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あなたの心に暖な魔法を  作者: 陽詩麗
お伽の店
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思わぬ来客

 

 目の前に座っていたのは、中学のときの同級生だった。

 彼とはとても親しい間柄でいつもつるんでいた。授業も行事もテストも全部放っぽり出していつも一緒に街をぶらついてた。──そういえばその頃からだ。自由というのものを妄信し、自分を見失い始めたのは。

 彼はぼくとは一切目を合わせなかった。彼女から渡された紅茶もケーキも一切手をつけなかった。腕と脚を組んだまま、じっとテーブルの木目に目を落としていた。

 あまり良い心地がしなかった。だって、どうしてこんな運命の巡り合わせみたいな形で五年ぶりに再会しなければならなかったんだ。心がざわついてざわついてうるさくてたまらない。ぼくは彼のその違和感しか感じない頭から目を離せずにいた。あそこまで派手だった頭だ。所々に銀色がチラついてはいるものの、格段と暗くなっているのが本当にあの彼なのかを錯覚させる。

 彼女はぼくらの関係に気づいているんだろうか?……おそらく気づいているだろう、人の心理に敏感な彼女のことだ。でもまさかこんな事態になるだなんて、ここにいる誰もが予想だにできなかった。

 ぴりぴりとした重たい空気を断ち切るように、彼女の小さなため息が漏れた。

須郷すごう様」

 そして、彼の名前を呼んだ。彼はテーブルを見つめたままだった。

「この店にはわたししかいない。わたししかない。だからあなたの目になにかが映っているのだとしたら、それは幻覚よ」

「え?」「は……?」

 たぶん今ぼくと彼は同じような顔を彼女に向けた。彼女は構わずに続ける。

「幻覚は心の傷が具現化して起こるもの。その傷を修復しないかぎり消えることはない。でも、紛れもなく幻なの。そう捉えるだけで少しは楽になるわ」

 彼はゆっくりとぼくを見た。たしかにぼくはここにいる、それは彼もわかっていることだ。彼にとって問題なのは、“どうしてぼくがここにいるのか”という事実。

 彼はだるそうにぼくから目を逸らすと、ようやく口を開いた。

「……わかった。あんたの言うとおり幻覚だとしておこう」

 あの頃よりもかなり低く掠れた大人っぽい声だった。……そうだ、当たり前のことだがもう大人なんだ、ぼくも彼も。

「半信半疑で来たんだが、本当に感情を抜いてくれんのか?」

「あなたが望むなら」

「金は」

「いただかないわ」

 彼はそれだけで納得し信じたのか、かすかに頷いて見せた。彼の醸し出す雰囲気にどこか重たい風格というものを感じ取った。なんなんだろうかこれ、彼は今なにをしている人なんだろうか?

「ここに来た意思を、あなたの口から聞かせて」

 そうして、築さんのときと同じように献情の話が進んだ。彼は彼女の強い瞳を見返してこう口にした。

「楽しさを失くしたい」

 どくりと心臓が飛び上がった。二人に気づかれないように口を押さえる。だって、ぼくが思ったことと同じだったから。感情を一つ失くせるのならば“楽しさ”を真っ先に思いついていたから。

「本当に楽しいってのがなんなのかわかんなくなってな、疲れたんだ」

 二人の話は続いていく。

「あなたが楽しいと思うことが楽しさよ」

「昔いたんだよ、俺の思う楽しいが楽しくないって言う奴がな」

 ふっと微笑を浮かべた彼がちらっとぼくを見たのがわかった。……いやだ、思い出したくない。ざわめきが一気に強くなった気がして同時に胸も押さえた。動機が鳴り止まずに頭ががんがんと疼き出して気持ち悪い。二人に気づかれないように物音を立てずに後ずさって壁に寄りかかった。揺れる視界の中でぼんやりと見守る。頼むから早く出て行ってくれ……。

