が酷いせいで、俺は建物を見ただけではそれが何かを把握することができなかった。だが、俺よりもずっとこの国の事情に詳しい王様は違った。王様はその光景を見るとすぐ、驚愕の表情を浮かべこう言ったのだった。
「なんだと!? 鉄壁の守りを誇る、『セオグラード中央刑務所』が、跡形もなくなっていやがる!」
すると、俺たちの反応が面白かったのか、フードの魔術師が口の端を吊り上げて言った。
『驚いたかしら? あなたたちは見事に罠に嵌ったの』
『……罠だと?』
『ええ、そうよ。我々「鉄の翼」の今回の本当の目的は、アルカディア城を落とすことじゃない。我々の最高指導者であるカイル様を救出することが、真の目的だったのよ!』
その言葉に俺は計り知れない衝撃を受ける。これだけの大軍勢を城に寄越し、元勇者を使っておきながら、これが囮だったとでも言うのか!? 俺は堪らず尋ねた。
『まさか、シエルまで、囮に使ったって言うのか……?』
だが、やつはそれには首を縦には振らずに言った。
『いえ、時間を稼いでもらうつもりではあったけど、彼を囮にしたつもりはないわ。あたしは、シエルなら真実を明らかにしてくれると信じていたからね……』
『真実だと?』
女の言葉に対し、王様が疑問をぶつける。すると、途端に女の醸し出す空気が変わったように俺には感じられた。殺気立っているような、そんな不穏な雰囲気だった。
女はしばらくの間何も答えなかった。フードの上からでも分かるほど、彼女は王様のことを睨みつけていたのだ。そして俺が『真実とは一体何のことだ?』と尋ねると、彼女はようやくその重苦しい口を開いた。
『それは、王家が犯した殺人のことよ』
彼女がそう言うと、王様が真っ向から否定しにかかる。
『馬鹿な! 王家がスプリングフィールド家を殺すわけがない! やはり、それは貴様ら武装組織の流したデマだったか! アルカディア王国を陥れるために、根も葉もない出鱈目を流すなど、あまりに愚かで……』
『黙れ!!』
王様の言葉を、今度は突如としてフードの魔術師が怒鳴り、遮ってしまった。
突然のことに、王様も驚きを隠せないようだった。更に女が続けた。
『人殺しは、自分が人を殺したなんて、絶対に言わない……。貴様のような嘘つきの卑怯者を、あたしは絶対に許さない!』
やつは殺意を全く隠すことなく垂れ流している。俺は恐る恐る彼女に尋ねた。
『君は、一体何者だ? なぜそこまで断言できるんだ?』
『……いいわ、あなたたちには正体を明かしてあげましょう。そして懺悔しなさい! 後悔したところで、もう遅いけどね!』
彼女はそのフード付きのコートを手に取った。そしてそれを一気に投げ捨てたのだ!
そこにいたのは、俺にとっては見覚えのない少女だった。ブラウンの長い髪の毛を左右で結わえ、まだ幼さの残る顔を最大限に厳しく歪めさせ、こちらを睨みつけていた。
正直言って、俺は彼女と面識はなかった。だが、どうにも顔を合わせるのは初めてではないような気はしていたのだが……。
しかしその一方、俺とは違い王様は明らかに動揺の色を見せていた。そして消え入りそうな声で、こう言ったのだった。
『まさかお前は、スプリングフィールドの娘、なのか……?』
『え!? そ、それは本当ですか王様!?』
俺が王様の言葉に驚愕すると、王様に代わって少女が俺に応えた。
『その通りよ。あたしの名前は、フィオナ・スプリングフィールド! あなたたちが葬ったスプリングフィールド家の三女よ!』
俺はその時、あの日セレスティアの部屋で見た写真を思い出していた。そうだ、確かスプリングフィールド家には、ペトラ、レオナの姉妹の下に、もう一人女の子がいた。写真の少女は引っ込み思案で、姉の後ろに隠れているような子だった。
その少女が、俺たちと会話をしているこの少女だというのか!? そんな馬鹿な! そもそもフィオナ・スプリングフィールドは死んだはず! その少女が生きていて、「鉄の翼」なんぞに参加しているなんて! しかもよりにもよって、彼女は王家を支える忠臣の娘なのに……。
『信じたくないでしょうけど、あたしは紛れもなくフィオナ・スプリングフィールドよ。王、あなたはあたしが生きていてさぞかし驚いたでしょうね? ……まさか、殺したはずの人間が生きているなんて、思いもしないでしょうからね!』
もはや、フィオナは王様の話を聞く耳は持っていないようだった。そして彼女は最後に、仰々しくこう宣言したのだった。
『最高指導者が戻られ、今や「鉄の翼」への賛同者も歴代で最多となった。王国は、我々によって近いうちに崩壊の道を辿ることになるだろう! それまでせいぜい、無駄な抵抗を続けることね!』
『ま、待て!』
俺の叫びもむなしく、フィオナとの通信はここで切れてしまった。
後には、どうすることもできない俺と、立ち尽くしている王様が残された。
この状況を理解するのに、まだ沢山の時間が必要なことは、言うまでもないことだろう……。
まさかのカイルの脱獄…
アルカディア王国の悪夢は終わらない…




