昼から貞子
狭い二畳の部屋にカタカタとキーボードを打つ音がやけに響く。
「ふぅ……」
一通りノートパソコンでの作業を終えた俺は、データを保存しようとして――
「あれ?」
突然画面がぶつんっと真っ黒になった。電源を確かめるが切れた様子はない。
首をかしげてもう一度画面を見つめる。
次の瞬間、白い手が画面から出てきた。画像として映ったのではなく、リアルに。
手は画面のふちを掴むとそのまま力を込めてぐっと這い上がってくる。
引っ張られたように画面がキーボードと一直線になるように倒れていく。
頭がずるりと画面から這い出してくるが、長くて黒い前髪が邪魔をして顔はよく分からない。
暫くそれを見つめていると、今度は上半身が這い出てくる。髪とは対照的な白い着物。
ずるずるとこちらに手が伸びてきて――
バキバキバキッ!!!
恐らく這い出てきた人物の重みに耐えきれず、キーボードが嫌な音を立てる。
「ひぎゃああああああああ!!」
キーボードを破壊した張本人は構わずに体を這い出してきて――
ミシィッ!!
ついに画面のふちの部分が壊れた。
「ぴぎゃああああああああ!!!」
「いっ! 今の叫びは怖かったと解釈してもいいんでしょうか!?」
唐突に鈴のような愛らしい声が聞こえた。
「んなわけねーだろ馬鹿! 返せ! 俺のパソコンを帰せえええええ」
がっくんがっくんとパソコンから這い出てきた人物を揺さぶりながら訴える。
「き、今日もっ、勝負は、私の負けっ、ですかぁ~」
残念そうに呟く女性を揺さぶりながら俺は数か月前の事を思い出していた。
事の発端は昼間に見ていたテレビである。
突然画面が消え、今日みたいにずるずると彼女は這い出してきた。
「え……なんだこれ……」
長い髪に白い着物。まるで貞子じゃないかと少々怯える俺の前で彼女は――
「ふみゃっ!?」
転んだ。具体的には、薄型テレビが倒れ、彼女はそれの下敷きになったのだ。
「見てないで助けて下さいよ……お~も~い~」
俺は戸惑いながらも駄々っ子のように手足を振り回す彼女を助けたのだが……
「助けて下さってありがとうございます。私は見習い貞子です。人を怖がらせないとプロの貞子になれないので勝負してくださいねっ!」
自称見習い貞子さんはそうのたまったのである。
それから彼女は毎日のようにテレビから現れるのだが毎回ドジを踏むため俺は怖がることもなく今に至るわけである。
「にしても……お前パソコンからも出てこれるのか」
「あ、はい。画面でしたら大抵は出てこれます」
得意げに微笑む貞子さん。ちなみに両手と上半身は画面から出ていて、なんだか段ボールに入れて捨てられた動物のようである。
「そういえばこの前鏡からも出てきたよな。手前に置いてあった石鹸に手付いて滑って流し台に落ちたっけか。あれも画面に分類されてるのか……?」
「いっ、嫌なこと思い出させないでくださいよ!!」
両手をばたばたと振り回す貞子さん。振り回していた両手が、パソコンの画面のふちに激突する。
どがっとひと際大きな音がして、ふちが破損した。
「あいたぁ!?」
手を押さえて悶える貞子さん。
「お前――」
「なっと、なんですか!?」
貞子さんは前髪をかきあげて、こちらを見上げる。前髪をあげた彼女は正直とっても可愛い。
そんな貞子さんの両手をがっしりと掴んだ。
「えっ!? あの……」
戸惑う貞子さんにぐっと顔を近づける。
「なっ……」
「俺のパソコンこれ以上壊すんじゃねえよ!! ってか俺まだデータ保存じてないのに出てきやがって!! タイミング考えろよな!!!」
「うっ……ぅ……」
俺の剣幕に怯み、暫く俯いていた貞子さんだが、ぱっと顔を上げると真面目な顔で俺に尋ねた。
「で、どうやったら怖がってくれますか?」
「どうやったらって言われてもな……諦めろとしか言いようがない。元々俺は幽霊とかそういうのは平気な方なんだ」
「そんなぁ……私は一体どうすれば……」
貞子さんは残念そうに俯く。
俺はそんな貞子さんの頭に優しく手をのせて――
「……?」
「とりあえず帰れ」
「みぎゃっ!!」
満面の笑みで画面に押し戻した。
「全く……」
パソコンの残骸を片付けながら俺は頭を振った。
彼女は幽霊貞子さん。
多分俺が怖がらない理由を彼女は知らない。
「もし俺が怖がって、お前が1人前になったとしても、また俺の元に現れてくれるか? なんて聞けるわけないしな……」
そして彼はもまた、そのセリフをテレビから顔を出している貞子さんが顔を真っ赤にして聞いている事を知らない。
ふと思いついたお話。
もとは怪談話にするつもりがこうなりました