表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/13

一、坂本雪寛と蛇の剣


 カラカラと、鳴っている。



 俺はいつも通り楽しく笑っているのに。

 何か足りなくて、隙間がある。




 お姉ちゃんは高校に入った途端、バイト漬けになった。

 家にいる時は暗い顔をして変な本をたくさん読んでいる。

 長い休みになると、一人で滋賀のおじいちゃんとおばあちゃんの

所へ行ってしまう。

 俺も一緒に連れて行ってほしいと頼んでみたら、お母さんにもの

すごく怒られた。

 納得いかなくて、お姉ちゃんだけずるいと拗ねてみた。

 お前はまだ子供だから駄目だとお父さんが静かに強く言った。

 お母さんは泣いていた。

 俺の方が泣きたかった。



 家が駄目でも学校は楽しい。皆いい奴で、外の世界は明るい。

 それなのに、やっぱりカラカラ。

 気付いたらいつも鳴っている。

 たくさん友達がいて、いつも笑っているのに。

 やっぱり何かが足りない。





 足りないまま、俺は中学生になった。








「覚悟ぉぉぉっ!!」

 信哉しんやが傘を振りかぶる。俺はそれを受けるべく、自分の傘を斜め

に構えた。

 考え抜いた末に編み出した必殺技を見せつけてやろうと指に力を

込める。

 今日三度目の、特に意味の無い戦い。

 教室中の男子が見守る中、信哉と俺は熱い気を放っているつもり

になっていた。

 信哉の傘が近付いてくる。今だ、と自分の傘を動かそうとした。



 その瞬間、体が固まった。

 目が信哉の向こう側の教室の窓に釘付けになる。



「ちょ!!」

 俺が受けるとばかり思っていた信哉が焦った声をあげた。

 傘は急には止まれない。

 痛いのを覚悟した。


 痛かった。

 後ろに引かれた両腕が。

 信哉の傘は、床に叩きつけられ、俺と信哉は同時に長い息を吐い

た。


雪寛ゆきひろ!! 何やってんだよ!!」

 信哉が涙目で睨んでくる。



「ごめんって。ちょっと何やかんやとあって」

「何だよ、それ!!」



 へらりと笑ってごまかすと、後ろに引かれたままの左右の腕を交

互に見た。



 右腕は高島佳奈たかしまかなが怒ったように握っていた。


 左腕は永原美知枝ながはらみちえが作ったような笑顔で握っていた。




 同じクラスになって半年以上経つけれど、二人とは一度も喋った

ことがない。二人も友達ではなかったはずだ。一緒にいるところを

見た記憶がない。

「ありがとな」

 よく分からないけれど、助けてくれたのだ。お礼を言うと高島は

乱暴に俺の腕を離した。



「坂本君、何で教室で暴れるの!? 危ないじゃない! 怪我したら

どうするのよ!?」

 怒り方が昔の、まだ少し明るかった頃の春姉はるねえに似ていて、顔が

柔らかくなる。

「へらへらしないの!」

 また怒られた。でも嫌な気分にはならなかった。春姉に似ている

からだけじゃなく、高島の言葉が胸の奥に温かい何かを届けてくれ

た気がした。



「怪我、しなくて良かったね」

 永原は、そっと腕を離してくれた。一年生で一番可愛いと信哉が

評価する永原は、誰にでも優しく友達が多い。毎日誰かに告白され

ては断っているという話を聞いたことがある。

 優しいのなら付き合ってやればいいのになと信哉に言ってみたら、

