第17話 勇者だった男
シャムロックが合流し、五人で城を出た俺たちはアルカディア王国の首都であるセオグラード中心街へ到着していた。プレセアとの長引く戦争、その上最近は「鉄の翼」のテロが頻発しこの国の情勢は決して明るくはない。それでも中心街は商店や買い物客で賑わいを見せていた。
連れだって歩く俺たちを見つけると、人々は笑顔で俺たちに手を振ってくれた。すると、一件の商店の店主がわざわざ店から出てきて俺たちにお礼を言ってくれた。
「いつも俺たちを守ってくれてありがとうよ! よかったらこれ持っていってくれ!」
そう言いながら店主は俺たちに店の商品である野菜や果物を大量に渡そうとしてくれる。
「いやいや、こんなにもらっちゃ悪いですって!」
「ははは! 全然気にすることはねえよ! セオグラードで商売を続けられるのも、あんた達騎士団と、勇者であるあんたのおかげなんだからな!」
店主が豪快に笑いながらそう言うと、周りで買い物をしていた人たちもそれに同意した。
食べ物のあまりの多さに困りながらも、人々の歓声を受けているアオイたちはやはり嬉しそうだった。俺はそれが堪らなく嬉しかった。彼女たちは「鉄の翼」らと戦うために、いつも命がけで訓練に励んでいる。その努力がこうして報われているのを見るのは、やはり心から幸福を覚えることができた。
しかし、同時に少し寂しくもあった。この人たちは……
「ハルカさん! 俺あなたの強さに憧れてます! いつか俺を弟子にしてくださいね!」
「ハルカちゃん、よかったらこれも持ってお行き。あんたが頑張ってくれるから、私ももう少し頑張ろうと思えるようになったよ」
あの時の人質の少女と同じように、本物のハルカが死んだことをまだ知らないのだ。
人々は、俺のことを何の疑いもなくハルカと呼ぶ。だが俺は本当はハルカではない。それはつまり、俺が彼らを騙していることに他ならないのではないか? もし今、彼らが俺がニセモノであることを知れば、きっと激怒するはずだ。そして、俺にくれた分のもの、沢山の想いを返してほしいと思うはずだ。
そう思うと、自然と胸の奥が痛んだ。本当のことを言ってしまいたかった。でも、それはできない。この国を動揺させないためにも、ついた嘘はつき続けなければならない。一時の感情で全てを台無しにしていいわけがない。もはやこれは、俺一人の問題ではないんだ。だから、感情は腹の底に押しとどめないと……。
「ハルト様!」
「え!?」
シャムロックの声で思わずハッとする。既に辺りには人々の姿はなく、アオイたちがいただいた食材をどこからか借りたのか、荷車に積み込んでいるところだった。
いかんいかん、俺は何をボッとしているんだ。感傷に浸っている場合じゃないだろ。俺は今はハルカなんだ。余計なことを考えている場合では……
「ハルト様」
「な、なに……?」
「もしかして、何か悩み事ですか?」
「え? どうして、そう思うの……?」
「そんな辛そうな顔をされていたら分かります……」
彼女はそう言うと、あの時みたいに、また俺の両手をその可憐な両の手で取った。その表情は、心から俺を心配してくれているようだった。
「やはり、辛いですよね、あなたにハルカ様の役を演じさせてしまっていることは」
「……でも、これは俺がやるって決めたことだから。だから、大丈夫。みんなを騙してしまうことは申し訳ないと思うけど、俺はどうしてもこの国の力になりたいから……」
なんて弱々しい言葉なんだ。これじゃまるで説得力がないじゃないか。これでは、シャムロックを責めているようなものだ。違うんだ。俺は別に誰かを責めたいわけじゃない。だってのに、どうして俺は……
「ハルト様、わたしは、もしあなたが本物のハルカ様でないことを国民のみなさんが知ったとしても、あなたを責める人は誰もいないと思いますよ」
シャムロックははっきりとした口調で俺にそう言っていた。
「え……?」
「誰も責めないし、もし責める人がいたとしたら、それはわたしが許しません。あなたは命を懸けてこの国のために戦ってくださっている。そんな人を誰が責めましょうか? それに、わたしはこうしてあなたと一緒に街を歩けることが、本当に嬉しいんです。そうやって必要以上に考え込んでしまうあなたが、とても可愛らしいと思うんです。ちょっとしたことで気を使って下さるあなたが、とても魅力的な人だと思うんです。それはあなたがハルカ様の代わりだからではありません。それは、あなたがあなただから、わたしはそう思ったんです」
俺は言葉を失っていた。彼女の言葉があまりに心に刺さり過ぎて、俺はもはや冷静な気持ちを失っていた。
俺は不安だったんだ。あれから記憶は相変わらず戻ることはなかった。俺が俺であることの証明なんてないのに、そんな中でも俺は別の人間であるハルカを演じなければならなかった。俺の頭はすっかり混乱してしまっていた。
