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三章 幽(かそけ)き希望



 眠い………。


―――兄様!


 あれはオリオールの声……?でもいいか……とても目を開けられないし……。


―――兄様起きて!


 ゆさゆさゆさ。肩を激しく揺さ振られ、重く圧し掛かっていた睡魔が離れる。


―――こらぁっ!兄様に寄るなあっ!!


「ん………ぅん……」

 瞼をうっすら開けると、青白い光の球が目の前にふわふわ浮かんでいた。何だろう……懐かしい氣を感じる。


「兄様!?」


 角のある白馬。一角獣の弟が嬉しそうに鼻先を頬へ持ってくる。

「オリオール……?どうして元の姿に?」肩まで起き上がり、辺りを見回す。「それにここは一体……?」

 次の瞬間、丸い光が私の目の前まで降りてきた。中央にある目が合う。

「離れてよ人魂!兄様は食べ物じゃないんだからあっ!!」

「わっ!」

 弟が前脚をブンブン振り、光を追い払おうとする。危うく私に当たりかけ、慌てて転がり避けた。


「もう―――相変わらず早とちりさんだね、オリオール君は」


「えっ?」

 今の声、まさか、そんな……。

「しゃ、喋った!?人魂が喋ったよ兄様!!」

「――オリオール、違うよ………リーズ、なの?」

 氣は別人かと思う程浄化と洗練を経ているが、確かに彼女と、彼女の肉親であるもう一人の友人を感じ取れた。「ケルフも」

「流石誠。よく分かったな」

「分かるよ。だって私達、仲間なんだから……」


 ボロボロッ。


「もう泣かないで誠君。アイザさん達と違って、私達はただ夢の世界に行っただけなんだから」

「でも……幾ら説明されてても、二人がいなくなった時、本当に辛かったんだよ?」

「ああ。俺達の墓の前で随分長いこと泣いてたな。こっちの世界からずっと見てたよ」

 光球から輝く白い腕が伸び、私の涙を指で拭き取る。

「最初に言ってよお姉さん達。僕、てっきり兄様の魂を奪いに来たのかと思ったじゃないか」

 弟がちょっとむくれながら言う。

「?どうして?」

「だってここ、まるで聖書の中の地獄だもん。僕等を丸呑みにする人魂ぐらい、いたっておかしくないよ」

 そう言われて、私は初めて周囲を見回した。辺りには一面赤黒い大地が広がり、リーズ達以外の光は一切無い。

 オリオールは右方向を蹄で示した。

「僕はあっちで倒れてたんだよ。気持ち悪い手が一杯の血の河を飛び越えて、ここで倒れてる兄様を見つけたの」

「血の河に、手?」

 リーズ達がいる事といい、どうやら現実世界ではないよう。

「真っ白いマネキンみたいな腕がボコボコ沸いてるんだ。引き摺り込まれるから行かない方がいいよ」

 地獄……確かに見渡す限り、生き物の氣を感じられない。代わりに覆う、昏き負の雰囲気。これは知っていた……毎日僅かな希望を抱えた私を重く包み込んでいた、絶望だ。

 きっと忘れてしまえば良かったのだろう。でも私はどうしようもなく不器用で、待つ事以外生きる目的を見つけられなかった。捨てた瞬間、自分の全てが崩壊してしまいそうで、怖くて。

(メノウさん……)

 自分もウィルを愛していたのに、私の恋を応援してくれた母。彼女は私達の幸せを望んでいた。もっと昔の色々な話をして欲しかったのに……。

「ねえ行こうよ兄様」

「何処へ……?」

「出口に決まってるじゃない。お姉さん達、どっちに進めば元の世界に戻れるの?」

「……どうして?」

 私の返事に、弟は吃驚仰天した。

「え?な、何言ってるの兄様!?こんな不気味な所にいたら黴生えちゃうよ!シャバムに帰らないと、ルザ達がきっと今頃探し回ってるに決まって」

「―――帰ってどうなるって言うの?」膝を両腕で抱え、顔を埋める。「流石の私でももう分かったんだよオリオール。何時まで待ってもウィルは帰ってこないんだ。死んだ皆と同じように……なら、ここで朽ち果てた方がずっといい。きっと皆喜んで迎えてくれる……案外、ウィルだって今頃向こうでメノウさんと仲良く暮らしているのかもしれないし」

