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抜き打つ電影石火

作者: 妖剣使い

 

 日の落ち始めた赤い空の下。


 人気のない通りを若い侍と牢人体の男が、今まさにすれ違おうとしていた。


(父の仇……)


 腰に刀と脇差を閂差しにした育ちの良さそうな若侍。しかし若侍にとって、牢人は父の仇だった。


 ボロを身に纏い、腰には粗末なこしらえの鞘に納まった大刀を一本、落とし差しにする牢人。その日暮らしの金のために父を斬った、憎い男だった。


(勝機は一瞬。決して見誤るな)


 右前方に仇の姿を捉えながら、若い侍は、復讐に燃える心をひたすらに抑え、抜刀の機を伺う。


 仇は若侍の存在に気付いてはいるが、彼が己を付け狙う復讐者だとは、一寸も思っていない様子である。


(まだだ。まだ気付かれてはいけない)


 若侍と仇との距離が、一歩詰まった。

 

 父は居合の達者だった。抜刀の瞬間を気付かせぬ迅速な抜き手は『電光の右』の名で恐れられていた。


「父上! 父上ぇぇ!」


 西瓜のように脳天を割られ真っ赤な身を撒き散らし骸となった父の身に、『電光』と恐れられた右手は繋がっていなかった。


 若侍は父の骸と対面したとき、その無惨な姿に泣き崩れた。


「なんと痛ましい姿で……」


 顔もわからぬ頭部の状態が、ではない。


 切り飛ばされて父から離れた右手、幼い頃から誇らしく思っていた父の右手が、地に落ち、カラスどもの餌にされていることが、若侍には無念でならなかった。


 父は半ば刀を抜きかけた状態で右腕を切り飛ばされ、肘から先を失っていた。


(あの父が、居合で敗れた!)


 仇との距離が、また一歩詰まった。 

 柱を失った一家の行く末は悲惨だった。家禄は半分以下に減り、使用人は皆彼らのもとを去った。


 病に倒れた母は雑草だらけの荒れ果てた庭を見つめながら息を引き取り、残された弟達は今も貧困に喘いでいる。


(父の仇……なんとしても打ちとってくれる!)


 若侍は復讐を誓い、雑草がぼうぼうに生い茂る庭に立ち、何本も居合を抜いた。


 父はよく言っていた。剣の時代はもうすぐ終わり学問の時代が来る。居合は一日に百本抜けば良い、と。


 息子らにはそう言っておきながら、父が一日に抜き打つ数は、優に千本を越えていた。


 若侍は父の姿を追うように一心不乱に抜刀を繰り返した。


 父の死から半年が経った今、若侍は己の居合が父の『電光』に追いついたことを悟った。


(だが、越えてはいない)


 仇との距離が、また一歩詰まった。 

 やがて仇の正体を知ることができた。


 居合の達者である父を討った憎い仇。その仇もやはり『石火』なる居合の技の使い手だった。


 奴はその日暮らしの牢人。懐が寒くなる度にふらりと現れ、暗殺稼業で大金をせしめるという。奴の『石火』は裏ではよく知られているらしく、仇を雇いたい者はわんさか居るそうだ。


 『石火』は、厄介な剣だった。


(『電光』では勝てぬ……)


 対峙する相手が刀を抜こうとする瞬間を的確に見抜き、飛び込みざまに抜き手を斬り落とすという。父が敗れたという剣も、この『石火』に違いない。


(いや……『電影』ならば!)


 仇との距離が、また一歩詰まった。 

 赤い空の下、仇討ちの瞬間が一歩ずつ近付く。


 もうすぐ、仇が若侍の間合に入る。


(しかし、まだだ)


 尋常の間合から仕掛ける剣では勝てぬ。勝機は完全に不意をついて仕掛ける『電影』にこそある。


 若侍が父から受け継いだ剣には二つあった。表之太刀とも言える神速の抜刀『電光』に対し、裏之太刀『電影』は定石にない変則抜刀、まさに裏の剣だった。


 その要諦は背中を斬る不意打ちの抜刀。双方が背を向けた状態から、悟られぬように胸元まで鞘を引き上げ、抜くと同時に右足を後方へ滑らせ、身を捻り、背中を袈裟掛けに斬り下ろすのだ。


 若侍は唯一の勝機を、この技に見出だし、さらに彼独自の工夫を加えた。


(奴の間合に踏み入っても、決して早まるな!)


