第3話 ノア、初めての戦い
第3話です。
9/5:大幅に改訂しました。
《ユリウス辺境伯:城館》
ゲオルは徐に立ち上がり、ショックに打ちひしがれるヴォルの面前に立ち「さて、判決じゃ。ヴォルフガング=ヴォルツの騎士爵を廃し、農奴とする。農奴ヴォルフガングじゃ。なお、そなたの家族についても同様の処分とする。戸籍未記載の者については、記載時に同様の処分じゃ。従士については、新たな領主に仕えてもらう。それを拒否するようであれば、同様に農奴とする。以上じゃ。」
と言い渡した。
(くっ。悔しいが受入れるしかないのか。)
逡巡を続けるヴォル。
「農奴、ヴォルフガングよ。返事はいかがした。」
ゲオルが問い詰める。
「謹んでお受けいたします。これより、所領に戻り準備いたします。」
と応えることしかできなかった。悔しさと己の愚かさに、その眼には涙を浮かべていた。
そんなヴォルに追い討ちをかけるようにゲオルが言い放つ。
「準備は要らぬ。そなたは農奴となるのじゃ。その身一つで充分。まあ、家族に話をしないといけないので、屋敷に帰るのは許可するがの。ひっ、ひっ。」
こうして、ヴォルの一家は農奴に落とされた。
従士隊の面々は、ヴォルの説得により新領主の家臣団の端に加わることとなった。そして1年後、ギリスは引退し、ダンは辺境伯領から姿を消した。
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《ユリウス辺境伯領内》
ここで農奴の暮らしについて見てみよう。
農奴の朝は早い。日の出とともに起き出し準備を始める。朝、共同井戸での水汲みをし、配給の朝食を食べる。そして、畑に行き農作業を行う。その際の農具は、平民の農家は鉄を用いた鍬や犂を使用するが、農奴は木製である。夕方、再び配給の食事をして日の入りとともに寝るのである。
ユリウス辺境伯領の農奴は給金が出ない。普通、農奴に給金が出ることをヴォルは知っていた。しかし、ゲオルはこう説明したのだ。
「ふむ。通常、農奴と言っても給金が出る。それは至極当然じゃ。そしてその中から、人頭税を払い、食費を払い、服の代金や住居費を支払うな。いわゆる、自己責任じゃな。じゃが、その場合、子供を口減らししたり、山野草で糊口を凌いだり生きていくのが大変なのじゃ。温厚なユリウス辺境伯閣下はそうではない。毎年の人頭税、毎日の食費、年3回の衣服費、さらには住居費をご負担してくださるのじゃ。もちろん、10歳未満の戸籍に載っていない子の食費などもご負担くださっておるのじゃ。なんと、領民思いなのであろうか。お主もそんな辺境伯閣下の領内で農奴となることを感謝せよ。」
ある時、ゲオルはユリウスに上奏したことがある。
「閣下、なにゆえ農奴どもの人頭税など負担なさるのですかな。給金を支払ってしまったほうが楽なのでは。」
ユリウスはにやりと笑ってこう言った。
「ゲオル。そなたもそう思うか。だがの、給金を払えば貧富の差が生まれるのじゃ。うまく貯え自分の身を買い戻すやつが出ないとも限らぬ。なにより、その金で武器でも変われ、反乱でも起こされたらどうする。死なない程度に食事を与え管理をしたほうが楽なのじゃ。それにみんな同じ服を着ていれば、嫉妬も生まれぬ。農奴間で仲違いなどされたら管理が大変じゃ。」
ノルデラント王国では、奴隷にも給金を払うことが義務付けられている。そのため、ユリウスは帳簿上、人頭税、食費、衣服費、住居費の合計額を給金として年に1度支払い、その全額を農奴がユリウスに支払った形にしているのだ。
(存外、閣下も馬鹿ではないのだな。)
ゲオルは感心していた。
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ノルデラント暦1990年9月3日
《ユリウス辺境伯領農園内》
ノアは9歳になり、明日は10歳になる。いよいよ、来年の4月1日に戸籍に載ることになる。
そんな、誕生日前日、ノアは日課となっている朝の水汲みをしていた。毎朝、誰よりも早く起き、共同井戸の前で全ての人の水を汲むのだ。
