序章 冥府の河
「ぅ………ぅん……」
深い闇の中。目覚めた白馬が頭を振ると、額から生えた鋭い角も大きく揺れる。
「あれ……何時の間に変身解いたんだろう……?」
本来の姿は色々不便だから、ここ十数年は眠っている時もずっと人間の姿でいたのに。不思議に思いながら、状況を判断するため辺りを見回す。
「何、ここ………」
一角獣の横になっていた場所は、目の前を横断する河の畔だった。――本来なら生命を象徴する液体の流れは肉体を離れ、ただ禍々しい。
ゴボゴボッ!
血の濁流から突然、真っ白な手が出てきた。不気味な唸り声を上げながらしばらくうねうねと指が動き、再び水没する。よく見ると、河のあちこちで同じ物体が出入りを繰り返していた。
「気持ち悪い……何、こいつ等……?」
まともな生物でない事だけは確かだ。かと言って同胞とも全然違う。二百年前、兄と散々襲われた“死肉喰らい”の生き残り?
ボコッ!「っうわぁっ!!」
地面から生えた腕に前脚を掴まれ、半狂乱で蹴り飛ばした。これ以上留まるのは生理的嫌悪感から却下。四本の脚に力を込め、浅瀬を選んで一気に河を越える。
手を何本か蹴飛ばしつつ、ようやく疾走を終え、一角獣は大きく息を吐いた。この程度の全力疾走で息が上がるなんて、自分も衰えたものだ。場所のせいかもしれないが……。
「変な所……どうして僕、ここにいるんだろう?確か兄様の部屋に行って……あ」
そうだ。兄の悲しい子守唄を聞いていたら、急に心臓の奥、核が酷く痛み始めて……。
(おかしいな。不死になってからは全く感じなかったのに……)
心は今でもしょっちゅう痛みを覚えるが、肉体の苦痛は久方振りですっかり耐性が消えていた。跳び上がる程でも、実はそうでもなかったりして。
突然現れる腕に注意しつつ、白馬は河から遠ざかるようにとぼとぼ歩いていく。
「ん?あれは」
無明に浮かび上がる蒼白い光。それに照らされて、下に倒れている者が視認出来た。肩下まで伸びたさらさらの黒髪、血色の悪い綺麗で中性的な顔。間違い無い!
「兄様!!」