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八章 始まりの館



 その建物に近付くにつれ、消えた右羽の生えていた肩甲骨の辺りが疼く。

「ねえ兄様、あの家何かな?」

「……お屋敷だよ」

 私はあそこを知っている。かあさまと一緒に住んでいた場所だもの。忘れる訳がない。

「兄様、まだ身体元に戻らないね。どうしたんだろう?」

「いいの。子供じゃないと入れないから」

 返事を聞き、弟が馬の顔で振り返る。「どうして?本当、さっきの家で何があったの?」

「う、ううん……何でもない」

 “黒の絶望”、あれは本当に燐さんだった。――感じる。お屋敷の中で、私が来るのを今か今かと待ってる。痛いぐらい皮膚に視線が突き刺さってくる。

 私の表情で悟ったのか、ご、ごめんなさい兄様……、弟は謝った。

「いいよ。私こそ気を遣わせてごめんね」

「兄様は何も悪くないよ。いきなりこんな変な所に飛ばされて……早くお兄さんの所に戻ろうよ。僕、そろそろ歩き疲れてきちゃった」

「降りようか?」

「子供の脚じゃまだ遠いよ。――ねえ兄様」

 歩く度僅かに上下に揺れる。「何?」

「もしお兄さんがまた……ううん、出られたら言うよ」

「そう」

「あそこが出口に繋がっているのかな?」

「多分」

「奇跡使いの兄様がそう言うのなら間違いないね」


 パカッ、パカッ……。蹄の音が響き、段々お屋敷が大きくなる。


 燐さんは私を、二度と昇れない程深い闇の中へ引き摺り込もうとしている。無理矢理魂を繋いで……。

(怖い……でも)彼の辛さは解る。私も、永遠ともとれる時間をあの暗闇で一人過ごした。だけど、どうしてそうなったの?その答えはきっと、お屋敷の中に全てある。

「着いたよ」「うん」

 腹這いの一角獣から降り、両開きのドアの前に立つ。

「鬣をしっかり掴んでて。同時に入ろう」私の不安を察して弟は提案してくれた。頭から伸びた晴天の空のような毛をギュッと一束持つ。「引っ張ってない?」

「大丈夫だよ……兄様?」彼は頭を下げ、私の顔を覗き込む。「どうしたの?苦しいの?」

「ううん……早く行こう」

 突然襲われた息苦しさに胸を押さえながら言う。もうここまで来て引き返すなんて出来ない。

「う、うん。開けるよ」

 角でドアの隙間を探り、一人と一頭分広げた。中は―――!!



 突然目の前に青い長髪、背に白い両翼を持った綺麗な女性が立っていた。――忘れるはずがない。かあさまや罪の無い大勢の人々を使命のままに死へと至らしめた天使――ジプリール。

『だれ?』無知な子供の私は小首を傾げて問う。『かみさまのともだち?』

『いいえ。幼き慈悲の一羽よ。優しいお前には少し早めの救いを与えましょう』


 ぐさっ。


『あ……』

 胸を刺され、剣から溢れた血が伝った瞬間、私は全てを思い出した。


 ブシャッ、ドサッ!


 絨毯の上に落とされて、声にならない呻きが勝手に唇から漏れる。

(駄目……ここで意識を失ったら……)

 羽が傷付き、薄れゆく意識の中で見たんだ。愛するかあさまがとうさまを――激情のまま殺めてしまったのを。ああ、その後の事も知っている。私を蘇らせたい一心で、かあさまは天使に従った。仮死状態の私と“黒の絶望”を、水色の液体で満ちた水槽に入れたんだ。再生の栄養分としてとうさまの死体まで一緒に……。

『全ては主の御意志です』

(巫山戯ないで……!!)

 かあさまは死ぬまでとうさまを手に掛けた事を後悔していた。新しい宇宙でも三人仲良く親子のように暮らしたい。出来る事なら結婚したい。温かくてささやかな夢はもう永遠に叶わない。

(嫌だ!!)

 過去を変えられないと分かっていても、諦めたりするものか。私のせいで、二人の愛情に悲しい誤解が生じたんだ。ちゃんとかあさまに伝えなきゃ、真実を。


『むだだよ』




 ぞっ、とした。天使の影は掻き消え、燐さんが剣に付着した血を美味しそうに舐め取っている。


「ちょうどいいあながあいたね」


 そう言ってずぶずぶずぶ……傷口を広げ、両脚ごと下半身を潜り込ませてきた。酷く可笑しそうに嗤いながら、だ。


「嫌!嫌だあっ!!!」


 冷たい肉が無遠慮に押し入り、内側で内臓を潰しながら容赦無く広がる。幼い身体を犯される激痛に、私は絶叫した。

「あぁ、きもちいい……!ねえ、どうしてないてるの?」

 傷口から上半身を生やし、彼は骨の翼の先端で私の顎を上げさせた。

「あ、あぁ……う……」

 痛い痛い痛い痛い……!!駄目だ、何も考えられない!!