それは違うと説教をくらった。



「二人共、ありがと。雪寛に怪我させちゃうとこだった」

 信哉が二人に話しかける。それを聞きながら、顔を窓へと向けた。

 さっき、見えたもの。

 見間違いかとも思ったそれは、まだそこにいた。

 外から閉じられた窓にぴったりと顔をくっつけている、大きな蛇。

 ここは三階なのに、蛇がいた。



「雪寛?」

 いつもなら喋り倒す俺が会話に参加しないのを不思議に思ってか、

信哉が視線を俺と同じように窓へ向ける。



「雨、なかなか止まないな。気になるのか?」

「んや、蛇」

「蛇?」



 信哉が窓に近付いていく。危ないから行くなと言うと、変な顔を

向けてきた。



「蛇なんていないぞ? 雪寛、目ぇ大丈夫か?」

「失礼なこと言うな! 視力は5.0ぐらいある!」

「それ、人じゃないな」

「坂本君は視力じゃなくて頭に問題があるのかもしれないわね」



 高島まで失礼なことを言ってくる。

 信哉は小学生の頃からの友達だ。怒っているようにみせても、本

当は今更何を言われても気にならない。

 でも、高島は今日初めて喋った相手だ。

 なのに、腹が立たなかった。短気なはずの俺だけど、女子には甘

いのかもしれない。



「本当に蛇、いない?」

 蛇の目が、信哉をぎろりと捉えているのに。



「いないけど?」

「坂本君、熱とかない?」



 平然としている信哉と高島にトイレとだけ伝えると一人屋上への

階段を駆け上った。



 皆には見えないものが、俺には見える。

 心臓からドキドキという音が聞こえてきそうだった。

 春姉は人ではないものがよく見えるという。お母さんにも、滋賀

にいるお祖父ちゃんとお祖母ちゃんにも見えるらしい。俺とお父さ

んだけが見えなかった。

 でも。

「ついに俺にも呪われた一族の能力が目覚めたんだあああぁぁっ!!」

 勢いよく屋上の扉を開ける。

 今朝、信哉と忍びこんだおかげで鍵が開けっぱなしになっていて

本当に良かった。



 鉄の柵に駆け寄り、俺の教室を見下ろす。

「なあ、蛇」

 声に反応して、大蛇がぴくりと動いた。長い体を半回転させ、上

を向く。

 そのままスルスルと俺のところまで上ってきた。



 綺麗な蛇だった。

 体全部が透明で、その中に晴れた日の海のような色の水がたっぷ

りと波打っていた。



「言葉、分かる?」

 俺は蛇語なんて知らない。英語もあまり得意じゃない。日本語が

通じないなら、俺と蛇にだけ通じる新しい言葉を生み出さなければ

ならない。文法とか苦手なので、出来ればそんなことはしたくない。

 しなくてすみますように。

 祈りながら、訊く。



 蛇は低い声で、分かると答えた。本当に良かった。こんなにも言

葉が通じて嬉しかったことはない。



「学校に何か用事?」

「願いを叶えにきた」

「願い? 誰の?」



 蛇はチロリと舌を見せた。舌だけは赤かった。

「もしかして、俺の?」

 俺にしか蛇が見えないのなら、俺だけが蛇に願い事を伝えること

が出来る。

 でも困った。

 願い事なんかすぐに思いつかない。



「お前の願いでもあるはずだ」

「うーん。俺、今夜はハンバーグが食べたい」

「その願いは母親に頼め」

「俺の願いを叶えてくれるわけじゃないの?」

 


