第18話 忌むべき真実
「ペトラのことはもう、やめてくれ……」
さきほどまで、リアの口撃に対してほとんど反応を示していなかった元勇者シエルだったが、リアがとある人物について言及すると、一気に彼は自身の感情を露わにした。
リア達は「ペトラ」という名前を言った。実は、俺はセレスティアの授業の中でその人の名前を聞いていたんだ。
「ペトラって、ペトラ・スプリングフィールドのことでしょ? その人ってかつて王家を支えた二つの忠臣、スプリングフィールド家の当主の娘だったのよね? それが彼と何か関係があるの?」
疑問を発したのはアオイだった。どうやらペトラとシエルの関係性については彼女も知らないようだった。
「ペトラは、そいつと恋人関係にあったんデス」
苦虫噛みつぶしたような表情でリアがそう言った。その事実に俺たち二人は揃って驚愕した。
なぜなら、その事実は王家の忠臣と勇者が恋人同士だったことを意味しているからだ。確かに、セレスティアと同じ様なポジションにいる人間であれば、勇者との関わりも深いはず。ペトラという人がどんな人だったかは知らないが、男女が一緒にいれば恋愛感情が芽生えることも考えられることだ。
「なるほどね。そう言えば、彼の召喚の時はアークライト家じゃなくて、スプリングフィールド家が主導だったんでしょ? 関わりも深かったんだし、あり得ない話じゃないわよね。でも今の話だと、ペトラが彼に裏切られたってことになるけど……」
アオイはそれ以上ははっきりとは言わなかったが、恐らく理解しているのだろう。男女の関係で、男が女を裏切るとしたら、考えられることはそう多くはない。俺たちの考えを見透かしたかのように、リアが口を開いた。
「そうネ! この男は、恋人がいながら他の女と関係を持ったのデス! 国民の模範であるはずの勇者という立場でありながらネ!」
「……」
「しかも問題はそれだけじゃないネ! その男が関係を持った女は、実はプレセアのスパイだったのネ! この男が情報を漏らしたせいで、王国は戦争に大敗して、多くの人が犠牲になったのデス……」
リアは一段とキツイ表情でシエルを睨んだ。シャムロックも過去の出来事とはいえこの事実は辛いのだろう、苦しそうに目を瞑り胸に手を当てている。
しかし、よりにもよってスパイに勇者が情報を漏らしてしまうなんて酷い話だ。彼の批判は方々で聞き及んでいるが、セレスティアも彼の話題に触れようとしなかったのも頷ける。こんな事実、王国にとっては恥以外の何物でもないだろうからな。
「情報漏洩並びに敵前逃亡の罪で実刑判決を受け、あの人は半年ほど前まで、刑務所の中だったそうです」
「そうなの? 勇者なのに、彼は逮捕されたってことか……」
耳打ちしたのはミナトだ。どうやら彼女はシエルについてある程度は聞かされているらしい。
それにしても、勇者として召喚された人がよもや牢獄に入れられるなんて誰が考えるだろうか? ここでさっきのシャムロックの言葉の意味がようやく分かった。確かに、今まで助けてあげていた人々であるはずのアルカディア王国から自業自得とはいえこんな仕打ちを受けては、彼女らのことを忌々しく思うだろうとシャムロックが考えたのも頷ける。
だが、シエルは俺たちの予想に反し、こんなことを言ったのだった。
「俺は、本当に申し訳ないと思っているんだ……。勇者として、皆を守りたかった。俺を召喚してくれたスプリングフィールド家に報いたかった。俺を支えてくれたペトラに、恩返しをしたかった……」
シエルは両手をグッと握りしめ、唇を噛んで俯いた。
リアや他の皆の話を聞いた限りでは、彼は勇者としての自覚などまるで持っていない人物というような印象を抱いていた俺だったが、今の彼の言葉や表情を見ている限りでは、彼があまりに不真面目で考えなしの愚か者であったとは到底思えなかったんだ。
「だったらどうして、あなたは、あんなことをしてしまったのですか……?」
シャムロックが絞り出すように問いかける。それに対して彼は、
「それは俺が弱かったからだ。俺が弱かったせいで、俺に関わった皆を不幸にしてしまった……」
消え入りそうな声でそう応えた。だが、すぐに彼はこう言葉を続けた。
「……だから、俺への罰は甘んじて受けた。だが、どうして、彼らが、俺のせいであんな目に遭わなければならなかったのか……?」
「彼ら?」
シエルの引っかかる言い方に疑問を挟む。するとシエルは、顔を上げしっかり俺たちを見据えて言った。
「……分かっているだろう? 俺が牢獄に入れられている間に起こったことだ。彼らは、殺される様なことはしていなかったはずだ?」
シエルは徐々に声を荒げていく。その表情も、さっきのように消沈したものではなく、激しい怒りを表すものへと変化していく。
俺は状況が掴めていなかった。一体、彼が牢獄に入っている間に起こったこととはなんだ? そして誰が殺されたっていうんだ?