「しゃべれないぐらいいいの?」ずるっ。新しい苦痛に目尻の涙が流れ落ちた。せめてもの抵抗に首を精一杯横に振り、両腕で彼の胸の辺りを力を込め突き放そうとする。


 ガンッ!両手首を床に押さえ付け、燐さんは堪らないように唇を歪めた。


 じゅぶっ、じゅぶっ……捻り入る度、流血の立てる濡れた音が響く。暗くなる視界の中、何度も口付ける彼の顔だけが見える。

「ぁ……ひっ……ぃたい………!」

 全身が垂れ落ちた血でぬるぬるする。

「たす……けて、オリオ……」

「だからむだだってば。こんどはじゃまものもはいってこれない」

 脇の下まで埋まった彼はげらげら嗤った。

「もっとちからをぬいたら?それとも、いたいほうがすき?」

「違う……止めて、お願い燐さん……」

「やめる?どうして?」

 彼は首を傾げ、訳が分からないと言ったポーズを取った。

「こんなにきゅうきゅうつつみこんでいるのに?」

「私の意志じゃない……!」降りてきた唇を避け、顔を横に背ける。「乱暴は止めて、元の優しい燐さんに戻って」

「いまでもじゅうぶんやさしいじゃない。あのやみいじょうに、つらくてくるしいせかいからすくってあげた」

「そんなの……望んでない!」

「うそ。あんなにまいにち『いっそしにたい』っておもってたくせに。いいんだよごまかさなくて。うそついてもいみない」

 その通り、その通りだ。だけど、「違う」

「私はもう無力な子供じゃない。一羽として皆を守らなきゃいけなかったんだ、仮令とうさまやかあさまがいなくても」

 天使人の究極の使命、それは生きとし生ける人々を笑顔にする事。決して困らせたり、傷付けたりする事ではない。

「なにそれ?」嫌悪感たっぷりに唇を尖らす。「やだなあそういうの。ふたりでいればだれもいらないのに。まもられるようなやつら、いらない」

「私には必要だよ!燐さんだって鈴蘭の」


「だまれ!!」「ぐっ!!」


 首を絞められて、慌てて両手で引き剥がそうとする。が、凄い力で全然離れてくれない。

「てぃーのなまえをだせばどうようするとおもったの!?あのこはあのきれいなはなばたけでねむっているんだ。でもここにははななんていちりんもない!」

 苦しい。怒りのまま彼は手に力を込め、不意に止めた。

「ああ、ごめんね。ついかっとなっちゃった」

「げほっ、げほっ……」

 圧迫された場所に手をやろうとすると掴まれた。首筋に触れる冷たい濡れた感触。

「くるしかった?ごめんね、もうしないからゆるしてね」

 舌を這わせ、燐さんは甘えるように言った。

「駄目だよ燐さん……一緒にここから出よう?彼女だって、きっとそっちの方が良い」

「てぃーはもうなにもかんじない。――そとはつらいことばっかりだよ。ふたりでいよう、ずっとずっと……」


 ポタッ。


 彼も私と同じだ。平気そうにしていても、愛する人の喪失に傷付き、心を閉ざして……。


「ごめんね、燐さん」


 銀色の右翼を現し、両腕で彼の頭を包み込む。

「やっぱり私はここにいられない。でもね、あなたを一人きりにもしたくない。大事なお兄さん代わりの人だもの」

 私は彼の赤い瞳を覗き込む。

「現実世界へ戻ろう、燐さん。悲しみも辛さも半分私が背負うから」

「やだ……でたくない」ぶるぶる。「やだやだやだ!」

「っ!!?」

 首を振るのを止めた彼は、不意に一切の表情を消した。

 ぐじゅっ。「うっ……!」


「どーしてくちごたえばっかりするの?」


 さっきまでとは違う雰囲気に本能的な危険を察知し、私は翼の全力を使った。傷口から勢い良く彼が吹き飛び、堰き止められていた血が溢れて辺りに降り注ぐ。

「う……かはっ!」

 精神を吐きつつ、全力の奇跡を以って傷を急速に塞いだ。彼は天使の遺した剣を取り、無造作に振り回す。


 バタンッ!「兄様!!」




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