第56話 貴族の嫉妬③幕引き
第56話です。
ノルテランド暦1992年12月
《王都ノルテ内バレッド侯爵邸》
扉を開けて入ってきた一人の女性、リリアン=フォン=ノルテランド第一王女その人であった。
従者を従え、王女然として静々と歩くその様は王都警備隊隊長の時とは違う。あの時は、騎士然としていた。
「皆さん、ずいぶん面白いことをなさってますね。妾も交ぜていただきたいですわね。」
リリアンの断罪するかのような言葉に、その場にいるすべての人々が凍りつく。
(王女は全てを知っているのか。なぜ、王女が知っているのだ。)
ユーサリウスの頭の中で『なぜ?』が反芻される。
「な…、何故…。何故、王女様がここに。」
それだけを声を絞り出すように尋ねる。
「妾は王都警備隊隊長。そなた達から見れば名前ばかりの名誉職に過ぎぬ。しかし、書類にはできるだけ目を通していますのよ。ノアシュランの襲撃、報告書の内容、リュングベリの不在、それを勘案するとこの場所しか思い浮かばなかった。ただそれだけですわ。」
リリアンが蔑むような目で居並ぶ貴族達を見回して応える。
「たかが、平民の子供事件に何故王女様が。」
その視線に耐え切れなかったのかフェロー子爵が呟く。
確かにそうだ。貴族達にも疑問が浮かぶ。しかし、それを遮るようにリリアンは話を応える。
「あら、それこそ妾の台詞ですわ。たかが、平民の子供の襲撃事件に、バレッド侯爵、フェロー子爵、イート子爵、メンディエス男爵、エルプス準男爵の卿のみならず、内務省の局長級が多数参集しているのはなぜかしら。」
もはやリリアンの声は彼らにとって皮肉にしか聞こえない。
「詳細はすでに、報告書から判明しているのよ。妾に知られた時点でそなたらは詰んでいるのがお分かりにならないのかしら。報告書をよくお読みなさい。ノアシュランのシェリング魔法学校、入学推薦人の名前に誰の名前があるのかしら。」
フェロー子爵はエルプス準男爵の手にあった報告書を引ったくる。報告書を読むと、徐々に蒼ざめていく。
「フェロー殿、なんと書かれているのですか。」
イート子爵が尋ねる。
「ノアシュラン=ヴォルツの特待生入学の申請に際し、以下のものを推薦にとして記す。筆頭推薦人、男爵モネ=フォン=ファイアージンガー冒険者ギルド長官。推薦人、子爵リュングベリ=フォン=シュナイダー王都警備隊第一大隊長、子爵ダレル=フォン=シュミット特別参与。特別推薦人、第一王女リリアン=フォン=ノルテランド王都警備隊隊長。そう書いてあるはずよ。」
「「「特別推薦人!!」」」
一同が驚きに目を見開き、声を上げる。
(ヴォルツ、そうかどこかで聞いた名だとは思っていたが、そうであったか。ならば、私がすべきことは。)
イート子爵がヴォルツの名前に反応をした。しかし、このことに気付いたものはいなかった。
「さて、これで妾の立場もはっきりしたわね。卿らは、妾が特別に推薦したノアシュラン=ヴォルツを害そうとした、愚か者どもの保護者。妾の敵。取り敢えず蟄居でもしておきなさい。沙汰は父王からなされますわ。王国貴族として恥ずかしいことはしないことね。」
リリアンがそう言って立ち去ろうとした時、ノアシュラン=ヴォルツが扉の向こうに立っていた。
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《王都ノルテ内バレッド侯爵邸》
「リリアン殿下、私めのために目をかけて頂き感謝の言葉もございません。」
オレはリリアン王女に恭しく跪く。
そんなオレの様子にリリアンは目を細める。なぜかうれしそうだ。
「ノアシュランもいたのですか。では、リュングベリもいるんでしょう。後で言っておいてください。他人に口止めをするのであれば、妾へも言わないように秘書官に言っておくように、とね。」
