1章-3
「君の、お兄さん?」
テセラはうなずく。
「髪は金色で、年は十八。ディオは知り合いに会う用事があるってこの町にいたはずなの」
「ディオ?」
青年はいぶかしむような表情になる。
「そう名前はディオ。ディオ・カーティス。知ってるの?」
「髪は金色か。目は? 目は君と違って緑? もしかして養子とか……」
自信がなさそうに続けられた言葉に、テセラは目を見開く。
「やっぱり知ってるの? そうよ、ディオは養子なの。だから私とは全然似てなくて、目は緑で間違いない。でも、ディオは滅多に人に養子の話はしないのよ。そんなに親しかったの?」
顔が似ていないからか、ディオは養子だという話をあまりしたがらなかったはずだ。それを知っているのだから、目の前にいる彼は相当ディオと親しかったに違いない。
なのにどうしてこの青年は、悲しそうな表情をするんだろう。
顔色も、なんだか青い。
「まさか……ディオは……」
テセラは、自分の声がかすれているのがわかった。
きっとこの青年に負けずに、ひどい顔をしていたのだろう。彼は慌てて言った。
「いや、違うんだ。えーとディオの妹さん?」
「テセラよ」
「俺はイサって言うんだ。ちょっと込み入った話になるんだけど、俺がディオを知っているのは、実は君の家に養子に入る前のことまでなんだ」
「……え?」
「親を亡くすまでの彼をちょっと知ってて……。俺は彼の従兄なんだ」
「ディオの、従兄?」
イサと名乗った青年がうなずく。
しかし目の形とか、顎の形とかディオに似ているようには思えない。それにディオには家族がいないと聞いていたから、血縁者に会うことなど夢にも思わなかった。しかも、こんな場所で。
テセラが呆然としていると、不意にイサが剣を抜く。
何気ない仕草に見えたその動作と同時に、銃声が響き渡る。
思わず刃の動きを追いかけていたテセラの視線の先で、火花が散った。
銃を撃ってきたのは、ユイエンの兵士だった。
通りの向うの建物の角に身を寄せていた砂色の軍服の兵士は、なぜか背後にいたほかの兵士達を追い払うように手を振ってみせた。そして一人になると頭に被ったヘルメットを外し、人懐こい笑みを浮かべて見せる。
「あ、やっぱイサじゃん、お久~!」
にこやかに手を振って近づいてくる彼とは反対に、テセラはその場からはいずって逃げようとした。
笑いながら銃を撃つ人間なんて、普通じゃない。しかも相手はユイエンの兵士だ。
逃げろ逃げろ逃げろ!
しかし一向に進まない。いつの間にかジャケットの裾をしっかりと握られている。
「……や、やだっ!」
暴れたかったが身体が震えてそれすらできない。
そんなテセラを、イサは疲れたような表情で見下ろしてくる。
「やだじゃなくて。一人で動き回っても逃げるのは難しいよ? 町の外までは送ってあげるからちょっと大人しく……」
「だってその人ユイエンの軍人なんでしょう! なんで知り合いなの!? 殺される! 死にたくない!」
必死に抗議するテセラに、イサはほんわかと微笑んで「大丈夫」と言う。
「確かに知り合いだけど、俺は今ユイエンとは関係ないし。それに君はディオの妹なんだ。ちゃんと無事に帰してあげるから、信じて。俺はディオを裏切るようなことはしないよ」
「……ほんとに?」
実際のところ、テセラ一人でこの町から脱出できるとは思えなかった。そしてイサはディオの親族だという。偶然すぎるこの話を完全に信じたわけではない。けれど、さっきもテセラのことを助けてくれた。それに今この町で頼れそうな人はイサしかいない。
まだ怯えながらも、テセラは自分を納得させようとした。
と、笑い声が聞こえた。あの赤髪の兵士が腹を抱えて笑っている。
「ぷ……くく……くけけけ」
イサがため息交じりに言った。
「こっちは真剣だってのに、笑うなよリヤ」
「や、だってお前、そんなちっこいのと一緒にいて何してるのかと思ったら」
リヤという名の兵士が、涙目でイサを見ている。
「子供拾ったのかよ? しかもシエナの子か」
リヤはにやにやと笑いながら、さらに近づいてくる。
「だいたい、怯えさせたのはリヤだろ。知り合いを見つけて撃ってくるようなアホなことするから」
