第13話 飾らない想い
6/21 11話から13話を差替えました。差替え分はこれで終わりです!
「ふう……。いい湯だ……」
いきなりで申し訳ないけど、ただいま入浴中です。
アオイの訓練が夕方に終わり、アオイはもう少しトレーニングをしたいとのことだったので、俺は一人このアルカディア城自慢の大浴場に来たのだった。
ちなみにここは、親衛隊のみしか入ることができないVIPな浴室だったりする。やはり、アルカディア騎士団の中でも指折りの魔術師が集うシャムロック親衛隊はかなり待遇が良いようだ。
前勇者ハルカも、今の俺と同じように親衛隊に所属していたという。かつては彼女もやはりこの浴室を利用していたのだろうか?
俺は彼女と一度も会ったことなどないのに、妙に彼女のことを考えてしまうのは、やっぱり俺が彼女と瓜二つの顔をしているからなのだろうか?
セレスティアによると、ハルカは天涯孤独の身だったらしい。だから、俺が彼女の親戚であることはあり得ない。だったらなぜ、俺は彼女に似ているのだろうか?
……まあ、考えたところで、そもそも自分の記憶がない以上分かりようもないのだけれど、俺はそれを考えずにはいられなかったんだ。
「俺って、何なのかな……」
ふと、そんなことを呟く。だが、それに応えてくれる人はいない。それは俺にとって嫌に静かな時間だった。しかし、それはある人物の登場によって一気に崩れ去ったのだ。
唐突に、浴室の扉が開く音が俺の耳に届く。男の俺が入るから他の人は入らないようにしてほしいと係の人には言っておいたはずなのに、どうして他に人が? と思っていると……
「あ、突然すみませんハルト様。ご迷惑でなければご一緒したいのですが、よろしいでしょうか?」
「しゃ、シャムロック!?」
それは俺の予想の斜め上を行く展開だった! よりにもよってなぜシャムロックがここに!?
「あの、お背中を流したくて入ってきてしまったんですが、ご迷惑だったでしょうか……?」
シャムロックは上目遣いに不安そうな顔を俺に向ける。俺は慌てふためきながらもなんとか彼女に言葉を返した。
「め、迷惑ってことはないよ! で、でも大丈夫? 俺一応これでも男だし、シャムロックだって、男と一緒にお風呂に入るのは嫌じゃないのかな……?」
だが、俺の問いに対しシャムロックは大きく頭を振った。
「わたしは全然大丈夫です! それにほら、今日はちゃんとタオルを巻いてきたので、これなら全然恥ずかしくありませんから!」
そう言って身体に巻いているタオルを見せつけるようにクルクル回るシャムロック。いやあ、確かにガッチリガードはしてくれているけど、身体のラインとか結構出ちゃってるし、そ、それに、胸の谷間もハッキリと……って、俺は何考えてるんだ!? 恩人である彼女をそんな目で見るなんてゲス過ぎるぞ!
しっかりしろハルト。正気を保つんだ。俺は紳士だ。紳士ハルトは、優しくて思いやりのあるシャムロックの好意をフイにするわけにはいかないのだ。俺はあくまで平静を装って言った。
「そ、そっか。じゃあ悪いけど、背中流すの、お願いしてもいいかな?」
「はい! 喜んで!」
ああもう、どうして君はそう素直でまっすぐなのさ……? そんな彼女に一瞬でも劣情を抱いてしまった俺を殴ってやりたいよ……。
結局俺は彼女の好意に甘えることにした。俺はシャムロックと並んで洗い場の方へと向かった。
洗い場には、俺の中の微かな記憶と同じように鏡が取り付けてあった。
普通であれば、鏡があって困ることなどないのだけれど、今だけはその限りではなかった。
だって、これだと後ろのシャムロックが見えてしまうじゃないか……。なんとか彼女のことを意識しないようにしているにも拘わらずここに鏡を置くとは、そんなにこの浴室は俺に邪な劣情を抱かせたいのだろうか……。
しかし、文句を言ったところで鏡がなくなる訳でもないし、これ以上嘆いても何も始まらない。今回は極力鏡の方を見ないように努めるしかあるまい……。
と、改めて彼女の姿を見て思ったのだけれど、風呂に入っているからかシャムロックはいつものツインテールではなくその長い銀髪を一つに結んでいて、いつもと少し印象が違うような気がしていた。
