2章-1
「おーい、テセラちゃんおはよ……う?」
「おやほうございまふ」
朝。テセラは上手く回らない口で返事をしながら、声をかけてきたリヤを見上げた。
リヤは自分の方を口を開けたまま凝視している。どうしたんだろうか?
二秒考えて、彼がテセラの後ろを見ていることに気づく。
そういえば毛布一枚にイサの雑嚢を枕に眠ったのではなかっただろうか。でもあの時は頭に何かごつごつと当たって痛かった。今は全く痛くない。そして暖かい。
え? と思って飛び起きたテセラは、思わず叫びそうになる。
枕代わりになっていたのはイサの腕だった。そういえば昨日、隣りにいた記憶がある。きっとそのまま眠ってしまったのだろう。イサは右手だけ伸ばした状態で、今も静かな寝息をたてている。
しばらくして、リヤもちょっと落ち着いたようだ。何事か考えてからつかつかとイサに歩み寄り、しゃがんでイサの耳にふっと息を吹きかけた。
「だsぃづyへbrうぇーっ!」
わけのわからない言葉で叫びながら飛び起きたイサは、左耳をしっかりと押さえて辺りを見回し、リヤを見つけて情けなさそうな顔をした。
「おおお、お前っ! こーいう悪戯はやめてくれとあれほど……」
抗議するイサに対し、リヤは涼しげな顔をしている。
「だあってさ、イサってば昨日拾ったばかりの子猫ちゃんと、超近接していびきかいてるし。嬢ちゃんもいいかげん十三とか十四だろ? 子供じゃあるまいし、そんな相手を自分の腕枕で眠らせておくってのも、公序良俗に反するって言うか」
それを聞いてテセラがつい訂正してしまった。
「あの……十六なんです」
リヤが目を見開いてテセラを振り向き、そしてイサに怒鳴った。
「このロリコン!」
イサはめんどくさそうに言い返した。
「十三歳だった方がよりロリコンな気がするし、それにテセラは親戚の子って言ったじゃないか」
「親戚だからって油断できるもんか」
リヤは肩をすくめ、今度はテセラに向き直る。
「よお嬢ちゃん。よく眠れたかい?」
「はぁ、その、はい……」
どういう反応をしていいやら戸惑うテセラを指さし、イサはリヤに釘を刺した。
「ほら、おまえが変なこと言うから困ってるだろ」
「はいはい。それよりさ、イサ。話があんだよ、ちょっとこっちに来いよ」
リヤに呼ばれ、イサが立ち上がる。二人で歩きながら話し始めたので、話のさわりだけはテセラにも聞こえた。
「なんだよ?」
「居場所わかったのか? やっこさんについては」
「いや、まだだ」
そのまま二人の姿は遠ざかり、話の内容も聞こえなくなる。それでも用心のためだろう、テセラが見える場所で立ち止まって話し込み始めた。
***
「そか。俺はまた、あのお嬢ちゃんがやっこさんの情報を知ってるから、拾ったのかと思ったんだけどな」
リヤの言葉に、イサは項垂れる。
「だから、本当にあの子は親戚の子で……」
「本当にそうか?」
リヤの口調にあざ笑う気配が混じる。
「お前、軍には親族はいないって届け出てたらしいじゃん」
イサは言葉に詰まりそうになった。
「し、親戚を家族の届け出に含めるわけがないだろ」
「あの嬢ちゃん、そんなに遠い親戚なのかよ?」
「もっと遠い。従姉の子供が養子にもらわれていった先の、血縁のない妹だ」
真実そのものだったから、イサ自信の口調に不審な点がなかったのだろう。リヤはそれを素直に信じたらしく、一瞬あっけにとられたようだ。
「それ、他人じゃね?」
「俺にとっては親戚だ」
リヤはため息をついてみせた。納得したくないながらも、とりあえず飲み込んだ時の、彼の癖だ。
でも彼がそんな風に追求してくるのは当然だ。まして他人のことは言わない限り放置する男が、そんな事を追求してくる理由は一つだ。
「そんなことを聞くってことは、軍で相当絞られたのか? だったらごめん」