(何でオレが毎日毎日水汲みをしないといけないんだ。)
そう思うこともあった。
「いいか。ノア。私たちはノアの人頭税を用意することができない。辺境伯様は農奴本人と嫡男と婦女子の分しか払ってくれない。そうなると、ノア、お前の分の人頭税が払えない以上、戸籍登録と同時に奴隷商へ売却となるだろう。」
さらに父は続けた。
「農奴の子が売却される先は、鉱奴か戦奴だ。よほどの体力がないと生き残れない。私たちはお前を死なせたくないんだよ。だから、大変だと思うけど毎日水を汲め。そして体力をつけるんだ。」
と言われていた。
そう、ユリウス辺境伯は人頭税など負担をする。しかし、それは本人と嫡男、それと婦女子の分だけなのだ。
「嫡男は農奴が死んだときの保険のようなものだ。女の子は10歳になると城館へ召抱えてしまえばよい。なに、いざとなったら然るべきところに売り払ってしまえばよいのだ。顔がよければ利用価値もある。しかし、次男以降は余計な出費となるだけだ。」
ユリウスはそう考えているのだ。
したがって、この農園には、次男を持つ農奴はいない。厳しい将来が待つことを知っているからだ。
そんなノアのために、ヴォルは、アンナは心を鬼にして接した。
水汲みが終わると、ノアは配給食を食べる。この頃には、ヴォルもドニスも農作業に出ていて、家にはアンナしかいない。そのアンナも日に日にやつれているのが分かる。
「母さま、オレもう要らないから。これ食べていいよ。」
やせ細った母を心配してオレはいつもそう言って母に配給食を渡そうとする。
しかし、涙を浮かべて母はこう言うのだ。
「あなたが食べなさい。あなたは生きていくために体を大きくしないといけないの。私のことは大丈夫だから、あなたが食べなさい。」
こんなやり取りが月に何度もあった。
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《ユリウス辺境伯領農園そばの林》
さて、そんなノアだが食事をすると父からもらった木刀(ただの棒とも言う)を持って林に入る。そして、棒を振るのだ。父ヴォルから教わったのは、上段からの振り下ろしと、左から右への薙ぎ払いだけだ。しかし、棒を振るっているときだけは何も考えないですむ。ただ、一心不乱に棒を振った。
ただ只管に棒を振る。山と林と一体感に包まれる。
しかし、今日はそれだけでは終わらなかった。突然、背後から野生猪が飛び出してきたのだ。
(何だ。野生猪だ。どうする、逃げるか。)
考えているうちに野生猪が牙を突き上げ飛び掛ってきた。
・野生猪…体重100kg~300kg。鋭い牙を持ち、時速60kmで体当たりをしてくる。その肉は美味。
(まずいっ!)
必死に右へ飛び。山に向かって駆け出した。野生猪が追いかける。逃げるノア!!
とうとう、大きな岩の前で追い詰められてしまった。棒を構える。しかし、あまりの大きさに心が飲み込まれる。
(でかい。なんてでかさだ。なんて速さだ。オレはここで殺られるのか。生きて帰れないのか。)
そんな時、まだ騎士爵だった頃の父の言葉が心に浮かんだ。
「よいか、ノア。われわれヴォルツ家は【英霊の祝福】を持っている。これは、先代様、お前のじい様が魔族戦争で大活躍をしたとき取得されたのだ、じい様の三親等内の男子は皆、受け継いでいるんだよ。このスキルは、逃げずに、諦めずに、己の心に裏切らずに勇気を持って敵に立ち向かったとき、自分の望む道が開けるんだ。それは勇気ある撤退かもしれないし、強敵の撃破かもしれない。どうなるかは分からない。でもね、勇気を持つんだ。決して諦めてはいけないよ。」
『オレは、逃げない、諦めない、裏切らない。勇気を持つ!!』ノアの眼に強い光が宿った。
次の瞬間、野生猪がノアめがけて突進してきた。
「ぶぎょー!!」
と雄叫びを上げて襲い掛かった。
しかし、ノアに恐れはなかった。
すれ違いざまに、野生猪の口に棒を突き込んだ。すると、棒は野生猪の重さも加わり脳を突き抜けたのだ。
「やった!!」
ノアは勝った。