片目を閉じ、茶目っ気たっぷりにノアに伝える。
「承知いたしました。必ず伝えます。ところで、先ほどの処罰の件なのですがよろしいでしょうか。」
そう言って、オレは先ほどのユーサリウスとの話をした内容を伝えた。リリアンからの厳しい言葉に気も漫ろであった貴族たちの目に明るさが戻る。
「ただし、親の選民思想を引き継いでいるような者には一考の余地すらないですけどね。」
オレの言葉に何人かの汗の量が増える。
「確かに、父王は予てより選民思想の排斥に心を砕いておりました。インチャード帝国やリッター魔法連合国の動向が不透明な昨今、いかに優秀な人物を登用するかが国家の存亡にもかかわる重要な事案だと、常々口にしていたことを妾もよく覚えております。しかし…。」
リリアン王女は、オレの決定に少し不満げな表情を浮かべる。
「はい。ここにいる方々は内務卿配下の優秀な人々。国の礎となっている方々です。愚かな子供たちに引責するには、あまりにも不相応。それで、先ほども申し上げたように、バレッド様と約定したのでございます。」
「リュングベリ。それは誠か。」
リリアンは、オレを推し量るように見つめた。そして、溜め息をつくと扉の陰に控えているリュングさんに質した。
「はっ。その通りでございます。」
「あい、わかった。しかし、ノアシュラン。言葉遣いといい、その考え方といい、もはや平民とは思えない配慮だな。さすがは、ヴォルツ家の者、いやヨアヒムの孫か。」
なんと、王女リリアンもヨアヒム=ヴォルツの名前を知っていた。ノアは知らないが、この国の貴族、特に前の魔族戦争を経験した者にとって、ヨアヒム=ヴォルツと『神虎隊』という名前は、想像以上に影響力があるのだ。
「この小僧がヨアヒム殿の孫だと…。」
エルプス準男爵も思わず声を漏らす。
「やはり、ヨアヒム殿の…。」
イート子爵が呟く。
イート子爵は若かりし頃の魔族戦争の折、第一騎士団の【剣騎士】として戦場の最前線にいた。戦争末期、劣勢を悟った魔族が決死の反撃をかけた戦場で、立っているのもやっとなほどの重傷を負いながら1体のオーガと向かい合った。もちろん適うはずもない。万全でも人族が一人でオーガなど戦えるはずがないのだ。曰く「さすがにその時は、死を覚悟した。」しかし、オーガの前に颯爽と騎馬を駆り救出に現れた人物がいた。それがヨアヒム=ヴォルツだったのだ。
イート子爵だけでなく、ヨアヒムに救われた貴族はそこら中にいた。それほど魔族の侵攻は峻烈を極めたのだ。
彼は、救われて礼を言うイート子爵をはじめとする貴族に対して常にこう言っていた。
「まもなく戦争は終わる。戦争が終わって平和になったら、わしの息子のヴォルフガングかハインツが、【冒険者】をするために王都へ行くと思う。その時は、気にかけてやってくれ。礼はそれだけで十分だ。」
イート子爵は、ノアに対して謝罪を行い、ノアの祖父ヨアヒムとの思い出を語ったのだ。イート子爵がまさに、謝罪を行っているその時、アルデバラードをはじめ、取り巻きの面々が食堂に現れた。
彼女たちは、自分達に向けられる親の視線から、事件の露呈を悟ったのだった。
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《王都ノルテ内バレッド侯爵邸》
早馬車で自宅へ到着した、アルデバラードらは執事の案内で食堂へ向かう。
焦りからか知らず知らずのうちに歩く速度が上がる。
本来であれば、口裏を合わせる時間がほしかったのだが、シェリング王立魔法学校で馬車に乗って以来、執事の一人が必ず同席しているのでそれも出来なかった。
そんな彼女達が、食堂へ歩みを進めると、貴族であるイート子爵が、平民であるあのノアシュランに頭を下げている所であった。