「お兄さんがそう簡単に死ぬ訳ないよ!兄様、しっかりして!!」

 ブンブン。子供特有の高音に耐えられなくて首を振る。

「五月蝿い……耳元で騒がないで。オリオールだって、お父さんやお母さんに会いたいでしょ?一緒に行こう……」

 頭を上げた。視界が白い物を捕らえる。指先には鮮やかな赤のマニキュア。しなやかな指に嵌った宝石のリング。ああ……こんなに近くにいたのに、気付けなくてごめんなさい。

「ほら、見て。私達がグズグズしてるから、メノウさん待ち切れなかったみたい」

「兄様、何言ってるの!?そいつは王様なんかじゃないよ!この、さっさと引っ込め!!」

 蹄の蹴撃を避け、母は私の背中を包み込んでくれる。優しい手が胸の前まで回された。

「凄く冷たい……向こうに行ったら、私が温めてあげるね」

 二百年間ずっとこうだったかと思うと、酷く心が痛む。もっと早く行けば良かった。私は何て親不孝な息子だろう。


「誠!こっちを見ろ!!」


 光の球が顔面すれすれまで近付いてきた。眩しい中に、信じられない光景が映し出される。


「え………?」


 有り得ない、嘘だ―――夢使い得意の幻に決まっている。


 バシッ!「止めてルザ!!」


 思わず頬を張った義娘に向かって叫ぶ。私の声が聞こえていないのか、彼女は憤怒の表情で罵倒を吐き出す―――忘れられるはずのない、彼へ。


「ルザ、どうしてそんな酷い事を言うの!?何も知らないくせに!!」


 沸々と起こった憎悪が膨れ上がり、心を支配する。思わず母の腕を振り払い、両手で光の球を掴み上げた。


「謝って!ウィルに謝ってよ!!」

「え?お兄さん!?」


 弟が慌てて私の横に頭を入れ、光を覗き込む。

 彼は二百年前のあの日、蒼い光に飛び込んだ時のままの服装だった。左手の甲にはメノウさんの遺品、“緋の嫉望”。悲しいぐらい何も変わっていなかった、私の苦痛に満ちた年月を嘲笑うかのように……。

「ホントだ!やった兄様、待ってた甲斐があったね!早く帰ろうよ!!」

「誠君、そろそろ放して!痛い!!」

「あ、ごめん」

 彼と養女の姿が消え、掴んだ所が歪んだまま光球は頭上へ浮遊した。

「今のは本物……なの?」急に不安に駆られて尋ねた。二人は私をまたあの辛い現実へ追い返そうとしているのかもしれない。

「ああ。俺達みたいに強い夢の意識体でも結構疲れるんだぜ、こう言うリアルの生中継は。尤もらしい夢の方がずっと楽だし簡単だ」

 友人の口調は草臥れていて、それだけで充分信頼が置ける証拠だった。


「本当に……帰ってきてくれたんだ」


 ボロボロ……悲しくない涙に、自分でもどうしたらいいか分からない。首筋まで伝った所で、ようやく袖で拭う。


「兄様、後ろ!!」


 弟の警告に、慌てて母の出てきていた場所を振り返る。――どうして?それはもう母親とは似ても似つかない腕になっていた。ぐにゃぐにゃと曲がる骨に、多足虫のような動きをする指。生理的に受け付けられない、受け付けてはいけない物へと成り下がっていた。

 強い力で腕を掴まれかけ、反射的に鞘に納まったままの剣で叩いた。グチャッ!血肉ごと骨が砕け、辺りに撒き散らしながらジュルジュル……地面の下へ逃げていく。

「はぁっ、はぁ……何、今の……?」

「“黒の燐光”、別名“黒の絶望”の中に眠っていた悪魔の末端よ」

 私の胸に、あんな気持ち悪い物が?