「お前、このあたりは完全にウチの勢力下なんだよ。てことはウチの軍服着てない奴はみんな敵だし? それにお前が本物かどうか知るのに一番楽な方法があれなんだから、仕方ないじゃん」
不意にリヤという兵士が、テセラに顔を近づけてくる。
「ところであんたは……」
一度言葉を切ってリヤはじろじろとテセラを見る。
「シエナの民間人か? こんなところに何しに来た?」
テセラは「あの、その……」と言葉を濁す。イサと違って、この人はユイエンの兵士だ。テセラの話を素直に信じてくれるかわからない。
「兄弟を探しに来たんだよ」
まごついていると、イサが代わりに答えてくれた。
「こんな前線に民間人が残ってるんだから、疑いたくなるのもわかる。けど、そしたら俺も同類だ。俺を捕まえて尋問するか?」
ほんの数秒、イサとリヤは視線を合わせる。一瞬だけ二人は、無機物を見るような眼差しになった。
テセラは背筋が寒くなる。知り合いだというのに、どうしてこの二人はお互いを壊れても構わない食器みたいな目で見るのだろう。
やがてリヤがへらっと口元に笑みを浮かべる。
「お前さんを俺一人で捕まえるなんてムリムリ。やだね、そんな危ないマネ」
肩をすくめてみせた。
「それよりこれからどうするんだ? 親切にもその子を家まで送るのかよ?」
「家までは無理でも、とりあえずシエナ国内には戻してやろうと思ってる」
「まぁ、お前ならウチの警戒網も、シエナのも突破できるだろうな。だけどよ」
彼はいたずらを思いついた少年のように目を輝かせる。
「もっと安全にシエナへ行きたくないか? なぁイサ?」
リヤはこれから単身シエナ側へ偵察に行くという。
そこでイサやテセラと一緒に行動してカモフラージュしたいのだそうだ。その代わり、リヤと一緒に行動するならユイエン軍が偵察部隊を送り込むための陽動作戦の隙に、安全なルートでシエナに入れる。
「ここで会ったのも、その子がシエナ人なのも何かの縁だし。ついでに俺がいれば、ユイエン兵から逃げ回らなくて済むだろ?」
それにさ、とリヤがイサを説得し続ける。
「さっきも屋根から屋根へ飛び移るバッタ人間を見た、なんて騒いでる兵がいたし。俺はそれでイサがいるって分かったぐらいだからな。いくらお前が包囲網を突破できても、あんなに目立ったら意味ないんじゃないか?」
「バッタ……」
イサが嘆息をもらしている。
可哀相だったが、テセラもなんと慰めて良いのか分からない。それ以前に、うっかり気を緩めると笑い出しそうだった。
肩を震わせて我慢していると、リヤがちらりと面白そうにテセラを見た。
真に受けて気を落としているイサを見て、リヤは楽しんでいるのだ。
気付いたテセラは、リヤとイサの間にある気安い関係を感じ取った。きっと彼らは以前からからかい、からかわれながら仲良くやってきたのだろう。
それがわかると、テセラの中でリヤへの恐怖心が少し薄れていく。【恩人と仲の良いらしい敵】からリヤという一人の人間
やがてイサがリヤに渋々言った。
「確かにな。テセラをシエナに帰さなくちゃいけないってのに、シエナ軍相手に目立ちたくない」
「だろ?」
我が意を得たと満面の笑みを浮かべるリヤ。
「じゃあ善は急げだ」
リヤに連れられてイサとテセラは街中を抜けた。
街のから離れたとたん、荒野を吹き渡る風に視界をさえぎられ、一瞬灰色に世界が煙って見えた。
「イサ、こっからはそいつを頭から全部隠して担げ」
リヤは自分の背負っていた毛布を取り出し、イサに渡した。
イサは手を引いていたテセラと視線を合わせ、子供に教えるように語り掛けてくる。
「テセラ。ユイエンの兵士が大勢いる所を通るんだ。民間人の、特に女の子の姿を晒して彼らを刺激したくない。だからちょっとこれを被っててほしいんだ」
テセラは戸惑いながらもうなずく。
イサはすかさず彼女を毛布でくるんだ。肩に担がれた瞬間は思わず小さく声を上げてしまったが、それ以外は大人しくする。
やがて毛布越しに、せせらぎの音が聞こえてきた。川だ。
遠くで爆発音が鳴り響く。
「よし、行くぞ」
リヤの言葉と共に、イサが走り出すのを感じた。