アルデバラードを筆頭に選民思想がこびり付いている者たちにとって、その光景は信じがたいものであった。
「お父さま、ご迷惑をおかけして申し訳ありません。」
それでも気を取り直したアルデバラードは父ユーサリウスの前に歩み出て謝罪の言葉を口にする。
それを見て、彼は悲しそうに頭を振った。
「そうではない。お前がまず謝るべきは私ではない。」
ユーサリウスの厳しい声に、アルデバラードが一瞬たじろぐ。
「なぜ、ヴォルツ殿に真っ先に謝罪しない。」
ユーサリウスの言葉にアルデバラードはノアを睨むだけで反応しない。
「バレッド卿、折角のノアシュランの配慮も無駄だったようですわね。」
リリアンがそう言って立ち上がった。
「リリアン様、お待ちください。」
ユーサリウスが声を上げる。
「「「王女様!?」」」
その声に弾かれたように、アルデバラードたちが跪く。
「ユーサリウス。これがあなた達の教育の結果ですわ。国王陛下の傍に仕えて何を学んでいるのですか。それに、シェリング王立魔法学校内は種族、身分による一切の差別を禁じている場所です。それが出来ない人物であれば、マキシミリアンに言って退学にでもさせねばなりません。もっとも、この者どもは衛兵に引き渡し、罪を裁く必要がありますが。」
リリアンのあまりにも厳しい声に、アルデバラードたちの顔は蒼褪め思わず震えだす。
「ノアシュラン殿、大変申し訳ないことをした。謝って謝りきれることではないと思うが、私たちの謝罪を受入れてほしい。」
そう言って、一人の少年が歩み出て、涙ながらに頭を下げる。
「ヨアヒム!!」
イート子爵が声を掛ける。
彼は、常日頃から父であるイート子爵より自分の名前の由来であるヨアヒム=ヴォルツという名前を聞かされて育った。この名も、彼のヨアヒムのように弱い人を助けることの出来る人物に育ってほしいという期待がこめられていたのだ。入学式の新入生代表挨拶で登壇した、ヴォルツという少年の家名を聞き気にはしていたのだ。
今日この場所に至り、その名前と目の前の人物に血縁関係があることを悟ったのだ。
そんなヨアヒムの謝罪を聞き、堰を切ったようにその場にいる子供たちが泣きながら謝り始める。
結局、みんな只の我が儘な子供なのだ。趨勢に簡単に流されるだけなのだ。アルデバラードが我が儘を言えばそれに流され、ヨアヒムが謝ればそれに流される。
「ノア、子供なんてこのようなものだ。但し、確りと教育をしなければ間違った考えのまま大人になってしまう。大人になってしまうと考えを変えることが難しくなる。そんなことにならないように、教育というものが必要なのだ。難しい話しだと思うけど覚えておけ。」
リュングさんがオレにそう耳打ちをした。
最終的には、アルデバラードもオレの前に歩み出て謝罪をした。目に思いっきり涙を浮かべて。
リリアン王女も「子供の茶番には付き合ってられない。」そういい残して、侍従を引き連れて退出していった。
リリアン王女退出後、改めて保護者同席で謝罪と補償の話しを行った。補償は既に断っていたので、謝罪を受けて処罰をどうするかが話しの中心になった。
アルデバラード停学1ヶ月、他の貴族の子女は厳重注意として、学校へ詳細を説明することになった。王都警備隊が関与している以上、何もなかったことにはできない。何より、既に学校へ連絡が言っている可能性が高かった。
帰り際オレたちはイート子爵に呼び止められた。
「ヴォルツ殿。本当に迷惑を掛けた。もう一度、わが子の教育を改めることを約束しよう。貴族として恥ずかしくないように教育する。そして、1年後もう一度会ってやってくれ。」
こうして、ノア襲撃事件の幕は閉じられることになった。