「この先にはもっと厄介な奴もいる。お前の魂を永久に幽閉し、現実世界で好き放題しようとしている、な」

「私を……え、じゃあ燐さんは何処へ行ったの?」

 “燐光”には彼が宿っていたはずだ。

「――ずっと奥。ここからだと詳しい状態は分からないけれど」

 夢の意識体はチカチカ明滅し、くにゅーっと真ん丸に戻った。器用だなぁ。

「兄様、僕の背中に乗って。次が生えてこない内にさっさと進もうよ」

「うん」

 白馬の上に横向きで乗る。歩き始めると、リーズ達も私の頭の少し上を漂いながら付いて来た。私は手を伸ばし、疲れた二人に安らぎの氣を送る。

「ありがとな誠」

 先は夜目も利かない真の闇。けれど私はさっきまでと違い、希望に繋がる僅かな出口を信じられた。



「建て替えたのか。随分綺麗になってる」

 政府館を見上げ、ウィルネストさんは一人そう呟いた。

 ルザとカーシュはあれから特に何も言わない。僕の知り合いなので遠慮しているようだ。

 ロビーで全員スリッパに履き替え、階段を昇ってエルさんの執務室へ行こうとした時だった。


「クレオ!」


 廊下からアレクとデイシーさんが僕達に気付き、歩いてくる。

「エルさんから聞いたよ。大変だったみたいだな……シルクさん、早く良くなるといいな」

「はい」

「そちらが大お爺様のお兄さんですか~?初めまして~」

 何故か眼鏡を外したままデイシーさんは可愛らしくぺこっと頭を下げ、手を差し出す。好意的な様子に、ああ、こちらこそ、何の警戒もせず握手した。途端、掌同士がバチバチッ!放電する。

 慌てて下げた手に火傷が無いのを確認しつつ、ウィルネストさんは嘆息した。

「流石エルの孫。随分気の利いた歓迎だな」

「ふふ~、お兄様の手前、私もタダで赦すのは嫌ですからね~。――どうしましたクレオさん~?お化けでも見るような顔して~?」

「実際幽霊だったのよデイシー」ルザが代わりに説明してくれる。「お父様に見せられた夢の中では、あなたが墓の下からリサ・タイナーを引き込んだらしいわ」

「私がリサちゃんを~?一体どんな夢を見たんですか~?」

「その話はエルシェンカの所でしましょう。執務室にいるのよね?」


「僕ならここだよ」


「!?」

 振り返った先にいたエルさんは、コーヒーの入ったカップを持っていた。

「二百年振りの再会だね、兄上。元気にしてたかい?」

「……二百年?嘘だろ?」

 眉を吊り上げ、彼は初めて酷い動揺を示した。

「嘘なものか。今年は宇宙暦九百年、ついでに言うと七月だ。新聞を見てみるかい?」

「いや、お前を疑いはしない。って事は、この子は」目線でデイシーさんを指す。

「僕と美希の玄孫のそのまた玄孫、つまり七代目さ」

 その瞬間、ウィルネストさんは額を手で押さえた。

「道理でこいつ等全員刺々しいと思った……二百年もあいつを放っておいたら、そりゃ当たり前だ」

「兄上、今まで一体何処にいたんだい?その言い草だと、まるで時間感覚が無かったみたいじゃないか」

 不思議そうなエルさんの目が彼の全身を眺める。

「それにその服、あの夜と同じ物だよね?わざわざ着てきたの?」

「お前は本当目聡いな。――悪い、幾ら双子のお前でも言えないんだ。口止めされててな。ただ信じてくれ。俺はまーくんを助けるために戻ってきた。あいつは俺が必ず元通りにする、だから余計な手出しをしないで欲しい」

