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第23.5話 It's time to "Cross the Rubicon" (story of Ciel the failed brave)(※イラストあり)

1人の男の物語。

 夕暮れのとある墓地で、男は一人佇んでいた。

 風になびくのは、かつては輝きを放っていたであろう彼の金色の髪の毛。しかし今は、すっかり色褪せ、その色素をほとんど失ってしまっている。

 男は、自分に買える精一杯の花束を手向ける。だがそれは、野に咲く雑草たちとそう遜色ないほどみすぼらしい花だった。

 我ながら酷い有様になったものだと、彼は自嘲気味に笑う。かつては、あらゆる人民が彼に群がり、彼への賞賛を惜しむことはなかったというのに、時間の流れとはかくも恐ろしいものか。いや、時間などという概念に現状の責任を押し付けるべきではない。

 これは彼自らが招いたことだ。自らの心の弱さ、誘惑に抗う意志の脆弱さ、そしてそもそも、自分には才能がなかったという事実である。


『あなたには力があります。だからどうか、わたしたちの世界を助けていただきたいのです!』


 かつて、彼が初めて出会ったアルカディア人、ペトラ・スプリングフィールドはこう言った。彼女は小学生と見間違えるほど小柄な少女だった。初めは、何を馬鹿なと思った。勉強はてんで駄目、運動は得意だったが部活には所属せず、更には家族とは絶縁状態で、もう何年も家に帰っていなかった。孤独で、何の才能もない、矮小な存在。それが当時の彼の全てだった。

 そんな人間が、ある日突然異世界から使者がやって来て、あなたは選ばれた人間ですと告げられた。

 彼はいつだってステージの脇で腐っているだけだった。そんな彼に光が当たったのだ。


『行きましょう! 勇者シエル!』


 服の寸法が合っていないのか、はたまた彼女の身体が小さ過ぎるのかは分からないが、彼女の腕と比べて服の丈の方が明らかに長い。その長い丈の袖からなんとか出した手を、彼女はシエルに一生懸命に差し出した。彼は半信半疑ながらも、内心では何かを為すことができるかもしれないことを喜び、ペトラと共にアルカディアへと旅立った。

 しかし、そこで告げられたことは、彼を大いに動揺させた。


『君は、本来であれば勇者になり得る人間ではなかった。スプリングフィールドがごり押しして選ばれただけの存在だ。あまり、自分の力を過信し過ぎない方が良い』


 勇者として、新たなる人生を送ることができると思っていた矢先、アークライト家元当主である一人の白ひげの老体が、容赦なく彼にそう言い放った。

 彼は悔しがり、王国の忠臣の一つであるスプリングフィールド家に、なぜ自分を勇者として選んだのか問い詰めた。スプリングフィールド家当主、アルフ・スプリングフィールドは優しい笑顔でこう答えた。


『確かに、君はまだダイヤの原石だ。既に完成されていた歴代勇者よりは劣る所もあろう。だが、私は君の圧倒的な正義を信じている。どんな小さな悪でも許さない正義。涙を流している人々に手を差し伸べられる正義。そして、我々アルカディア王国を侵略しようとするプレセアと戦う正義。その正義さえあれば、君はどんな勇者にも負けることはない。私はそう信じたからこそ、君を勇者として推薦したのだよ』


 その言葉に、彼は衝撃を受けた。学校で起きるイジメ、兄妹に虐待を繰り返すどうしようもない親、なくなることのない窃盗や殺人などの犯罪、彼はその全てを憎んでいた。だが、彼の正義は、彼を幸福にはしなかった。抗った所で、力がなければそれは何の意味も持たない。無力な彼は、ただ現実の非情さに打ちひしがれるしかなかった。

 そんな彼が、自分の正義を買ってくれたと言われた。力を得た今なら、その正義を活かすことができると言ってくれた。

 力はまだまだ劣っているかもしれない。磨いた所で、本当にダイヤになれるかは分からない。でも、そんな自分にスプリングフィールド家は価値を見出してくれたんだ。それだけで、彼にとっては十分だった。だから戦うと決めた。外野がどれだけ彼を否定しようとも、自分の信じる正義を道標に、彼は戦うことを決めたのだった。


 強い風が吹き、彼は我に返った。

 いつの間にか物思いに耽っていたようだ。彼は大切な人たちの御霊に背を向け、歩き出す。

 罪を償い、釈放された今でも、彼に対する監視は終わっていない。

 彼のことを最低二人は四六時中監視している。彼はそのことには気付いていた。いや、むしろわざと気付くように彼らは行動しているのかもしれないと彼は思った。

 勇者として召喚された人間が、彼を召喚した人間によって裁かれた。故に、元勇者である彼は自分を裁いたアルカディア人を恨んでいる。それが、この国の一般的な認識だ。それは王女であるシャムロックがそう言っていたことからも良く分かることだ。

 だが、決して彼はアルカディアの人々を恨んでなどいなかった。

 彼は世界を救えなかった。しかも、あろうことか自らの愚かな行動のせいで多くの人が命を落としてしまった。このことについて、彼は自らの犯した罪の大きさを理解していた。そして、自分には勇者の資格がないことも、嫌というほど認識していた。


 人々に連行され、無様なドブネズミとなった彼の目に、放心状態のペトラが映った。国は敗北し、勇者はただの愚者で、そして、恋人は自分を裏切って他の女と夜を共にしていた。その事実が、ペトラの心をズタズタに引き裂いたのだ。


「もう、謝ることもできないんだな……」


 彼は橙色の光を浴びながら、独りそう呟いた。

 自分は別に、殺されたって構わない。君の心を傷つけた分だけ、俺の肉体を引き裂いて欲しいと、彼は願った。だが、彼は獄中で、あまりにも残酷な事実を聞かされる。

 スプリングフィールド家が皆殺しにされたと、看守は言った。看守はその目で、「彼らが死んだのはお前のせいだ」と言った。


 彼は多くの罪で、四年もの間牢獄に繋がれていた。だが、たったの四年だ。四年など、彼にとってはほんの一瞬にしか感じられなかった。

 死は、永遠だ。比べようもない、あまりに絶望的な差だ。

 自分は四年で、なぜ、恩人たちはその生涯を終わらされなければならなかったのか?