俺は彼女の違う一面が見られて、「少し得したかな」などとこっそり思ったのだった。
「あの、どうかされましたか?」
鏡越しのシャムロックが少し照れたような顔で俺に尋ねる。いかんいかん、気付かない内にジッと見てしまっていたか……。見ないように努めると決めたばかりじゃないか! とにかく、シャムロックが背中を洗い流してくれたら俺だけでも風呂から出よう! 俺はそう心に固く誓い、気を取り直して彼女にこう言った。
「ごめんごめん、気にしないで。それじゃ、お願いします」
「はい。それでは失礼しますね」
そう言ってシャムロックが俺の背中を石鹸をつけたタオルでごしごしと洗い始める。ああ、適度な力加減で良い感じだ。王女様が普段からこんなことをやるとは思えないから、彼女はスジがいいのかもしれないと俺は密かに思った。
「どうですか? 痛くないですか?」
背中だけでなく、腕を揉み解すように洗いながら彼女がそう尋ねた。俺は幸せな気分に浸りながらも、あまり呆けた顔は見せないように努めながら答えた。
「全然痛くないよ。すごく気持ちいいからそのままお願い」
「ふふ、良かったです。今日は訓練でお疲れでしょうから、少しでも癒して差し上げたくて慣れないことをやってみました。喜んでいただけてわたしもとても嬉しいです」
鏡越しにシャムロックの笑顔が見える。彼女の笑顔を見ていると、俺まで嬉しい気分になってくるのだから不思議なものだ。
それにしても、彼女は本当にまっすぐでいい子なんだと改めて思う。俺なんかを甲斐甲斐しく世話してくれるなんて実にもったいないほどだ。
そしてそれからしばしの間、俺は癒しの時間を心行くまで堪能したのだった。
「はい、終わりましたよ」
不意に、この至福の時間が終わりを告げてしまう。俺は名残惜しみながらも、これ以上シャムロックを働かせる訳にもいかないので、俺は思ったままに感謝の気持ちを伝えることにした。
「ありがとう。お陰で疲れも吹き飛んだよ」
「ありがとうございます。喜んでくださって本当に良かったです」
シャムロックは心から嬉しそうにそう言った。
さて、身体も洗ってもらったし、そろそろ頭でも洗おうと俺は思った。だから俺はシャムロックに「もう出てもらっても大丈夫だよ」と言おうとした。だが、その瞬間彼女は予想外のことを口にしたのだ。
「さて、それではわたしも身体を洗いますので、大変申し訳ありませんが、ハルト様は少しあちらを向いていていただいてもよろしいでしょうか……?」
「うん、いいよ……………………え!? 今なんと!?」
俺は今の彼女の言葉は俺の聞き間違いじゃないのかと思い、そう尋ねた。だがシャムロックは、またしても俺の予想に反してこう言ったのだ。
「すみません、わたしも少し汗をかいてしまって……。すぐ済みますので、少しこちらを見ないでいただけると助かります」
いや、見ないでと言われても、それは無理ってものじゃないでしょうか……!? しかしそうは言っても、汗をかいてしまっている彼女に対して身体を洗うなとも言えず、俺は思わず口ごもってしまったのだった。
すると、そうこうしているうちに、シャムロックが身体を洗い始めようとしていることに俺は気が付く。もうこうなっては仕方がないので、俺は猛スピードで頭を洗ってさっさと湯船に避難することを決意した。
隣でシュルシュルとタオルを外す音が聞こえる。俺の煩悩が妙な想像を膨らませてしまう前に、俺は高速で頭を洗いそそくさと湯船に飛び込んでしまった。
「ふう、これで安心……」
とは言っても、同じ浴室にいることには変わりがなく、俺の耳にはシャムロックが身体を洗う音が引き続き聞こえている訳である。それが健全な男子の妄想を掻き立てるには十分すぎることであるのは言うまでもないだろう。
ああもう! 駄目だ駄目だ! もう余計なことを考えないように風呂の中に潜っていよう! そう思い、俺はザパンと音を立てて、浴槽の中へと潜っていった。
俺は気を紛らわせるため、浴槽の中で今日の出来事を整理することにした。