「何も事情を説明しないくせに信じて待てって?随分都合の良い話だな」

 ズズズ……コーヒーを啜る。

「やっぱり市販品は香りも味も悪い。――そんな訳にはいかないよ。誠はLWP調査の代表者だ。少なくとも彼の部下達は連れて行ってもらう」

 カップを持っていない左手で僕達を示す。

「こいつ等か……危険だぞ、いいのか?」

「僕等だって昔は“死肉喰らい”相手に散々無茶をしたじゃないか。何を今更」

「しかし、この電気鰻のお嬢ちゃんはお前と詩野さんの」

「電気鰻って何ですか~?ちょっと悪戯しただけで変な渾名付けないで下さいよ~」

 頬を膨らませ、掛けたばかりの眼鏡をまた外そうとする。

「こら、止めなさいデイシー!エルシェンカ、立ち話もなんだわ。執務室へ移動しましょう」

「そうだね」

 七人で階段を昇り、夢でも通った廊下を進む。普通に人がいるだけで安心出来るなんて、自分でも驚きだ。

「しかしエル、コーヒー持ったままあんなトコで何やってたんだ?」

「夜中に部屋のコーヒーメーカーが壊れてね、食堂で淹れてきたんだ。もうヘレナもいないから配達を頼める人間はいないし、今日中に修理に出さないと」

 僕がよくイムおじさんのパン屋に来ていた女性だと言うと、ああ、彼女もこっちに来ていたのか、懐かしげに呟いた。

「いないって、何処か出掛けているのか?」

「――つい先日殺されたんです。イムおじさんと一緒に……犯人はまだ逮捕されていません」

 瞬間、彼は息を詰めた。

「そうか……済まない」

 ショックを受けて当然だ。ウィルネストさんもおじさんのパンが大好きだった。心臓の具合が悪い時も、あんぱんやチョココロネならぱくぱく食べていたぐらいだ。

 僕達は執務室のソファに揃って座る。ウィルネストさんは一人離れて窓辺、エルさんのデスクの後ろに立った。

「さて、まずは詳しい報告を聞こうかクレオ」

「はい」

 僕はルザ達にしたのと同じ話を三人に語った。時折のエルさんの質問に答えつつ、何とか無事宇宙船に乗り込んだ所まで話し終える。

「おい!何で俺があの子を殺すんだ、ギャッ!?」ビクンッ!隣からの電撃を受け、一瞬痙攣。「止めてくれよデイシー!夢!見たのクレオだし!!」

「む~!仮令そうでも、リサちゃんに手を出す悪人は成敗です~!」バリバリッ!勿論大分手加減しているけど、保護者は明らかにぐったりした。

 ほぼ徹夜明けと言う事もあり、ウィルネストさんと一度シャットダウンしてすっきりした僕を除いた皆は眠そうだ。カーシュなんて二度目の話と言う事もあり、始終うとうとしている。

「大体の事情は分かったよ。今度は兄上の番だ。洗い浚い喋ってもらう」

「……全部知っている訳じゃない。俺が聞いたのは、まーくんは今頃最も肌に馴染む“黒の都”にいるだろうって事だけだ」

「ほう。ならすぐにでも向かおう」

 そう言うと、彼は首を横に振った。

「俺はともかく、他の連中は疲れているみたいだぞ。――時間はまだある、少し休ませてやれ」

「どれぐらい?」

「日付が明日に変わるまで……は大丈夫だって聞いてる」

「随分切迫してリスキーだな。なら今日は差し詰め最後の日って訳か。早く手を打ちたいのは山々だけど、今自由に動けるのは彼等だけだ。仕方ない――四人共、夕方には呼ぶから仮眠室で休んできなさい」

 一番に反応したのは当然孫娘である新聞記者。ピョコンとソファから立ち上がる。

「じゃあ遠慮無く~皆行こう~」

「あ、ああ」

「失礼します」

「クレオ。そいつ、ちゃんと見張っておくのよ」

「ええ。お休みなさい」


 バタン。


「お前はいいのか?」

「さっき休みましたから大丈夫です。でも、出発まで半日も空きましたね。どうしますか?」

 僕が尋ねると、仮死状態になった不死族達は自宅か?逆に質問された。

「シャバムにいた連中は全員中央病院だよ。お陰様で昨日から満員御礼だ」

 ウィルネストさんは少し考えた後、見舞いに行っても構わないか?そう尋ねた。

「オリオールのかい?別に僕に許可を求める必要は無いだろう?ただ呼吸も心臓も動いていないし、顔も土気色だから驚かない事」

「分かってる。あのさ」

「何だい?」

「顔、元通りになったんだな。良かった」

 兄の言葉を聞き、当たり前だよ、治らなくても全然問題無かったんだけどね、エルさんは鼻を鳴らした。



 政府館を出た後、僕達はいつもより閑散とした商店街の花屋で、見舞い用の小さな花束を購入した。奇しくも昨日オリオール君が持っていたのと同じ黄色い薔薇、それに霞草とまだ蕾の白いチューリップ。ウィルネストさんが片手で持ってくれる。

 昨日の事が嘘みたいに、病院は静かな日常を取り戻していた。オリオール君は神父さんと一緒にルザと運んだから、病室は訊かなくても知っている。三階の角部屋だ。二人は昨日と全く同じ姿勢のまま眠っていた。そして、消毒薬臭い部屋にはもう一人。


