7章-5
戦い始めたイサ。
まるで神話に出てくる岩の魔物のような敵に挑む彼を、置いていくのは辛かった。
でもテセラには何もできない。それがわかっているから、唇を一度きつく噛んで、リヤと共に階段を駆け上った。
「急げ、ディオはそこだ」
五階へ着くと、リヤが階段を上がったすぐ横にある鉄の扉を指さす。
「早くディオを脱出させるしかない。ミデンがどれだけの人数、化け物に変えちまったかわかんねぇ」
テセラはうなずきを返して鉄の扉の向こうへ踏み込んだ。傷が深いリヤは、後に続いた。
ここもまた、地下の部屋までのように、細長い通路へと続いていた。まだ電気が通っているのだろう、薄暗い灯の向こうに新たな扉が見える。
そして銃声が聞こえた。
大急ぎで次の扉の向こうへ飛び込む。
途端に蜂が蠢くような耳ざわりな音に襲われ、顔をしかめながら部屋の中を見回した。機械が図書館の棚のように整然と並ぶ部屋の中、奥の少し広い場所に人がいる。
一人はディオ。彼と対峙している人物を見て、テセラは唇をかみしめる。
基地が崩壊するような事になれば、真っ先に逃げ出すだろうと思っていた。さっきのような化け物を放置したのも、自分の代わりにディオやイサを消すためなのだと。なのに、どうしてミデンはここに残っているのか。
硝煙の上がる銃を持ったままのミデンは、テセラを振り返って笑みを浮かべる。
「君、死んでなかったのかね。何もできない小娘のくせに、しぶといな」
「ミデン、お前の相手はこっちだ」
挑発したディオは、後ろから羽交い締めにされていた。その男も白衣を着て眼鏡を掛けているところからすると、ミデンのような研究者だと思われた。
ディオは顔をしかめたままミデンをにらみつけている。
白かったはずのシャツの左袖が、ほの明るい電灯の下で赤黒く染まっている。指先からは一滴ずつ彼の命を数える砂時計の砂みたいに、血がこぼれ落ちる。
駆け寄ろうとして、大地を揺るがすような衝撃に転びそうになったテセラは、機械の一つにすがる。機械は床に固定されているのか、倒れる気配もなくテセラを支えてくれた。
ミデンでさえたたらを踏んだのに、ディオは支えている男が微動だにしないため、揺らぎもしない。
ミデンはあいかわらずテセラを見ている。
「しかしこんな状況で、一人で来れたはずはないな」
その言葉が終わるか終わらないかのうちに、テセラの背後で銃声が上がった。間近で聞く発砲音に思わずテセラはその場にしゃがみこんだ。しかし撃たれたのはテセラではない。
奥の機械の一部が弾け、破片を追うように紫電が走った。
銃弾を避けたミデンは、不愉快そうな表情でテセラの背後を見やる。
「だからイサなんかと関係のある鼠は、さっさと駆除するように言ったのに……クラト博士」
名を呼ばれた瞬間、ディオを拘束していた男が動く。
リヤは構えたままの銃を発砲した。
連射する方向を見切ったかのように、左右へ避けていく。それでもイサで動きに慣れていたからだろうか、一度膝下をかすったが、クラトは気にせずそのまま接近してきた。
リヤが避けようとしながら至近で撃つ。
それよりも素早くクラトがリヤの回避先へ回り込む。
腕をひねり上げられたリヤが、銃を取り落とし、そのまま廊下へ投げ出された。
息を飲む間に二人の攻防は決した。
「リヤ!」
叫んだテセラだったが、動くことはできなかった。
クラトの冷静な視線に居すくんで、足が震えてくる。
なんとかしなくては。考えるが、テセラは何か武器を持っているわけではない。
しかしそのクラトの視線が外される。
振り返ったクラトの眼前に迫る刃。避けようとした手は切り裂かれたが、右手は既にナイフを握っていた。
二本の剣がぶつかり合う。
顎まで振るわせるような金属音に、テセラは一瞬目を閉じる。目を開けた時には、彼がテセラを庇う位置に立っていた。
イサの背中の向うで、白衣のクラトが倒れ伏している。
イサはミデンへ接近しながら、剣を振り下ろした。
一瞬で決着がつくと思った。
その予想を裏切り、ガラスを鉄で擦るような不快な響きと共に、ミデンの手前でイサの剣が止まる。
光が瞬き、イサははじき飛ばされた。
そのまま壁にたたきつけられる。
と思ったところでイサは壁を蹴り、次の瞬間は再びミデンに肉薄していた。
再び彼の剣は遮られたが、イサははじかれる勢いを上手く利用して、再びディオの前へ着地した。
「空間歪曲か……」
「私が開発したものだからな。使えて当然だろう?」
ミデンは自慢げにイサに語ってみせる。
「あの石ころ扱いされてきた灰晶石の荒野が、次元衝突の名残だという推論を立てた時には、学会から除名されかけたがね。それでもやがては皆、私の研究を認めざるを得なくなった。私の技術はあらゆる物に適用され、君もまた憎い私の研究成果の恩恵を受けてきたのだよ、イサ君」