アオイは訓練の終わりで、明日も俺に訓練をつけてくれると言っていた。俺の七色の魔術を有効に活用するため、彼女は俺を徹底的に鍛えるつもりらしかった。
正直、まだ一日しかやっていないが、訓練はかなりきつかった……。それでも、アオイが俺に可能性を見出したのなら、俺はそれに応えたいと思った。その結果、シャムロックたちを幸せにでき、そして、ハルカを弔うことができるのなら、俺はそれ以上の喜びはないと思うから……。
「…………」
それにしても、ずっと潜っているのはさすがにキツいな……。そろそろシャムロックも身体を洗い終わって出た頃だろうか? いや、流石にそこまで長く潜ってはいないかもしれない。しかし、どちらにせよ俺はもう呼吸がもちそうもなかった。そのため、俺は一度空気を吸おうと、湯船の外に顔を出すことにしたのだった。
「へ……?」
そして俺は、すぐにその判断が間違いであったことに気付いた。予想通り、確かにシャムロックは身体を洗い終えていた。だが、浴室から出てはいなかったのだ。
「あ……」
彼女はどうやらもう一度湯船につかろうと思ったのか、こちらまで来ていた。
さっきまで彼女はタオルで全身をガードしていた。だが俺の姿が見えないので、彼女は俺がもう風呂から出たと思ったのだろう。だから彼女は特にタオルで身体を隠すことなく、生まれたままの姿で浴室を歩いていたのだ。
「ああ……」
突然浴槽の中から現れた俺を見て、シャムロックが顔をどんどん真っ赤にしていく。彼女はまさか俺が風呂の中にいるとは思いもよらなかったはずだ。だから彼女はすっかり油断していた。そして大いに油断していたのは、俺も同じことだったのだ……。
あろうことか、俺はシャムロックの大きな胸を、またしてもはっきりとその目に収めてしまったのだ!
「み、見ないでくださあい!?」
「ご、ごめん!?」
響き渡るシャムロックの絶叫。俺はわき目も振らずに浴室から飛び出した。
俺はもはや頭の中がぐちゃぐちゃだった。考える余裕もなく、俺は適当に服を着こむと一目散にその場から逃げ出したのだった。
気付くと俺は城の中庭まで来ていた。今朝、ここで激しい戦いが繰り広げられたとは思えないほどの静寂があたりを包んでいた。
ひんやりとした風が、俺の火照った身体を優しく撫でた。そこでようやく、俺は落ち着きを取り戻した。そして同時に、とんでもない後悔が俺の頭を支配しかけたのだ。
「ハルト様!」
「しゃ、シャムロック!?」
そんな俺の欝々とした気持ちが加速するのをストップさせてくれたのは他でもないシャムロックであった。どうやら彼女は、走り去ってしまった俺を追いかけてきてくれたようであった。
「あの、先ほどはごめんなさい! 自分からお供しておきながら、あんな失礼なことを言ってしまって……」
シャムロックは涙目でシュンとしてしまっている。俺は大いに焦りながら言った。
「しゃ、シャムロックは何も悪くないよ! 悪いのは全部俺だから、だから、本当にごめん!」
「い、いいんです! わたしの貧相な身体など大した価値もありませんから! ビックリしてしまって、つい、あのようなことを……」
「い、いやいや! 全然貧相なんかじゃないよ! シャムロックはもっと自信を持った方が……って俺は何を言ってんだ!? 今のは忘れてえ!?」
と、コントのようなことを俺がやっていると、泣き顔だったシャムロックの顔が次第に笑顔に変わっていった。そしてそんな彼女を見て、自然と俺からも笑顔が溢れ出していったのだった。
いつしか、俺たちは互いに笑い合っていた。彼女といるとなんだかホッとすると、俺は彼女の笑顔を見ながら思った。すると、不意にシャムロックが言った。
「ハルト様」
「なに?」
「これから大変だとは思いますが、どうぞよろしくお願いしますね」
それは彼女らしい、心から温かいと思える言葉だった。それに対し、俺は笑顔で応えた。
「こちらこそ、よろしく頼むね。俺頑張って王国に平和をもたらすからね」
「はい!」
そうして、俺たちは互いに少しも飾らない言葉を送り合ったのだった。