見ると、シャムロックも、リアも、そしてアオイやミナトも、かなり表情を険しくしていたのだ。俺はいてもたってもいられず、全員に対して尋ねた。
「だ、誰が殺されたのさ?」
「それは……」
シャムロックが俺の問いに応えようとする。だが、それを抑えて叫んだのはシエルだった。
「スプリンフィールドの全ての人間だ! 彼らは、俺を召喚したことの責任を問われ、一族郎党皆殺しにされてしまったんだ! しかも、彼らが最も信頼していた王家の手によって……!」
「それは違います!」
シエルの絶叫を、今度はシャムロックが遮った。彼女にしては珍しいほど強い口調だ。
「王家は、スプリングフィールドの人々を殺してなどいません! それは『鉄の翼』によって拡められたデマです!」
「じゃあ、彼らはいったい誰に殺されたって言うんだ!?」
「そ、それはわたしには分かりません……。ですが、王家に罪を着せることは許されざることです! いくらシエル様といえど、その様な言葉をわたしは許容できません! アルカディア王家、並びにスプリングフィールド家の名誉のためにも、二度とそんなことを口にしないでください!」
あのシャムロックがここまで激しく相手を責め立てるのを見るのは当然初めてのことだ。だが、事はそれほどまでにセンシティブなことなんだ。王家が臣下の一族を簡単に皆殺しにするなどというデマを認めてしまっては、王家と臣下との関係は崩壊する。王女として、彼女は強い覚悟を持っている。それを崩そうとする者は、元勇者であっても彼女は絶対に許さない。
彼女の剣幕を受けて、シエルは少し声のトーンを落として言った。
「驚きました、王女シャムロック。あなたも、この六年前とは随分雰囲気が変わりましたね。いや、もはや別人と言ってもいいほどです。あの時のあなたは、病弱で、いつも王様の後ろに隠れている人見知りの強い女の子だった。だが今は本当に勇敢な王女となった。だが、あなたにも守りたいものがあるんだろうが、こんな俺にだって守りたいものぐらいはあります。……これ以上、あなたたちと問答を繰り返していても仕方がない。俺は俺で真実を追わせてもらいます。あなたのような人がいる王家が、事件に関わっていないことを祈っていますよ……」
そう言って、シエルは踵を返そうとする。だが俺は、彼をこのまま行かせてはいけない気がしていた。このまま彼を野放しにすることはあまりに危険だ。……真実は俺も知らないが、もし彼がスプリングフィールド家の殺害が王家によるものだと妄信しているのなら、これほど危険なことはない。彼がどんな形でデマを吹聴して回るか分かったものではないからだ。
勇者を退いて六年あまり経っているとはいっても、やはり彼はかなりの魔術を誇っているはずだ。だから俺は、離脱しようとする彼を引きとめようとした。しかし、その時彼は予想外の行動に出た。彼はまた方向転換し、今度は俺の方にやって来たのだ。俺は驚いて彼の顔をマジマジと見た。すると彼は微笑を浮かべながらこんなことを言ったのだ。
「勇者ハルカ、いや、勇者の代行者とでも呼んだ方がいいかな?」
「な!?」
「驚いているのか? 同じ顔だからと言って俺を騙すことはできない。俺は一度、本物のハルカに会ったことがあるんだ」
「ハルカ様にですか?」
シャムロックは驚きを隠しきれないで尋ねる。
「ああ。彼女は俺のことはよく知っていたよ。なのに、君は俺のことに関して初耳の様な反応だったからな。真似るなら、知識に関しても同程度にしておくべきだったな」
シエルは不敵な微笑を浮かべる。それに若干腹が立ったが、それ以上に俺がニセモノであることがこの男にバレている方が問題だ。もし彼が事実を喋ってしまったら、瞬く間に本物のハルカの死が伝播してしまう。それは避けなければ! 今ここで人々を動揺させるような事態は、絶対にあってはならない!
俺はとっさにフェロニカを構えた。すると、きっと同じことを考えていたのだろう、他のみんなも各々の武器を構え、いつの間にかシエルを取り囲んでしまっていたのだった。
続きます!