 仇の間合をやり過ごし、背後から変則の抜刀を浴びせる。そのために剣気を極限まで抑える。


 仇との距離が、また一歩詰まった。


 ……かに思えたとき、仇が足を止めた。


「お主、どこかで俺と会っていないか?」 

 仇は間合に差し掛かるか否やの絶妙な立ち位置で足を止めた。今もし若侍が逃げ出そうと反転すれば、その間に仇は一歩踏み込み、若侍の背中を斬るだろう。


「ひ、人違いであろう」


「左様か……いや、違うな。確か半年ほど前、お主と似たような御仁と……お!」


 男の目が何か閃いたように一瞬、大きく開いた。


(気付かれたか! どうする、どうする!)


 若侍の頭の中に警鐘が鳴り響く。父が居合の達者なら、仇は居合の怪物。まともに抜き打ち合っては、父の二の舞である。


「思い出したぞ! わしが仕事で斬った男にそっくりだ!」


 若侍の目が、仇の言葉にぴくりと反応する。『仕事で斬った男』という言葉に、遊ぶ金欲しさに父を斬ったことを意味する一言に、激怒したのだ。


 若侍の目の色の変化を、仇は見逃してはくれなかった。 

 若侍はすぐさま決断を下した。


(今はまだ間合の外! ならば……)


「父の仇!」


 言いざま、腰を落とし、右手を柄に伸ばす。抜き合って勝てないならば、間合の外で抜刀し、立ち合いの中で勝機を見出だすのみ。


 そう思っての行動だったが、仇の『石火』の前には、無謀であった。


「南無三!」


 叫びざま抜刀し、構えをとる。それが最良であるとすれば、若侍はその最良に辿り着くことができなかった。


(まさか!)


 届くはずがない。そう睨んで抜いたはずだった。


「未熟な若造が仇討ちとは──」


 男の踏み込みは大きく、飛ぶように、予想を上回って伸びた。


 若侍が間合の外と思っていたその距離は、仇の間合の内だった。


「笑止!」


 仇の抜刀の動作は、若侍の目では追うことができなかった。ただ細く光る、白い刃の残光だけが網膜に焼き付いた。


(斬られた!)


 刀身を半ば抜き出したところで、熱した鉄を押し当てられるような熱い感覚が若侍の右手首に走った。 

 刃を光らせ、すれ違う二つの影。


 熱い感覚が若侍の右手に走り、赤い血流が肌を滴り流れ落ちる。


 しかし、血流は噴出するほどのものではなかった。


 すれ違った背中と背中。


「貴様!」


 背中を向けたまま、仇が戸惑いの言葉を発する。刃は確かに若侍の右手首に届いたはずだった。だが、返ったのは硬い金属に阻まれる不快な感触。


 若侍はもしもの場合を想定し、衣服の下に鉄の鎖で編まれた鎖帷子かたびらを着込んいたのだ。


「愚かな! 鎖ごときでわしの『石火』を封じたつもりか!」


 嘲りと苛立ちの雑じった声を上げ、仇が振り返ろうとする。


 確かに若侍の右手首は仇の剣を受けつつも、未だに繋がっている。


 しかし、渾身の力を篭めた刀での一撃を、細い鎖ごときで防ぎきれるはずもない。


 若侍の腕は繋がってはいるものの、負った傷は充分に重傷と呼べるものだ。今すぐに手当てをしたとしても、二度と剣を握ることはできないだろう。 

(だが、それでいい)