初めての戦いに勝利をしたのだ。
心臓は波打ち、思わず座り込む。
「おうぇっ。」
緊張の解放から思わず吐き気が催した。
座り込んで10分以上が経過した。
「帰ろう。」
ノアは独りごちて立ち上がった。
そして、はたと気づく。
(この野生猪どうしよう。持ち帰ればみんなで食べれるよね。毛皮も冬の毛布にできるよ。でも持ち上がらないよ。)
200kgを超える野生猪を身長140cm体重50kgのノアが持つことは不可能だった。
(そうだ。この辺の石は、砕くと尖るんだ。それで解体をしてみよう。)
幼少の頃、父に連れられていった狩りでの鹿の解体を思い出す。
(まずは血抜きだ。)
首に石を入れる。思った以上に血が流れ出る。
(一つの命を奪ったんだ。ごめんよ。でも生きるためなんだ。)
何とか解体を済ませ、血まみれの毛皮と肉、そして自分自身を川で洗う。そして、肉を毛皮に包み家に持ち帰った。
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《ユリウス辺境伯領農園内》
「ただいまっ!!」
機嫌よく帰ったノアを見て思わず母が叫ぶ。
「ノア!その血は何!!怪我したの!」
「ううん。怪我なんかしてないよ。これ見てよ。野生猪を捕まえたんだ。最初襲われてさ。ホントにやばかったんだけど、父さまの言葉を思い出して、逃げずに勇気を持って立ち向かったら倒せたよ。」
と自慢げに毛皮に包んだ猪肉を見せた。
「無茶はしないで!!あなたが怪我したら私は…。」
母は思わず涙ぐんだ。
「大丈夫。オレは【英霊の祝福】持ちだって父さまも言ってたから。」
そんなノアと母の話し声を扉の後ろでヴォルは聞いていた。そして、何かを決意したようだった。
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そして夕刻、ヴォルは隣近所を招き猪肉をご馳走した。
ノアは父ヴォルや、慣れない農作業で大変なドニス兄、そして誰よりも体の弱っている母アンナにたくさん食べて欲しかった。
しかし、ヴォルはノアにこう言い聞かせた。
「農奴の暮らしは一蓮托生なんだよ。自分たちだけいい思いをすると必ずそれを妬んで、嫌がらせをする人がいるんだ。みんなが同じように助け合って生きていかないといけないんだ。」
それでも、普段あまり食べない母もしっかり食べてくれたようだった。
(明日からも出来るだけ動物を捕まえよう。そうすれば母さまも元気になってくれるはずだ。)
そう思いながら、久しぶりに満ち足りたお腹をさすり眠りに付いた。
夜遅くにヴォルはアンナと話をしていた。
「勇気を持って立ち向かったら倒せたと言っていたな。おそらく【英霊の祝福】が発動したんだろう。なあ、アンナ。ノアは来年奴隷商に売却される。行く先は戦奴か鉱奴だ。3年後には殆ど生きていないと言う。ならば、いっそのこと、逃亡させて【冒険者】にさせないか。確かに12歳未満の【冒険者】は戦奴と同じ生存率だ。しかし、もし、ダンや私の弟のハインツと会えれば、生き残る確率が大きくなるんじゃないか。窮地に陥っても【英霊の祝福】が加護してくれる。」
「でも、【冒険者】は食べるものも住む家を持っていないのよ。戦奴や鉱奴であっても住む場所も食べるものもあるのよ。もし、いい主人に巡り会えれば生存率が上がるのよ。」
「それは知っている。でも、ユリウス辺境伯みたいな主人になったらどうする。【冒険者】も確かに大変だ。でも、自分に自分で責任が取れるんだ。ノアなら立派な【冒険者】になれる。それに、聞いた話では、ユリウス辺境伯領の悪政を知っているギルド職員が農園からこっそりと次男以下の手引きをしているらしい。この農園には次男はうちしかいないが、ほかの農園では、10歳になった子は、翌年の4月1日までに職員に引き渡すこともあるようだ。」
ヴォルとアンナは一晩中話し合い、ノアを【冒険者】にすることに決めた。
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