2章-2
朝食代わりのビスケットを齧った後、テセラ達三人はシエナの町を目指して歩き出した。
国境周辺は荒れ野が広がっている。
歩けば歩くほど潅木が増えていき、木の根が張り出して歩き難くなる。
あげく、荒地に散らばる灰晶石が太陽の光を反射し、まだ春だというのに肌がじりじりと日に焼かれた。
ようやく道らしい道へたどり着いたのは、昼を過ぎてからだった。そこから更に太陽の方向へ進み、白い日干し煉瓦造りの町並みへとたどりついた。
前線がここ数日で近づいてきたせいだろう。町の入り口には急ごしらえの煉瓦の門があり、シエナ兵が見張っていた。
リヤは既に普通の服に着替えていたし、両手で抱えるようなライフルは分解して隠し持ったようだ。けれどいつバレてしまうかとテセラは気が気じゃなかったが、無事に門を通りぬけられた。
武器検査どころか、質問すらされなかったのだ。
検問をしようにも、シエナ国民が通行証など持ち歩いていないせいだろう。
急な戦況の激変に、前線の位置が大幅に後退したのはここ一週間のことだ。人の出入りを規制するためにそんな物を配っておく余裕さえ、政府にはなかったに違いない。
そんなイサの推測に耳を傾けながら、一週間前の故郷の大騒ぎと、相次ぐ戦死の報をテセラは思い出していた。
あまりの戦死者の多さに驚いた近所の人々の姿。号外が出た三時間後にはまた号外が出た。瞬く間に十の町が落とされ、境界線が大幅に後退した事を聞いた人々は、一斉に疎開を始めた。
でもテセラは、そんな騒ぎにも取り残されたように、家の中で膝を抱えてうずくまっていた。
あと五分、あと一時間、いや明日になればきっと、ディオが帰ってくる……。
願いが叶わないとわかった後は、ただ必死に隣町へ走った。
絶対ディオは生きてる! それだけしか頭の中になかったのだ。
めまぐるしい時間が過ぎた今、自分の行動がどれだけ無謀な事だったのかテセラも自覚していた。
生きていられるのは、ディオの親戚と名乗るイサと出会えたからだ。あげくにシエナ国内まで戻れた上、一緒にディオを探してくれるという。うまくいけば、こうして国境の町を巡っているうちに、ディオと再会できるかもしれない。
ただもう一方の可能性が捨てきれないことも、テセラはわかっていた。
もし、兄が見つからなかったら……。
肩を軽く叩かれて物思いから我に返ったテセラは、顔をリヤに向けた。
「んじゃ俺、これから別行動とるから」
ちょっと近所まで行ってくるというような気軽さで、リヤが笑う。彼はその笑顔をイサにも向けたまま言った。
「お前も嬢ちゃんがいるんだからな、あまり復讐にのめり込むなよ!」
手を振りながら去っていくリヤ。
テセラは手を振り返すことすら忘れ、呆然と見送ってしまった。
「え、今……」
リヤは何て言った?
「復讐って」
人を探している、ディオの知り合いだというから、友人か親しい知人なのだと思っていた。
だって、復讐をしようって人なら、何か目がぎらぎらしていて、思い詰めたような表情ばかりして、周りなんて見えなくなっているような状態になるのではないだろうか。少なくとも、ディオのために復讐すると決めたら、テセラは自分がそうなるだろうと想像できる。
でもイサは、復讐をするために人を追いかけているようには見えなかったのだ。戦場にいた時だって、結局誰一人殺したりしなかった。そうできるだけの力があるのに。
見上げると、イサは「まいったな」と苦笑してみせる。否定しなかったので、リヤの言葉が本当だとわかった。
「長く追いかけ続けてたから、のめり込むって感じじゃないんだけどな」
「イサが復讐したいって……ミデンって人は、何をしたの?」
あまりに想像がつかなさすぎる。
だって昨日は、ただディオやイサの両親が関わった人だとしか聞いていなかったから。
質問するとイサは困ったような表情をしたが、教えてくれた。
「ミデンは……頭のいい人だったんだろう。だけどね」
イサはため息をつく。
「ミデンはあまりにも好奇心が強かったんだ。そして倫理観に欠けていた。そうして彼は自分の好奇心の赴くまま最高の兵器を作り出し、好奇心を満たすために実験をしたんだ」
どうなったと思う?
イサに問われて、テセラは困惑した。そんな彼女にイサはたとえ話をする。
そこに性能のいい銃があったとする。それを実証するためには、何かを撃たなければならない。撃つなら、動物の方がいいだろう。銃は的を射抜くためのものではないのだから。
それと同じ事をミデンはしたのだ。
「たくさんの人が死んだよ。彼が兵器を使ったらどうなるのか知りたがったせいで。そのせいで、俺の家族も死んだ」
そこまで話して、イサは口調を明るくする。
「さ、昔話はここまでだ。俺はさっそく人探しにかかりたいんだけど、テセラはどうする? 宿かなにかで待ってるなら、先にそっちへ……」
「ううん、手伝うよ」
テセラは大通に面した店でパン屋へ駆け込んだ。イサの復讐の話を聞いて、テセラは不意に怖くなったのだ。
ディオがもしそんな人を探してたとして、イサの家族を殺したと知ったらどうするんだろう。それも、イサの家族といえばディオの血縁でもある。
いいやそれよりも。
テセラはもっと恐ろしい考えが浮かんでしまう。
もし、ディオが両親を亡くした理由が、イサが話さないだけで、ミデンのせいだったら?