 父はよく言っていた。剣の時代は終わり、学問の時代が訪れる。


 二度と剣を握れなくともかまわない。筆を持つ力さえ残っていれば、それでいい。若侍は父の言葉を信じていた。


 鎖帷子の狙いは命を落とすことを恐れたからではない。ただ、父の信じた未来を歩むためだ。


 そして互いに背を向けた今のこの状態……抜刀する絶好の機を生み出すため。


 若侍は今こそ本命の一太刀を狙う。


 仇も今まさに、若侍にトドメを刺すべく振り返ろうとしている。


「愚かな若造め。貴様も父と同じように、割れた西瓜にしてやろう!」


 互いに背を向けた相手をへ討たんと次の一刀を狙う。


 だが、死んだも同然の手負いの相手に向けて悠々と繰り出す介錯の剣と、復讐の誓いを乗せた必殺の剣。


 必然的に勝るのは後者、若侍である。


(『電影』ならば、勝つ!)


 若侍は左手を鞘から刀の柄へと移しながら、右足を後方へと滑らせた。 

 若侍が独自に『電影』に組み込んだ独自の工夫が活きる。


 鞘に完全に納まった刀を左手だけで抜くのは至難の業。強敵を目の前にしながらの左手一本の抜刀は、無謀というほかない。


 だが、右手を斬られたことで、半ば抜き出した状態のまま放置された刀ならば、左手で抜くことは容易である。


 左手の親指を柄の先端近くに引っ掛け、逆手握りで一気に引き抜く。その勢いは反転ざまに袈裟に振り下ろす一刀に充分な加速を乗せる。


 若侍の工夫は『電影』の左。左手のみで繰り出す変則抜刀である。


 若い手により昇華された、古い代から脈々と受け継がれる裏之太刀の新たな姿。その剣の術理、身体の力の運用法に誤りはない。


 もし誤りがあるとすれば、繰り出すべき機。想定される場面。


 『電影』を繰り出すべき最善の機。それは完全なる不意打ちである。 

 『電影』の想定された最良の機は、完全なる不意打ち。


 相手が己を警戒していないことが、必須だったのである。


(……遠い!)


 若侍が目を剥く。


 反転の勢いを乗せた一刀は、むなしく空を切る。


 仇の姿は、若侍と一合をかわした直後よりも、さらに遠い位置にあった。


 仇は一歩、後ろに引いていたのだ。


 袈裟がけに目の前の空間を走る銀光を冷静に眺めながら、仇はぽつりと呟いた。


「なるほど……それが、貴様の奥の手か」


 若侍は機を誤ったのだ。


 口をあんぐりと開けたまま、若侍は剣を振り抜いた姿勢で、愕然と動きを止めてしまった。


 仇は悠々と刀を上段に振り上げ、まさしく西瓜でも割るような軽い気持ちで、若侍の脳天に振り下ろした。


「ふぅ。この、人を斬る瞬間ってのは、なんともイイ気持ちになっちまうな」


 このとき仇の心の片隅には、一刀めの『石火』をある種の違和感が残っていた。


 若侍の表情から反撃を狙っていることが読めたとか、残った左手による抜刀の可能性について頭を働かせたとかではない。


 仇はただ、いつもと違う感触が気に食わなかった。己の剣がスパッと綺麗に骨を断つ瞬間、仇はその手応えに気持ちの良さを感じるのだ。


 それがなかった。気に食わない。よし、一歩だけ引いて、仕切り直そう。


 そんな、気まぐれとも呼べるあやふやな行動原理に、研鑽と工夫を重ね代々受け継がれてきた『電影』が破れたのだ。 

 ……そんな事態を若侍は想定した。


(それだけは、絶対にあってはならない)


 古い時代から脈々と受け継がれた秘剣。父を始めとする数々の武人達と己を繋ぐ深い絆。


 それが己の代で絶えるとしても、牢人の気まぐれに敗れるなど、決して許されることではない。


 古き血脈と父が語った新しい世の姿。その二つを天秤にかけ、若侍は最後まで鎖帷子を着るか着ないか迷っていた。


 若侍は古い絆を取った。


 鎖帷子を着ずに、筆を持つべき右手を捨てたのだ。


 敵刃はほとんど抵抗なく生身の腕に入り込み、骨ごと断ち切って抜けた。


 筆を持つべき右手を捨てたのだ。


(右手……なくなっちまったぁ)