「レティさん」


 看護婦さんに借りたのか、肩まで毛布を被ったまま少年のベッドに凭れて眠る少女を優しく揺らして起こす。

「ん……クレオ……?おはよう。何時戻って来たの?」

「ついさっきです。それよりレティさん、ずっとここにいたんですか?」

「だってお屋敷にいても一人だもん。心配しなくてもナースさんの言う事、ちゃんと聞いていい子にしてたよ?」

「ええ、疑ってないです」

 忘れてた。そうだ……もう屋敷にヘレナさん達はいない。子供一人、一晩中あの広い家で留守番は辛いだろう。

「そっちの人は誰?」

「ウィルネストさんです。エレミアではご近所、ではなかったですね。知らなくても無理ありません」

「また飛ばされてきたの?」

「いえ、彼の場合は」

「ああ、お嬢ちゃんより前にな」

「あれお兄さん、言葉上手だね。凄い凄い!」パチパチ無邪気に手を叩く。

「お嬢ちゃんもな。こっちに来てどれ位経つんだ?」

「一ヶ月半、かな。シャバムに来る前は、宇宙船の船員の小父さんと一緒だったの。でも、政府館に来る途中で船が悪魔に襲われて、今はこことは別の病院に」

「そいつは大変だったな。よく頑張った」

 彼は少女と握手した後、花束を差し出した。オリオールの見舞いなんだ、そこの花瓶に刺して構わないか?

「私生けてきてあげるよ」磁器の白い花瓶を持ち、「今日は来てくれてありがとう。きっとオリオールも喜んでる」花束を受け取り、笑いながら病室を出て行った。

 少年は変わらず死人の肌をしていたが、昨日の朝と違い苦痛の表情が和らいでいた。神父様は特に変化無し。

 ウィルネストさんが蒼い前髪を梳き、お前には苦労を掛けるな、小さく呟いた。ズボンのポケットに手をやり、取り出した紙片を彼のシャツの胸ポケットへ入れる。

「手紙ですか?」

「ああ、お前が寝ている間に宇宙船の中で書いておいた。これぐらいで赦してもらえるとは思っていないが、ケジメとしてな」

 少年も不死族の一員として、彼を憎んでいるのだろうか?充分有り得るが、人の感じ方はそれぞれなのでどうとも言えない。


「あの、ウィルネストさん。エレミアは……どう、なったんですか?」


 僕はようやく一番聞きたかった事を口にした。

 彼の目がしばらく宙を泳いだ後、どこまで覚えているんだ?逆に問われた。

「一人で自宅にいたんです……そうしたら誰かに謝られて、次の瞬間にはこっちの宇宙へ」

「つまり、何も見てないって訳か」

「悪魔の事ですか?真っ黒な身体と凶悪な爪の……」俯き、「レティさんの御両親は奴等に殺されたそうです」

「俺の近所の一人暮らしの男も殺られた。周りの家も火を掛けられて」

 神父さんの方をちらり、と横目で見る。

「って事は、あの子は一人でこっちに来たのか……よく立ち直れたな」

「僕も彼女の精神のタフさには驚きです。今日だって、こうして僕やルザの代わりにオリオール君の看病をしてもらって。でも」

「何だ?」

「迂闊だったかもしれません。ヘレナさん達を殺した犯人が何処に潜んでいるか分からないのに、一人にさせてしまいました。幾ら看護婦さん達がいるとは言え、危険な事には違いありません」

 今なら不死族の人達の無害な知り合いを装い、ほぼ誰でも入れる。子供一人、巧みに誘って外に連れ出すぐらい簡単だ。

 窓辺に行き、夜が明けたばかりの街を眺める。不審な動きの人物は特に確認出来なかった。

「ただいま。――よいしょっと。良かったねオリオール、お兄さんが綺麗なお花をくれたよ」

 ベッドサイドに抱えた花瓶を置き、レティさんは昏々と眠る少年に語り掛ける。

「お嬢ちゃん。まだしばらく状態は良くならないだろうし、一旦家に帰ったらどうだ?朝飯もまだだろう?送ってやるからさ」

 彼女は少し悩んだ後、小さく首を横に振った。

「レティさん?」

「心配してくれてありがとう。でもご飯は下に売店あるし、着替えもちゃんと持ってきているから」

 子供とは思えないしっかりした返事に、友人は肩を竦めて微笑んだ。

「そうか。でも、もし帰りたくなったら信頼出来る大人に頼むんだぞ?」

「どうして?」

「お嬢ちゃんみたいな可愛い子、危ないロリコンの一人や二人狙ってても不思議じゃないだろ?」

「まあお上手!って言うんだよねこう言う時は。うん、分かった」

 彼女にまたねを言い、廊下に出た僕達は話の続きに戻った。

「お前は……帰りたいんだろうな、エレミアに」

「ウィルネストさんは、まぁ……病気も治って向こうにメノウさん達がいない今、帰る理由なんて無いですよね。僕もディーさん達が皆無事にこっちへ来ていたら、多分戻ろうなんて思わないでしょうし」