 蛇は少しの間、黙って俺を見つめていた。

「いや……」

 確かめるようにゆっくりと答える。

「お前の願いだ。昔、お前が心から願った。だから叶えにきた」



 何を願ったのか、ちっとも覚えていない。

 でも。

「遅くなって、すまない」

 蛇のその言葉が素直に自分の中に入ってきた。











 蛇は小さくなって俺の左腕に巻きついていた。

 他の誰にも見えないのだから大きいままでも問題ないけど、何と

なく邪魔で嫌だと言ったら小さくなってくれた。



「願いって具体的に何をどう叶えてくれるんだ?」

 信哉と別れた後の家までの道のりは、いつも退屈だった。他の誰

かが一緒でも信哉が一番俺の家に近い所に住んでいるから、信哉が

いなくなると一人になってしまう。

 でも、今日は蛇がいた。

 話し相手がいることが嬉しくて、気をつけなきゃと思うのに声が

大きくなってしまう。誰かに見られたら変人扱いされてしまう。そ

れは嫌だから、咳払いをして声を調節する。



「魔法とかでバーンってやるのか?」

「魔法が好きなのか?」

「うん。カッコイイし」

「そうか、魔法か……」



 蛇が悩み始めた。期待をしすぎたのかもしれない。

「実はな」

 すまなそうに蛇が見上げてきた。

 魔法が使えなくても失望しないと目で伝えてみる。願いを叶える

ことが出来る蛇なのだ。それだけで十分すごい。



「願いを叶えることが出来るのは私の妻なのだ」

 ちょっと失望した。

 だけど何でもないふうに、へえと笑った。蛇だって自分が役立た

ずなのを気にしてるんだろうし、俺がそれを責めたら可哀想だ。



「結婚してるんだ」

「妻はミミズビメという」



 蛇とミミズが恋をすることがあるのを知った瞬間だった。



「そういえば、奥さんの名前なんかよりアンタの名前知りたい」

「妻にはヘビと呼ばれている」

「名前無いの?」

「妻が呼ぶ名が私の名だ」



 そんなふうに思ってくれる旦那さんにまともな名前をつけてやら

ない奥さんはどんな性格をしているのか。



「妻は今、力を封じられている。お前の願いを叶えると、何人かの

願いが叶えられなくなるから、一度他の者の願いを叶えて、最後に

お前の願いを叶えようと思ったらしいのだが……」



 他人の願いを妨害する俺の願い。一体いつそんな大それた願い事

をしたんだろう。



「俺、何て願ったんだ?」

「分からない」



 何しに来たんだ、この蛇。



「妻は意思疎通が難しい状態なのだ。ただ、お前が幸せになるよう

にしろとは言われている」

「俺の幸せより、奥さん何とかしてあげたら?」

「お前が幸せになることが妻の解放に繋がるらしい」

「捕らわれてんの?」



 訳が分からない。

 蛇はチラリと、俺の腕に巻きついている自分の体を見た。



「すまない、多くは話せない。私は神ではない。少しばかりの力を

与えられた、ただの蛇だ。神と違い人に関われる範囲が決まってい

る。更に私の主である妻の元を離れた今、少しばかりの力すら制限

がある。私の体の中を見てくれ」

 小さくなっても蛇の透明な体の中には晴れた日の海の色をした水

がたくさん入っていた。



「話したり、行動する度に、この水が減っていく。水が無くなると

私は動けなくなる。だから水が無くなってしまう前に、頼む」

「要するに?」

「頑張って早急に自力で幸せになってくれ」



 この蛇、何の役に立つんだろう。

 俺の大きな思いが通じたのか、蛇は慌てて付け加えてきた。



「私も出来る限り協力する。お前が望むのなら魔法を与えよう」

「魔法使えんの!?」

 魔法と聞いて心がフワフワになる。蛇は得意げに頷いた。

「私の体を持ってみてくれ。なるべく下の方だ」



 下というと、お尻だ。何か滴れてこないか不安だったけど、魔法

への興味の方が大きくて、思い切って腕から蛇を抜き取った。

 にゅるっとした。



「アンタって触れるんだな」

「見える者には触れるようになっている。さあ、私を剣のように構

えてみてくれ」



 言われた通り、構えてみる。

 途端に、蛇の体が硬くなって形がゲームで見るような大きな剣に

変わった。割と重い。

「すっげえ!!」

 蛇の体と同じように剣の中で水が揺れている。



「蛇って剣になるんだな!」

「どんな蛇でも剣になるわけではないからな」

 夢を潰すようなことを言ってくる。子供の夢をもっと大事にして

ほしい。



「敵が攻めてきたら私で戦え」

「敵なんかいないけど」

「いるかもしれないだろう。ああそうだ、私を使っての攻撃は生き

ている人間には効かないからな」



 幽霊と戦う予定なんかない。

 本物の役立たずが仲間になった。

 しかも、全然魔法じゃなかった。

 もっとヒーローっぽい事に巻き込まれたかった。


 でも、やっとだと何処かで思っている自分がいた。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