 丸い切断面から血が噴き出し、意識を保っていられないほどの激痛と灼熱が脳を焼いた。


 だが耐えた。


「この感触だ! 最高にイイ気持ちだぁ……これだからやめられないぜ!」


 背中越しに聞こえる不快な声は、今が裏之太刀『電影』を抜き打つこれ以上ない好機であることを若侍に知らせる。


 油断する敵を秘剣の圏内に捉えておきながら痛みで動けなかったとなれば、それこそ、父に顔向けができぬ。


 激痛に泣き声を連呼する脳を無理矢理に押さえ付け、若侍はただ無心左手を刀の柄に添え、何度も抜いたように、一日に二千本、半年で三十万本以上抜き続けた形の通り通、剣を走らせた。 

 左手に、皮肉を裂き臓物をえぐる感触が、確かな手応えとして返ってくる。


 裏之太刀『電影』は宿願を果たしたのだ。


 痛みにぼやける視界に、斜めに赤い線が走る。


 そしてはっきりと仇の憎い顔が写った。驚愕に目を見開き、わなわなと眉を怒りに震わせ、しだいに顔は恐怖にくしゃりと歪み、やがて色を失い倒れた。


「ざまあみろ」


 鬱憤を晴らしてやった。仇の死に逝く顔は、若侍をそんな嗜虐的な気分にさせた。


 そのとき足音にぼとりと、何かが音を立てて転がった。今頃になってやっと、斬り飛ばされた右手が落ちてきたのだ。


(嫌なことを思い出させるな……)


 勝利の美酒に酔う暇もないまま、若侍はふところからさらしを引っ張り出し、片端を口に加え、左手でさらしを取り、今も血を噴き出している右腕をきつく縛り上げた。 

(上手くいかないものだな……さらしを巻く練習もしておけば良かったかもしれん)


 思うように動いてくれない左手が滑稽で、思わず自嘲気味な笑いが漏れてしまう。


 拙い手付きでなんとか止血を終えると、若侍は黄昏に染まる天を仰いだ。


「父上……仇は確かに討ちました」


 だが、失ったものは大きい。若侍は、片腕をなくしたまま幼い弟達を養っていかねばならないのだ。


「しかし、隻腕の身では仕官の口は見つかりませんな」


 さらしでぐるぐる巻きになった右肘を見下ろす。


 剣も握れず、筆をとることもできず。父の信じた未来を歩むことを、放棄してしまった自分に残されている道は、あまり明るいものではないだろう。


 若侍は足元に転がる骸をなんとなく見下ろした。 

 そして二十年の月日が流れた頃、巷にはある噂が流れていた。


「隻腕の刺客?」


 場末の飲み屋で二人の博徒がちびちびと安酒をすすっていた。


「ああ。左手一本で脇差しを抜いて、背中をぶっ刺しちまうらしい」


「へっ、そんな馬鹿な話があるかお前。殺された方がまぬけなんだよ」


「信じるも信じないもお前さん次第だがなあ。そいつは金次第じゃ、どんな相手でも殺しちまうらしいぜ。もしかしたらよお、お前さんの後ろにも片腕の牢人が立つかも知れねえぞ」


「ケッ、俺は人に怨まれることなんぞ何もしてねえよ」


 そのとき、二人の後ろで着流しで腰に二刀を帯びた牢人か立ち上がった。


 牢人が「勘定」とだけ言い残し、店主に向かって左手で銭をほうり投げた。


 利き腕でない方で投げたとは思えないほど、銭は店主の手に綺麗に納まった。 大刀を質に入れ、傘張りの内職もしたが、弟達を養うにはとても足りず、その日の食い扶持にありつくこともままならなかった。


 そして牢人はついに暗殺稼業に手を染めてしまう。

 始め、牢人は囮の役を割り当てられた。隻腕の身で脇差しを振りかざし狂ったような振る舞いで標的の意識をこちらに誘い、背後から殺し役が刺す、という寸法だ。


 しかしあるとき、殺し役の者が直前になって逃げ出してしまった。標的を一人で尾行していた牢人のもとに、雇い主からの伝言が。いったん退け、計画を練り直す、と。だが、牢人はそれに背き、一人で標的の前に立った。