「ディーか。クレオは本当にあいつに懐いていたからな。あの閉塞感しかない日々でも、あいつの存在は周りの人間にとっては希望の光だった。……お前やあいつのためにも、まーくんを助けないとな」

「え?」一体どう言う意味だ?

 受付の看護婦さんにレティさんの事を頼み、病院を出る。と、久し振りの顔に遭遇した。


「ボクサーさん、おはようございます」


 シルクさんのお父さんと違い、くすんだ赤毛の彼はニヤッとして「ようクレオ」上下のスウェットで手を上げた。どうやらランニング中らしい。「昨日はお互い大変だったな。で、今日は朝早くこんな所で何してる?」

「同居の不死族の人のお見舞いです。ウィルネストさん、ボクサーさんは割りと近くでしたっけ?」

「どうだったかな……お前と違って覚えが良くないんだ」

「ウィルネスト?華の天使の息子の?」彼は満面の笑顔で喜ぶ。「そいつは良かった!近所だから結構心配してたんだぜ?」

「そうか、それは済まなかった」

 彼は何故か浮かない顔でボクサーさんを眺めた後、こっちの言葉が達者なんだな、今は何か仕事しているのか?そう尋ねる。連合政府のアルバイト員だと教えられると、エルは人使いが荒いからな、時々は逃げといた方がいいぞ、不謹慎だが尤もなアドバイスをした。

「了解。なあクレオ、昨日からお前等、聖者様を探してるんだろ?俺も手伝ってやろうか?不死族共がぐーすか寝ているのもそれが原因なんだろ?だったら人手を増やして捜索した方が」

「いえ。もう居場所は分かっているんです。準備が出来たら調査団の皆で行ってきます」

「何だよそれ。分かってるならさっさと連れて戻ればいいだろ?」

「簡単にはいかないんです。だって今の誠さんは」

 そこまで言った所で慌てて口を噤む。幾らエレミア人で同じ政府員でも、ボクサーさんは部外者だ。だけど教えたが最後、絶対付いて来るに決まっている。

「?どうした、言えないってのか?」

「ええ、済みません。エルさんに口止めされているんです。この件は調査団以外に洩らすなと」

「水臭えな。俺とお前の仲じゃねえか。折角協力してやろうって言ってるのに」

「でも」

 僕が困っているのを見兼ねて、こいつも命令で言っているだけなんだ、力を貸して欲しい時はきちんと頼むから、な?勘弁してやれよ、と擁護してくれた。

「あんたがそう言うなら仕方ねえな。――じゃあなクレオ。次会う時まで無茶すんなよ」

「はい。ボクサーさんも無理しないで下さいね」

 僕達の結果次第では、もしかしたら明日は来ないかもしれませんけど、と思いつつ、政府館の方へ走っていく彼の後姿を見送る。

「ありがとうございますウィルネストさん。?どうかしましたか?」

 彼は腑に落ちない表情、口元に拳を当てて考え込んでいた。

「クレオ。お前、俺の母親が華の天使だって知ってたか?」

「ええ。病気の事を訊いたら、ディーさんがついでに教えてくれました」

 彼の母親はグリューネ様と似たような存在で、神様に仕え長く世界を支えていたらしい。が、緩やかな崩壊と共に病に罹り、僕が目覚めた時には既に亡くなっていた。ウィルネストさんは唯一の肉親で、エレミアに住んでいた頃は同じ心臓病を患ってとても苦しんでいたんだ。

「そうか……いや、しかし俺が顔を知らないって事は移民のはずだ……何故」

「きっと誰かが言ったんですよ。僕でさえ知っていたぐらいですし、特に内緒にしていた訳ではないんですよね?」

「ああ、だが……あの言い振りはまるで『あいつ』だ……」

 僕は悩む彼を宥め、次に行きたい場所を尋ねた。




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