魔王にうっかり目をつけられたために攫われた姫君の話
とある人間領のとある国の王族の末席に生まれて十八年。
王が戯れに手をつけた奴隷から生まれた五番目の王女に周囲の目は冷たかった。王の子を生んだ卑しい女ということで母は王妃や位の高い側妃達にいじめられ、心を病み、流行り病に掛かって医者にすら見てもらえずに亡くなった。
残ったのは父譲りの金の髪を持つ貧相な王女が一人。
お約束のようにいじめられる日々です。
「はぁ………もう、わたくしのことは忘れていて欲しい………」
いつまで経っても奴隷如きに王の寵愛を一時でも奪われたことがしゃく障るらしい王の妻達の怒りの矛先はいまやわたくしの一点集中。
正直迷惑ですわ………。
地味に大人しく目立たず騒がす影を共に生きてきたというのにこの仕打ち。ああ、今すぐ王宮なんぞ飛び出してしまいたい。
しかし王宮育ちのわたくした飛び出した所で奴隷狩りにあって奴隷として売り飛ばされるのが落ち。母のように美貌もないから最下層行き決定ですわね………。
「はぁ………いやですわ………」
逃げたいのに逃げ出す勇気もない。生きていける自信もない。現状に不満だらけなのに逃げ出す勇気も変える気力もない。
流されるままの自分が一番嫌ですわ。
ため息は自然と重く長くなる。
「だれか、ここから連れ出してくださらないかしら………なんて、他力本願もいいところですわね………」
こんな考えが出ること自体、わたくしが考えなしの甘いお嬢様思考の証でしょう。
このまま王宮にいたとしても苛められ続けるか国の利益になるところに政略結婚の駒にされるかの二択でしょうか。
最近は辺境の国との諍いも多いと聞きます。戦争回避のために王女と向こうの王族を結婚させることは十分考えられますわね。あの王の妻達が己の娘達をそんな所に嫁に出すことを承知するはずないのでお鉢をこちらに投げてくることでしょう。
苛められるか利用されるか。
そんな人生しかないのでしょうか。
「………抗うことはできないのでしょうか………」
暗いじめじめした部屋にある小さな窓から見える月を見上げながらポツリと呟いた言葉。誰に届くはずもないただ消えていくばかりのはずだった言葉。
その言葉に嗤い混じりの返答がありました。
「抗いたいのか?」
聞いただけで腰が砕けそうになるほどの美声が耳のすぐ側で囁かれる。耳に掛かる吐息とふわりと香る良い匂いに状況も忘れて顔が赤くなりました。
「にゃにゃにゃ!」
「猫か貴様は」
「にゃれ!」
噛みました。おもいっきり噛みました。あ、不審者が肩を震わせております。ええ、ええ、面白いでしょうよ!猫かの突込みのあとに噛んだから余計に面白いでいんでしょうね!!
さきほどとは別の意味で顔が赤くなります。
ああああああもう!恥ずかしい!
八つ当たり半分、不審半分で相手を睨みつけ、幾らもしないうちにわたくしは目を見張るはめになりました。
黒い長い髪に鮮やかな紅の瞳。わたくしが見た中で一、二を争うほどの美しい外見の男は魔人でした。
人とは違う巨大な力と無邪気とさえいえる残虐性を併せ持ったやっかいな存在。
「………魔人………」
強張るわたくしに魔人は美しい顔に残虐性が滲む笑みを浮かべながらわたくしの髪に指を絡める。
美しいのに背筋が凍るような恐怖はもう、本能的なものなのでしょう。圧迫で息すらしずらく感じます。
「………暇つぶしにちょっとした騒乱とあとは個人的にこの国のある餓鬼に用があったんで人間領にちょっかい出そうと思っているんだが。お前、騒乱の種になる気はないか?なるのならここから出してやるし生活は保障してやるぞ」
悪魔の誘いでした。
国に民に大混乱を巻き起こすと宣言しているような魔人がわたくしを唆します。
自由。
この飼い殺しからの解放。
だけど………代償は騒乱。
「わたくし………」
「まぁ、俺が決めたからお前の意志なんぞ関係ないがな」
「え?」
「疎まれている王女とはいえ派手に浚われて黙っている国ではないし、これを盾にうちの国に難題ぶっかけるのは目に見えているからな」
まぁ、そこら辺はあいつか泣き叫びながらでもどうにかするからいいけど。とつぶやく魔人。なんでしょうかこの面倒なことは人に丸投げな態度。丸投げされる人が気の毒です。
「それに、これがきっかけで女神が動くか」
小さな呟きは残念ながら私の耳には届きませんでした。
「まぁ、俺の役どころはお姫様を拉致する魔王でお前の役どころは攫われる哀れな姫だ」
理解する必要も納得する必要もない。俺が決めた。だからお前は攫われるんだ。
無茶苦茶な理論。屁理屈を振りかざした魔人………魔王がわたくしを抱きかかえる。派手に飛び散るガラス。ぶっ飛ぶ壁。ふわりと身体が浮くような浮遊感とともに躍り出たのは月夜が綺麗な空。
「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
「さぁ、舞台の幕は上がった!しっかりと踊りきれよ」
わたくしの居た部屋一帯を魔法でぶっ飛ばした魔王は堂々と王宮で暴れまわった挙句、わたくしをつれてあっさりさっぱり逃げ切ってしまうのはこのあとすぐのこと。
異母弟である十三歳の弟が勇者なんかに選抜されてしまうことも魔王さまに「駆け落ち」を強要させられることになることも外聞的に魔王さまの想い人の称号を冠せられることになることもまったくわたくしの想像の範囲外の出来事でありました。