 標的は一瞬、隻腕の牢人を物珍しそうにじろじろと見ていたが、やがて興味を失い、すれ違った。


 瞬間、牢人の左手が脇差しの柄にかかり、左足が後方に滑った。変形の『電影』である。


 短い脇差しは簡単に鞘から抜け、標的の背中から、心の臓を串刺しにした。


 これがきっかけで、牢人は暗殺稼業に本格的に身を投じることになる。 

 兄が心身を削って育てた弟達は、職にあぶれることなく仕官の口を見つけ、禄を得ることができた。


 しかし、仕官した弟達は、兄を邪険にし始めた。ぶらぶらと下町に出回り、昼間から飲み屋に入り浸る隻腕の牢人が親族にいるとなると、出世に響くのだ。


 無論、兄に育てられたことに恩義を感じないわけではない。兄に真っ当な生き方を探すよう諭すこともあった。


 だが、兄はこう答えた。


「今さら、生き方は変えられねえよ」


 こう開き直ってしまった兄に、弟達は愛想がつき、兄と一切連絡をとらなくなった。


 夕闇が近付いていた。


 牢人は下町から少し離れた古寺の境内に足を進め、背後を振り返った。


「こっちはさっきから気が付いているんだ、姿を現せ」


 兄が単なる邪魔物でしかなくなった今、弟達は、兄のもとに刺客を送るようになった。 

 牢人の一喝に二人の刺客が姿を現した。いずれも大刀を一本落とし差しにしている。


 刺客は牢人を挟み討ちするように陣取り、腰の刀に手を伸ばした。


「この生き方は変えられねえな」


 呟きとともに、牢人の身体が、はじける火花のように飛んだ。


 明らかに間合の外であった位置から、一瞬にして抜刀動作の途中にある刺客の目の前に立った。


 立った、と思った瞬間、左手の脇差しは既に抜き打たれていた後だった。


 半ばほど抜き上げられていた刀身はそこで制止し、右手は切り飛ばされて境内に転がった。


 『石火』だ。父の命を奪ったその技で、牢人はなんのためらいもなく淡々と刺客を討った。


 絶叫する刺客を捨て置き、背後に首だけを向けると、もう一人の刺客が迫っていた。


 勢いよく振り下ろされ、しかし正直すぎる斬撃を、、牢人は左手の脇差しでたやすく受け流しながらすれ違う。


 直後、刺客は背中から心の臓を突き刺す『電影』の餌食になる。


「変えられねえ……いや、変えさせてくれないのか」


 牢人は自嘲気味に笑う。その日暮らしの金のために殺し、襲い来る刺客を殺し、そんな日々を繰り返すほど、牢人は人を斬る快楽に溺れていった。 

 顔も思い出せぬ父の『電影』と仇敵が父を討つのに使った『石火』。


 皮肉なことにこの二つの居合は牢人の左手に驚くほどよく馴染み、もはや二つ揃って一つの技と呼べる形にまでなっていた。


 だが、ふと思い出す。


「いや、親父殿は確かに『電影』を教えてくれたが、実際に抜くのは『電光』の方だったなあ」


 誇らしく、今も鮮明に覚えている父の『電光』の抜き手。


 こんなだったかなあ、と呟きながら、竹光の鞘を左手で握り、『電光』を思い出そうと柄に抜き手を伸ばそうとし……己の右肘より先が、とうの昔にカラスの餌になっていたことに気付いた。


 笑うしかなかった。今、己が使い、命を食い繋がせている剣は、父の剣に非ず。仇敵の剣と、表舞台に立つことを許されない裏之太刀なのだ。


 かつての若侍に、その頃の面影はない。血生臭い稼業の中で、ひたすらに電影石火を抜き続ける。

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[一言] ノクターンからきたらこんな良作が隠れていただと… どっちも期待してますよー!
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