ハルカを騙ることで人を欺き続けることに、そしてハルカを演じて自分が浸食されていくことに、俺は疲弊してきてしまっていたんだ。
そんな荒んだ心に、彼女の言葉はあまりにクリティカルだった。そしていつしか、俺の目から涙が溢れ出してしまっていたんだ。
「ちょっとハルト!? あんた何泣いてんのよ!?」
「べ、別に、泣いてなんて、いないんだから……!」
「HAHAHA! それはいくらなんだって隠すのは無理ってものデスよ! Baby braveには困ったものですネ!」
「だーれが赤ちゃん勇者かああ!?」
俺はあまりに気恥ずかしくて、らしくもなくアオイたちを追いかけ回したりした。そんな俺を見て、シャムロックは本当に温かい表情で俺に対し笑いかけてくれたのだった。
そんなこんなで、城を出てから色々とあった訳だけど、俺たちはようやく目的地である薬屋にまでやって来ることができた。しかし、その時だった。和やかだった雰囲気が一気に凍りついたのだ。そしてそのきっかけは、あのハイテンション娘が、今まで見せたこともないほど険しい表情を見せたからだった。
「どうして、お前がそこにいるネ……?」
ドスの利いた声。リアの視線の先、薬屋の入口にいたのは、フードを被った一人の男だった。
俺もアオイも、そしてミナトも状況が理解出来ていなかった。だが、シャムロックは違った。彼女は殺気こそ帯びていないものの、この状況があまり歓迎すべき状況ではないことをその表情が容易く物語っていたのだ。
「シエル様……」
シャムロックはそう呟いた。そしてそこで俺たちはようやく察しがいった。
シエルとは……
「まさかあんた、シエル・ハートランドか?」
ハルカが勇者になる5年前に、勇者の座についていた男だったのだ。
男は俺たちに気がつくと、そのフードを外した。男にしては長めの金髪が、今はすっかり輝きを失っていた。見ると、服もボロボロで、とても彼がかつて勇者だったとは思えないほどの見てくれとなっていた。
シエルと思われる人物は気だるそうな表情で俺たちを一人一人見回し、そして重苦しい口調でこう言ったのだった。
「こんなボロ雑巾に話しかけるなんて、随分物好きな人間がいたものだ」
「……そんな風に、おっしゃらないでください。あなたにとってわたしたちは忌々しい存在かもしれませんが、わたしは、あなたが勇者として全力を尽くされていたことは、否定しません」
シャムロックは恐らく心からそう思っているんだと思う。だが、シエルは彼女の言葉を少しも意に介した様子はなく、なんとも感情の読めない表情のまま視線を逸らし、それ以上言葉を発しようとはしなかった。
「ふん! やっぱりお前は面白くない男ネ! ロクに文句も言えないならさっさとここから失せな、baby!」
シャムロックに比べ、リアはいつになくけんか腰だ。流石に目に余ったのか、「やめなさい」とシャムロックはリアを軽く叱った。それでもリアはシエルを睨む視線を緩めることはない。
俺がシエルについて知っていること、それは、彼がかつて今の俺と同じ様に勇者という立場についていたこと、そしてアルカディア王国の平和のために戦いに明け暮れていたこと、そして最後に彼は、”最も大きな戦いで大敗北を喫した”ことであった。
しかもその戦いの裏で、プレセアとの和平交渉が密かに進み、停戦協定を結ぶまであと一歩のところまで迫っていたのだ。にも拘らず、彼は強硬にプレセアへ攻撃を指示した。結果として和平交渉は決裂。優勢だったアルカディアは本大戦での敗北により勢いを失い、戦闘は泥沼化していった。
敗軍の将。しかし、彼が非難されている理由はそれだけではなかった。
不意に、彼がゆっくりと歩き出す。そしてこちらには目もくれずにその場を後にしようとする。そんな彼に向かって、またしてもリアが毒を吐いた。
「裏切り者はさっさとこの国を去るべきネ! 女遊びなら、その辺の国でいくらだってできるんだからネ!」
すると、それまでは全く聞く耳を持っていないように見えたシエルが、今のリアの言葉には反応を見せたのだ。
立ち去ろうとしていた彼は、方向を変え無表情のままリアを見つめる。言葉は発しないが、それでも元勇者というだけはあり威圧感は確かにあった。しかし、リアは少しも怯むことなく言った。
「言いたい放題言われて悔しいデスか? でも、ペトラはもっと悔しかったネ! 信じていた人間に裏切られ、しかも、よりにもよって、あんな女に大切なことを……」
「やめろ!!」
響き渡るシエルの怒声。しかし次の瞬間には彼は今にも泣き出しそうな表情に代わっていた。俺は事態の急変に付いていけず、ただ事の成り行きを見守ることしかできないのだった。
前勇者シエル登場!
彼はなぜ裏切り者なのだろうか…?