ミデンは手に持っていた筒のような物を掲げる。
「だが、それでも私の推論は一〇〇%支持されたわけではなかった。あげくに平身低頭してすり寄ってきたはずの政府の奴らは、自分たちの勝手で私を始末しようとする」
筒が青白い光を帯び始める。
「私は、自分の推測を実証してみせるのだ。そのために、邪魔をする者は排除する」
白光が閃いた。
思わず目をふさいだテセラは、その直前に光へ向かって飛び込んでいくイサの姿を認識した。
「イサっ!」
叫び、もう一度目を開いた時、空気がきしむ音が鳴り響く。
骨の奥を擦られているような不快な感覚に満たされながらも、テセラはじっとイサの姿を見つめた。
イサの剣もまた青白い光をまとっていた。今度ははじかれることなく、イサはその場でミデンを覆う淡い光の輪を押している。
それでもミデンは平然としていた。
「ああ、その剣もそんな機能があったのか。軍にもコレは適用されてましたね。でも、出力が違う」
ミデンを覆う光の輪が広がる。その端々で細かな放電が起きる。
イサの足が床の上を滑り、後退を余儀なくされていく。やがて壁際まで追いやられた。背後にいたディオも、一緒に壁まで押されていく。
ミデンの作り出した場は、球状に展開していた。そのためテセラの隠れていた機械の棚も力場によってひしゃげ、慌てて離れざるをえなくなる。棚は、やがて紫電を狼煙ののように上げながら、もろく崩れ去る。
「残念ながら、この施設を破壊されては、次に同じ物を作り出すことは難しいだろう」
私の老いは、今の世界では止められない。そう言ったミデンは、実に悔しげな表情をしていた。
「なら、さんざ私の邪魔をしてきた人間が、逃げ場もなく目の前で蒸発するのを見るのも一興だ。死ぬのは私の方が数秒後だ。それともその剣の出力不足で、私の作り出した次元層に直接触れて身体がバラバラになる方が早いか」
ミデンのゆがんだ笑みを前に、イサが悔しげに呻く。
「あと、十分だイサ」
ディオの言葉は、テセラにもはっきりと聞こえた。
「十分後に、ここは次元層に飲み込まれる」
「くっ!」
イサは剣へ込める力を緩めずにディオの右腕を掴むと、壁を蹴って跳躍した。
押さえるものがなくなり、ミデンの力場が急速に広がる。そして壁に当たると分厚い建材は発光して火花を散らしながら崩れた。
数秒だけ光の壁が歪んで穴が開いた。が、すぐに復元し、近くの操作盤を飲み込んだ。鉄の棚は端からひしゃげ、くずれていく。
イサはディオごとテセラの方へ逃れてきた。
しかし場は広がり続ける。
「イサ、テセラを連れて行け!」
ディオが怒鳴りながら迫ってくる力場へ踏み出した。その手に握られているのは、灰色の水晶体。
ディオの手は皮膚が焼けて血が噴き出す。しかし灰晶石が閃光を発し、ミデンの場が大きくたわんだ。ミデンが何か騒いだが、彼の姿が水面に映ったようにゆらぐばかりで、声は聞こえない。
「ディオ! このバカ!」
慌ててイサがディオを抱え、近づいたミデンの壁からさらに離れた場所へと移動する。ディオの左腕には深い裂傷が刻まれていた。ディオ自身は苦痛に顔を大きくゆがめながらも、ミデンの場を観察していた。
「これだけじゃ弱いか。イサ、聞いて」
震える声で、ディオがイサに言った。
「あの操作盤にも灰晶石が使われてる。既に屋上の次元発生炉にデータは送られた後だ。本当はここに次元層の攻撃が加えられた時、反応を加速させて確実に施設が消滅するように、出力の高いものに交換したんだ。けど……。ミデンの場が操作盤まで浸食したら、水晶に触れて場がくずれる。そうしたら君の剣の出力でもあれは破れる」
イサが顔色を変えた。
「ディオ、今やったのは、それを確認するためか?」
「実験したことはなかったんだ。でもだいたい予測通りだ。早く!」
ディオはそこまで話して、腕を押さえて呻く。ちょうどその時、ミデンの場の撓みが戻った。
「ふん、隠し芸はそれで終わりかね?」
ミデンの声を聞き、イサはディオを持ち上げてさらに後退する。
「テセラ」
促され、別な方向にいたテセラも一緒に下がった。隙間を埋めるようにミデンの場は広がっていく。操作盤はさらに三分の一まで浸食され、その内部構造がむき出しになったまま火花を散らしていた。
「テセラ、ディオともう少し下がってて」
イサが剣を構える。
制御盤の方で白光が生じた。
「な……くそっ! どうしてこんな出力が!」
ミデンの驚愕の声に向かって、イサが走る。ぐにゃりと溶けた飴のように歪曲した場に向かって剣を振り下ろした。
ミデンは最後の言葉すら残せなかった。