 それとも、わざと自分を生かしたのか? 一生彼らの命を背負って、死んだように生き続けることが、本当の贖罪だったのか?

 だとしたら、それはあまりに理不尽ではないか? それが人の成せることなのか? そんなの、悪魔の所業ではないのか……?


『ちょっと、あなた聞いてる? ねえってば!』


 誰かの声に、思考をかき乱される。正直なところ、さっきからずっと彼の頭の中でその声は鳴り響いていた。


『うるさい。さっきから何の用だ?』

『ご挨拶ね。あなた、シエル・ハートランドでしょ?』

『だったらなんなんだ? 俺は今忙しいんだ』

『もうお墓参りは終わったみたいじゃない? そんな汚い花じゃ、その人たちは喜ばないでしょうに』


 一々癪に障る物言いに、彼は僅かにムッとする。


『彼女たちは、お前のように姿形ばかりを気にする人たちじゃない。心さえ籠っていれば、きっと……』

『そうかなあ? お姉ちゃん(・・・・・)は結構香りの良い花が好きだったから、そういうのを持ってきてあげればいいのに』


 減らない口の女だ。彼は姿の見えない女への相手をやめ、その場を立ち去ろうとする。だが、すぐに相手の言葉に引っかかりを覚えた。今、この女は何と言ったのか? お姉ちゃん? どういうことだ? 彼は急いで問いかけた。


『おい、今お前、何と言った?』

『香りの良い花を持ってきてあげればいいのに』

『そうじゃない! もっと前だ!』

『あなた、シエル・ハートランドで……』

『おい! お前!』

『お姉ちゃん、って、言ったんだよ。勇者シエル』


 途端、彼はハッとした。勇者と呼ばれたのは、いつ以来だろうか。


『お前、一体何者なんだ……?』

『知りたい? でも残念。あたしとあなたじゃ生きている世界が違うからなあ』


 彼は彼女の言葉が理解出来なかった。世界が違うとは一体どういう意味なのだろうか?


『あたしの手はね、もう汚泥に塗れてぐちゃぐちゃなの。でもあなたは、時間をかけてしっかり手を洗った。今のあなたは無垢な存在なのよ』

『何を言っている? 俺は多くの人命を奪った大罪人だぞ。俺の手が綺麗だなんて、馬鹿を言うのも程々にしてくれ……』

『綺麗だよ。だって、あなたは、自分の都合のために、人を殺したことはないもの』

『……自分の都合で、人を殺すだって? さっきから一体何を言っている?』


 彼は痺れを切らして尋ねる。すると彼女は笑みを湛えてこう言った。


『あなたを監視している二人を、排除して。殺す必要はないけど、四年くらいは目が覚めないようにしてあげてよ』

『なに? なぜ、俺がそんなことを……?』

『いいから。早くやって。じゃないと何も喋らないよ』


 女はあくまで頑なにそう言う。悪い冗談だと思った。だが、無視もできないと彼は思った。

 彼女は、排除してと言った。ブランクがあるとは言え、殺さず監視を気絶させることはそれほど難しいことではない。

 いくら問いかけても女は同じことだけを言った。彼は止むなく、ついに行動を起こした。


『うわーお、凄い早技。流石は勇者ね。お姉ちゃんたちが夢を託しただけのことはある』

『……おい、ここまでやったんだ。もういい加減に姿を現してくれ。これで冷やかしだったと言ったら、もう怒るぐらいでは済まさんぞ……』

『言わないわよ。それじゃ、もう一度お墓の方に戻ってもらってもいいかしら?』


 女が言う。彼の鼓動は、らしくもなく大きく脈を打つ。緊張を覚えたのはいつ以来だろうか? 絶望の先には、何の刺激もなかった。誰に罵られようと、彼は眉ひとつ吊り上げることはなかった。その彼が、久しぶりに鼓動を速めていた。彼は一度、意識を失っている男二人に目をやる。正義を愛する彼にはそれは許し難い光景だった。四年とは言わず、四日ほどで目を覚ますようにしたのは、せめてもの彼の優しさだったのだろう。

 彼はスプリングフィールド家の墓へと再び足を進める。そしてそこに、一人の女が、彼に背を向けて立っていたのだった。

 女の後姿に向かって、彼は問いかけた。


「お前は、何者なんだ……?」


 しばらくの間。静寂が辺りを包む。互いの呼吸音だけが、互いの鼓膜を震わせる。

 そしてついに、闇が世界を支配する直前、彼女はこう言った。


「あたしは、あなたの愛したペトラの妹」


 そして彼女は、彼の方へと振り返り、


「名前を……フィオナ・スプリングフィールドと言うわ」


 と、僅かに幼さの残るその表情で言ったのだった。

 フィオナ・スプリングフィールド。彼は当然彼女を知っていた。彼はあまりの衝撃に、何も言葉を発することができなくなった。

 もう二度と出会うことはないと思っていた、スプリングフィールド家との再会。その事実が、彼の世界に再び色を与えた。

 後戻りのできない、永遠の闇にも似たその色を……。



挿絵(By みてみん)

フィオナとの邂逅。そしてそれから、彼は…

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