「いや……確かに三日三晩ぐらい拘留されたけどよ。でも俺も隊長も、マジでお前の昔がどうこうなんて知らないわけだし。そもそも給金が欲しくて軍の兵隊アリになるような奴同士が、幼年生の合宿よろしくお互いの身の上についてしんみりお話し合いなんてするわけないってことを、お偉方はわかっちゃいないんだよ」
けっ、とリヤは言い捨てる。
「それよりお前はどうしてたんだよ。急に辞表を出したと思ったら、翌日には第一副都で軍施設を破壊? 研究者を殺害未遂? 一体お前、何しようってんだ?」
リヤの問いを聞きながら、イサはその時の事を思い返す。
――あれは三カ月前のことだ。
作戦行動が一時終わって、イサのいた部隊は副都にいた。その軍施設で見かけた顔。
見間違いかと思った。
けれど何の不安もなさそうな顔をして、軍施設を歩いているのは、間違いなく自分が殺したくてたまらなくて、ずっと探していた男だった。
――ミデン・アルディナス。
しかし三ヶ月前は失敗だった。ミデンもまた自分に気づいてしまったからだ。
せめて隊長に迷惑をかけまいと辞表を出してから行動に移ったが、強襲した軍施設にミデンの姿はなかった。
それからイサはミデンを探し回った。
軍に指名手配されるかと思ったが、それはなかった。ミデンが軍で行っていた研究は、秘匿しなければならない類のものだったらしい。
その情報だけで、イサにはすぐ何の研究をしていたのかわかった。
奴はロスト・エイジと呼ばれるようになった、過去の技術を復活させるつもりなのだ。それは最初こそユイエンという国を戦勝国にするだろう。でもいずれ、一〇〇年前と同じように世界を壊すきっかけとなる。
なにより、ディオが生きているはずのこの世界を、壊させるわけにはいかない。
折角、新しい人生を送っているはずだったのに。
イサは回想と共に込み上げる感情に、名前をつけてリヤに告げた。
「私怨だよ」
「私怨?」
「あの時逃亡した研究者ミデンに、俺は家族を殺された」
それを聞いたリヤはなんともいえない渋い表情になる。
「じゃあ、そいつを殺すまでお前は追いかけ続けるのかよ? だいたい、手がかりは見つかってないんだろ?」
「いや。ないわけじゃない」
イサは革のパスケースを拾っていた。ミデンのユイエン国内の研究棟の通行証だ。
間違いなくあの男はシエナ国境の町にいたのだ。そしてさらに逃げるとしたら……シエナ国内が一番妥当だろう。
リヤが再びため息をついた。
「行方を聞いたところで、俺には関係ないけどな」
今度は小声でイサを責める。
「でも、今度隊長に会ったら、自分で謝っとけよ。俺から話すのは嫌だからな」
「もし会えたら、そうするよ」
「会えたらじゃねぇよ、会いに行け。路頭に迷った所を隊長に拾われた身の上で、消極的なこと言ってんじゃねぇ」
あとな、とリヤが続ける。
「あの嬢ちゃんはどうすんだ?」
聞かれてイサは即答した。
「シエナ国内まで連れて行って、戦火が遠い街まで送ってくるよ」
リヤは「ふーん」と相槌を打つ。
「俺はさ、お前の子供を拾うクセ、隊長からうつったんだとばっかり思ってたんだけどさ。あのヒトも戦災孤児拾うの得意だったからな。お前と隊長二人で、何度孤児院を往復してたっけ? だけどそもそもお前、子供好きなのな。殺したい相手より、拾った他人の方を優先するんだからな」
理解できないとばかりに首を振る。イサは笑った。
「だから他人じゃないんだよ。親戚なんだ」
会話を終わらせたイサは、周囲を見回るというリヤと別れ、テセラの元に戻った。
潅木だらけの荒野で、テセラは畳んだ毛布の横に座っていた。
イサの足音に気づいたのか、彼女が振り返る。
テセラが顔を上向けた瞬間、雲を通して降り注ぐ柔らかな光を透かして、もっと澄んだ色になる青い瞳。
そして呼びかけてくる声。
「お話おわったの?」
柔らかな声に、懐かしい記憶が呼び覚まされる。
ディオは、彼女の声を聞いて同じことを思っただろうか。