「それはその人の価値観。あなたとは違う人間」

 食い下がらない彼女に、彼はひらひらっと受け流すように手を振った。

「もういいんだ、そんなもん疲れた。根本的に失くせばいいだけだと気づいちまったら、それをやってもらえるんだとわかっちまったら、もう抗う気力なんてねえよ」

 彼女はじっと彼を見つめていた。たぶん、意思の確認というやつだ。

「自分自身のためなら、特に献情したいような相手はいない?」

「ああ。俺のこんな血みどろな感情なんざ誰も欲しくねえだろ」

 彼女の目が一瞬だけぼくを見たのがわかったが、なにも反応することができなかった。

「わかった。でも今日は無理」

「……は?」

 きっぱりとした断りに彼は面食らった。ぼくも驚いた。彼女が献情の話を断ったのだ。

「今日はできない」

「どうして」

 彼女は表情を変えないまま続けた。

「あなたの意思はまだ揺れてる。そんな揺らいだまま抽出なんてできない」

 ……そう、彼女には見えるんだろう。お客様の身体を透かして幾千もの感情の中から目的の感情を捜し出し、その感情の意思の振れ幅がどれほどのものかを。

「……揺れてる?」

 彼の声が少し上ずっていた。

「そう。幻覚が見えないときにまた来て」

 彼は見開いた目をそのままぼくに向けてきた。相変わらずぼくは情けない格好で固まったまま身動きができなかった。少しでも動いたら食い殺されそうな気がした。彼本人にか、昔の記憶にか、それはわからないけれど。

「あなたに幻覚が見えている以上、あなたの意思は永遠に定着しない」

 淡々と告げた彼女。彼は次第に目を鋭くしてぼくを突き刺したあと、舌打ちをして立ち上がった。

「邪魔したな」

 そのまま振り返ることなく、すたすたと店を出て行ってしまった。

 窓から彼の背中が見えなくなった頃、ぼくはようやく床に膝をついた。深く深く深呼吸を繰り返し、溜まっていたざわついた空気をこれでもかというほど吐き出す。床にぼたぼたと落ちる音がするくらいに吐き出した。次から次へと冷や汗が湧いて出てくる。

「そんなにトラウマな人?」

 頭上から声が降ってきた。気づくと、タオルが眼前に差し出されていた。

「……うん。たぶん、だけど」

 声が上手くでない。ぎりぎり過呼吸にはならずに済み、次第に動悸と呼吸は落ち着いていった。タオルをありがたく受け取って火照った顔を覆う。柔軟剤のいい匂いがした。

 同級生や旧友といった間柄であったなら、ここまで過剰な反応にはならない。彼女の言うとおりトラウマなんだろう。

「今日はもう予約はないから」

「……あれ、でも築さんは……?」

 ようやく顔を上げると、彼女は冷えた紅茶と乾いたケーキを片付けていた。感情抽出を終えた築さんは、今彼女の寝室で眠っている。たしか知り合いの病院に届けるって……。

「連絡した。あとで迎えにくるわ」

「そう」

 これから病院まで運ぶとかそんなことになったらどうしようかと思った。迎えに来るのなら、ひとまずは一安心だろう。

「婚約者への感情の受け渡しはまた後日」

「え?すぐやらないの?」

「婚約者は大病院に収容されてるから下手に近づけないわ」

 そっか。いくら綺麗だったとは言え、傍から見れば怪しげにも程がある。あんなことをしてるところを看護師とかに見つかったら大騒ぎだもんな。それまであの感情は木箱に入れたまま保管しておくんだろう。逃げ出したりとかしないんだろうか?なんてペットじゃないんだからあるはずもないか。

「でも抽出した感情って、劣化したりとかはしないの?」

 自分で言っておきながら愚問だと思った。それでも彼女は手を止めて、真面目な顔で答えてくれるのだ。

「なにも変わらないわ。せいぜい色が変わるくらい」

「色……?」

「あなたも見たはずよ、築様から抽出した“誰かを想う感情”の光が次第に赤く染まっていくのを」

 そういえばそうだ、たしかに見た。仄かに赤く染まっていった。あれは光の加減とかそんなものかと思っていたけれど……。

「色がつくのは、その感情に余程の思い入れがあるときよ」

 築さんの“誰かを想う感情”には、赤色にまつわる思い出があるということだろうか。

「あと、劣化ではなく風化はするわ。その感情が持ち主から離れたことで記憶の一部が欠如したり、そういったときに色も変わってくる」

 持ち主と一体だった感情。本来こういった献情の力なんかが世に存在していなければ、絶対に離れることなどない。持ち主の一部、いや持ち主そのものなんだから。たとえ持ち主の意思で離れ離れになるとしても、生まれてから死ぬまでずっと一緒にいるべき運命だったわけだから……なんか寂しいような気がした。

「離れたくないって、感情からのせめてもの訴えなのかな……」

 そんなぼくのつぶやきが彼女に聴こえたかどうかはわからなかった。

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