「ディオは……銃を持ってた」
その銃でミデンを殺そうとしていたとしたら。
テセラは頭を振って自分の想像を追い払った。そんな事を続けるよりは、動いている方が気が楽だった。
それにイサの手伝いをして、恩を返したい。
テセラは小さなパンを一つ買いながら、パン屋の主人に尋ねた。前線になったはずの適当な町の名前を挙げて、祖父を探しているとテセラが言うと、大通をずっと歩いて町を抜けたところに、避難民のテントがあると教えてくれた。
他の街から流れてきた避難民は、たいていそこにいるらしい。
イサにその話を告げ、すぐに二人は避難民のテントへ向かった。
明らかに、そこしか場所がなかったのだろう。町外れに、麻布を広げたテントの群れがあった。テント自体も薄汚れている。雨が降ったのか布の広範囲にしみが広がって、砂が付着してまだら模様になっていた。
さらに微妙な腐臭が漂ってくる。
そこから出入りするのは年老いた老人や老婆ばかりだった。そのほかには、見回りに来ているらしい兵士の姿を一人、二人見かけるだけだ。
テセラはこの腐臭に思い当たる事があった。
走り出した彼女を見てイサも後をついていく。
テントを迂回したそこには大きな深い穴が掘られ、底には薄く土をかぶせてあったけれど、人間の足や腕、頭の形が浮き彫りになって見えた。
その前で立ち尽くしているテセラの横に立ったイサは、小声で「大丈夫?」と聞いた。テセラは首を縦に振った。
「あの町でも見たから」
「そっか」
テセラは茫漠とした感覚を持て余しながら唇を噛んだ。
大丈夫だ。ここにはきっとディオは居ないはず。
「全部きっちり埋めてしまえば、けったくそ悪い臭いも収まるんだろうけどな。また一人分ずつ穴を掘るのも面倒だからて、そんな風にしてるんだよ嬢ちゃん」
二人が振り向くと、そこには枯れ枝のように細い体の老人が立っていた。彼が微笑むと顔のしわが余計に目立つ。ひげも眉毛も白くなっていて、帽子に隠れた頭髪もきっと昔の色を残してはいないのだろうと思われた。
「なんぞ、ここに用かな? お若い方々」
「人を探しに来ました。祖父なんですけれど、前線になったエクラグアの町に住んでたんです。だから近くの避難キャンプにいないかと……」
テセラはパン屋の主人と同じ話をした。老人は目じりのしわをもっと深くする。
「そりゃ難儀だの。だが爺さん婆さんしか残ってない今なら探しやすいだろうよ」
「なんでですか?」
そういえば外に出てくるのは老人ばかりだと思っていたテセラは尋ねた。
「足腰もよう立たん年寄りを引き取って、面倒をみてくれる人間は少ないってことさ。自分で歩いていけないならなおさらだね。迎えになんて来てくれやしない」
「でもおじいさんは歩けるのに、なんで?」
この質問をして、テセラはすぐ後で後悔した。
「俺は尋ねて行くあてもないだけさ。さ、誰を探してるんだい? そんなに沢山は残ってないから、名前さえ聞けばどの辺りにいるか教えてやれると思うが」
老人の問いに対してうつむいてしまったテセラの様子を見て、イサが口を開く。
「ミデンというんだ。もう七十歳近いんじゃないかな。口うるさくて機械いじりが好きなじいさんなんだけど」
老人は右の眉だけ持ち上げて返事した。
「ほぉ。あいつならこないだ軍につれて行かれたよ。本人は自分の研究が認められたんじゃと言っておったが、両側から腕を掴まれて連れて行かれる様は、捕獲された囚人みたいだったがね」
テセラとイサは思わず顔を見合わせた。
「じゃ、軍にいるんですか?」
聞いたテセラに老人はうなずく。
「牢に入っているんか、本人の言うとおり高待遇でもてなされているかはわからんがね」
これ以上自分に用事はないだろうと思ったのか、老人は軽く右手を上げて挨拶し、テントの中へ戻っていった。イサは彼を見送らないうちにその場を立ち去ろうと動き出していた。一拍遅れてイサを追いかけながら、テセラは尋ねた。
「その人、口うるさいの?」
「まぁ、そんな感じ」
イサの返答は曖昧で歯切れが悪い。彼は少しだけ振り向いて指先を口に当てて見せた。
「テセラ。そういう話はここではしちゃいけないよ。君はその人の孫のはずなんだし」
「うん……」
町中に適当な宿をとって荷物を下ろした後も、テセラは頭の中がもやもやとしていた。
どうして、イサは殺そうという相手のことをそんな冷静に語れるのだろうと。それ以前に、やっぱりイサが復讐をするというのが想像できなかった。
イサが自分の前では誰も傷つけてないことや、テセラを助けてくれたことがあるからかもしれないが、なんだか彼が人を殺すのを想像できなかった。
リヤなら簡単に想像できるのにと、テセラはため息をついた。
なんだかあの人だったら、野次を飛ばしながら銃を撃っていそうだ。
「どうかした?」
明日の予定について説明していたイサが、首をかしげた。
テセラはあわてて首を振る。
「ううん、なんでもない」
「ならいいけど。とりあえず今日これからでもちょっと様子を見てくるから、大人しくしてるように。明日もまぁ同じような感じになるけど、昼間は別に町中をうろついててもいいよ。じゃあ」
イサはそのまま散歩でも行くような、気軽な感じで部屋を出て行った。
ドアが閉まり、テセラは椅子から寝台の上に移動して仰向けに転がった。
昨日今日といろいろありすぎて疲れていたテセラは、そのまま眠ってしまった。